3章 (中)
怪しいと思った岩陰に、丁度魚の群れが泳いでいた。夜だから魚も眠っていたのか、素早く水中に手を突っ込むと、簡単に魚を数匹捕らえることが出来た。
「まあ、こんだけ捕ったら上等やろ」
ニルティは魚臭くなることも覚悟の上で、巻き布の上に四匹魚を乗せて、汲んだ水と共にずかずかと戻った。携帯食料だけでは味気ないし、しっかり食べてイシャーナには元気になってもらわねばならない。
イシャーナは庇われることを異常に気に病んでいるようだが、ニルティから見れば守るべきものがあり、他人のことを考えながら行動するのが結構楽しい。
カンゼ騎士団の面々は、どいつもこいつも問題があるくらい個人主義で自分勝手だったし、ニルティは基本的にいつも守られつつ振り回される年少者だったのだ。魔術師には女が少なくどう扱えばいいか分からないのか、寮ではいつも当たり障りなく丁寧に扱われる。
「ついでに魚捕って来ましたで」
「うわ。びしょ濡れじゃないか。もう少し色々気を付けて行動しなよ。巻き布だけでも貸してごらん、乾かしてあげる」
口煩いこと母親の如きである。ニルティは魔術師だから当然のことながら母親を知らないが、世話焼きな騎士がそう言ってからかわれていたことは覚えている。
いそいそと巻き布を脱いで渡した。魚を片手で掴んでどう扱うか悩む。木の枝に刺そうかと、森で手ごろな枝を探した。
イシャーナは片手で巻き布を持ち、もう片方の掌を開いたり閉じたりして柔らかな風を起こした。
「あ、イシャーナ。魔術で火ぃ出して、適当に魚焼いてくれません?」
魚を先に突き刺した棒を持って、ニルティは振り返った。特に何を考えて言った言葉でもなかったけれど、それを聞いたイシャーナはびくりとして巻き布を取り落とした。
それを見ていてニルティはふと気付いた。というよりも先程思いついたことを思い出した。
「イシャーナ、杖のある無しに関係なく、あなた火の魔術使えへんのと違います? ……っていうか、火が怖いんです?」
イシャーナは真っ青になってニルティを見つめた。罪を暴かれるのを恐れるように、こちらを見る目は怯えていた。
「それは……」
彼は、剣を持つニルティに対しては、怖くない、怖がるものか強がるくせに、たった一言にこんなにも明らかに怯えるのだ。
彼の黒い瞳は大きく見開かれて、月明かりの下ゆらゆら揺れる。いつもは冴え冴えと冷たい美貌が、不安な様子で愛らしくさえ見えて、ニルティは思わずつついてしまった。
「あなた火の魔術で、傷付けられたことあるんでしょ。合形に」
「どうして、そんなこと……」
彼は真っ青な顔ですがるようにニルティを見ていて、真っ正直にその通りだと自白しているも同然だった。
彼女はイシャーナのあまりの動揺ぶりに、やはり言うべきではなかったかなと思い直していた。しかし言ってしまったからには仕方が無いと、魚を地面に突き立てて荷物から紙とインクをもう一度取り出した。
「あなたのあだ名の合形つぶしのイシャーナって、そこから来てるんやろう? あなたを傷付けた合形は、魔術師でありながら人を傷付けたから、魔術を失ったんや」
「どうして、どうしてそれを」
「あ、すみません。ちょっと黙っててくれますか」
魚を焼くにはどうすればいいんだろう。火は最も基本的な魔術で、ニルティでも比較的応用を利かせて扱うことが出来る。長時間燃え続けて、しかし魚が灰になっても困る。
まあ、なんとかなるだろう。紙にぐりぐりと記号を描く。治癒の時より真剣にはなれない。何事も考えるよりもとりあえずやってしまうのが、彼女が魔術で失敗する理由だった。
「うー、えいっ」
気合と共に紙に魚を刺した木の根元に投げ付けた。インクにサワッと魔力が走り、記号から大きな炎が飛び出した。
イシャーナは火に怯えるように数歩後ずさって、ニルティは怪しむように彼を見た。
「そんなに火、怖いんですか? そんなん周りの人間にばれるどころか、討伐の任務に差し支えあったんちゃいますか」
イシャーナは小さく気まずそうに笑った。
「いや、ごめん。そんなつもりはなかったんだけど。君の魔術の火っていうのが、攻撃的な気がして」
ニルティはむっとしないでもなかったが、あながち間違いでもなかったので黙った。ニルティは彼がさっき乾かした巻き布を身に付けて、彼は携帯食料を持ったまま彼女の隣に座った。
「さっきの話、聞いてもいいかい?」
火は赤く燃えていて、水に触れたばかりの彼女には少し嬉しい。彼女は頷いた。
「何で気付いたかでしたっけ?
