5.夜会にて。
イルトゥール様と出会ってから、いくつか季節が過ぎた。気付けば冬で、いつの間にか一年が終わろうとしている。
年末年始は、ウィンターブレイクとして学校は休みとなる。その長期休みに入る前日には毎年、星歴の締めくくりを祝う夜会が催されていた。開催場所は、校内の講堂だ。
「今度の夜会、君をエスコートしても?」
「エッ。あ、はい。喜んで……喜んで、お受けします」
何で喜んでって2回言った? 同じ疑問はイルトゥール様にも生じたのか、少し首を傾げてから……それからまた、微笑まれた。
最近の彼は、よくこの顔をする。いっぽう私はイルトゥール様にそのように笑顔を向けられると、全然いつものように笑えないのだ。
——そんなやりとりが、先週のこと。そして今は、そんな夜会の当日。
講堂はきらびやかなシャンデリアの光で満たされ、絢爛な衣装に身を包んだ生徒たちで溢れかえっていた。
イルトゥール様は普段下ろしている前髪を上げて、髪型も服装もピシッとされて……それはもう、直視できないほどだった。そういえば、結局彼を見慣れることは無かったな。そんなことを他人事にように思う。
一方私も、ごくごく普通にドレスアップはした。今日着けたかったネックレスはあったが、それは昨晩、お姉様が「返して」と持って行った。他に良いアクセサリーも無かったから、寂しい首元でそのまま来てしまった。
「……わあ」
でも、イルトゥール様はそんな私も見て感嘆っぽい声を上げ、小さく拍手をした。
内心この格好で大丈夫だろうかと冷や冷やしていたので、その反応は少し助かったが、拍手は止めて欲しかった。恥ずかしいので。
そうして約束通り、二人並んで夜会の空気を楽しむ。そのさなか、イルトゥール様は今思い付いたとばかりに急に私をとある人の輪へと連れて行き、そのままその方々の紹介をされた。彼らは、イルトゥール様の同じ寮の友人なのだそうだ。
イルトゥール様は良い御方だが、表情が固く、口数が少ないのは事実だ。一体どのような方々と過ごされているのかと思っていたが……なるほど。お仲間も似たような、じっと静かな方ばかりだった。世の中には当然、騒がしいことが苦手な方もいる。そういった方々同士、類は友を呼ぶかたちで親しくなったのだろう。
穏やかに、落ち着き払ったトーンで、挨拶や会話を交わす。
だが、私は知っているのだ。彼らが全員で知ったかぶりを決め込み、誰もルールを知らないプリミエラで不毛な心理戦を繰り広げたという、あの愉快すぎる休日を。
目の前でどれほど澄ました顔で紳士的に振舞われるほど、かのエピソードが頭をよぎる。私は会話中にたびたび思い出し笑いしてしまいそうになって、それを堪えるのが大変だった。
彼らとの挨拶を終えた後、今度は私が、ふと思い付く。
イルトゥール様はよく私の教室へいらっしゃるが、そういえば、私の友人たちにきちんと紹介したことはなかった。だから、こちらもちゃんと、彼のことを友人たちに紹介しようと思った。
構内を見回し、いつものように集まって楽しそうにしていた友人たちの元へ、イルトゥール様を伴って向かう。そうして改めて、彼女たちに彼のことを紹介した。友人の婚約者という存在は、よっぽど変な方が登場しない限りテンションは上がるものだろう。私も彼女たちの誰かが婚約者を連れて現れたら、わくわくすると思う。
想定通り、友人たちはいっそうはしゃいで、かわるがわる自己紹介をした。
「やっぱり声は、小さくない?」
お互いの自己紹介を終えた直後、友人の一人が悪びれもせずに言う。それは私や他友人に対して放った発言だったが、声量は全然イルトゥール様に届く大きさだった。言うなそんなこと、本人を前に。
「……そう?」
しかし当のイルトゥール様は特に傷つく様子もなく、平坦な表情のまま首を傾げた。どうやら自覚がなかったらしい。そういえば、表情を抑えることや不用意に口をきかないことはボーフォール家の決まりだと言っていたが、声量に関する言及は特になかった。
「ボーフォール領は、雪深く静かだからかな。家族も領民も、外ではこのくらいで話すよ」
なるほど? 銀世界の静けさが日常ならば、大きな声を出せばきっと、妙に声が響いてしまうのだろう。
……とはいえ、イルトゥール様はボーフォール家のご長男だ。いずれは社交界の海を泳ぎ切らなければならない。
というのは半分本気で、半分は冗談だったかも知れない。話の流れで私たちは、会場を包む夜会の喧騒を背景に、社交の場でちょうど良い声量を模索することにした。
途中イルトゥール様が悪ノリして、わざとハキハキと話す。それにはその場に居た全員が、腹を抱えることとなった。ボーフォール家の決まりはどうした!
