第2話:震える覇王、膝を折る騎士
――やってしまった。
私は、自分の家の裏で、真っ白な灰になりかけていた。
目の前には、かつて「山」と呼ばれていたはずの、無惨に抉れた巨大な斜面。
私の右手には、ついさっきまで「そのへんの石」を握っていた感触が残っている。
(……なんで? なんで山が消えてるの?)
私は震える膝を押さえ、その場にへたり込んだ。
落ち着け。冷静になれ、アルス。
私はただの虚弱な引きこもりだ。魔力なんて、立っているだけで周囲がビリビリする程度の欠陥品。そんな私に、山を吹き飛ばすなんて芸当ができるはずがない。
(……きっと、地質学的な何かだ。そう、偶然だ。私が石を投げた瞬間に、たまたま山が寿命を迎えて、たまたま大規模な地滑りが起きたんだ。そうに違いない。そうじゃないと説明がつかない!)
そうだ。私は悪くない。私はただの被害者だ。
だが、あのア重装甲の騎士たちはどうだ?
彼らは、私が山を壊したと勘違いして、真っ青な顔で逃げていった。
(……やばい。これ、絶対『器物損壊』で指名手配されるパターンだ。しかも山一つだぞ? 国家予算レベルの賠償金を請求されたらどうするんだ。死ぬ。払えなくて、一生地下の強制労働施設行きだ……!)
私はパニックになりながらも、必死に証拠隠滅を考えた。
とりあえず、この抉れた地面をどうにかしなきゃ。
私は物置から、父の形見である「古びた箒」を取り出した。
(せめて、砂埃くらいは掃いておこう。少しでも綺麗に見えれば、地滑りっぽさが増すかもしれない……!)
私は半泣きになりながら、全力で地面を掃き始めた。
もちろん、恐怖で手足はガタガタだ。制御できない魔力が箒に伝わり、大気がキリキリと悲鳴を上げているが、必死すぎる私はそれに気づかない。
「お願いだ……誰も来ないでくれ……! 嵐よ、雨よ、私の犯行……じゃなかった、地滑りの跡を隠してくれ……!」
必死の祈りを込め、私は一心不乱に箒を振り回した。
†
――同刻。王国首都、王城・謁見の間。
「……何と言った? ゼノン」
王国最高権力者である国王は、玉座から身を乗り出し、戦慄の表情を浮かべていた。
彼の前で平伏しているのは、王国最強と謳われる聖騎士団第三隊長、ゼノンだ。
彼の鎧は泥に汚れ、その表情には今なお消えぬ「恐怖」が刻まれている。
「報告の通りです、陛下。『死の森』の深部……そこには、人智を超越した『魔王』が鎮座しておりました。彼は古龍をゴミのように扱い……さらには、私が退却する際、警告として『山』を一つ、消滅させました」
「……山を、消滅させただと? 魔法の詠唱も、魔方陣の展開もなくなのか?」
「はい。ただの『石』を投げただけでございます。……いいえ、あれは石ではありませんでした。彼が触れることで、ただの物質が『神の雷』へと変質したのでしょう」
謁見の間に、重苦しい沈黙が流れる。
大臣たちが顔を見合わせ、震える声で囁き合った。
「戦略級魔法……いや、それ以上の単体火力……」
「もしその男が、我が国に矛先を向けたら……」
「一刻も早く、懐柔せねば。……いや、そもそも交渉の余地はあるのか?」
その時、一人の魔導師が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「陛下! 緊急事態です! 『死の森』周辺の観測所より報告! 現在、森の最深部を中心に、異常なまでの『聖域化』が進行しております!」
「聖域化だと!?」
「はい! 空には黄金の雲が渦巻き、大地からは溢れんばかりの生命力が噴出……! かつての呪われた森が、神話に語られる『楽園』へと塗り替えられております! おそらく、あの御方が……何らかの『儀式』を開始されたものかと!」
ゼノンは、カッと目を見開いた。
(儀式……!? そうか、あのお方は山を壊しただけではない。あの一撃は、穢れた大地を浄化し、新たな世界を創造するための『地鎮祭』だったのか……!)
