2章 (後)
イシャーナは少女の戦いを呆然と見ていた。
ニルティは、金翅雀よりずっと小さく、細く、頼りない――それは先程男と戦っていた時よりもずっと強く感じる――のに、縦横無尽に夜の森を駆け回り、魔物と対等に戦っていた。
今まで、魔物と対等に肉体で戦う者など見たことがない。伝説ではなく現実に、戦おうとする者を想像したことすらない。なのにその現実は彼の目の前にある。
「あ!」
思わずイシャーナは悲鳴を上げた。金翅雀の嘴がニルティを引き裂いたかのように見えたのだ。しかしその後も彼女はくるくると動き回っている。
斬り付け、避けながらも確実に彼女は、示された方角へ山道を下っていく。イシャーナは慌てて、言われた通りに離れ過ぎないように先に進んだ。
闇の中で剣士と魔物の闘いははっきりとは見えない。風や物を切る音と、大きな物が激しく動く気配が分かるだけだ。
彼女の長い赤茶の髪は、仄かな光に時折ちらちら輝いたが、それが血のように見えてイシャーナは何度もぎょっとした。
もつれそうな足で山道を下りながら、彼は恐慌に陥る。イシャーナより先に合形が危険な目に遭うことが、彼には今までなかった。自分の命に危険が少ない分、先程男たちに襲われた時よりもイシャーナはずっと落ち着いていて、ずっと怖くなくて、ずっと恐ろしくて混乱していた。
彼女を止めないと。早く魔物から引き離して逃がさないと。
しかしもう戦いは行われているのだ。そんなことは出来ない。
守らないと。合形なのだから守らないと。
しかしどうやってか。イシャーナには魔術しかないのに。
ほら、今もまた嫌な音が響いた。もしかして今、彼女は傷付いたのではないか。
助けないと。今すぐに、イシャーナが魔物を倒せばいい、魔術で!
でも。
泣きそうになりながら、イシャーナは呟いた。
「でも、ニルティに当たるかもしれない」
彼女を傷付けるかもしれない。魔術で人を傷付けてはいけない。それは不可能だともいえるし、禁忌だともいえる。どちらにしろ、イシャーナにはそれはできない。
彼女を傷付けるかもしれない。しかし、傷付けないかもしれない。それが、彼女を援護しない理由になるだろうか。見殺しにする理由になるだろうか。
だけど彼女を傷付けたら?
魔術師に合形が同時に一人しか存在しないのは、そもそもそのためだと言う。危険な魔物討伐の任務に、護衛もつけずにたった二人で向かうのは、合形が一人だけならば、任務の最中に魔術に巻き込んで傷付ける危険が少ないからだ。
魔術というのは、中・長距離攻撃だ。魔術を行っている間は普通あまり動いたりしない。ニルティのように、魔物の間近で剣を振るうような合形、想定していない。
「少しでも、少しでも離れてくれれば……」
祈るように呟いたが、何の力もない祈りだ。
恐怖と罪悪感で、少女への怒りが湧いてくる。
どうして、イシャーナがリスクをおかしてまでニルティを助けなければならないのか。どういう訳か彼女は剣を使えるけれど、だからと言って魔物相手に戦おうだなんて、愚かもいいところだ。
彼女に一度助けられていながらも、イシャーナは思った。しかもイシャーナが魔術で手を貸せば、ニルティは怒って彼に斬りかかって来そうな様子すらある。
彼は、自分が自分の合形よりも安全である状況に慣れておらず、我慢も出来なかった。二人とも危険なのは、良くはないがまだ良い。彼一人危険な状況は、ある意味慣れている。
しかし、この状況はダメだった。
合形を見殺しにするなど。また、自分の合形をつぶしてしまう、なんて。
「ニルティ!」
少女の小さな体が吹っ飛んで、木にぶつかり転がった。金翅雀がそれを踏み潰そうと巨体を揺らす。
イシャーナは咄嗟に掌を開いたが、そこに風の記号は生まれなかった。その反射的な自分の行動に、彼は一瞬絶望した。
