5章 (後)
そこはもう、地面が真っ赤だった。
金翅雀の羽だ。
元々金翅雀の羽は、真っ赤で派手だ。それが霧で湿り、土に塗れ、血に染まり地面いっぱいに散っている。あちこちで、傷付き倒れる金翅雀が、転がり寝そべり、目に痛い。
龍は全長を見渡すことが出来ないほど、巨大で長い。太った妖鳥がそれを何重にも囲んでいて、その姿はまぎれて少しも見えなかった。
ニルティは、木の根元に転がっている金翅雀に向かって走り、勢いを付けて体当たりした。
ギャーーッス。突然突き飛ばされた金翅雀は、驚いたように立ち上がって離れた。
「おりゃあああっ」
金翅雀に向かって威嚇の叫び声を上げておく。
「ピナカ。その木にとっとと登れ」
「はっ、はい」
ニルティは何も無いところで剣をぐるぐる振り回して、鳥たちが近づかないように威嚇する。この辺りはまだ龍と遠いから、さほど気合の入った魔物は居ないようだ。
「イシャーナ、こっちの龍の頭側はピナカに任せて、あたしらは尻尾側から行きましょう」
ニルティが指を刺して話しかけると、二人は突然魔物に体当たりした彼女を呆然と見ていた。
「あ、ああ、分かった」
「おまえ、ほんまに動物みたいな戦い方してんなぁ。喧嘩やないねんから、魔物に体当たりって」
喧嘩のようなものだ。
百匹以上居る金翅雀を、目に付いた端から斬っていくのは現実的ではない。大体彼女たちにとって一番の本命は龍である。金翅雀との争いなんて、祭りに参加するための場所取り争いに過ぎない。その場所とりで死ぬものも多いが。
「地面に転がってる奴は脱落した奴ですから、相手する必要は無いです。金翅雀は龍の近くの場所を求めてるんで、1匹や二匹殺しても、すぐに別の奴が埋まってきます。それよりも、押し退けて場所を守りながら進んでください」
三人は、尾の方から回り込む。場所としては、龍の頭近くの方が人気らしいので、割と空いている。
龍の尾の先を、下戸縄が木に結び付けている。少し透けた青黒い尾が、ぴるりと揺れたのが見えて、ニルティはドクンと心臓が鳴るのを感じた。
心臓も、剣もドクドク脈動する。
「いやぁあ!」
ニルティは大声を上げ、剣を振り回して脅しつけて金翅雀を退かせる。
バシュッ。
鋭い音がして一匹の金翅雀が吹き飛んだ。イシャーナの風の魔術だ。風や水の魔術は、こういう時使い勝手が良い。
二、三匹まとめてイシャーナが吹き飛ばすと、丁度いい具合に空間が空いた。ニルティが剣を振り回している横へ、ザバが入って来て縄に酒を注いだ。
下戸縄の棘は酒をかけられると驚いたようにきゅっと縮んで丸まった。絡み合っていた縄の棘が外れる。
「おっ。いけたで、いけた」
ザバが縄を引っ張ると、緩んで解けていく。
「良かった、上手くいけそうだね」
イシャーナがほっとしたように笑ったとき、ニルティは彼を突き倒した。二人で一緒に倒れこむ。
ぶうんっ。開放された龍の尾が、二人の上を通過し、ザバを吹き飛ばした。
「うごっ」
ぶん、ぶん、ぶうん。
二度、三度、龍が尾を揺らすと、尾に縋り付いていた金翅雀はあっちこっちへ吹き飛ばされ、それだけでそれまで居た金翅雀たちがざっと数を減らした。
群がる虫を振り落とすように、軽く尾を振っただけで。
ドクン。ドクン。ドクン。
ニルティは、イシャーナの肩から酒の入った袋を一つ奪い取った。
「先、行きます!」
ぽっかり、魔物たちが掃き出されて空いた隙間をニルティは走った。右から赤い魔物が飛び掛ってきて、剣を横に薙ぐ。
ぱっと赤い羽根が飛び散ったが、肉を斬ることはできなかった。大きな翼が頭上から降ってくる。飛びのいて翼を避けながら、ニルティは舌打ちをした。
龍の尾のもう少し根元近くで、下戸縄がアバックの大木と絡まり合っている。ニルティは左手を二、三度回して、皮袋を下戸縄に放り投げた。両手で剣を構えて、金翅雀に向き直る。
