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カラスと彼女

作者: 儚 無理

 土曜日になると、僕はいつも一人の少女を思いだす。そしてその少女のことを思いだすとき、僕はいっしょにカラスを思いださずにはいられない。それは当然、彼女の顔がカラスに似ているというからでも、彼女に黒い羽が生えているからでもなく、単純に、彼女とカラスにまつわる話を必ず思い出してしまうからだ。


   ※


 小学校四年生の時の土曜日のことだ。太陽が高く、きれいな青空が真上にあったのを覚えている。ゆとり教育のせいで今ではなくなってしまったが、あのころはまだ土曜日にも午前中だけ学校があった。


 僕は土曜日の学校から帰るのが好きだった。僕の両親は共働きで、平日は家にいない。僕は親から鍵を持たされて、一人家の中で漫画を読んだりテレビを見たり。だけど、土曜日には家で親がまってくれているのだ。「ただいま」と聞くたびに、恥ずかしいので顔には出さないが、僕はうれしかった。


 その土曜日も僕は、鼻歌でも歌いだしそうなほどわくわくした気持ちで商店街から住宅街へと続く道を歩いていた。右手に前庭の荒れた家をとらえながら、僕は歩を進める。五月の風が髪を撫で、アスファルトの隙間に咲くタンポポを揺らした。電柱は、夕方の太陽に照らされた朱色ではなく、はっきりとした鼠色で、道路を歩くビニールの袋を下げたたくさんのおばさんたちは一人もいない。

 灰色のままのアスファルト、緑の葉を揺らす花の散った桜、ところどころ錆びた赤色のポスト、そして僕。

 まるで、僕だけの世界のようだった。


「ねえ」


 突然かけられる声に、僕の世界は一度そこで幕を閉じる。僕はそのあまりの突然さに驚き、すこし緊張しながら振り返った。

そこには一人の少女がいた。

長い髪の毛を二つにくくり、背中に赤いランドセル、右手に体操服の袋。その少女に僕は見覚えがあった。僕は戸惑いながらも口を開く。


「えっと……山下さん、だっけ」


 自信がなかったわけではない。少女の名前ははっきりと憶えていた。ただ、全く話したことがなかったために、少し緊張していたのだ。僕の小さな問いに、少女は同じく小さく頷き、なぜか高く体操服の袋を掲げた。


「うん。そう。山下しおり。そしてきみは村野よしきくん」


 少女は笑った。僕はうなずく。いかにも、僕は村野よしきだった。

 山下さんは重たそうに体操服の袋をアスファルトの上に置き、それから僕のほうに一歩近づいた。僕は無駄に姿勢を正す。


「あのね、お願いがあるの」


 山下さんは少し申し訳なさげに、だけど断ることを許さない口調でそういった。両手を顔の前で合わせ、首を少し傾げる。その非常に女の子らしいポーズに、僕はなんだか妙に照れくさくなって、ズボンの端を握る。


「この後、どうしても行きたいところがあるの」

「うん」

「だけど、一人じゃ怖くって」

「うん」

「だから、えっと、ついてきてくれない、かな?」

「うん」


 なんで僕なのか、何をするのか、どこに行くのか。まったく説明になっていなかったのだけど、その時僕は、うん、としか言えなかった。僕はそもそも、人と話すのがあまり得意ではない。生まれついての性格なのか、無口なお父さんの影響か、進んで話そうとはしなかった。まして、山下さんとまともに話したのはその日が初めてだったのだ。同じクラスだけど、かかわることのない人。それが山下さんだった。自然と口数も減ってしまう。


 山下さんは、僕の何も考えていない、うん、うん、という言葉に、とても嬉しそうな顔をして、ぐるぐると手にもつ袋を振り回した。そして、じゃあ、商店街の前で待ってるから。絶対に、自転車に乗ってきてね、といってから走り去った。がたがたと揺れるランドセルの赤色が、太陽の光をうけて光る。僕は山下さんが道を曲がって見えなくなるまで、その場を動くことはできなかった。遠くで聞こえる飛行機の音が、いつまでも耳に残っていた。

 これが、この話の始まりだった。


  ※


 家に帰って荷物を置いて、自転車に乗って商店街の前に向かう。その時、なんで自分がこんなことをしているのか、微塵も考えなかったのは今思えば不思議であるが、きっと、うかれていたのだろう、その時の僕は。なんていったって、女の子と二人でどこかに行くことなんて初めてだったから、ついでに土曜日だったのだから。

仕方がない。


「こっちだよ」


 ちょうど商店街までの最後の曲がり角を曲がった時、少し先からそんな声がかけられた。さっきと全く同じ格好の山下さんが、白い小さな自転車だけ付け足してそこに立っていた。ランドセルも、体操服の袋も健在である。


