1章 合形つぶしのイシャーナ(前)
「女?」
イシャーナは、それまで長老たちに囲まれても冷ややかに黙っていたが、その相手が目の前に現れて初めて、動揺を顔に出した。
王城の一角の薄暗い部屋に、同じようなずるずるした暗い色合いの巻き布をまとった人影が、十くらいあった。
彼らは魔術師である。
幼いころに国中から集められ、死ぬまで国に奉仕しながら管理されて生きていく。人間離れした力といくらかの特権と名誉の代わりに、あらゆる自由を手放した人々である。特権階級ではあるが、身分の上からも下からも畏怖と軽蔑の目で見られ、ある意味人間であることを認められていない、魔術師である。
何も持たない彼らは、他者よりも随分抜きん出て初めて、わずかな何かを持つことを許される。狭いコミュニティで魔術師はいつでも競い合っている。
何も持たず、いつも戦っている彼らはしかし、いくら普通の人間ではない魔術師だはといえ、いつまでも一人きりで戦ってはいられない。共に生き、共に戦う、寄り添う形が必要だ。
魔術師たちは二人組を作り、隣り合って腕を磨き、共に任務を負う。
その相手を、合形という。
合形は互いに信用し、足りない部分を補い合う。未熟な者は経験ある優秀な合形を持ち、師弟関係を結ぶこともある。仕事も生活も出世さえ共にし、命を預けあう合形たちには、もちろん揉め事も多い。気が合わなくて変わることも、いつも喧嘩している合形たちもある。
それでも、人は一人では生きてゆけない。今の合形に不満を覚えつつ、魔術師たちは互いに支えあって生きていくのだ。
しかしここに、もう十人以上合形を変えている魔術師がいる。
イシャーナは最も新しい合形を、つい昨日失ったところだ。
彼は、黒髪に黒い瞳の、冷ややかな美貌の青年だった。
魔術の実力は若いのに抜きん出ているが、彼は魔術寮の長老たちにとって、大変な問題児であった。
イシャーナは冷酷で傲慢だ。国に忠誠など誓っていない。実力があるだけに、野放しにしておくのは危険でも勿体無くもあった。
実力があるので、彼の合形になりたがる魔術師は多い。しかし誰が合形になっても続かない。
経験ある実力者は、彼の若い才能に嫉妬し、若い魔術師は残虐な彼の魔術に恐怖した。誰もその身勝手な性格に我慢できなくなり、合形は解消された。
イシャーナは何度も合形を変えた。中には彼のせいで使い物にならなくなった魔術師もいる。そうして付いた彼のあだ名は、合形つぶしのイシャーナである。
それでも長老たちは、まだ諦めずに新しい合形を彼に付けようとしている。イシャーナにとってもこれは少々見込み違いだった。彼はこれから、魔物討伐の任務に出発するところだったのだ。
魔術師の仕事には、国内に現れた魔物の討伐と、各地の寺院に滞在して、人々の病気や怪我を癒す治癒の任務がある。魔術師は人間を傷付けることはできないが、魔物を倒せるのは魔術師だけなのだ。
イシャーナは魔物討伐を専門にする魔術師であり、今日これから彼は南のアバック地方に派遣される予定だった。彼は合形を散々脅かし苛めて、わざとその前日に長老たちに泣き付かせたのだった。
魔物討伐は危険な仕事だ。怯えて泣く男を無理やりに連れて行くことも、急に別のものを派遣することもできない。そうして今回の任務にはイシャーナ一人で行けると計算してのことだった。彼は危険な今回の任務に、足手まといを連れて行きたくなかったのだ。
しかしそれは見込み違いだった。イシャーナは決して長老たちの思う通りには動かないが、長老たちも彼の望むようには動いてくれないのだった。
喰えない老人たちは昨日の今日で、彼に新しい合形をあてがってくれると言うのだった。
そうして押し付けてくれた合形が、イシャーナと同じくらいの年齢の少女だった。
「これが、僕の」
ごくごく平凡そうな少女だった。お世辞でしか美人とは言えず、長い髪は背中に垂らされてそこだけいくらか女性らしかったが、瞳も髪も平凡な茶色だった。気が強そうにも、利口そうにも見えない。
瞳は緊張しているようにも、希望に満ちて輝いているようにも見えず、ただ凪いでいた。
「ニルティだ」
イシャーナの目の前に居た長老の一人が、皮肉そうな響きの混じった声で言った。
「これが僕の合形だと言うのですか」
