第七章 三宝荒神 1
原宿村は本村町からそう遠くもないが、今から向かうと帰りが夜になってしまう。
「ご婦人がたの夜歩きは感心しないな。今夜はここに泊まるといい」
主人の甚五がそう主張したため、三人はその夜は松崎邸に泊まり、翌朝あらためて青木家へ向かうことになった。
翌朝はよく晴れていた。
渋谷川から北に引かれた掘割の水面が晩春らしい麗らかな陽射しに白く煌めいていた。
青木家は長谷寺の北側に広がる畑地のさなかに散在する富裕そうな農家の一軒だった。
村役人の家柄というわけではないようで表門こそ構えていないものの、枳殻の生垣に囲まれた屋敷地は広々として、曲家のこしらえの母屋に加えて離れが二軒と納屋まで備えている。
前庭に数羽の鶏がいて、この家の下女と思しき十二、三に見える頬の赤い娘が餌を投げ与えていた。
「御免、亭主はいるか?」
藤七郎が声をかけると、娘はぎょっと顔をあげ、
「は、はい、おります!」
と、叫ぶように応えて母屋へ駆け込んでいった。「旦那様、八丁堀の旦那がまたお見えですよう!」
ほどなくして母屋から黒い羽織に袴姿の五十前後に見える男が出てくる。
農夫らしく陽に焼けたがっしりした骨組みの男だ。
頬骨が高い面長の朴訥ながらも品の良い顔立ちをしている。
青木家の亭主ということは、この男がマサの父親なのだろう。
「これは猪口さま、お待たせいたしまして。その、お連れのご上臈がたは」
今日も御殿女中式の華やかな装いの櫻花と真葛を胡乱そうに眺めながら訊く。
「昔の奥女中がただ。祓いや清めといった生業にお詳しい方々でな、例の大蝦蟇の祟りとやらが本当かを検めていただいている」
「なんと、奥女中がたがそのようなお勤めを」
亭主は形式的に愕きながらも、あからさまに安堵した様子だった。
祟りということで話が進んでいくことを望んでいるのかもしれない。
「何が起こっているにせよ、娘御にはお気の毒なことでした」と、真葛が柳眉を顰めて言う。「まずはお線香の一本でも手向けさせてくださいませ」
「勿体ないお言葉でございます」と、青木家の亭主は深々と頭を低めた。「ご上臈様がたにご供養いただければ娘も浮かばれましょう。どうぞお上がりくださいませ。あばら家ですが、粗茶なりと差し上げますので」
母屋の表玄関を入ると百姓家らしい広い土間があり、囲炉裏を備えた板の間へと上がれるようになっている。
囲炉裏の前に、黒い喪服の四十前後に見える女性が正座していた。
服装と年恰好からして青木マサの母親だろう。頬の豊かな色白の丸顔で、若いころにはさぞ愛らしかっただろうと思わせる。
女性は全身を強張らせて警戒を露わにしていた。
「御内儀、たびたびすまないな」
「お房、こちらのご上臈がたが蝦蟇の祟りのことで御調くださるそうだ。その前に線香をと仰せでな」
亭主が説明するなり、女性の肩からどっと力が抜けるのが分かった。
やはり祟りだと思われたいのだ。
「まあまあ、それは有難いお話でございます。どうぞお仏間へ」
安堵のためなのかどことなく泣きそうな声で言いながら立ち上がって奥へと導いてくれる。
仏間は奥座敷の右手の薄暗い四畳半だった。
観音開きの上等の仏壇に並んだ沢山の位牌のなかに、まだ真新しい黒漆塗りの位牌がひとつ混じっている。
左右に並べた白磁の花器に薄紅色の躑躅の花が溢れんばかりに活けられていた。
芳紀十六で死んだ娘に対するせめてもの手向けなのだろう。
「娘御は花がお好きだったのか?」
茶を運んできた母親に何とはなしに問うと、相手は一瞬だけ怯んだように目を見開き、妙にぎこちない口調で、
「若い娘ですから、それはまあ、それなりに」
と、口ごもりぎみに答えた。
櫻花は違和感を覚えた。
今の質問はそれほど風変わりだっただろうか?