「ねえ、なんでランドセル持ってるの?」

「あのね、ここから少し遠いから、ちゃんとついてきてね」


 僕の声が聞こえなかったのか、山下さんはあっという間に自転車にまたがり、しゃーっと言ってしまった。僕はポリポリと頬をかきながら、つづいて自転車にまたがり、山下さんの後を追った。山下さんの自転車は、歩いているかのようなスピードで走っていたから、すぐに追いつけた。山下さんは僕が隣に追いついた後もスピードを上げようとはしなかった。とてものんびりしたサイクリングだ。

 僕たちの住む町は、小学校の周辺は住宅が多いのだけど、少し自転車を走らせると田んぼばかりになってしまう、いわゆる田舎だ。広大な田んぼは、まだ植えられたばかりなので、秋に比べるとずっと背が低い。広い空の下、僕と山下さんだけが、風を切って走る。


「村野くんはあそこの山、上ったことある?」


 山下さんは、自転車で並走しながらそういった。方手はハンドルはなれ、前方にまっすぐ伸びている。僕はほんの一瞬、その白い腕に見蕩れてから、腕の指す方をみた。


「ああ、うん。あの山なら、上ったことあるよ。ていうか、学校でいったよ」


 それもつい先日のことだ。学年のみんなで、遠足で山下さんの指す山に上ったばかりだった。そこには山下さんも参加していたはずだが。

 自転車は橋に差し掛かった。車は通れない細い橋を、僕らは一列になってわたる。山下さんが前で、僕が後ろ。一度、橋のまんなかのほうにある小さな段差で、彼女の背中のランドセルが高くはねた。中に教科書が入っているとは思えないぐらい、軽々とランドセルは跳ねる。またランドセルに太陽が反射して、僕は少し目を伏せた。心地よい、春の太陽だった。僕たちはまっすぐ、目の前にそびえる山へと自転車をこぐ。到着まではまだまだかかりそうだった。


   ※


 目的の山の登山口に着いたのは、太陽が少し傾き始めたころだった。何時なのかは知らない。腕時計を付けた小学生なんていない。

 山下さんの自転車の隣に自分のをとめてから、少し先で振り返って待つ彼女を追いかける。山下さんは重そうに、半ば引きずるように体操服の袋を運んだ。


「それ、もとうか?」


 僕は手を伸ばしながらそう聞いたけど、山下さんはかたくなに首を振ってそれを拒んだ。彼女は袋を胸のところまで持ち上げて、抱きしめるように抱えた。袋を抱きしめる山下さんは、おもわずドキッとしてしまうような大人っぽい表情をしていた。どこか、憂いを秘めているような、不思議な表情。僕は今までそんな顔をする山下さんを見たことがなかった。僕がいつまでも彼女の顔を見つめていると、それに気づいた山下さんが顔を上げ、にこりと微笑んだ。顔がかっと熱くなる。


「えっと、そういえば、なにするの?ここで……」


 いまさらにもほどがあったが、僕はそう聞いた。なんでもいい。山下さんから顔を逸らしてきょろきょろしても自然に見えるような質問がほしかったのだ。僕は出来るだけ不思議そうに山のなかを見まわす。つい先日来たばかりで何の目新しさもない山なのに。


「……もうちょっとまって。上に着いたら、ちゃんと説明する」


 山下さんはそういって、先に山をすいすいと登って行った。僕も後を追った。


僕らは登山靴をはいているわけでも、そのための用意をしてきたわけでもないから、そんなに長時間上ることはできなかった。だけど、額に汗を浮かべながら、前に学校で来た時の開けたところまでは来ることができた。少しだけ息が上がっている。山下さんは、荷物も持っているせいで余計につらそうだ。僕らは汚れるのも気にせず、木の根元に座り込んだ。木の間を吹き抜ける風が心地よく、あつい体を冷やしてくれた。なんだか、とても時間がゆっくり進んでいるような気がした。いつもと違うことをしすぎているせいか、僕の心臓の鼓動が驚くほどはっきり聞こえた。耳鳴もする。


「……ここにしよう」


 山下さんはそういって、ランドセルを背中からおろし、ガチャリとその留め具を外す。

べろんとランドセルのふたが垂れ下がり、中身が滑り出てきた。

 中に入っていたのは、二本の先のとがったシャベルだった。学校の備品なんかでよく見る、持ち手にいくつも穴の開いた、緑色のシャベル。山下さんはその一つを僕に渡して、自分はすぐ近くを掘り出した。僕がしばらく呆然としていると、山下さんは顔を上げて手招きした。自分が掘っているところを人差し指で示す。


「ここ、掘って」


 僕は言われるがままに彼女と同じところを掘り始める。すぐ近くに山下さんの頭があるのを感じながら、僕はかがみこんだ足と足の間にシャベルを向ける。小さな石の多い、すこし湿った土だった。シャベルを差し込むたびに、さくっといい音がした。