合形の、これ程までの命の危機に際しても、自分は自分のことしか考えられない。
そして結局、彼が自分の掌を見つめた一瞬で、二頭の赤い化け物の死闘は決していた。
少女は二度吠え声を上げ、妖鳥が今際の絶叫を上げて、ぱたりと物音は止んだ。
「ニルティ!」
勝ったのだと思うよりも先に、叫んでイシャーナは大慌てで彼女に駆け寄った。
確かに勝ったから彼女に安全に近寄れるのだが、それよりも彼女だった。彼女は自分の剣で刺し貫いた魔物の体の上に、座り込んでいた。剣を支えにしていなければ、上半身さえ支えていられないようだった。
「ニルティ、大丈夫かい。ねぇ、ニルティ」
近付けば酷い血の臭いが辺りに漂っていた。剣はどろりと照っていて、彼女自身も真正面から返り血を浴びて、全身血まみれだった。
イシャーナだって魔物を殺すのが仕事なのだから血に慣れていない訳ではないが、とんでもない量と臭いだ。彼女の肩に触れ、ベとりとした感触に絶句した。
様々な知識の詰まった彼の頭の中で、ある種の俗説と推測が幾つか浮かんだ。
魔物の血は、良くない。
ニルティの息は荒く、今にも頭が沈んでいってしまいそうだ。さっきまでの、手を出せばイシャーナでさえ切り捨ててしまいそうな雰囲気はない。
イシャーナは体中に血のりが移るのも構わず、彼女を抱えて引きずり魔物の上から下ろした。どうにか少女を立たせようとして、引きずり上げる。
しかし全く上手く行かない。
そもそもイシャーナは、山道を歩くのはともかく重い物を運ぶ類の体力は弱い。その上二人にはほとんど対格差がない。女の割に背が高いニルティと、決して低くないイシャーナはほぼ似たような背丈だ。
それどころかニルティは、体に触れてみると、見た目よりも固くがっしりした体をしていて、おそらく細身のイシャーナよりも体重は重い。
暗くて周りは良く見えず、地面はつまずきそうな木の根が盛り上がっている。肩は脈と共に痛み、荷物は重く、しかも少女の体は血で滑るのだ。
十歩も行かないうちに二人は転んだ。
「くそっ。早く行かないと……」
カロン、と音が鳴りイシャーナは少女が右手で引きずっていた抜き身の剣に気付いた。
不快な気分になって、彼女の剣に手を伸ばす。
あの血は、ダメだ。
その瞬間、どんっと突き飛ばされて、軽い浮遊感を感じた。
「いつっ」
口の中を噛んだ。あまりに予想していなかったので、そんなことしか考えられない。気付けば彼が地面に転がっていて、目の前で赤い獣が彼の喉元に剣を突き付けていた。
首の後ろの産毛がざわりと逆立つような恐怖を感じた。彼は、そこで初めて気付いたのだった。彼女は恐怖の対象になりうる存在だということに。
手を出したら斬られそうだなどと思いつつも、色々起こって混乱して分かっていなかったのだ。彼女は、アバックの村人を斬った。それから、剣で魔物を殺した。それはもう、魔術師の範疇にも普通の人間の範疇にもいれられる存在ではない。
仄かな苔の明かりで、彼女の瞳が浮かび上がる。普段は凪いだ赤茶の瞳がギラギラ光る。イシャーナは本能的な恐怖に震えた。彼女が今まで成したことでなく、単純にその存在感に震えた。
その赤い獣は、恐ろしく美しかった。
「ニルティ」
あえぐようにイシャーナは呼びかけた。意思の力で震えを抑え込む。彼女は彼の合形なのだ。
合形を恐れてどうする。
イシャーナは合形を恐れないし、見捨てない。もう誰も、つぶしたくない。
「ニルティ。ねぇ。剣を離すんだ。ニルティ」
彼女はじっとイシャーナを見つめたが、突然思い出したようにまばたきをした。
「……イシャーナ」
ゆっくりと剣を降ろしてから、訳が分からないというように彼を見つめていて、はっと気付いて目を見開いた。
「すんません、イシャーナ。あたし、なんか訳分からんようになってしまって」