「陛下! 我々は大きな過ちを犯しました!」
ゼノンは再び床に額を擦り付けた。
「あのお方は魔王などではない! 荒廃したこの世界を憂い、降臨された『救世の神』に違いありません! 私は今すぐ、非礼を詫びに参ります! 全財産……いえ、我が命を賭してでも、王国の忠誠を誓って参ります!」
†
(ひぃぃ……! 腰が痛い……。もう三時間も掃き続けてるよ……)
アルスは、ようやく手を止めて空を見上げた。
なぜか空が金色に輝き、周囲の草木が異常な速さで成長して、自分の家を包み込んでいる。
(……おかしい。掃除してたら、余計に目立つようになった気がする。なんでこんなに花が咲いてるの? 嫌だ、こんなに綺麗になったら、余計に誰かに見つかっちゃうじゃないか!)
逆効果だ。
アルスは絶望した。
彼はただ、事件を隠蔽したかっただけなのだ。なのに、どういうわけかこの場所は、世界で最も「神聖な場所」のようなオーラを放ち始めていた。
すると、森の入り口の方から、ジャリ……ジャリ……と、大勢の足音が聞こえてきた。
(……来た。警察だ。捕まる。おしまいだ!)
アルスは、恐怖のあまり箒を杖のように握りしめ、家の前で棒立ちになった。
もう逃げられない。せめて、潔く(震えながら)出頭しよう。
現れたのは、先ほどの騎士ゼノン。
そして、彼の後ろには、豪華な装飾を施された荷車を引く、さらに大勢の兵士たちがいた。
「……あ、あの……」
アルスは、震える声で話しかけようとした。
「さっきの山のことなら、本当に事故なんです」と言おうとして――。
「救世の主よ!! その高潔なるお姿、再び拝謁できましたこと、このゼノン、一生の誉れにございます!!」
ドガァッ!! と、凄まじい音を立てて、ゼノンが地面にダイブするように跪いた。
後ろの兵士たちも、訓練された動きで一斉に平伏する。
「は……?」
「先ほどは、主の『地鎮の儀』をお邪魔してしまい、万死に値する非礼を! お詫びと言っては何ですが、我が王より預かりし至宝の数々、そして我が魂を、この地に献上させていただきます!」
アルスの目の前に、金銀財宝、そして見たこともない高級な食材が山積みされていく。
(……え? 賠償金、払わなくていいの? むしろ、お金もらえるの? なんで?)
アルスは混乱した。
あまりの事態に、思考が完全に停止する。
だが、ここで何も言わないのは失礼かもしれない。
彼は、パニックで真っ白になった頭で、唯一思いついた言葉を口にした。
「……あー、お腹……減った(=もう、何がなんだか分からないから、とりあえずご飯食べて落ち着きたい)」
その瞬間、ゼノンと兵士たちの間に、激しい衝撃が走った。
(「腹が減った」……だと!?)
ゼノンは戦慄した。
神が、供物を求めている。
だが、これはただの食欲ではない。
「今の王国の献上物では、私の乾き(理想)を癒すには足りない」という、峻烈なる叱咤だ!
「も、申し訳ございません!! すぐに! すぐに大陸全土から最高の美味を、そして我が国の忠誠を、さらなる形にして持参いたします!!」
「いや、あの、そこまでしなくていいから――」
「『これしきで満足すると思うな』……! さすがは主! 我々の覚悟を試しておられるのですね! 行くぞ貴様ら! 一刻も早く、主の御心に適う『世界』を作るのだ!!」
「おぉぉぉぉぉー!!」
怒号のような返声とともに、騎士たちは嵐のように去っていった。
一人、黄金の雲の下に立ち尽くすアルス。
「……なんで? 帰ってほしかっただけなのに、なんでみんな、あんなにやる気満々なの……?」
彼の「ただの空腹」という独り言は、その日のうちに『周辺諸国の食糧生産と経済を統一せよ』という、神からの至上命令として全土に伝達されることになった。
アルスの平穏な隠居生活は、また一歩、遠のいた。
「お腹減った」だけで経済圏が統一されそうになっています。
アルスの明日はどっちだ!?
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