第八章 花冷えの夜 3(第一話完結)
真葛が口を噤むと重い沈黙が落ちた。
甚五はしばらく口惜しそうに口元を歪めて無言で考えこんでいたが、じきにまた櫻花を睨み上げた。
「なるほど、そのKilling greenとやらが本当だったとしてだ」と、その場の誰にも聞き取れない巻き舌混じりの英国語を仰々しく発音する。「おマサはどうして贈られた装身具を囲炉裏にくべたのだ? なぜわざわざ燃やす必要があった?」
鋭く低く訊ねるなり、下座の右手から堪えかねたような泣き声があがった。
「――お房! 落ち着け、御前だぞ!」
青木マサの父親が焦った声で止める。
顔を両手で覆って泣き伏していたのは青木マサの母親だった。
背を丸め、肩を震わせてむせび泣きながら、
「ごめんよう、ごめんよう」
と、繰り返している。
夫は妻の背中を叩いたり撫でたりして必死で宥めようとしていたが、上座の甚五が射すような視線を向けていることに気付くと、諦めたようにため息をつき、膝を揃えて畳に額を擦りつけた。
「松崎さま、八丁堀の旦那、まことに相すみませぬ。こたびの蝦蟇の騒動はみなこの青木惣八郎の咎でございます。どうぞこのわたくしのみ御手討ちにしてくだされ」
「手討ちだと? ばかばかしい」
甚五が舌打ちをする。「何を旧弊なことを言っているんだ。今は開化の世だぞ? お前が何をしたにせよ裁くのは司法省だ。詫びる前に説明しろ。お前たちが娘にkilling greenの装身具を燃やせと命じたということか?」
「仰せの通りでございます」
「なぜそんなことを?」
甚五が心底訝しそうに訊ねると、青木惣八郎は朴訥ながらも品のある面長の顔をぐしゃりと歪め、泣くとも嗤うともつかない表情を浮かべて応えた。
「わたくしは――わたくしどもは娘を責め立てたのです。異人の酒席に侍って異人から物を貰うなどお前は洋妾になるつもりかと。お前が異人の枕頭に侍ったなどと世間に知られたら姉は婚家から離縁される。お前もまともな家には二度と縁づけなくなると」
湿った声でそこまで説明するなり、惣八郎も耐えかねたように泣き伏してしまった。
「――ばかばかしい」
甚五が力なく呟く。「英国人たちからすれば、おマサはほんの子供のように見えていたはずだ。贈った品も彼奴等からすればさして高価ではなかったはずだ」
「わたくしどもの目にはとても高価に見えたのです!」と、お房が泣きながら言い返す。「私もあの子を叱りました。何だってそんな考え無しなことをしたと、そんな花飾りはいますぐ捨ててしまえと。あの子は泣きながら離れに行って、きっと泣きながら花飾りを燃やしたのです。可哀そうに、可哀そうに、こんなに綺麗な品を貰うたとあんなに嬉しそうにしていたのに……」
憐れな親たちが泣き崩れる様子を一同は手もなく眺めるほかなかった。
と、不意に、それまでじっと下座に控えていた彦乃が立ち上がるなり、青木夫妻のあいだにすっと進むと、腰をかがめて、泣き続ける二人の背中を両手でそっと抱いた。
「御新造さま《*奥方さま》、お召し物が汚れます」
お房が泣きながらもか細い声で抗議する。
「着物などいいのです」と、彦乃は思いがけないほど強い口調で言い、惣八郎とお房の背中をそっと撫でながら続けた。
「おマサは良い娘でした。妹のように思っていました。異人から物を貰ったことであの子を悪く言う者がいたらいつでも報せなさい。わたくしが行って話をします。あの子は良い娘だったと」
細くも優しく強い声で彦乃が繰り返すうちに、お房と惣八郎の慟哭も次第に収まっていった。
「松崎どの――」
櫻花は思わず小声で呼んだ。
「何です?」
「よい御新造さまだな」
「そうでしょう?」
甚五は全く悪びれずに全面肯定した。
「――ご婦人がた、僕はしみじみ感服しましたよ!」
泣きぬれる青木夫妻を彦乃に任せた甚五は、客人三人を自ら先導して表門へと向かいながら恩着せがましい口調で感嘆した。
「あんな小さな造花の葉をよくぞ見つけ出し、そしてよくそれが毒物に繋がると推測なさったものです。奥女中がたの才覚というのは僕が思った以上のものであったらしい」
「そうでしょう?」
と、なぜか藤七郎が誇らしそうに応じる。
真葛はフフンと顎を上にあげていたが、表情はまんざらでもなさそうだった。
二人が嬉しそうにしていると櫻花も嬉しかった。
「ここだけの話――」
朱塗りの太鼓橋を渡りながら、甚五が振り返って共犯者めいた笑みを浮かべる。
「お二人が清め祓いに堪能だとかいうのは、捜査に協力するための単なる方便なのでしょう? あなたがたの武器はご婦人らしからぬその頭脳と観察眼だ。違いますか?」
自信満々で訊ねてくる。
真葛がフンと鼻を鳴らす。「お褒めに預かって光栄ですこと! 櫻花どの、どうです、何か見えています?」
「あ――」
櫻花は反応に困った。
目を向ければ、南岸の四阿の上には、相変わらず光り輝く巨大な蝦蟇が鎮座しているのだった。
「地主神が顕現しているのだが」
一応正直に告げてみる。
「ほう地主神が」
甚五が面白そうに笑う。
そのとき、櫻花の目にだけ見えている巨大な蝦蟇がぱっくり口を開いて長い長い舌を伸ばしたかと思うと、しんがりを来る藤七郎の白い線入りの帽子をひょいと浮かび上がらせた。
「お、おう!?」
藤七郎が慌てて腕を伸ばす。
伸び縮みする光の紐のような舌がくるりと向きを変え、先端にひっつけた黒い帽子を櫻花の頭に被せてきた。
甚五が目を剥いている。
櫻花は帽子を外して藤七郎に返しながら教えた。
「地主神の悪戯だ」
完




