#01 傭兵
そこは静かな、それでいて穏やかな、ごく一般的な小川のほとり。
ただし、一人の男が倒れている事を除けば、の話だが。
「――うそ」
彼女は出会ってしまう。
これから、運命を変えるかもしれない男に。
■ ■ ■
「〜〜〜♪」
……どうやら、幻聴が聞こえてくるほど頭がやられたのかもしれないと、はっきりしない頭で考えていた。
「――……」
しかし、目を開いてみて、幻聴ではなく現実だと思い直す。
(どこだ……?)
相変わらず全身に力が入らないが、うまく首だけ回して観察する。
全体的に穏やかな色でまとめられた部屋。どうやら監獄か何かではないらしい。 内心ホッとしながら首を逆方向に回すと、
目の前に、幼女の顔があった。
あまりに突然の出来事に、ギョッとして――しなくてもだが――俺が動けないでいると、その幼女はじっとけだるそうな顔で俺を観察した後、一言だけ、呟く。
「――おきた」
「……あ?」
表情は変わらない。声音も年頃の割に抑揚がなく、聞く者に無感情を思わせる。
「……おきた」
「なん……」
俺が怪訝な表情になっているのを知ってか知らずか、屈んでいたのだろう、ぴょんと跳ね上がるようにして何処かへと駆けていってしまった。
「……なんなんだ、一体」
自由の利かない身体で、誰ともなく呟く。
まさか、あの幼女が俺をここまで運んだわけではないだろうが……謎だ。
「――あ、ホントだ。起きてる起きてる」
「……!」
突如聞こえた女の声に、多少驚いてそちらを見る。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃったかな?」
「……いや……」
十六、七歳くらいだろうか。少女はおどけたようにこちらに微笑む。
「そう、ならいいけど。びっくりしたのよ、貴方、傷だらけで倒れてたんだもの。喧嘩でもした?」
「喧嘩に見えるのか、むしろ」
喧嘩で腹に刺し傷なんて聞いた事……いや、あったかも分からないが。
とにかく、住人らしい人間が現れたのだ、色々と聞きたい事がある。
「喧嘩じゃなきゃ、なんだっていうの?」
「……」
キョトンと首を傾げる少女。
天然なのかわざとなのかは判断がつきかねるが、後者なら性悪に決定だろう。
「なら、喧嘩で構わないが。不躾なようだけど、いくつか質問したい」
「ふふ、どうぞ」
にっこりと笑って答える少女。屈託のない表情に少々毒気を抜かれながら、ゆっくりと力を入れて身体を起こす。
「まず、ここは一体」
「あ、駄目よ」
「……あ?」
台詞を遮られたと思えば『駄目』などと、思わず間の抜けた声をあげてしまう。少女はパタパタと近付いてきて、再び口を開く。
「まだ安静にしていなくちゃ。知ってる? 貴方、見付けた時は顔が粘土色してたんだから」
「土気色じゃねえのか」
なんなんだ粘土色って。そんな例え初めて聞いたぞ。
「ようするに、死にかけ」
「……いたのか」
抑揚がない所から察するに、さっきの幼女だろう。随分直球に物を言う性格のようだ。
「とにかく、まだ寝てないと……」
「いや、いい。そんなに寝てたら身体が腐っちまう」
話が脱線しそうだ。
さすがに少し目眩を覚えながら、少女が渋々と頷いたのを確認して質問を続ける。
「改めて、だが……ここは一体何処なんだ? それから、お前達は何者だ」
「なんだか無愛想ね」
「放っといてくれ」
肩を竦めてみせると、再び少女はくすくすと笑う。
よく笑う娘だ。
「ごめん、つい。ええと、ここはティンバルっていう国の、ストロフっていうのどかな町よ。知ってる?」
「……ああ、なんとなく」
ストロフ。行商人が集まる町として有名なはずだ。
よしよし、といったふうに頷いた少女は、次の質問に答える。
「私達は普通の町民……と言いたいところだけど、行商人でね。今は家を借りているけど、しばらくしたらまた旅立つわ」
「なるほど、どうりで小物が少ないわけだ」
改めて見回してみると、必要最低限の物しか置いていないようにもとらえられる。 安住する必要のない家には、余計な物は置かないという事だろうか。
「――お兄は」
「……『おにい』?」
声のした方を向くと、先程の幼女が、少女の服の裾を掴みながら、じっとこちらを見ていた。
「お兄は、なんの人?」
