三 荒れ寺の怪 一
「――門番の為助さんの長屋が仲町で、狐火が出た現場の重宝院が上町。あぐりさんの家は添地だから追分の向こうですね」
玉川上水に架かる橋を渡りながら真葛が地図を眺めつつ呟く。
「ねえ櫻花どの、あなた、この地図もう覚えました?」
「ああ」
櫻花は頷いた。
地図のたぐいは、よほど複雑でないかぎり一度よく見れば暗記できる。
櫻花の数少ない――と、自分では信じている――特技である。
「あなたの頭脳って本当にどうなっているんでしょうねえ? 羨ましいかぎりです。覚えているなら二手に分かれられますわね。時間もないことですし、聞き込みは手分けします?」
「真葛どのがそれでいいなら」
「では私が門番のほうに。あなたはあぐりさんの方をお願いします。おのおの聞き取りが終わったら重宝院で落ち合いましょう」
「承った」
どうしてその割り振りなのか――と、櫻花は敢えて訊ねなかった。
自分が世知に疎い自覚はある。
人間関係の諸々は真葛の采配に従っていれば大抵問題ない。
はじめの辻で真葛と別れた櫻花は、左右に旅籠の列なる賑やかな宿場町を抜けて追分の先の添地へと急いだ。途中、狐火出現の現場である重宝院の前も通る。
甲州街道と青梅街道の分かれる追分の手前の広大な敷地を占める寺の境内は、外から見てもありありと荒れ果てていることが分かった。
境内のまわりに茂っているのだろう木々が茫々と繁茂して、町場だというのにちょっとした森のようだ。
その荒れ寺の前を過ぎ、甲州街道と青梅街道の分かれる追分を左に折れると高札場の前へと出る。
札には東京府からの布告が貼ってあった。
「玉川上水に舟出すべからず」
札の前に足を止めた車夫や馬喰たちが、掲示を前にしてブツブツ文句を言っている。
櫻花はしばらくその様を眺めてから、改めて道を進んで宿場町の添地へと急いだ。
自持芸者のあぐりの家は表通りを一本入った路地にあった。
櫻花たちが明神下で借りているのとよく似た間口二間半の二階屋だ。
よく磨かれた黒い格子の玄関の軒に名の入った赤い提灯が吊るしてある。
櫻花はその戸を引きながら呼ばわった。
「頼もう、あぐりどのは御在宅か?」
「はいはいおりますよ、どちら様で――」
芸者らしい粋にしゃがれた低めの声が左手の上のほうから聞こえ、タンタンタンっと階段を降りる軽やかな足音が響く。
足音が止み、左側の障子がスラっと開く。
現れたのは藍の地に白い朝顔を散らした浴衣姿の二十七、八に見える女だった。
浅黒く化粧気のないキリリとした美貌が一目で玄人筋だと分かる。
女は玄関先にボーッと立っている櫻花を見とめるなり嫌そうに眉をしかめた。
「なんだい、あんたどこの誰だい? 気取った挨拶しちまってさ、どこのお武家の御新造さまが恨み言でも言いに来たかと思っちまったじゃないかい。扇屋の新入りかい? それにしちゃトウが立っているが――」
と、無遠慮なほど間近によって下から顔を睨み上げてくる。
櫻花はタジタジとなりながらもなんとか口を開いた。
「あ、いや、紛らわしいなりですまない。私は墨染櫻花という。狐火の件で柏木どのから相談を受けているものだ」
「へえ、柏木さまから? じゃ、あんた巫女か何かかい?」
「そのようなものだ」
「巫女にしたって鯱張った口の聞き方だねえ! まあいい、そんならお入りよ。柏木さまのご采配となっちゃあ無碍にはできない。茶のひとつも出してやるからさ!」
あぐりは玄人女らしい独特の陽気さで笑って櫻花を座敷へと招き入れた。




