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獣化の剣  作者: 吉岡
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2章 赤い剣士(前)


「俺なあ……、退団すんねん」


 修練場の隅、木の影で地面に直接座り込んだ男は、青い空を見上げヘラヘラ笑いながら言った。


「冒険者になる。って言うか、地方の冒険者協会の支部で、ちょっと働かへんかって誘われてんねん」



 子供は男の隣に座っていて、なぜこんな話をされているのだろうかと考えていた。


 カンゼ騎士団の騎士たちは、他の騎士団と違い貴族ではない。ただ剣の実力によって募られた、カンゼ地方の若者たちなのだ。貴族でないから、ずっと騎士で居るとは限らない。

 金や出世を目当てに、あるいは腕試しに騎士団に入り、目当てのものを手に入れるか諦めるかした時には転職もしていく。


 二人は十歳近い年の差があるが、なかなか長い付き合いなので、子供は男の入団したての頃も覚えている。

 男は昔、獣化の剣士になりたいと言っていた。それはつまり、最強の剣士になりたいということだった。

 獣化の剣士とは最強の剣士の称号だ。獣化の剣という特殊な妖剣を使いこなし、剣士であるのに魔物を易々と切り伏せる。

 ……という話だ。伝説である。誰が剣士を最強と認めるのか、その剣はどこで手に入れられるのか、詳しいことは誰も知らない。ただ、そう呼ばれる剣士が過去に幾人か現れているのは確かな事実だ。


 それを諦めたのか、それとも王国に飼われる騎士のままではダメだと思ったのか。

 同じ荒っぽいことを職業にしていても、騎士と冒険者は違う。騎士は王に縛られ、冒険者は金に縛られる。どちらも決して全てが望む通りとはいかない。一見自由に見える冒険者も、金のために意に沿わない仕事をすることがある。

 ただ男には、王に縛られるよりも金に縛られる方が似合っているとは、子供も思うのだ。


 男の名はザバという。大きな体の男だが、いつもヘラヘラ笑っているので、意外と誰もそのことに気付かない。一見人当たりのいい男だが、実際はいつも笑っていて他者に気持ちを読ませず、誰にも気付かせないで自分の欲しいものを手に入れてしまう喰えない男だ。

 見た目によらず頑固な男は、たとえ相手が国王で会っても他人に振り回されるのは我慢できまい。振り回される自分に我慢できないのだ。

 ザバは今日も相変わらず笑っている。深刻そうでもなく将来を語って、ちらりと子供を見た。


「なあ、おまえはどうすんねや?いつまでもこのままじゃいられへんやろ。そやけどこれからこうしたいとか、予定とか夢とか無いんか」


「夢……、夢なあ」


 子供はなかなかに複雑な立場だった。不幸と言うわけではなく、厄介なことになったのは完全にその子本人のせいだったが、それでも自由を愛する男からすれば気の毒で堅苦しい身の上だ。


 子供は、小さな体と幼いと言って良い年齢で、大変な剣の腕前だった。成長して体がしっかりしてくればどうなることかと大変恐ろしい。剣の神に愛された身だった。

 しかし、その身の上は特殊で、正確にはカンゼ騎士団員ではない。単純に剣の道を邁進することを許されてはいない。本人も周りもさほど悲観していないが、今後どうなるか見通しは立たない。

 カンゼ騎士団の男達はその子供を可愛がっていた。どこまで伸びるか分からない若い剣の才能を眩しく思っている。


「おまえに、そんな格好は似合わん。何かに縛られんの、似合わへん」


 男は子供の身に着けている、ズルリと垂れた布をついと引っ張った。子供の顔を覗き込んで、人懐こそうに笑った。


「そこが我慢できひんようになったら、脱け出して来いよ。俺のとこ来たらいい。どうにでもしてやる」


 それは、そんなに簡単なことではない。国を相手にして、決して簡単なことではない。しかし子供はそれ以上に、不思議そうな顔で男を見返した。


「俺、縛られんの似合わへん?」


 声は高いが、口調は年の割には落ち着いている。ザバは少々気に喰わないことを聞いたと言う顔で目を細めた。


「そりゃ……おまえみたいな生意気で偏屈なガキに、自由以外は似合わんで」


 子供は凪いだ瞳でザバを見詰めながら、この男もかと軽く呆れていた。


「どいつもこいつも似たようなこと言うなあ」


 どうでもよさそうな口調で子供は呟いた。さといザバはその一言だけで、その言うところを理解して、照れたようにへらりと笑った。


「そうか。どいつもこいつも似たようなこと言うたか」


 カンゼ騎士団の男たちは、しばしば退団する時に子供に言葉を押し付けて行った。

 強くあれ。誰にも負けるな。剣を極めろ。

 何も恐れるな。金や出世を求めるな。人に騙されるな、信じるな。特に女には気を付けろ。


 田舎者で筋肉ばかりの男たちが王宮でどんな目に会ったか知らないが、するなするな、強くあれ。そしてこの男は、何にも捕われるなと言う。いったい子供に、どんな人間になれと言うのか。