「お兄……って、俺の事か?」
質問で返すと、うん、と頷かれた。
つまりその通りだという意味で間違いないのだろうが、この質問に答えるのはいくらか気が引ける。率直に言えば、あまり答えたい質問ではなかった。
「いいじゃない、教えてよ。ギブ&テイクって、よく言うでしょ?」
「……それもそうか」
聞くだけ聞いておいて、答えないのも無作法というものだろう。軽く息をついて、質問に答える。
「ね、教えて?」
「…………。
『人殺し』」
しれっと言ったその台詞に、変な温かさは込めていない。当然、二人はぎょっと目を見開く――
――かと思ったのだが、キョトンとした表情で俺を凝視している。
「………………」
……なんだこの空気は。居心地が悪い。
「……ぷっ」
「あぁ?」
黙ったかと思えば、今度は笑い出す少女。
「あはは! 信じられない、つくならもっと解りづらい嘘つきなさいよ!」
「……………………」
突然笑い出した。
しかも大笑いときた。
「ルミナ。そんなにわらったら失礼」
なんだかこっちの幼女の方が大人に見えてきたのは、きっと俺だけじゃないハズだ。
「あはっ、はぁ、ごめん、エミリ……っ、あは、ケホッ」
「むせてるじゃねえか」
「だって、はぁ、あはっ、ケホケホゲホッ!!」
笑いすぎだ。女の子にあるまじき声が聞こえた気がしたぞ、今。
じとっとした表情でしばらく少女を見つめて(というよりは睨んで)いると、ようやくその視線に気付いたのか、軽く咳ばらいをしてその場に居直る。
「……ふう、ごめんなさい、笑いすぎたわ。でも、突拍子もない事を言った貴方も悪いんだからね?」
「なぜ責任転嫁する……」
嘘をついているつもりもない。
「というわけで、改めて教えて。貴方は一体何者なの?」
興味津々、といった様子で尋ねてくる少女。完全に俺の話を信じていない。
「言っただろ、人殺しだよ。……まあ、もっと言うなら暗殺者ってところかな」
「まさかぁ」
そう言うと、またしても少女は笑い出す。軽い調子で言う俺が悪いのかも分からないが、それにしても人の話を信じなさ過ぎる。
「……分かった、信じないならそれでいい。むしろ好都合だという事にしておく」
これ以上は何か虚しい領域に突入しそうだ。
げんなりした表情になっているのを自覚しながら、諦めずに質問をしてみる。
「じゃあ、逆に聞くが。アンタはなんて言えば信じるんだ?」
「わお、そうきたか」
おどけて肩を竦めて見せる彼女に、内心でため息をついた。どうも調子が狂う。
「あのなあ……」
「ああ、ごめん、ちょっとふざけました」
こんなのほほんとした空気は、どうも性に合わないようだ。何もしていないのに疲れる。
再びじとっとした目で見ると、多少居心地悪そうにしながらも言葉を紡ぐ。
「だって、さあ。こんなに綺麗な人に、突然『人殺しだ』とか言われてもピンとこないんだもん。騎士って柄でもなさそうだけどね」
「……綺麗な事ぁねえよ。俺が綺麗なら、そこら辺のネズミは宝石クラスだ」
謙遜、というわけではない。ほとんど本音だ。
俺は――
「――綺麗って言うなら、アンタらの方がよっぽど綺麗だろ」
浮かんできた思考を遮る為に、そんなお世辞にもならないことを口走る。ただし、これもほとんど本音だ。
少なくとも、俺はあんなに綺麗には笑えない。
「え、そ、そんな事ないよ」
そんな下手くそな台詞にさえ、はにかんで赤面する少女。頬をかく仕草が、余計に照れているだろう事を物語る。
素直なんだか、なんなんだか。
「……じゃあ、こうしよう。暗殺者ってのを信じないなら、傭兵でどうだ。それでもまだ信じられないなら、俺はもう答えられないぞ」
「傭兵……?」
ため息混じりに言うと、少女はしばらく呆けたように俺を見ていた。
が、やがて腕を組んでウンウンと頷き始めた。随分芝居がかったような仕草だが、彼女がやっていると妙に様になる。
「傭兵……傭兵か、うん。傭兵……」
と、傭兵、傭兵とぶつぶつと呟いたかと思えば、パッと晴れた表情になって顔をあげた。
「いいわね、それ! じゃあ、傭兵でいきましょ」
「はあ?」
……ちょっと待て。
「お前、まさか自分の納得する職業を言い出すまで信じないつもりで……」
「え、何のこと? お姉さん、わっかんないな〜♪」