イシャーナは魔術師は人を傷付けられへん、ってことにめっちゃこだわてるから、なんかあったんやろうなと思って。そやけどあなた、ほんまに傷付けたこと無さそうやったから、それやったら傷付けられた方やろうなと思った」
ニルティはゴマを甘く固めた板菓子に大口で噛り付いた。古く固いそれをよく噛み砕きながら、手を伸ばして枝を取り、魚を火に近付ける。
「それだけかい?」
「それだけって言うか、合形つぶしって大層な名前は付いてるし、丁度いいように火は使えへんみたいやし。そもそも初めから、妙にあたしみたいな小娘怖がってるし」
「別に怖がってなんか」
イシャーナも枝を取り、ニルティに倣うように魚を炙る。
「そんなに僕は、分かりやすかったかい?」
伺うように彼は尋ねた。
「あたしはあなたに何も思ってへんかったから。あたしは別に、元から魔術下手やから嫉妬も憧れもしいひんし、あなたなんか別に怖くないし。でもお互いになんか思っとったら、目が曇るって言うか、分かりにくいんちゃいます?」
「君は、自分を部外者みたいに思ってるんだね。それは、その、どうして」
「あたしは、剣士なんです。魔術は昔から下手やったし、勉強が嫌で学舎をサボって、カンゼ騎士団のところで遊んでてん。そしたらそのうち、剣士になってた」
イシャーナはふと目元を緩めた。
「そうか。そういえばその話し方、カンゼ地方の訛りだね。僕、君のことがすごく不思議で仕方なかったんだけど、分かってみればそういうこともあるかな、っていう」
魔術寮と騎士団の訓練場はすぐ近くだ。魔術師の子供がそこに遊びにいくなど、突拍子もないことだが不可能では全くない。その場所で魔術師の子供は、魔術師たちが考えもしない種類の人間に成長していたのだ。
「君は僕が、怖くないんだね」
イシャーナは、魚を真剣に炙っている少女の横顔を眺めていた。ニルティはどうでもよさそうにしれっと答えた。
「あなたはあたしを殺せませんからね。魔術師は人を傷付けられへん。あれ、半分は正しいんですよ」
「そ……、そうだよ、そうだよね。僕は実際に正しいことを知っているんだから」
「そろそろいいかな」
ニルティは彼女の合形よりも魚の方が重要だというように、魚にかぶりついた。熱さに息を吹きつけながら、かつかつと食べる。
それを見ていてイシャーナは一つ息を吐くと、そっと自分の持つ魚をかじった。ニルティに聞いて欲しかったのか、ずっと誰にも言っていなかったことを誰でもいいから吐き出したかったのか、大した反応をしないニルティの隣で彼はぽそぽそ話した。
「僕の最初の合形はさ、合形って言う以上のものだったんだ。
師匠だったけど、僕にとっては親みたいなものだよ。熱心に色んなことを教えてくれた、魔術以外の色んな知識もね。僕も、一生懸命勉強したし必死で努力したよ。僕にとって師匠は世界で、魔術は世界の全てだった」
ちびちび魚をかじるイシャーナを、ニルティは横目で見ながら思った。
幼い頃彼はさぞ可愛かったことだろう。その師匠と呼ばれた人間は、彼を教えたり甘やかしたり頼られたり、さぞ楽しかっただろう。
「僕は僕と師匠を、運命の合形だと思ってた。伝説の合形だと、信じてたんだ。居ないから、伝説だって言うのにね。だから師匠が突然僕に杖を向けたとき、怖かったよ。傷付けられると思った。魔術師は人を傷付けることはできないけど、師匠は僕のことは傷付けられると信じていたんだ、合形だから。
でも、痛みなんてほんの一瞬で、すぐに師匠のほうが痛そうな叫びを上げて……、魔力を失って、しまった」
夢見るようにイシャーナは言った。
「驚いたんだ。驚いた、僕たちは、運命の合形だと思っていたから。
バカだったよ、子供だった。信じていたんだ」
イシャーナ少年は成長して、その実力はすぐに師匠を抜き去ったのだろう。実力は遥かに先を行きながら彼は、相変わらず甘えたり頼ったりしたのだろう。
ああ、なんて心地よい尊敬の眼差し。それが軽侮のそれにいつか変化するくらいならば、永遠に自分で憎しみの眼差しに変えてしまえ。
とまでは思ったかどうか知らないが。