楽しい。心から、楽しい。
別に、今までだって楽しいことがなかったわけではない。けれど私はいつも、自分の人生をどこか俯瞰で見ていたように思う。
それがなぜかと問われれば……きっと、怖かったのだ。
庶子という己の身の上を忘れて、一瞬でも本気で浮かれ楽しんでしまったら……いつか、恐ろしいしっぺ返しが来るのではないか。身の程をわきまえ、冷めた目を持ち続けていなければ、傷つくのは自分なのだと。そう、ずっと身構えていた。
けれど今夜は、気付くといつもの後ろめたさが、きれいに消え去っていた。
ただただ、楽しくて、夢のようだった。
「楽しそうね、アオイファ」
友人たちと一通り笑い転げた後、火照った顔を冷ますためにイルトゥール様と二人でバルコニーへ出て風に当たっていた……その時だった。
背後から響いた鈴を転がすような声。振り返ると、そこには私の姉・クイヴァが立っていた。
夢のよう。
それは、正しかったのかも知れない。だって、夢は——
「ねえ。私の婚約者、返してくれる?」
夢というものは、いつか、覚めるものだから。
「ごきげんよう、イルトゥール様。私、クイヴァ・クロムウェルと申します。クロムウェル伯爵が長女、アオイファの姉です」
お姉様は優雅に、完璧な所作でカーテシーを見せると、イルトゥール様へと近付く。
私は反射的に半歩、身を引いてしまった。空いたその隙間をするりと入り込み、お姉様はイルトゥール様の腕に自身の腕を絡める。
「ご存じですよね。ボーフォール家との婚約は、本来ファースト・レディである私のものだったんです。でも、少々勘違いがありまして……。不安に思う私を気遣って、アオイファが身代わりとなっていやいや受けてくれたんですよ」
身代わりというのも、いやいやというのも、ニュアンスが微妙に違う。だが、この婚約の話を最初に聞かされたとき、私が特段乗り気でなかったのは事実だった。
「しかし、その勘違いも今や解かれました。当初の予定通り、ボーフォール侯爵家との婚約は、私クイヴァがお受けします」
お姉様はイルトゥール様の肩のあたりにスッと頬を寄せ、無邪気で可憐な笑みを浮かべた。
「ね。良いわよね、アオイファ」
脳裏に、いつものお下がりのルーティンが駆け巡る。
「あげる」と言われたら「ありがとうございます」、「返して」と言われたら「もちろん」。
私に、お姉様の意思に反する権利などない。どのように生まれて、なぜ手札として生かされているのか。私は、私の身の程を、痛いほど知っている。
だから、大丈夫。大丈夫だ。いつも通り、自分を一段高い場所から見下ろすようにして。嘘でも、微笑んで……。
「嫌です」
それは、ほとんど無意識から溢れた声だった。
必死に、いつもの自分を演じようとした。……そうだ、私はいつも、演じていたのだ。
でも口から出たのは——本心だった。
本心だ。
これが、紛れもない私の本心。
口に出した言葉が改めて自分の耳に届き、じわじわと全身に染み渡っていく。
滑稽な話だ。私はイルトゥール様に、捨てられない程度の愛着を持ってもらおうと考えて、近付いたのに。策士策に溺れるとはこのことだろう。そうして私は、結局笑ってしまった。
だって……私が、イルトゥール様を愛してしまったのだ。
今、ここで私がどれほど意地を張ったところで、きっとどうにもならない。お父様は、侯爵家と血を結びたがっている。お姉様がその気になったなら、お父様は秘密のある私より、正妻の娘である彼女を優先するだろう。貴族の婚姻において最優先されるのは、個人の感情ではなく家の意思なのだから。
