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墨染櫻花の怪異事件簿 ――開化東京妖怪譚  作者: 真魚
第二話 新宿狐火騒動
20/24

一 兎と万年青 ③

「狐火、か」

 櫻花は鸚鵡返しにした。

「うむ。狐火だ」

 何を思っているのか、あるいは特に何も思っていないのか、藤七郎も鸚鵡返しにし、茶店の暖簾の奥をチラッと見やってから、心持ち櫻花に体を寄せて耳元に顔を近づけてきた。


 内緒話が始まるらしい。


 櫻花もちょっと体を傾げて聞き取り体勢に入ったとき、


「あらあらまあまあ珍しい。鬼の居ぬ間に逢引きでした?」


 不意にすぐ右手からよく知る声に訊かれて、櫻花は尻尾を踏まれた黒猫みたいにビクリと顔を向けた。


「か、茅野どの?」

 同じくパッと櫻花から身を放した藤七郎がしゃっくりみたいな声で呼ぶ。


 縁台のすぐ傍に澄まして立っていたのは、櫻花の同居人の元・奥女中仲間の茅野真葛(かやのまくず)だった。

 鴇色に白の格子縞の単衣に鳥の子色の帯を合わせた夏の余所行き姿で、腕に帯と同色の風呂敷包を携えている。


「ええ、ご覧の通り茅野でございます。活花の稽古が少し早く終わりましてね、家で昼でも食べようと戻ってきたら珍しいものを見ました。あ、お団子もう一皿、焼き団子でお願いします」

 と、後半は暖簾からにゅっと顔を突き出して様子見をしていた団子屋の亭主に告げ、相手が慌てて顔をひっこめるのを待って櫻花の隣に腰を下ろしながら、小首を傾げて心配そうに訊ねてきた。


「本当に逢引きでした? わたくしお邪魔でしたかしら?」

 一見心底申し訳なさそうに見えるが、わずかに細められた黒目がちの眸に悪戯っぽい笑いが宿っている。

 櫻花は失笑した。

「絵面からしてどう見ても逢引きではないだろう。猪口どのからまたしても物の怪話の相談を受けていたのだ」

「あらまあ、開化の世だというのに百鬼夜行ですこと。今度はどこで何が?」

「内藤新宿だ」と、藤七郎が答える。「昔日(むかし)の四谷下屋敷の近くの重宝院という荒れ寺に夜な夜な狐火が出るらしい」

 狐火という言葉を聞いた途端、真葛の顔がさっと真剣になった。

 白く華奢な手が無意識なのか風呂敷包を撫でている。


「狐火――ですか」

「うむ」

 藤七郎が頷き、面目なさそうに頭を掻く。「この件を相談してきたのは大蔵省に仕官した俺の旧友でな、前回の松崎どのと違ってさほどの謝礼は見込めないのだが、狐といったら茅野どのにはそう無縁でもないような気がしてな、念のため報せておこうかと思ったのだ」

「素人にしてはいい勘なさっていますわね」

 真葛がフンと鼻を鳴らし、ちょうど届いた焼き団子の皿を受け取ると、小さな口をクワッと広げてやけくそみたいに一つを一口で頬張った。


 むぐむぐむぐっと無造作に噛んで飲み下す。

 食べ方に怒りが籠っている。

 喉を詰まらせないかと櫻花は心配になった。


「真葛どの、茶だ」

「ありがとうございます」

 真葛は櫻花の差し出した茶を一気に飲んでから、はーっと長いため息をついて藤七郎を見あげる。


「猪口どの、相談に乗って差し上げます。謝礼はここの団子代で結構。櫻花どの、行きますよ!」

「ど、どこへ?」

「決まっているでしょう、家ですよ」

 と、真葛は忌々しそうに答えた。「猪口どものおいでなさいな。昼餉でも食べながら、内藤新宿の狐火話とやらを伺いましょう」

「おお、では相談に乗ってくださるのか?」

 藤七郎が目を輝かせる。

 真葛は忌々しそうに頷いた。

「お察しの通り、狐となったらわたくしも無視するわけにはいきません。聞いてしまった以上はね!」


 真葛は管狐(くだぎつね)使いである。

 関八州の狐の総元締めたる王子稲荷を斎庭(ゆにわ)とする神狐のお目こぼしを得て活動している以上、お江戸あらため東京府下で生じる狐関係のごたごたを耳にして動かないわけにはいかないのだ。


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