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獣化の剣  作者: 吉岡
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序章

 


 魔術師は魔物に勝つ、ことが可能だ。

 魔物は剣士に勝つ、原則だ。

 剣士は魔術師に勝つ、人の世の常識である。


 偽りと真実の理屈で線を引いた、多くの例外と矛盾を含む歪な三角形がある。

 そしてそれを覆し得るのは、圧倒的な力の差。






 赤茶の髪が目の端にちらついて、カンゼ騎士団の面々は気が散って仕方がなかった。


 カンゼ騎士団は国王直属の騎士団の中で、もっとも勇壮な騎士が集う騎士団である。騎士団の中で最も強く、最も地位が低く、そして最もガラの悪い団員によって構成される、騎士団なのだ。

 分厚くてむさくるしい男たちは暴力沙汰は得意だけれど、脆くて小さいものと頭を使う作業には大変な苦手意識を持っている。動物に近付けば噛み付かれ、女に近付けば逃げられ、子供に近付けば逃げられる男たちである。

 そのカンゼ騎士団の訓練所のすぐ傍で、赤茶の髪はちらちらしていた。


 それは子供だった。

 背丈は大人の腰に届かず、太さなどは男たちの太もも程度しかない、小さな子供である。体の割りに頭だけが大きくて、ぐらぐらと今にもバランスを崩しそうだ。

 細いその腕で腕よりも太い木の棒を持って、子供は懸命に剣士の真似事をしていた。訓練所を解けそうな丸い目でじっと眺めては、見よう見まねでその棒を振り回すのだった。


 子供は数日前からこの訓練所に通うようになった。男たちは子供が気になっているのに、ずっと声もかけられない。意気地が無いから声を掛けられないという訳ではない。おかしな話だが、それは騎士団長の決定だった。

 ただの子供のことに団長が口を出すのも妙な話だが、そもそも子供の素性は分かっている。ただの子供はこんなところに侵入できない。


 子供は、ズルズルした巻き布を身にまとっていた。手に持った木の棒は、そこらで拾ったにしては滑らかで均等な太さをしている。

 子供は、魔術師の卵であった。

 この国では、あらゆる子供は必ず体内の魔術量を量られ、規定値以上の魔力が計測された子供は、親が礼金を支払えなければ問答無用で国に引き取られる。国の魔術寮の学舎で育てられ、将来的には国に忠実な魔術師として働くこととなる。


 魔術寮は騎士団と、特に身分が低いもので構成されるこのカンゼ騎士団と酷く仲が悪かった。

 普段訓練所の傍を魔術師が通ったのならば、分かりやすい悪口とからかいですぐに追い払ってしまうものだ。しかし流石に、何も分かっていない幼い子供にそんなことをできるものではない。男たちは子供に嫌われはするが、子供が嫌いなわけではないのだ。

 だからといって子供を喜んで招き入れることもできない。見付かれば魔術師たちに何と文句を付けられるかも知れない。

 今は、王宮の開いている真っ昼間。本来ならば魔術師の卵の子供たちは、今頃学舎で魔術の勉強をしていなければならないはずなのだ。なのに、


「あっ」


「え?」


 剣士のうちの誰かが思わず声を上げ、周りの何人かもつられて振り向くと、子供は木の棒を取り落としていた。わずかに顰め面をして、小さな掌を見ていた。この数日、休み休みではあるが毎日木の棒で素振りをしているのだ。掌には肉刺ができ、それももう破れてきつくいたむことだろう。