でも、まあ、いいか。一度くらい。
平常心を失い、身の程も忘れてみっともなく悪あがきをしてしまうような、人生でたった一度の恋をしたのだから。
「……そう」
お姉様が、低く平坦な声で呟く。私は、その先に続く言葉を、死刑宣告を待つ囚人のような心持ちで待った。
「残念。私、本当に惜しいことをしたわ」
え。口から、間抜けた声が漏れた。
お姉様はイルトゥール様からすっと離れると、両手を前で組み、背筋を伸ばしてそこに立つ。しかしその美しいお顔には、隠しようもない後悔の色が滲み出ている。
——あれ?
ふと、胸を押し潰していた重圧が、嘘のように軽くなるのを感じた。
お姉様の悔しそうな表情にスカッとして、胸を撫で下ろしたわけではない。何か、雷に打たれたような天啓を得たのだ。
目を丸くする私を見て、お姉様もまた、同じような閃きを得たらしい。「うそ」と、お姉様が小さな声で呟く。
「嫌なら嫌って、言いなさいよ」
「言えるわけないでしょう、私が、お姉様に」
お姉様の言葉に、咄嗟の反論が声に出た。
だが、考えてみればそういうものなのかも知れない。お父様やお母様を含め、屋敷の大人たちは私を不祥事の産物として、腫れ物扱いしてきた。でも、私が生まれた時、お姉様はまだたったの二歳だったのだ。私の出生がどれほど大変な騒ぎだったかなど、彼女は覚えてない。物心がついてからも、私が庶子だと理解しても、それがどれだけばつの悪い存在なのかは……その空気は、共有されてなかったのかも知れない。お父様たちは、私を家族として扱ってはいたから。
そういえば、お姉様は私の生まれを持ち出して蔑んだり、意地悪を言ったりしたことは一度もなかった。
——けれど、私にとっては、自分は庶子でお姉様は正嫡。お姉様の言うこと成すことに異を唱えるなんて、できるわけがなかった。
私はお姉様に「嫌」と言えなかった。
お姉様は私に「嫌」と言われていなかった。
つまり、私たち姉妹は、ずっとすれ違っていたのだ。
「ちなみに、今まで渡した過去のもので、嫌だったものとかあるの?」
お姉様が、少し恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
「とりあえず……一度いただいた冒険小説を、流行りものだからと持って行かれたのは、すごく嫌でした」
「え、どれ? 何年前の話?」
「二年前です。ご友人に貸すと仰って、それきり音沙汰を聞きません。その方から返していただいてないですよね」
「……本くらい、新しく買えばいいじゃない」
「あれは初版本だったんです!」
しょはんぼん。お姉様はその単語を人生で初めて聞いたかのように首を傾げる。頭が痛くなってきた。
しかし、忘れてはならない。私たちがこんな間抜けで不毛な会話を繰り広げている間——
「……」
イルトゥール様が、ただ無言で置物のごとく棒立ちしていることを。
「あっ。も、申し訳ございません、イルトゥール様。こんな見苦しい姉妹の喧嘩をお見せして……」
「いや、うん。大丈夫。面白かったよ」
私は慌てて頭を下げる。お姉様は「私は悪くないわ」とばかりに突っ立っている。
一方のイルトゥール様は、自分に話が振られたことで少しだけ目を丸くしてみせたが、相変わらずの空白の表情で、淡々と首を振った。お、面白かった……??
