第6話:跪きなさい、世界のために
――もう、限界だ。
私は、布団の中でガタガタと震えながら、外から聞こえてくる「工事の音」を聴いていた。
数日前、あの聖女様が「パワーアップ(本人は毒に当たったと思っている)」して去っていってから、私の家の周りはもはや「家」ではなくなっていた。
(……なんで。なんで、私の家の周りに、立派な石畳の道ができてるの?)
窓からこっそり覗くと、そこには「聖域:アルス様生誕の地」と書かれた巨大な石柱が立てられ、白いローブを着た信者たちが、一歩進むごとに跪いて祈りを捧げている。
(……やめて。そんな恥ずかしい名前つけないで。私はただの不法占拠者なんだよぉ!)
さらに恐ろしいことに、あの聖女エレオノーラが、大陸中の王侯貴族に「親書」を送ったという噂を耳にした。
内容はこうだ。
『真の神が降臨された。平穏を願うあのお方の御心を乱す者は、私がこの手で裁く。跪き、供物を持って参れ』
(……終わった。これ、完全に『邪教の教祖』扱いされるやつだ。いつか正義の勇者とかが来て、私の首をはねていくんだ。間違いない!)
私は、死の恐怖に突き動かされた。
せめて、あの聖女様を止めなければ。
「そんな大袈裟なことはしないでください。私はただの一般人です」と、土下座してでも伝えて、この事態を収束させるんだ!
私は、震える足で外へと飛び出した。
†
「……ああ、なんと神々しい」
家の前で「神殿」の建設計画を練っていたエレオノーラは、小屋から出てきたアルスを見て、その場に跪いた。
アルスの周囲には、依然として凄まじい「魔圧(恐怖による魔力の暴走)」が渦巻いている。
(……主が、自らお出ましになった。そのお姿、まるでこの世の喧騒を憂い、あえて沈黙を守っておられる高潔な求道者のよう……!)
「あ、あの……エレオノーラさん……」
アルスは、ひきつった顔で彼女に近づいた。
あまりの恐怖に、喉がヒリヒリと焼けるようだ。
彼は、必死に「自分を下げ、彼女を立てる」ことで、騒ぎを鎮めようとした。
「……もう、これ以上、私のために何かをするのは……やめてください(=目立ちたくないんです、本当にお願いします)」
だが、極度の緊張で、その声は凍てつくような冷たさを帯び、周囲の魔素を急激に冷却した。
†
(……「やめろ」……だと!?)
エレオノーラは、雷に打たれたような衝撃を受けた。
主は今、はっきりと拒絶された。
だが、その瞳には怒りではなく、深い、深いため息のような「諦念」があった。
(……そうか。分かったわ、アルス様。貴方様は、形だけの建物や、権力争いにまみれた『宗教』など求めておられないのね……!)
「も、申し訳ございません! 私はまた、人の浅知恵で、貴方様を縛ろうとしてしまいました……!」
「い、いや、分かってくれればいいんです。……私は、何もいらないんです(=お金も名声も怖いから、放っておいてください)」
アルスは、少しでも事態が好転したことに安堵し、弱々しく笑おうとした。
(「何もいらない」……。あ、ああ……!!)
エレオノーラは、その言葉に再び号泣した。
無欲。あまりにも、絶対的な無欲。
これほどまでの力を持ちながら、地位も、名誉も、信仰すらも求めない。
ただ、この世界が平穏であれば、自分はどうなっても構わないというのか。
(……なんて深い愛なの。なんて、残酷なまでの自己犠牲……!)
「……分かりました、アルス様。貴方様が『無』を望まれるのであれば、私はその『無』を守るための盾となりましょう!」
エレオノーラは、鋭い眼差しで周囲の神官たちを振り返った。
「聞きなさい! 主は、我々に『形』を求めないとお仰せです! つまり、大事なのは石造りの神殿ではない! 世界そのものを、主が安らげる『平穏なゆりかご』に作り変えることこそが、我らの使命なのです!!」
「おぉぉぉぉー!!」
†
(……え? なんでそうなるの? 壊していいって言ったのに、なんでみんな武器を磨き始めてるの?)
アルスは、混乱の極致にいた。
彼は「何もしなくていい」と言ったはずなのに、なぜか「世界改造計画」の号令として受け取られてしまった。
すると、そこへ一人の豪華な甲冑を着た男が、馬に乗って現れた。
隣国の軍事使節、バイロン将軍だ。
彼は、アルスの噂を聞きつけ、「神だか何だか知らないが、我が国の武威を見せつけてやる」と息巻いてやってきた、不敬の輩だった。
「おい、そこの弱そうな男が『神』か? 笑わせるな! 我が国の魔導砲の餌食にして――」
バイロンが剣を抜こうとした、その瞬間。
「……ひっ!?」
アルスは、その男の剣が自分に向けられるのを見て、恐怖のあまり「変な声」が漏れた。
そして、無意識に、腰が抜けるのを防ぐために、地面を強く踏みしめた。
――ズドォォォォォォォン!!!
アルスの足元から、地脈を流れる膨大な魔力が逆流。
衝撃波がバイロンの周囲の空間を捻じ曲げ、彼の愛馬を膝つきさせ、将軍自身を地面に叩きつけた。
「……がはっ!? な、なんだ……この、圧倒的な『重圧』は……!? 見ただけで、魂が押し潰される……!!」
†
(……あ。転んじゃった。どうしよう、私の足音がうるさくて、馬を驚かせちゃったかな?)
アルスは、真っ青になってバイロンを見下ろした。
謝らなきゃ。でも、怖くて声が出ない。
彼は、せめて「敵意がないこと」を示そうと、震える手でバイロンの方に手を伸ばした(実際には、倒れた彼を助け起こそうとしただけである)。
(……くるっ!? とどめか!?)
バイロンは、絶叫した。
アルスの指先から、目に見えるほどの濃密な魔力が収束している(ただの冷や汗による魔力の乱反射だ)。
「ひ、ひぃぃ……! 許してくれ! 降参だ! 我が国は、今日から貴方様の属国だ! だから、その指を……その破滅の光を向けないでくれぇぇ!!」
バイロンは、鼻水を垂らしながら必死に逃げ出していった。
†
「……さすがです、アルス様」
エレオノーラが、うっとりとした表情で呟いた。
「不敬な者に対し、言葉すら使わず、ただ『一歩』を踏み出すことでその傲慢さを砕く。……あの方は今、世界に示されたのです。跪くか、滅びるか。その二つしかないということを」
(……違う。違うんだよ、エレオノーラさん。私はただ、彼を助けようと……)
アルスは、空虚な目で、逃げていく将軍を見送った。
これで明日から、あの隣国の軍勢が「アルスへの復讐」のために大挙して押し寄せてくるに違いない。
ああ、もうダメだ。今度こそ、おしまいだ。
だが。
翌朝、アルスの家の前には、隣国からの「降伏文書」と、さらに大量の貢物が並んでいた。
アルスは、豪華な王座(勝手に置かれた)に座り込み、虚無を見つめた。
「……もう、どこに逃げても無駄な気がしてきた……」
彼の「ただの恐怖の足踏み」は、歴史書において『神の一歩――傲慢なる将軍を沈黙させた奇跡』として記されることになった。
アルスの平穏な隠居生活は、もはや幻想となったのである。
ただの足踏みで国が降伏してしまいました。
アルスの「平和への願い」は、なぜか常に「武力による制圧」に変換されます。
次章からは、さらに厄介な「魔王令嬢」が登場予定!
「アルスの胃袋が心配(笑)」「勘違いが神がかってる!」と思った方は、
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