そういって彼女は剣を持たない片手で、倒れていたイシャーナを抱えるように起こして立たせる。イシャーナは少女に片手で軽々と支えられ、ショックで呆然とした。
「すんません。肩大丈夫です? 歩けますか、背負いましょか」
そんなことまで言われて、イシャーナは慌てて首を左右に振った。当然のようにニルティは彼から荷物を奪って代わりに持ち、歩き出した。
彼女は剣の血を巻き布で軽く拭って、歩きながら剣に布を巻き、荷物に収めようとした。それに気付いたイシャーナは慌てて止めた。
「ニルティ、その剣は持っていてはいけない。今すぐに手放すべきだよ」
「……はあ?」
ニルティは思わず立ち止まって尋ねた。それほど意外な言葉だったのか、感情を読めない彼女の話し方には珍しく、声がとんでもないことだと語っていた。
「なんで、ですか。これから何があんのか分からんのやから、これは必要ですよ」
意外に強い言い方に、彼はふと気付いた。ニルティは荷物の中に、杖ではなく剣を入れて持って来たのだ。彼女にとって剣は、魔術師にとっての杖のようなものなのかもしれない。何よりも何よりも頼りになるもの。自分の存在を守り、証明し、定めてしまいさえするもの。
しかしイシャーナは杖が無くても魔術が使えるので、その大切さが本当の意味では理解できない。それがなければ自分は、普通の人間以下の存在になってしまうような心細さを、知るはずがない。
「次は僕が守るよ。さっきは助けられたけど、頼りないかもしれないけど、次こそは僕が守る。だからその剣を手
放すんだ、ニルティ」
「冗談やない」
ニルティは素っ気無く言い放った。本当にイシャーナなど頼りないことこの上ない。何が起こるかなど全く分からないのだ。これから遭難して幾日も山の中を歩き回らねばならないかもしれない。二人はいつ逸れるかもしれないし、魔物や野生の獣に遭うかもしれない。
つまずきそうになりながら頼りなく歩くイシャーナを、傷に触れないように時折引いて助ける。ニルティだって全身を打ってあちこち痛むが、この程度の道程、彼を背負ったって夜通し歩ける。
しかしイシャーナは今にも倒れそうだ。普段の実力が素晴らしかろうと、この状況が数日続けば彼は、寝込むか何かで戦うことも出来なくなるだろう。
「あ、あのねえ。剣士は魔物に勝てないって言うだろう。何もそれは強さに限った話じゃないんだ。げんにニルティは勝ったしね。僕は剣の実力のことは良く分からないけど、君より強い者が誰も居ないわけじゃないだろう」
荒い息の合間に彼は話す。舌を噛みそうだと思う。
間違った見解では無い。ニルティは少しむっとする。
相変わらずくどい男だ。彼の知識には感心するし、ニルティは確かに何も知らないから、いつもふんふん感心しつつ半ば聞き流していた。
しかし、離す余裕があるときならともかく、今はそんな状況ではない。黙ってしっかり歩けと、少し苛立つ。
「剣士は魔物に勝てないんじゃなくて、剣士は魔物と戦うべきじゃないんだ。たとえ魔物を倒したとしても、魔物の返り血を浴びてしまう。魔物の血は良くないし、その血を吸った剣も良くないんだよ。人を、狂気に駆り立てるらしい」
ニルティは足を止めずにちらりと隣の青年を見た。露骨に顔に出したりしないが、狂気という言葉にぎくりとした。彼女はつい先程、わずかな時間だが正気を失くしていたのだ。
稽古や喧嘩で剣で人と切り結んだことはあるが、命を賭けた実践は初めてだった。そのことと、魔物という、思ってもみない敵に、気が昂ぶって少し可笑しくなっても仕方がないと思っていた。
気付けばイシャーナに剣を向けていたときは、一気に血の気が引いたけれど。
感情のコントロールが出来ないのも、正気を保てなかったのもニルティの未熟さである。そもそもわざわざあそこで彼女が金翅雀を倒したのも、彼女のわがままと言う未熟さだった。