「そうだ」
「女を、女が僕の合形だと」
珍しく動揺して、イシャーナは震える声で言った。それまで渋い顔をしていた老人たちは、堪えきれない様ににやけた笑みを零していた。
女の魔術師はそもそも非常に少ない。体質的に向かないのだ。数少ない彼女たちの中で、危険な討伐の任務に着く者は現在一人も居ない。
「そうだ、イシャーナ。彼女がおまえの次の合形だ。ニルティはどうも、治癒の魔術に向かないのだ」
真面目な口調で老人は言うが、その瞳は笑っている。
「だからって……だからって僕の」
「おまえの合形にこそ相応しいのだ」
ひときわ低い声で長老は言い、イシャーナは老人の瞳を見つめた。
「どういうことですか」
「魔物討伐を行う魔術師で女を合形に欲しがる者は居ない。もしも女を合形に迎えれば、庇わないわけにもいくまい、誰も実力を発揮できなくなるだろうからな。女では、足手まといだ」
イシャーナは、一体何を言うのかと思った。老人は真面目な顔をしながら、瞳の奥で笑って言葉を続ける。
「後々成長しそうな弟子ならば面倒を見る甲斐もあるが、この娘はさほど才能がある訳でもない。ただ体力的に劣るだけだ。足手まといとなるが、女だからして、守らないわけにもいくまい。その合形は実力を発揮できなくなるだろう。
だがイシャーナ、おまえは違う、合形つぶしのイシャーナよ」
イシャーナは凍り付いた。
「気にせずとも良いのだ。おまえの合形が魔物に傷付けられようと、魔術に失敗しようと、野生の獣に襲われようと、放っておいても構わん。才能も無く使い勝手の悪い、この娘がおまえにつぶされても、我々は気にしない。
これは、おまえの合形としてこの上ない条件ではないか。冷酷なおまえは、女が合形であっても、いつもどおりの実力が出せるだろう」
イシャーナはこれまで一度として合形が傷付くのを良しとしたことは無かった。いつだって彼を切り捨てて去っていくのは合形たちのほうだったではないか。合形が使い物にならなくなったのだって、イシャーナが望んだのではない。どうしようもなかっただけだ。彼には、どうしようもなかっただけなのだ。
彼は冷ややかな無表情の下に、動揺と痛みを押し隠した。イシャーナはもう諦めている。切り捨てられるよりも先に、どうしようもなくなるよりも先に、こちらから合形を切り離すことに決めたのだ。だからわざとわがままたっぷりに振る舞った。
イシャーナは傷付くつもりは無い。もう諦めているからだ。今回だって、どのような結果になったとしても、彼は傷付かない。老人から視線を外し、感情をそぎ落とした冷たい声で、彼は新しく合形になった少女に尋ねた。
「君はそれで良いの? 本当に危険だよ」
彼女は頷いた。目の前で随分酷いことも言われていたというのに、気負っているわけでもなく落ち着いた瞳だった。
冷ややかな雰囲気のイシャーナにも負けないほど、考えていることの読めない顔だ。
恐れても、傷付いても、怒ってもいない、ただ凪いだ瞳。
「ニルティです。どうぞ、よろしく」
妙に抑揚の無い静かな口調で、彼女は告げた。
二人は追い立てられるように馬車に乗った。
がたついて見るからに貧相なそれに乗って、今回の任務地である南のアバック地方に向かい、御者と馬を変えながら三日三晩走り続けることとなる。
「今回の討伐について、説明は受けているかい」
イシャーナはニルティと車屋の中で二人っきりだ。彼は初め、新しい合形の出方を伺うつもりで、冷ややかに押し黙っていた。
しかし隣の少女が一言も話さず席に座っているので、丸一日経ってとうとう自分から口を開いた。馴れ合うつもりはないが、言っておかねばならないことは多くあるのだ。
「いいえ」
しかし彼女の返事はどうしようもないものだった。
「全く何もかい」
「はい」
これは。
短い返事にイシャーナは思わず溜息を零しそうになった。彼女もそうだが、長老たちも一体何を考えているのか。
イシャーナの合形はいつもよく喋った。というか、知識を財産とする魔術師にとって、会話によって知識を入手しようとするのは基本的な戦術だった。それを、会話をして情報を得ようとしないばかりか、命に関わる任務に関する情報を手に入れていないとは、一体何を考えているのか。