 子供は顰め面のまま、もう一度木の棒を拾い上げた。意外に表情に変化は小さいのだが、周りの男たちは気になって仕方が無い。

 ちょっと可愛い顰め面の目元を、ほんの少し歪めたからもう堪らない。


 気になって、気になって。

 気が散って、カンゼ騎士団のその日の訓練は、まったく進まなかった。







 とろりと金の油が滴った。

 薄く広く延びた青い石の上を、油はとろとろと流れる。


「これが、龍涎石ですか、師匠」


 いささか舌足らずの口調で言うのは、黒髪の少年である。濡れた黒い瞳をキラキラさせている。


「そうだ。これは百二十年前にアバック地方で掘り出され、献上されたのだよ。不思議な色合いだろう」


 龍涎石はアバック地方でのみ採れる非常に珍しい宝石だ。この数十年間ほとんど見付かっていない。魚の鱗や貝殻の内側のように、鈍く様々な色合いで輝く青黒い石だ。

 今、二人の目の前にある石は巨大な結晶で、薄く平たく延びている。その上ゆるく不規則に波打っていて、まるで神や天女の衣服が石になったかのようである。

 しかし龍涎石が持つ最も珍しく価値を持つ特性は、見ているだけでは分からない。


「もっと顔を近付けてごらん。ほら、そっと息を吸って」


 金の油が青い石の上を流れる。そこからふわっと香りが立ち昇った。思い切り石に顔を近付けていた少年は、ぎょっと顔を離して鼻を押さえた。


「う、く、臭いです。すごい臭いです」


「え、そうかい。ちょっと強すぎたかな」


 その部屋中に甘い香りが立ち込めた。甘く濃い、どこか香ばしい香り。海の香り、木の香り、花の香りの交じり合った複雑で高貴な香り。龍涎石は油や花の蜜に浸すことで、えもいわれぬ良い香りを発するのだった。


「良い匂いなんかじゃありません。腐った魚の臭いがします」


 弟子の率直な言葉に師は思わず笑った。確かに龍涎石は、単純に良い香りと言うには癖が強すぎる。幼い子供には難しかったかもしれない。しかし、知ったかぶった大人ならば、間違っても腐った魚とは言わない。まったく、素直なことだ。


「ほら、落ち着いて。もっと離れて嗅いでごらん」


 中年の男と少年は、そろって灰色のズルズルした巻き布を身に着けていて、一見して親子に見える。実際には、血の繋がりは全く無い。

 しかし、血が繋がっていなくとも、別のもので繋がっている。

 二人は魔術の師弟であった。幼くして親から引き離された子供と、おそらく子供を持つことは無いだろう男は、血の繋がりが無くとも知識の絆で繋がっている。

 魔術師が代々弟子に伝え、脈々と繋がっていく血脈にも良く似た知恵の絆。二人の体には同じ血が流れる代わりに、同じ知識が流れている。男もその子供に、自分が師から得たもの、経験の中で手に入れたものを余すことなく伝えるだろう。


 その子供は魔術師として、非常な才能に恵まれていた。

 小さな頭の中で驚くほど大量の知識を貯め込む。真実を素早く見抜き把握し、利発で少し生意気な部分もあるが、師の言葉は素直に聞き入れた。


 そして何よりも、恐ろしくなるほどの魔術の才能。


 その子供は、易々と魔術を扱った。人がペンや剣や鍋を使うように、ペンの仕組みを知らず、握り方を知らずとも字は書けるように、子供らしく少し不慣れながらも当然のように使う。それが使えないことなど全く想像もせずに、多くの魔術師がそれを必死の努力や集中、嘆きや祈りさえも持って扱うことを知らずに。

 それは、本当に恐ろしくなるほどの才能だった。同じ魔術師として嫉妬に狂いたくなるほどの才能。しかしそれ以上に、師として喜びに打ち震えるほどの才能。


 その子供の師は彼なのだった。巨大な原石を磨くのも、好みの形に整えるのも、その輝きを間近で見守るのも彼なのだ。


 彼の弟子は将来、偉大な魔術師になるだろう。想像もつかない研究を成したり、凶悪な魔物を倒したりするのだろう。

 恐ろしいほどの才能。しかしそれを持つのは、それ以外の点では少し利口なだけの、まだあどけない子供だ。自分がそれほどの才能を持つことに、まだ気付いてさえいない。


 師は彼の弟子を、優しい眼差しで見つめていた。 



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