 男たちの言う通りに成長すれば、それは確かにある種の男の理想になれるかもしれない。何にも動揺せず執着せず強さだけを追い求める。一歩間違えれば、それは化け物ではないのか。

 そしてまた恐ろしいことに、子供にはそう成長する素質のようなものが備わっている気がする。その子供自身が拒否しなければ、その通りに成長してしまいそうだ。


「夢って言うたやろ……。俺は何かに、捕われたいと思うなあ。捕われてもいいと思うもんに、捕われたいと思うねん」


 莫大な金や至高の地位は子供には到底得られない。ほんのわずかなそれらに一生を賭けるには、やはりつまらない。美女に興味があるわけでもないし、求めるほど自由が不足しているとも思ってはいないのだ。


「やっぱり、人間かなぁ。主君が欲しいな。剣を振る目的が無かったら、俺は戦うしかない化け物になるで」


 子供は年齢に似合わない厳しいことをいい、ザバは不満そうにニュッと唇を突き出した。


「主君て、そんなんおまえに一番似合わへん」


「別に王様に忠誠を誓いたいわけやない。俺に戦う理由をくれる人が欲しいねん。信じて、その人に従って剣を振ってればいいような、正しい主君が欲しい。理由が終ったら、剣を無理やり引き剥がしてくれる人が」


 国も正義も興味が無い。だからこそ、子供が良心すら差し出しても構わないような優しい人が。


「そんな大事な人が欲しい。それが俺の夢やな」


 ちぇっと、ザバは言ってからへらりと笑った。


「しゃあないな。それでも、いつか気が向いたら、俺のとこ来てもええねんで。

 それから」


 男は悪戯っぽく笑って、子供に人差し指を向けた。


「俺やなくて、あたしって言わんなあかんって言うてるやろ。女の子やねんから」






 ニルティは、目覚めてしばらくぼんやりしていた。ここがどこだか分からなくなっていたのだ。

 咄嗟に腰に手を触れて、そこに荷物のあることを確かめる。周囲は薄暗く、石壁を四角くくり抜いた窓からは白い光がわずかに差し込んでいたが、それは日の光ではなかった。月の光だ。

 ここは、寮の彼女の部屋ではない。身動きするとザワザワ音がする。彼女は土と枯れ草でできた寝台の上で横になっていたのだった。


 そうだ、ここはアバックの村。

 二人は金翅雀を倒してから、山の中を歩いて夕方にアバックの小さな村に辿り着いた。ろくな道標も無くいつまでも変わらない景色の続く山の中で、日暮れまでに小さな村に着いたイシャーナは流石だった。

 しかし辿り着いたその村の小さな寺院には、僧侶が一人も居なかった。寺院は荒れ果てていて、僧侶たちは単に逃げ出したのか、はたしてもっと悪い状況にあるのかもしれない。


「これだから寺の連中は!」


 これ程寺院が荒れているのだ、随分前から誰も居ないのだろう。しかも魔術師たちが世話になることが決まっていた場所だ。

 気付いていなかったのか、知っていて寮に連絡しなかったのか、どちらにしても寺院の怠慢だ。イシャーナは本気で怒っていた。


 仕方なく二人は中に入った。一晩泊まるだけだ、多少汚くとも野宿よりはマシである。

 ニルティは寺院の中に入った途端にほっと気が抜けてしまった。実際に彼女はわずかも戦っていなかったとはいえ、初めての実戦だった。体力には自信があったが、体以上に精神が参ったらしい。

 寝台に腰掛けているだけのつもりだったが、いつの間にか深く眠り込んでしまっていた。もう今は、夜も深い。


「まだ帰ってへん」


 ニルティはぽつりと言った。


 イシャーナは彼女が寝入る前に、村の人間に会いに行かなければならないと言っていた。寺の人間が居ないために、彼本人が村人と接しなくてはならなかったのだ。非常に嫌そうにしていたが、一言も無く村に滞在していては、後でばれた時に軋轢を生む。


 ニルティは彼に付いて行くつもりだった。彼は魔物に対してあんなに強かったのに、人間を恐れている。そして事実彼は人間に対して身を守る術をほとんど持たないのだ。

 あんなに怖がっていたのに。


 疲れと寝起きでグラグラする頭を押さえながら、ニルティはゆっくり起き上がった。しかしこの疲れと言うのは、体でなく頭の疲れである。眠ったせいであの程度の体の疲れは取れた。しかしニルティは頭を使うことに慣れていない。