「これから向かうのはアバック地方、非常に貧しい地方だ。後二日ほどかかるけど、馬車の中でもしっかり眠らないといけないよ。まあ、君は昨日よく眠れていたけど」
魔術寮は多くの馬車を所有している。各地の寺院にそれは配置され、魔術師たちはそれを乗り継いで地方に向かう。
馬車は非常に厳密に管理され、それと共に魔術師が今どこに居るのか、常に把握されている。出向いた先では寺院に宿泊し、食事も着替えも必要な物は全て寺院で支給される。魔術師たちは任務中、一切現金を使わなくてもすむ。
もしもどうしても寺院で補いきれないことがあれば、魔術師は一般の人々に無料の奉仕を要求できる。無料で宿に宿泊したり、食事を取ったり出来るのだ。
勿論、相手には嫌がられる。
そのように魔術師は、一切の金を手に入れられない。魔術寮は彼らに衣食住を保証し、研究に必要な高価な薬草なども与えてくれるが、その研究成果も結局は全て国の物となる。また、彼らは討伐や治癒の謝礼金を受け取ったり、自分の所有物を売ったりすることも許されていない。
金どころかどんなものも、彼らが自分で持つことはない。
魔術師の全てが、国の所有物なのだ。
魔術師は生まれてから死ぬまで完全に国に管理されるのだった。
その上イシャーナの場合は合形でさえ、長老の派遣したお目付け役で、彼の一挙手一投足が、合形によって報告されているかもしれない。
がんじがらめだ。
そんな生活にうんざりすることもあるが、だからと言って寮から逃げ出すことも出来ない。彼らは魔術寮から与えられたもの以外は何も持たないのだ。魔術師は人を傷付けることさえできないから、寮に管理されながらも、守られ続けるしかない。魔術師たちのそうした一生は、息苦しいが、生きて行く上で足りない物は無い一生なのだ。
幼い頃から魔物討伐の任務で国内のあちこちに行ったことのあるイシャーナは、生きて行くのに様々な物が足りない貧しい暮らしをしている人々を知っている。これから行くアバックもそんな場所だった。
「討伐の対象は、金翅雀という巨大な妖鳥なんだ。赤と金色の派手な鳥で、体格のいい男くらいの背丈がある。よく太っていて動きは鈍いが凶暴で、肉食だから喜んで人を襲うよ」
さらりとした口調でイシャーナは軽く少女を脅かした。しかし彼女はどこまで聞いていたのか、イシャーナの顔を見て少し頭を傾げた。
「金翅雀とは、めでたそうな名前ですね」
何か言わなければならないとでも思ったのか、ピントのずれた感想をよこした。イシャーナは眉をひそめた。
「まあ、確かにめでたそうな名前だよ。見た目も派手でおめでたそうで、特別な鳥だと思った地元のアバックの人達が、そう名付けたんだよ。きっと魔術寮やこの国ができるよりも、ずっとずっと前にね」
巨大な湖である流住湖を挟んで、南にアバック山地、北にダクシャナ平原がある。険しい山と特殊な土壌のアバック地方はほとんど作物が取れず、人々はわずかに採れる鉱物や珍しい獣を売ることでなんとか生計を立てている。
一方のダクシャナ平原は、非常に豊かで実り多い地域だ。たっぷり穀物が取れ、幾つかある街では商業も盛んだ。豊かなダクシャナ平原と貧しいアバック山地、両者の間には微妙な屈託があるのだ。
「アバックの人たちは、魔物が魔術師を退治することを望んでないよ。彼らにとっては魔物も猛獣も、彼らの獲物で山の財産なんだ。特に金翅雀は、山の守り神なんだよ」
金翅雀は本来は、この国の南にあるいくつかの島国に住んでいる。時折はるばる飛んできて、この国に住み着く。非常に獰猛だが、アバックの人々にとって見れば、この山には他にも恐ろしい獣がたくさん居る。動きが鈍く遠くからでも目立つ金翅雀は、逃げ足が速いアバックの狩人にとってさほど恐ろしい獣ではない。
「魔術寮に金翅雀の討伐依頼を出したのは、アバックの人々ではなく、ダクシャナ平原を中心に交易を結ぶ、商人たちなんだ」
一方美味しそうな太った馬を連れて、重い荷物を運んでとろとろ移動する商人たちは、金翅雀の大好物だった。他の獣と違って、魔物では商人の護衛たちは逃げ出してしまう。
金翅雀は商人たちの天敵なのだった。
「それで、何か、困りますか?」