「それだけ?」
「え?」
「一人程度で、合形つぶしなんか言われます? あなたに嫉妬した合形が、突発的に魔術で攻撃して、あなたに大火傷を」
「いや、そこまで酷い傷じゃなかったよ。ただ師匠は、魔力の半分近くを失った」
「半分失くしても、あたしより魔力ずっと多いやろ。学舎では、魔術に失敗して怪我させて魔力減るなんか、ざらにあるで」
ニルティは自分の分の魚を二匹とも食べ終わり、枝をぽいと捨てた。
「ざらって、よくあるのかい?」
「学舎じゃ、魔術使って悪戯するアホも居るし、あたしかって治癒魔術に失敗して魔力削ったことありますよ」
イシャーナは目を見開いた。彼は魔術寮のエリートで、限られた優秀な魔術師としか付き合ったことがない。学舎には、彼が信じられないほど低レベルな失敗も、低レベルな人間も、動物と区別も付けられないような馬鹿な子供もごろごろしている。
「じゃあやっぱり、魔術師は人を傷付けると魔力を失うんだね」
ニルティはイシャーナを無表情でちらりと見たが、やや呆れていた。
「なんでやねん。魔術で人を怪我させると、魔力を失うねん。殴っても、剣で斬っても問題無いです」
魔術でも、間接的に怪我をさせるだけならば問題は無い。魔術の火は人を殺せないが、魔術の火が別の布や木に燃え移れば人を殺せる。このことを学舎の者達は経験から学んでいく。
「学舎でも下のほうの劣等性は、皆一回か二回魔術で人を怪我させたことありますよ。無くても見て知ってるし。そやけどイシャーナの合形とかやと学舎育ちじゃないエリートやから、一回もやったことなくて、初めてで大失敗したんでしょうね」
ニルティは乾いた豆をつまみながら、合形が食べ終わるのを待っている。彼はやっと魚を食べ終わると、少しほっとしたように笑った。
「そうか。案外よくあることなんだね。
僕、師匠の後で五回別の合形で同じようなことがあったんだ。何か僕に、合形にそうさせる特別な原因でもあるのかと思って悩んでたけど。なんだ、案外よくあるのか」
ニルティは食べていた豆を吹き出しそうになったが、堪えて無表情を保った。
「その伝説の合形、運命の合形? って、一体何なんですか」
イシャーナは目を見開いた。
「え、学舎で習わないのかい」
「や、聞いたことはありますよ。八十年前の水神殺しの魔術師とか、試験に出た魔術師でしょう。そやけどあなたの言うてるのと違う気がして。師匠が魔術を失って驚いたって言ってましたけど、つまり、それは」
「うんそうだよ。そっか、これは知らないのかな」
イシャーナは言いながら立ち上がった。そろそろ発つために、荷物をまとめ始める。ニルティもそれに倣って立ち上がった。
「伝説の、運命の合形はね、運命の二人だから、お互いに相手だけは傷付けても魔術を失わない。だから、相手を傷付けることを恐れず、大胆に戦えるんだ。
現在の魔物討伐のやり方では、片方が主に攻撃して、もう一人は治癒か援助に回るのが主流だけど、それは結局魔術師が一緒に戦う合形を傷付けないようにだろう。そうでなくて、合形を傷付けることを恐れずに、戦うことができる」
「へーもしそういう相手が居たら、あたしは、その合形にだけは気にせず治癒魔術が掛けれますね。あたしこのまま治癒魔術失敗し続けてたら、そのうち魔力全部なくなると思うんで」
ニルティは言いながら、編み靴の紐を固く結びなおしていた。
「そんな運命の合形、嫌だよ。怖いよ」
イシャーナはくすりと笑った。美しい、ちょっと意外なほど愛らしい笑顔だ。
「僕も小さい頃は、信じてたんだ。師匠はダメでもいつか、僕の運命の合形が目の前に現れるって。いつか運命の合形を見付けられると、信じてたんだ……。皆ダメだったけどね」
それは皆、彼から去って行ったということだ。皆彼を傷付けて、去って行ったということだ。
彼は、ニルティの臨時の合形。可愛くて、可哀そうなイシャーナ。いつも人間を怖がっている。
いつも傷付けられることを恐れながら、傷付けられる側にばかり居る。
「行こうか」
彼は言って、ニルティは荷物を背負った。