金翅雀と戦う必要などどこにも無かった。それでも、戦いたかったから彼女はそうしたのだ。
ニルティは自分のそういうところが嫌いで、愚かだと思っていて、そしてこういうところが彼女なのだと思っていた。
だからイシャーナが言うことは少し耳に痛い。
「それに根拠はあるんですか? 魔物やなくてただの人間の血にかって剣士は興奮するし、滅多に戦わへん強敵とヤリ合ったんやから、傍からは狂気に見えたって当たり前なんじゃ……」
言いながらニルティは気付いて苦々しく思った。これではまるで、彼女の無様の言い訳のようだった。
しかしそんな感情を表に出さないので、イシャーナは彼女の気持ちに気付かず言い募る。
「そういった例は、いくつも伝説や文献が残ってるんだよ。魔物を倒して城に戻ってきた勇者が、豹変して味方の兵を大勢斬り殺し、我に返って絶望して自害した。魔物討伐に出かけた大勢の騎士たちが、討伐に成功したのに仲間内で唐突に戦い始めて、全滅してしまった。
そうしてこう続くんだよ。魔物は剣士に勝つ、これはこの世の理だ、と」
全く、良く知っていらっしゃることで。まるで学舎の教師の講義だった。もしかするとこんなことを授業で習ったことがあるのかもしれないが、ニルティは全く覚えていない。
「原因は分かっていないが、推測されてはいるよ。呪いというのが有力だけど僕は、返り血辺りが媒介じゃないかと思う。じゃないと魔術師が魔物に勝てる理由が分からないからね。この魔術師だけが着る巻き布も、返り血避けに適しているという推測がたつよ」
ふう、と思わずニルティは息を吐いた。それに気付いてイシャーナも話を止める。しかし二人とも、足は止めない。
「あたしは剣を捨てません」
彼女は、きっぱりと言った。剣が必要になる可能性がある限り、剣を持つことにどんなリスクがあろうと、彼女は剣を手放さない。それが彼女だった。剣を振るって血に塗れ、戦うしか能がない、それが彼女だった。
魔物の血の呪い? 剣の狂気? お似合いだと思った。
彼女がこうして剣を振るい続ける限り、のろいの一つや二つ身に受けることとなるだろう。狂気の一つや二つを御せないようでは、どうせニルティはいつか戦うしか能のない化け物になるだけだ。それが、ニルティなのだった。
それは、イシャーナが命の危機であっても、決して人間を傷付けようとしなかったことと似ている。どんなに可能性が低くてもリスクがあっても、命を失うよりはマシなはずなのに、彼は与えられた剣を構えようとさえしなかった。
それに、結局のところ。
「それは結局、ただのイシャーナの推測やろ。信じるに足る証拠は何も無い」
「でも危険なんだ!」
「あたしはもう返り血浴びてるで。剣を捨てても意味無いかもしれへん。その上剣が無かったら、それはそれで危険や」
「それは、今度こそ僕が守るよ。きっと君を、合形を守るから」
冷酷だと噂の彼は、意外と情熱的で優しいようだ。ニルティは少し意地悪な気持ちになった。
確かに知識は豊かで魔物に対しては残酷だが、人間に対しては臆病で甘くてそして、まだ分かっていない。ニルティの存在はあまりにも、彼の予測から外れているだけなのかもしれないが。
彼女は、彼に守られるような存在ではない。もはや状況は、イシャーナが主導権を握れる時を過ぎたのだ。
「やったらもし、人間が来たら?」
低く、感情を含まない声音でニルティは言った。しかし少し、意地悪な気持ちだった。
「もし人間が来たら、イシャーナはあたしを守ってくれるんですか? どうやって」
彼女の斜め後ろを歩いていた彼は少し立ち止まって、ニルティは彼の手を柔らかく引いた。
人間からは、ニルティが彼を守るのだ。ほんの少し胸の中の誇らかな気持ちで彼女は思ったのに、イシャーナは強く決意したような口調で言ったのだった。
「逃げるんだ」
ニルティは誰にも見えない暗闇の中、眉をしかめた。
