終章
その日アバックで降り始めた雨は、徐々に北上してダクシャナ平原に恵みの雨をもたらした。約一年ぶりの雨は、百年に一度の大ひでりの終わりを告げた。
ピナカは村に戻るというので山中で別れ、残りの三人はどろどろになりながら、ほとんど荷物を持たずに山を下った。イシャーナは途中何度か転落死しそうになって、最終的に荷物のようにザバに背負われて下り、ふもとのコペンの町には夜も更けてから到着した。
冒険者協会ではその夜、上機嫌のザバの手配でご馳走が出た。イシャーナはその夜、たっぷりの水を沸かした湯を浴びて、生きてきた中で最も豪勢な料理を食べて、少し酒も飲んで、ぐっすり眠り、
翌日昼過ぎに目覚めた頃には、生まれて初めて二日酔いになっていた。
「大丈夫ですか、イシャーナ」
真面目なイシャーナとしては、今朝すぐに寺院に行って事情を説明して、と考えていたのだが。ニルティの手から二日酔いに効く薬草を受け取った。
寺院に行けば、すぐに王宮に連れ戻されるかもしれない。
それは良い、別に構わないが、彼は果たして自分が、この状態で馬車に乗れるか考えている。
無理だ。絶対に酔う。ぎゅっと薬草を噛む。
「あー、苦い。ニルティ、君、僕よりずっと飲んでたよね。大丈夫なの」
彼女は凪いだ瞳をイシャーナに向けた。その表情が呆れているように見えたのは、彼の被害妄想だろうか。
「大丈夫ですよ、あれくらい。イシャーナ、貴方、酒飲んでましたっけ」
「飲んでたよ! ……まあいい、二日酔いだけじゃなくて、怪我とかは? 昨日は何も言ってなったけど、今日になって調子悪いところがあったら、治癒魔術をかけるよ。寺院で、治癒専門の魔術師に見てもらってもいいし」
ニルティは視線を落として、脇から腹にかけてをそっと撫でた。
「痛みが酷いのかい?」
彼女は首を傾げた。
「いや。イシャーナ、あなた魔術は大丈夫なんですか。あたしに攻撃してたじゃないですか」
「攻撃はしてないよ」
しかし思い切り、彼女を撃った。今思い出せば、どうしてあんな無茶が出来たのかと思うと、ぞっとする。しかし今思い返しても、やはりあの時彼女を風で受け止めていなければ、彼女は死んでいたと思う。
人形のように高く放り投げられた体。
まったく、嫌な合形を持ったものだ。もうすぐ、解散してしまうかもしれない合形だけれど。
「魔術は、減った様子は無いよ。気付けないくらいちょっとだけだったら、分からないけど」
ニルティは頷いた。
「そうですか。多分あたしも別にどこも、痛くない気が?」
「ちょっと、本当に大丈夫なのかい」
「はあ」
そこにいやに上機嫌のザバがやってきた。
「おはよー、二人とも」
イシャーナは立ち上がって、軽く頭を下げた。
「ありがとう、昨日は、何から何まで。魔術寮はあなた方の協力に、心から感謝する」
ザバはニコニコ笑っている。
「あ、気にせんといて。ニルティはもう、冒険者協会の、大事なお方になったんやから」
ザバは丁寧な仕草で、皮手袋をして持っていたニルティの剣を、彼女に差し出した。ニルティはそれを受け取ると、無造作に荷物袋に放り込んだ。
「これ、いらんのか」
「お返しします、ニルティ様。まだ獣化の剣士になる試練の途中なんやろ。獣化の剣に関して、まだ分からんことも多いし、しばらく様子を見せてもらうことに決まった」
「決まった、って?」
決めたではなくて。イシャーナはザバの言い方に疑問を覚える。
「協会のお偉いさんが決めたんや。獣化の剣士の登場に、大喜びみたいやで。
一般の冒険者には、獣化の剣の情報はまだ伏せとく、大騒ぎになるからな。ニルティおまえ、何か分かったら、すぐに教会に連絡くれよ」
イシャーナには獣化の剣士という言葉が、冒険者にどれほどの影響力を持つのか知らない。知っているはずのニルティは、無感動に頭を掻いていた。
「金は?」
「国内の冒険者協会やったら、顔見せただけで、金引き出せるようにしとく。おまえの生命力認証は、俺が協会に登録しといたから、これでおまえも今日から晴れて、冒険者の仲間入りや」
バチンとザバは片目を瞑った。
「ちょっと、それって」
聞き捨てならないことを聞いた。イシャーナが声を上げる。魔術師は、財産の所有を許されていない。それ以上に、それは一体。
ザバは意思の批難を無視して、危ない話を続ける。
「そやからおまえが、魔術寮を抜け出したくなったら、俺んとこに来い。どうにでもしたる。冒険者協会が全力で、おまえを守ったる」
彼は真面目な顔で、年下の友人を見つめているのだった。ニルティは凪いだ瞳を細めて、不敵な表情をした。
「そうやな、いつか寮を追い出されたら、考えときますわ。ね、イシャーナ」
唐突に話しかけられ、イシャーナは目を見開く。
「ちょっと、それって、どういう」
ニルティはひょいと荷物を背負った。イシャーナの荷物も、ついでとばかりに掴む。
「さ、薬効いて来ましたね、イシャーナ。帰りましょうか、寮へ」
これにて、獣化の剣の物語は完結します。
恋愛に至るどころか、まだ仲間意識さえ芽生えているかどうかの、二人の冒険の物語でした。
最後まで読んでくださった読者の方々、本当にありがとうございました。
この作品の良いところや悪いところには、筆者が自覚している部分も自覚していない部分もたくさんあります。
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