「ルミナ……」
図星か。図星なのか。
あからさまにがっくりと肩を落とす俺と、ルミナと呼んだ少女とを見比べながら、幼女が俺に若干哀れんだような目を向けた。
「……お気遣いどうも。つうか、お姉さんって誰がだ、誰が」
前半は幼女に向けて、後半は少女に向けて。どう見てもギリギリ女子高生くらいの見た目の奴が、まさか年上を豪語するとは思わなかったので、思わずのツッコミだ。
「あら、失礼ね。貴方歳いくつ?」
本当に『失礼な』と言わんばかりの表情をつくってこちらを睨む。とは言え、やはり冗談の範疇のようだ。気迫らしきものは感じられない。
「……十九だよ」
「ほら、やっぱり!」
俺が答えると、少女は嬉しそうな笑顔をつくる。拍子抜けしたような気持ちでいると、その笑顔をこちらに向け、ウインクまでつけて、驚愕の事実を口にする。
「残念でしたー。私、今年で二十一なの」
「わお」
思わず平淡な反応をしてしまった。
少女、訂正。物凄い童顔の女性。
「ビックリした? ねえねえ」
楽しそうに聞いてくる彼女を見て、
「……天地がひっくり返ったかと思った」
「あ、それはひどいかも」
正直に言ったら頬を膨らませられた。
……リスか。
「えーと、それで……?」
「……?」
少じ……彼女があまりにこちらをじっと見つめてくるので、今度は何事かとほんの少し居直る。
「あの……名前は?」
「……ああ」
そういえば、まだ名乗っていなかった。別に覚えてもらうつもりもなかったから、名乗らなくてもよかったのだが。
「シオンだ。ファミリーネームは持ってない」
「うん、シオンね。私、ルミナっていうんだけど……
よかったら、私の傭兵やってみない?」
「…………」
……おかしい。俺の耳はちゃんと機能していたのだろうか。
「悪い、もう一回」
「だから、傭兵として貴方を雇いたいって言ってるのよ、シオン」
「………………」
この女、正気だろうか。
「……普通ならな、自分から『暗殺者だ』なんて名乗る奴を、傭兵になんてしようと思わないぜ」
「あら、いいじゃない。そのくらいの方が頼りになって。それに、どうせ今無一文でしょ?」
にっこりと笑う彼女を見て、もはや反論の言葉すら浮かんでこない。
だが、確かに手元に金はない。一応口座はあるものの、ティンバルで使えるかどうかも不明だ。
ふう、と一つ、ため息をついた。
「……俺は高いぞ?」
「こっちこそ」
ふふん、と自慢げに胸をはる彼女を見ていると、反論しようという気持ちも何処かに消えてしまった。
なんだか妙な事になってしまったものだと思いながら、
視界の端に、できれば捉えたくないものを捉えてしまった。
「くそ」
思わず舌打ちをする。まさかこのタイミングで、あんなものを見ようとは。
「……ルミナ、だな?」
「? ええ」
かけられていた毛布をはぎ、枕元に置いてあったワイシャツを掴む。恐らく、倒れていた時に俺が着ていたものだろう。
「なんでもいい。ダガーかナイフがあれば、一本貰えないか。俺が持っていたヤツがあればそれに越した事はないが」
「えと、売り物のならあるけど……どうして?」
「いいから」
脈絡のない会話をしながら、鼓動は速くなっていく。緊張か、それとも……狂喜か。
わからない。
「――はい、これ。一応、一番いいやつなんだけど……」
「……ありがとう。それから、お前らは絶対にここを出るな」
「え、ちょっ……」
なおも何か告げようとする彼女を無視して、窓から飛び出す。ワイシャツに袖を通しながら、出来るだけ来た方向が分からないように、それでいて、先程視界に捉えた彼らが俺に気付くように歩いていく。
「――!!」
集団の中の一人の男が俺に気付き、わずかに身体を跳ねさせる。
間違いない、同類だ。
「おい……」
男達が何か言いかけたが、構わずゆっくりと疾走を始める。仕事柄、目につく場所だと何かと困るのだ。
足音からして、ついて来るのは三人。 ちょうどいい、狭い路地か見晴らしのいい場所に連れ込めば、一回で相手ができる。
「――ああ」
忘れるところだった。
俺は本物の暗殺者で、いつ狙われてもおかしくない立場だという事を。
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