「必ず君は僕が守るよ。今度こそ必ず、きっと守るから。ニルティ、決して君を傷付けさせたりしないよ」
それは、たとえ自分がどうなっても、という決意を秘めた声だった。イシャーナは、彼の手を引くニルティの掌をキュッ握った。
ニルティはその手を思い切り振り払った。彼は揺らいで転びそうになっていたが、彼女は無視した。
「なんであたしが逃げんなあかんねん! あたしは弱くないのに、なんであたしが負けんなあかんねん、あいつらに」
ニルティはズンズンと歩くスピードを速めた。
どうして彼に死を覚悟されねばならないのか。彼を奪われることが、すなわち彼女の負けになる。
なぜなら彼を守ることが、ニルティの役目なのだ。二人で生きて逃げ切ることが勝利なのだ。どうしてわざわざ一人失うことを初めから覚悟しなければならないのか。
剣を持ち続けることが、一番確実に生き延びられる道なのだ。
「ニルティ、魔術師は、人を傷付けてはいけないんだよ」
イシャーナは彼女についていくために、半分小走りになっている。言葉の合間の荒い荒い息に気付いてスピードは落としたが、反論は止められなかった。
「剣を捨てろって……あなたむしろそっちが目的なんちゃうん、ですか。あたしが人を斬るんが気に入らんのや、魔物は殺すくせに、目の前で人が死ぬんはいらんのや。そういうタイプの人間って、居ますよね」
殺せと命令は下すくせに、自分では絶対に殺そうとしない、国の偉い連中だとか。
「僕たちは、魔術師なんだよ。それはしてはいけないことだ」
「ああそれとも、あたしが怖いんや。次に斬られんのはイシャーナかもしれませんもんね。あたしが魔物の血で狂ったら、一番最初に殺されんのはあなたやもん。そりゃあ剣も持ってたら危ないわ。怖いでしょう」
イシャーナは、少し前を行くニルティの腕を掴んで、絞り出すように叫んだ。
「僕は、合形を怖がったりしない!」
ニルティは、泣き出しそうなほどのその声に、ふんと鼻で笑った。
「あたしかって、あなたみたいな怖がり、全然怖くないわ」
ずっと怖がってたくせにと、ニルティは思った。最初から、役に立たないか弱い少女だと馬鹿にしていた最初から、ずっと怖がっていたくせにと思う。
いつだって合形を恐れてきたくせに、大嘘を吐くものだと、鼻で笑った。
「怖がってばっかりやないですか。あなたは確かに頭良くて、色んなこと知ってるみたいやけど、それに縛られて怖がってがんじがらめや。そんなん迷信ですわ」
「迷信なんかじゃないよ」
イシャーナはニルティの腕を強く掴んで、彼女はそれを引きずるように歩いた。
「迷信なんかじゃない」
「あたしは小さい時から人を殴ったことも、剣で怪我させたこともありますよ。そやけど何も変わらんかった。呪われたりもしてない。魔術が下手なんわ元からです」
「そんなはずない」
ニルティの腕を掴む力が弱まってきて、彼女はその手を外して代わりに手を引いてやった。興奮しているのか、その手が熱い。
「そんな迷信に捕われてんと、魔術師が皆剣の訓練でもしといたら、討伐の任務で死ぬ人かって減るんちゃいますか」
「そんなことできるはず無いだろう!」
「なんでですか。できますよ。実際にやってるあたしが言ってるんですよ。人を傷付けても、」
「そんなことない! 魔術師は人を傷付けられないよ。じゃなきゃ、じゃなきゃどうして……」
イシャーナはそう叫んだきりふつりと黙った。
ニルティはそこまで至ってやっと、しまったと思った。しまった、やり過ぎた。
とりあえず、剣に関することで決着はついた。ニルティは剣を手放さない。
勝ったと思った。勝ち過ぎたと思った。
「……水音がしますわ。もうすぐ川や、こっちで方角あってたんですね」
あやすように機嫌を取るように、彼の手を揺すったが反応は無い。ニルティは無表情のままで、しまったと思っていた。