彼女は体を低くして、地面に沿って低く剣を突き出した。正面から突進してくる金翅雀の勢いを利用して、固い金翅雀の足を断った。
地面を転がって、足を断たれて倒れこんでくる魔物の太った体を避ける。立ち上がって金翅雀に背を向け、龍の方に駆け出すと、ひゅっと彼女の隣を風が追い越した。
ばしゅん。
丁度上手く下戸縄の上に乗っかっていた皮袋が、イシャーナの風で切り裂かれる。
「やった?」
イシャーナが、龍から少し離れた場所で様子を伺っていて、呟いた。
下戸縄が緩むのを龍も感じているのか、縄を引きちぎろうと、龍がひときわ激しく尾を振り始める。
ニルティは慌てて地べたに這いつくばってそれを避けるが、太って体の固い金翅雀は、しゃがむことも素早く逃げ出すことも出来ず、弾き飛ばされてゴロゴロと転がっていく。
体が丸いせいか玉のようによく転がるので、大した傷では無さそうだ。ニルティなどは、一撃で圧死しそうだった。
ミチチ、チチミチチ。
縄が今にも千切れそうな音をたてる。尾に吹き飛ばされて無事だったのか、ザバがすこし離れたところから声を上げた。
「よし、そのやり方でいくで! 俺が酒を投げる。ニルティ、もうちょっと後ろ足の近くに行け。この直線上の、邪魔な奴を片付けろ」
尾の付け根の下戸縄はまだ取れていないので、そこより頭側にはまだ金翅雀が取り付いている。特によさそうな場所には、縄張りを張るように、周りより一回り大きな金翅雀が陣取っている。
後ろ足の真横にも、ひときわ大きく、羽の赤が濃い、鮮やかな金翅雀が一頭、激しく鳴いて自分の居場所を主張していた。
ニルティは背後から、その鳥の首筋に斬りかかった。
くるりと鳥の首が振り向いて、くちばしがニルティの剣を弾いた。
背中に剣を付きたてようとするが、翼で弾かれる。体ごと振り向いた金翅雀が、ニルティを踏みつけようと足を出す。
流石に大物なだけあって、動きが力強いだけでなく器用に動く。
ニルティは避けようと跳びすさると、背後から別の金翅雀にどんっと突き飛ばされる。
転がりそうになって体勢を立て直していると、右から別の妖鳥のくちばしが飛び込んできて、身をよじった。
彼女は混戦に巻き込まれ始めていた。
ドクン。ドクン。
こんな奴らに、負けたりなんか。
「はあああっ」
がむしゃらに剣を振り回す。熱い返り血が、彼女の巻き布を濡らした。
グエーッ、グエーッ、グェッ。
大物が、ニルティに向かって突進してくる。
「う、うおおおぉ」
ニルティは威嚇するように叫んで、剣を突き出した。
後足付近でまとまっていた魔物たちは、ニルティに釣られてやや位置をずらしていた。
大物の金翅雀は、足の爪でニルティの突き出した剣をねじ伏せて、体当たりをして彼女を突き飛ばした。
吹っ飛んだニルティは息が出来なくなって、できるだけ体を丸くして衝撃に堪えようとする。
「行くで、魔術師!」
「ああっ」
ゴウッ。
イシャーナの魔術が、風を切る音が、した。
倒れている金翅雀の上に落ちたニルティは、声のしたほうに顔を上げた。けほけほと乾いた咳が出る。偶々落ちた金翅雀の羽毛は、分厚く柔らかく、ニルティの痛みを吸収してくれたようだ。
イシャーナはザバの隣で杖をくるっくる回し、魔術の円を泡のように生み出しながら、金翅雀の残りを風で吹き飛ばす。
ザバは皮袋の紐を持ち、腕を回して下から皮袋を放り投げた。
すこし外れる。
ふわり。下から掬い上げるように風が吹いて、位置を調整し、更に鋭いかまいたちが袋を破いた。
酒が飛び散り、下戸縄に染み込む。
ミチ。ミチチチ、ミチチ。……ブチン。
尾の付け根の下戸縄が千切れた。
ふっとイシャーナが頬を緩める。
龍が不意に体を緊張させたことに、ニルティは気付いた。ピナカも上手くやったのか、龍の頭の方で、金翅雀たちの騒ぎが大きくなっている。頭側の下戸縄も、いくつか外れたのかもしれない。
彼女は龍の体を見て、イシャーナを見て、叫んだ。
