やり直しボタン
その者は何かを達成した人の前に現れるという。
世界的な発見をした博士。
大ヒットをした作品を描いた作家。
過去の記録を塗り替えたスポーツ選手。
甚だしい時には天下を支配した偉大な王のもとにも……。
『このボタンを押しませんか』
そんな言葉と共に現れる。
不意に現れるものだから、権力者の中にはすぐに殺そうとした者もいた。
しかし、銃で頭を撃とうとも、剣で首を刎ねようとも、その者は死なない。
『このボタンを押したら何が起きるかお伝えいたします』
得体のしれない相手の言葉に人は思わず耳を傾けてしまう。
殺しても死なない者だ。
何かあるに違いないと思ってしまう。
『このボタンを押せば、あなたは『やり直せる』のです。全てを』
その者は本当にそう語り、ボタンを差し出すだけだ。
そして、驚くべきことに多くの人々はそのボタンを押してしまうのだという。
*
「別に驚くことではありませんよ」
その人物が私の前にいた。
過去に出会った人々の話を私に伝えてほくそ笑む。
「どんな人でも過去に戻れるなら『もっと良く立ち回れた』と思ってしまうのです。故にその手段を提示されれば心が落ちる」
私の前に差し出されたボタン。
それは確かに魅力的だ。
幸いなことに私の人生は成功を収めた。
しかし、それでも後悔など腐るほどしている。
やり直せたなら……なんて成功した上でも考えてしまう。
だが、しかし。
「悪いが帰ってくれ」
私はなんとか口にした。
その人物はにんまり笑ったままだ。
「よろしいのですか?」
「あぁ。やり直しをしたところで、今度もまた同じ事が起きるとは限らない。私の人生は様々な幸運に祝福されたものだったから」
笑みが深まる。
不気味な笑みだ。
「お見事です。一度成功した者ほど次も成功するだとか愚かに考えたり、そうでなくとも自分を成功に押し上げた要因を軽く考えるものです」
その人物は一礼をして静かに消え去った。
全身の汗にまみれながら私はため息を漏らす。
この全身を覆う水滴は後悔だろうか?
安堵だろうか?
いずれにせよ、理解したことは。
「今を受け入れなければ成功しても満たされない、か」
戯れに全てを奪い去る悪魔のことを知ったのは、それから程なくしてからだった。