 イシャーナと共に過ごした数日間、彼女がこれ程熱心に勉強したのは生まれて初めてのことだった。そして今も、彼女は珍しく考えている。自分一人ならば考えるより先に体が動くのに、彼を守るためには考えなければならない。こんなに夜遅くまで戻って来ないのは、やはりおかしいのだ。

 隣の寝台の上に残された荷物を見て、彼女は息を吐いた。まず、合形の荷をどうするかから考えねばならない。






 イシャーナは頬に熱を感じながら、体を縄でぐるぐる巻きに縛られて地面に座らされていた。

 それは長時間に及んで、体はしびれてもう感覚もあまり無くなっていた。


 そこは真夜中なのに充分周りを伺えるほど明るかった。多くの篝火が打ち立てられ、その場所をあかあかと照らしていたからだ。初めはイシャーナも様子を伺っていたが、今では時折うとうとと眠り込んでしまう。

 恐ろしくないわけはなかったが、恐ろし過ぎてもう良く分からなくなっていた。今までさんざん死にそうな目に会ってきたが、とうとう死ぬのだと思った。



 まさかこんなに早く行動を起こすとは思っていなかった。寺院に僧が居ないのも計算外だったが、一晩泊まってすぐ出て行けば危険は無いと思っていた。危険なのは分かっていたはずなのに甘かった。


 この村の人々は、女達は遠巻きにイシャーナの様子を見ていて、男たちは車座になって話し合っている。若い男たちはつばを飛ばして盛んに話し、年配の人間はなだめるような様子だった。

 イシャーナの処遇はとっくに決まっていて、どうやら今ニルティのことでもめているらしい。予想もしていなかったことだが、彼女が女であるためにアバックの人々は戸惑っているのだ。

 それは幸運なことだった。半ば以上自分のことは諦めているイシャーナだったが、彼女にはどうにか助かって欲しい。ほんの短い間のことだとは言え、彼女はイシャーナの合形だった。


 疲れ切った少女の寝顔を思う。何も知らない、未熟な、魔術師としてあまりに未熟な少女だ。寮長やイシャーナの思惑に巻き込まれただけの彼女なのだ。

 彼は疲れた頭でとろとろと思った。

 車座がやっと崩れて、男達が彼の所にやって来る。がっしりとした体格の若い男が一人、イシャーナの前に立った。若者たちのリーダー格だった男だ。


「おまえの処遇が決まった」


 憎むような高圧的な口調だ。イシャーナはとろとろと顔を上げた。


「神殺しをもくろんだ男よ。おまえの罰は死だ」


 既に金翅雀を一匹殺したことはばれていないようだ。


「しかし、今一度おまえに機会を与え、神に正否を問うことにする。剣を取れ。もしおまえが正しければおまえが、俺が正しければ俺が、この決闘に勝つだろう」


 男はそう言って、イシャーナの縄を解いた。罪人となった彼は小さく笑う。魔術師は人を傷付けられない。勝てる訳がない。なぶり殺しだ。


 彼はそろそろと立ち、しびれる手足を振った。逃げられるか、と考えるが心の中で首を振る。村中の人間が彼の一挙一動を見張っている。剣で誰一人傷付けることもできないのに、逃げ切れるわけがない。


「聞いてもいいかい? 寺院で寝ている、もう一人、あの子はどうするんだい」


 男はイシャーナが声を発するのさえ不快な様子で答えた。


「女は殺さない。どうせ迷って、この山から出られないだろう。この村で生活させればいい」


 イシャーナは小さく息を吐いた。


「よかった」


 それだけは、本当にそう思った。



 剣を振るうことになるので、村人達は二人を中心に大きく広がった。イシャーナには構え方さえ分からない重い剣を与えられる。


「命を共に神に預ける身だ。名前を名乗れ。俺はピナカ」


 少し離れた場所で男は堂々と名乗った。イシャーナから見ればはなはだ不公平だが、彼からすれば真剣な儀式なのだろう。確かに、自分の命を奪う相手の名前くらい、知っておいてもいい。


「僕は、イシャーナ」


 ピナカと比べればずっと小さな声で彼が言うと、すっと周りは静かになった。


 静かな夜の中、目の前の男からは殺そうという強い意思が真っ直ぐに伝わって来る。恐怖が改めてどっと襲ってきて、意味不明な叫び声をあげて逃げ出したくなった。

 ピナカは鈍く光る剣を構えたが、イシャーナは自分のそれを掌から落とした。逃げない、抵抗もしない、それが魔術師として彼に出来る唯一の抵抗なのだ。

 ピナカは真っ直ぐイシャーナに駆け寄り剣を振り上げた。



 その時、キインと高い金属音が響き渡り、イシャーナは腰からぐいと引き寄せられた。


「イシャーナ、逃げるで」


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