なにか言わなければならないと思ったのか、ニルティは抑揚の無い口調で、とつ、と尋ねた。興味の無いおざなりな合いの手に聞こえる。イシャーナは調子が出ないと思いながら、頷いた。
「僕たちが滞在するのは、アバック山地の村なんだ。そこの村人たちは、魔術師をよく思っていない。なんて、そんな言い方じゃ控えめ過ぎるかな。
分かるかい?」
ニルティは少し頭を傾げた。
「つまりね、金翅雀を討伐しに来たなんて堂々と言ったら、殺されたっておかしくない」
「へぇ」
彼女はまた呑気な相槌を打った。イシャーナはむっとする。
「あのねえ、分かってるのかい。脅しや冗談じゃないんだよ」
「分かった」
それは意外なほどきっぱりとした口調だったので、彼ははっとして少女の顔を見た。
「分かってる。殺されるかもしれない。そんな言い方では、控えめ過ぎる、だろう?」
そう言った彼女は、何一つ面白くないというような凪いだ瞳のまま、口元だけ笑みを浮かべた。分かり難い彼女流の冗句か皮肉なのだろうかと、イシャーナは少し悩んだ。皮肉気と呼ぶには、物騒な笑みだった。それからニルティは、口元の笑みを消して感心したように言った。
「そんなことまで、気を使わないと、ならないとは、大変ですね」
妙に抑揚の無い、とつとつとした話し方だった。本気で感心しているのか、感心した振りをしているのか、判断が付かない。
「魔物よりも、人間のほうが怖いんだよ。魔術師にとっては」
魔術師は人間を傷付けることが出来ない。
「そうか」
ニルティは何を考えているのか分からないが、納得したようにポツリと言って頷いた。しかし聞き訳が良いのは非常に助かった。なまじ優秀でエリート意識の高い魔術師では、一般人を見下すことがある。しかし現実には、魔物討伐のベテランの魔術師だって、鍬を持った村人に負けるのだ。
ただ、寮が魔術師にそのような事実を明かすことは滅多に無い。イシャーナは討伐の任務中に死んだ魔術師の三・四割程度は、魔物ではなく人間に殺されたのではないかと睨んでいる。村人たちが村ぐるみでその事実を隠せば、寮だって真実を把握できない。
「だけど、そんなに危険な、任務を、寮が受けますか? 寮だって、魔術師が死んだら、困る」
そうだ、魔術寮は、数に限りのある魔術師を、特に討伐の任務に着けるような優秀な魔術師を、確かに大切にしている。アバック地方の村人は勿論、ダクシャナの商人たちが魔物にかじられることなど、寮は何とも思いはしない。なのにそれほど危険な任務を二人に与えるのか。
イシャーナはすっと目を細めた。小汚い馬車の中で、彼の冷ややかな美しさは不似合いなほど芳立った。彼は、冷徹な顔をしているほど美しい。
「寮は何も分かっていないよ。長老たちはいつも、寮の奥に閉じこもって、現在の状況のことなんか何も分かっていない。今、あの地域は特別なんだよ。それ以前とは違う。ダクシャナ平原は今、大変なひでりだから」
「はあ」
それが一体どう自分たちに関係するのか分からずに、ニルティは半端な返事をする。
ダクシャナ平原の大ひでりについて、学舎も重要な現在の情勢の一部として教えている。どういう原因や自然条件で起こるかは分からないが、ダクシャナ平原では百数十年に一度大ひでりが起こる。
元々ダクシャナ平原は雨が多い地域なのだが、その年は丸々一年全くと言っていいほど雨が降らず、しかしその翌年からはまたごく普通に雨が降るのだという。
前回の大ひでりは百三十年前に起こり、今回の大ひでりは今その真最中だ。国内有数の豊かな地域のひでりであり、その年のダクシャナの農作物はほぼ全滅だが、毎回前兆があり時期の予測が立つので、大惨事とまではいかない。
「そのひでりが今回は、どうも長引いているようだ。もうそろそろ雨が降っても良い頃なはずなのに、まだ降らないんだ。一滴も」
「いつ頃降るとか、決まってるん、ですか」
「伝承があるのさ。学舎も長老も本気で調べたりしていないだろうけど、僕は調べた。その地域の人々がごく当然知っている伝説だ。
そろそろ降っても良い頃なのに、降るはずの雨が降らないから、人々は焦ってる、雰囲気が悪いよ」
寮の研究畑の魔術師たちは、それを迷信、俗説と切って捨てる。しかし各地を実際に歩き回る討伐の魔術師たちは、その迷信の中にバカにできない真実が含まれていることを知っている。真実と、土地の人々の信仰が。