「イシャーナ、もっと下がって!」
ぶうううん。
気付けばニルティは、宙を飛んでいた。下戸縄が外れて、更に大きく動き回るようになった尾に、下敷きにしていた金翅雀ごと叩かれて、吹き飛ばされたのだ。
地面に落ちて、金翅雀から離れ、彼女は地面をゴロゴロ転がる。
「ニルティッ!」
喉が破れそうな声の、イシャーナの呼び声が響いた。
ズシーーン。
龍は、後足の下戸縄を引きちぎろうと、尾を振り体中でもがき、アバックの大木に頭突きをして、暴れていた。
大暴れだ。
龍の体にしがみ付いていた金翅雀も、多くが吹き飛ばされている。
「ううう、く」
ニルティは痛みにうめきながら、内臓を庇うように体を丸める。そろそろと体を起こし、地面に座り込んだ。ぼけっとしていては、転がってくる金翅雀につぶされてしまう。
顔をしかめて周りの様子を伺うと、少し離れたところに剣が転がっていた。一緒にここまで飛ばされてきたようだが、いつまであれを握っていたのか記憶に無い。
突然転がってくる金翅雀にぶつからないように気を使いながら、そろそろニルティは剣を取りに行く。体のあちこちがぶつけて痛むが、幸い骨が折れたとか吐き気がするとかそういう様子はなかった。
激しく暴れる龍に、金翅雀たちは振り落とされてはしがみ付き、弾き飛ばされては飛びついていく。既に脱落していた瀕死の妖鳥たちは尾で弾かれ綺麗に掃除されてしまった。
力尽き、あるいは打ち所が悪くて、小さかったり弱かったり運が悪かったりした金翅雀はどんどん脱落していく。
強い固体だけがあの場所に残り、龍と戦う権利を得る。
ニルティは剣を拾い上げ、歯を喰いしばった。
彼女は弱かった。
ドクン、ドクン。
体中が痛む。容易く弾き飛ばされて、小さな体は群れる妖鳥たちにもみくちゃにされた。
ドクン、ドクン。
こんなに弱くては、龍を殺すことなどできるはずが無い。イシャーナの所に戻らなくては、きっと心配している。
ドクン、ドクン。
獣化の剣が、鼓動を鳴らしている。
心臓がうるさい。ドキドキする。
体中に心臓があって、どこもかしこも脈打っている。胸も腕も足も背中も、足の爪先にも、指先にも心臓があって、冷たいはずの鉄の剣すら熱く熱く、鼓動を鳴らした。
この気持ちは、彼女のものでは無い。
これは獣化の剣の衝動。剣の感情に飲み込まれては、乗っ取られてはならない。
だけど。
ああでも、龍よ。
あなたを殺すのはあたしなの。
あたしの方があいつらより、絶対、強い。
ニルティは剣を、ぎゅっと握り締めて、
「う、う、うおおおぉぉっ」
天に向かって吠えた。
龍に向かって駆けていく。
一羽の赤い鳥が、彼女の前に立ちはだかった。
鋭い鳴き声をあげながら、太った足で彼女を蹴りつけてくる。
ニルティは鋭い爪を避けてしゃがみ、左手を突っ込み、下からその固い足首を掴んだ。力任せにそれを引っ張り、右手の剣で足首をぶっ叩いた。
金翅雀は無様にすっ転んだ。
正面から龍の尾が向かってきたのが見えたので、ニルティは軽く跳ねて目の前の魔物に飛び乗る。脂肪たっぷりのその体を踏み台に、高く跳んで尾を避け、金翅雀の密集する最前線に飛び込んだ。
この衝動は、彼女のものではない。獣化の剣の感情に、飲み込まれている。
しかしそれがどうしたというのだろう。
彼女は弱い。体は脆くて小さくて柔らかくて、こんなにも弱い。今にもくちばしで貫かれ、爪で引き裂かれて死にそうだ。
怖くないわけではない。死ぬのは、怖い。
しかし、死が、恐怖が、弱さがどうしたと言うのだろう。
死への恐怖よりも、もっとずっと圧倒的に、彼女は剣士だった。
戦いこそが、彼女の運命なのだ。
理由など必要無い。
ただ、戦い、ただ、殺す。
ドクン、ドクン。
戦いこそが、人生。
彼女とその剣は別々の心臓を持つ生き物だけれど、しかし同じ生き方をする生き物だった。
次回更新の、5章後編とエピローグで完結です。