「特に、姉君の発言。途中までは、まるで悪役のご令嬢のようだった。次作に生かしたい」
「ハア?」
イルトゥール様の真面目な口調での追加の言葉に、お姉様は苦虫を十匹ほど噛み潰したような顔になった。
「前言撤回。私、デリカシーのない方も嫌よ。アオイファ、やっぱりあなたにあげるわ」
「えっ、でも……自分の発言が小説の元になるなんて、わくわくしませんか?」
「嘘でしょ、あなたたちお似合いなの?」
やれやれ、やってられない。お姉様はさもそう言いたげに手をひらひらと振ると、くるりと背を向けた。
「中に戻るわ。アオイファ、帰るときに声をかけてちょうだい」
「……はい、お姉様」
これは決して「仲良く一緒に帰りましょうね」というような愛くるしい会話ではない。お姉様は時間の感覚を忘れて楽しんでしまうタイプなので、私にタイムキーパーを命じているのだ。
けれど、思い返せばこんなやり取りは昔から何度もしてきた。そう……私たち姉妹は、なんだかんだと言いながら、ずっと一緒に同じ馬車で帰ってきたのだ。あの屋敷へ、二人で。
——お姉様が去り、バルコニーには再び私とイルトゥール様の二人だけが残された。
静けさが戻ってきた夜の空気の中で、私はそっと口を開く。
「私……本当は、庶子なんです。お父様と使用人の間に生まれた子どもで、お母様とは血が繋がっていません」
明かさずにはいられなかった。
イルトゥール様と、ちゃんと婚約者として向き合うためには、この秘密を隠したままではいられないと思ったのだ。
それは、私にとっては相当な覚悟を要する告白だったのだが——
「なるほど」
イルトゥール様は、無感情な声で一言、ポツリと呟いた。
「なるほどって——ご存じだったのですか?」
「ううん。……ああ、いや、どうだろう。父上は知っているかも。でも、俺は知らなかったよ。ただ……だから君は、いつも不安そうだったんだなと思って」
「……不安? 私、そんな顔をしていましたか?」
「うん。こんなに素敵な人なのに、どうしてだろうって、ずっと不思議だった」
「すてっ……あ、ハイ……」
それは命がけの告白だったはずなのに、なんだか拍子抜けしてしまった。けれど、同時に胸の奥がじんわりと温かくなる。
庶子だからといって、イルトゥール様が私を差別したり遠ざけたりするような人ではないと、本当は知っていたのだ。
長年背負ってきた重い荷物が、全て肩から滑り落ちていくような感覚。
だから、改めて。背筋を伸ばして、婚約者らしく振舞おうと思った。イルトゥール様の腕にそっと手を伸ばす。でも、お姉様みたいには全然上手くできなかった。
するとイルトゥール様は、最近よく見せるようになったあの温かな笑みを浮かべた。
そして、躊躇うことなく私をそっと抱き寄せる。
「俺は、君が好きだよ」
——良かった。
それが、心からの素直な感想だった。もちろん、当初に企てたあの策が成功したからではない。
「私も……私も、イルトゥール様が好きです」
私も、彼が好きで。私たちは今、同じ気持ちで向き合っている。
それは私が人生で初めて味わう、心からの安心だった。
いつも不安そうだった——彼の言葉は、きっと正しかったのだ。
幸せな感覚に、意識ごと溶けてしまいそうになる。
そうして何も考えられなくなってしまう前に、私は必死で腕を動かし、彼の広い背中にぎゅっと手を回した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
色々調べながら書きましたが、貴族用語や文化を誤っていたら、
「この世界はこうなんだなぁ」と思っていただきつつ、
次作に生かしますので、そっとご指摘いただけますと助かります。
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またご縁がありましたら、他の作品にもお付き合いいただけますと幸いです。