嘘か本当かはともかく、人々はそれを信じているのだった。
「寮の人間は知らないけれど、もう一つ伝承があるんだ。ひでりの直後に、アバックが栄える。いやむしろ、ひでりの間だけダクシャナ平原の恵みをアバックの人々がこっそり盗んでいるという伝承なんだ」
百三十年前、巨大な龍涎石がアバック山地から採掘されたのも、丁度ひでりの翌年だった。
「ダクシャナのひでりが長く続くのは、アバックの人たちが幸運を盗み続けているせいだと、信じる人たちが居る。
そこで複雑なのがね、その伝承を信じているのは、ダクシャナの人だけじゃないってことなんだ。アバックの人も、それを信じているんだよ」
分かるかい、とイシャーナは言った。答えを求めているわけでは無かったが、そこまで言われればニルティにも分かったのだろう。二人が村人たちの気に障るようなことをすれば、
「私たちが、アバックから、幸運を盗もうとしてると、思われるん、ですか」
「そう。今、あの辺りでの任務は、時期が悪すぎるんだ。
絶対に気を付けて、僕の言うとおりにしてよ? こんな時期にアバックへは、前の合形じゃ絶対に連れて行けなかったんだ。だからって、君だったら大丈夫だとも思えないけど」
以前のイシャーナの合形では絶対にアバックの村人の神経を逆撫でするだろうと思ったから、無理やりにでも合形を解消させた。
「小さなことだって、命に関わるんだ。僕たちは人間を傷付けられない。魔物や野生の獣なんか僕は怖くないけど、人間相手は助けてあげられないよ」
ニルティは素直に頷いた。恐れる様子は無いが、イシャーナはどうもこの新しい合形が何を考えているのか読めない。図太いのか、案外度胸があるのか。何にしてもわがままを言ったり、泣き出したりしないのはありがたいことだった。
イシャーナにとって今回の任務の一番の目標は、彼女を無事に、一生残るような傷を負わせずに、生かして連れ帰ることだった。金翅雀の討伐そのものよりも、まずはそちらだ。見知らぬ商人や望まれてもいないアバックの村人の命や利益を守ることよりも、まずはすぐ隣の合形の安全を彼は重視する。
命と体の安全、次に任務、それから、結構図太そうな合形なので、泣かせないことも目標にしたいが、それは難しいかもしれない。
彼女と、本当の合形になれたらなと、制度の上でなく心からのそれになれたらなと、思わないでもない。本当の合形になれるのならば、彼女が女であることや、足手まといで才能が無いことなんてどうでもいい。あらゆることから彼女を守り、全ての知識を伝えて、合形として大切にするだろう。
でもそれは、イシャーナだけが思っても意味が無いのだ。本当はむしろ、いつでもイシャーナではなく、ニルティの方に選択肢があるのだ。本当はいつだって、望んでいるのはイシャーナの方だ。切り離されるのは、彼のほうなのだ。
誰も彼のやり方や、性格や、何か彼の存在そのものというようなものを受け入れられないのだと言う。ためしに何かを変えたり変わろうと努力してみたこともあるけれど、結局彼はいつだって彼のままだった。
だから彼はもう、諦めている。
彼女と本当の合形になれたらなと、ほんの少し思ってみないこともないけれど。
彼は窓の外からひょいと外を覗いた。
「そろそろ、馬を換える寺院に着く。そこで食事を取ろう。外に出たら、軽く体を動かすようにするんだよ」
イシャーナは子供の頃から各地を任務で回っている。まだ王宮から馬車で一日くらいだから、今走っているのもよく知った道だ。
ニルティはその言葉を聞くと、瞳に笑みを浮かべることもなく、口元だけでにっと笑った。器用なくらいわざとらしい笑顔なので、本気で喜んでいるのか、彼の機嫌を取るために笑って見せているのか判断が付かない。
「その後は馬車の中で仮眠をとる。ちゃんと眠るんだよ。勿論、まだ君に言っておかないといけないことはたくさんあるんだ。学舎の授業のレベルを見せてもらうから、いいね?」
ニルティはわずかに、ほんのわずかに眉を寄せて、嫌そうな顔をした。イシャーナはその分かり易さに、厳しい目元を少し弛めた。
二人を乗せる馬車は、決して速過ぎない一定の速度で、太陽に向かって走り続けている。