「ごめんね」

「なにが?」

「こんなことにつきあわせて」


 こんなこと、というものが、僕はまだどんなものなのか知らない。だけど、ちらりと見上げた彼女の顔が、どうしようもなく可愛くって、どうしようもなく真剣で。それだけで、僕は苦労するかいがあるというものだった。今すぐ聞かなくても、きっともうすぐ、彼女が僕とここに来た理由を教えてくれるはず。僕にはそう思えた。


「村野くんは、私のこと、知ってた?」

「うん。だって、おんなじクラスだし」

「そういうことじゃなくてね」


 僕らは地面を掘る手を止めない。


「私も、おんなじクラスの人のこと、知ってる。浅野くん、大橋くん、加藤さん、古賀くん、佐々木さん……。でもね。私、ほんとうはみんなのこと、何も知らないような気がするの。たぶん、村野くんの、私を知ってる、っていうのはこういう知ってるでしょ」

「うん」


 僕は確かに山下さんのことを知っている。同じクラスの、出席番号は確か二十八番。友達が多くって、たしか勉強もできた、はず。

 だけど、彼女が言ってるのはそういうのじゃない。

 もっと、大事な何か。僕は彼女のそれを全く知らない。だから、僕は山下さんを知らない。


「でもね」

「うん」


 彼女は続ける。


「私は村野くんのこと、知ってたんだ」


 穴はずいぶん深くなっていた。僕の短い腕の、指先から肘までよりはずっと深くまで伸びている。山下さんは、はじに寄せていた体操服の袋を、大事そうに抱えて穴のすぐ横まで持ってきた。僕は、その袋をじっと見つめる。


「村野くんのこと、ずっとすごいと思ってた。みんなは村野くんのこと、気持ち悪いって言うけど、私はそうは思わないよ。私はね。すごく、やさしい人なんだなって。そう、思うの」


 彼女はゆっくりと、絞られた体操服の袋の口を開く。その中から顔を出したのは、ぐったりと力なく横たわった、真っ黒なカラスだった。


   ※


 僕らはカラスの埋葬を終えて、二人並んで手を合わせた後、しばらくその場に佇んでいた。山下さんは、きゅっと小さなくちびるを引き締めて、カラスの埋まっているあたりを見続けていた。僕は、そんな彼女の横顔を見続ける。

 とても、静かな時間。


「ごめんね」

「なにが?」

「こんなところまで、連れてきちゃって」


 僕は木と木の間から漏れてくる夕日を見上げた。もう、あれからだいぶ時間が過ぎているようだった。


「ほんとは、こんなとこまで来なくってもよかったんだよね。もっと近くの空き地とかでも。

だけど……だけど、私が怖かったから。こんなことしてるのをクラスの誰かに見られて、陰口言われるのが、怖かったから」

「うん」

「でもね。だからって、この子を見ないふりはできなかったの。だって、あんなところでみんなに嫌な顔されながら消えちゃうなんて、悲しすぎるから」

「うん」


 僕はそういって小さく頷き続ける。

 彼女の気持ちが、すごく、よく分かったから。


「去年、さ。村野くん、道端で猫が死んじゃってるの見つけて、その子をもって空き地に言ったでしょ?」

「うん」


 確かに、僕は猫がひかれて死んでるのを見つけて、拾って帰った。ずいぶん痩せた三毛猫だった。そのくせ、僕が思ったよりずっと重かった。僕は、そいつの墓を空き地の端に作った。


「私ね。それを見て、すごくうれしかったの。私もその子を見つけてて、でも自分でどうにかする勇気がなくって、だから、誰かにしてもらえて、ほんとによかった、って」


 ひときわ強く風が吹いて、木々をざわざわとゆする。でも、その大音量のざわめきのおかげで、彼女の声がずっとはっきりした、きれいなものだと感じることができた。


「でも、そのあとね。ずっと後悔してたんだ。私もあんな風にやっておけばよかったって。でも、あの日からみんなに、その、気持ち悪いって言われるようになった村野くんをみて、やらなくてよかったって、そういう風にも、思っちゃって、そんな自分が……」


 彼女の声が少しだけ震える。僕は思った。


「だから、今度は私がしなきゃって」

「うん」

「でも、……でも、怖くって……」

「うん」

「だから、それで……」

「……うん」


 きっと、彼女のほうが、僕なんかよりずっとやさしい。

 五月の夕陽が僕たちを照らす。これからどんどんこの太陽は暑さを増していくのだろう。夏は嫌いじゃない。だけど。

だけど今はもう少しだけ、このあたたかい春が続いてほしいと思った。


「……ありがとう」




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