第六章 竹筒の怪 1
結論から言って、松崎邸の母屋にも離れにも怪しい何かは何一つ見えなかった。
離れ座敷で寝起きしている娘に劣らず無口な御母堂に挨拶してから、櫻花は所在なく初めの客間へ戻ってきた。
すると、そこにはもう真葛が戻ってきていた。
「あら櫻花どの、ごゆっくりでしたわね。御新造さま、失礼して、お先に休ませてもらっております。猪口さまがお戻りになるまで、外の四阿で待たせていただけます?」
真葛が愛想よく申し出るなり、彦乃の顔がわずかに曇った。
「四阿は、その――」
「無理か?」
「いえ、いろいろと取り散らかっておりますので。しばしお待ちください。片付けてまいります」
今までからすると意外なほどの饒舌さで言い募り、焦った様子で部屋を後にする。
櫻花と真葛は顔を見合わせた。
「……――四阿を祠にしているのは、やはり御新造さまみたいですね」
「うむ」
櫻花は曖昧に唸った。
きっと四阿に神酒や花を供えているのだろう。
そして、そのことを夫には秘密にしているのだ。
ほどなくして彦乃が戻ってきた。
庭を駆けでもしたのか、蒼白かった頬がほのかに紅潮している。
「どうぞお二方、おでましください」
「わざわざ片付けてくだすったの? ありがとうございます」
真葛が朗らかに礼を言う。
彦乃は微かにはにかんだような笑顔を浮かべ、
「ごゆるりと」
と、言い置いて奥へと引っ込んでしまった。
広い表座敷をよぎって縁側へ向かうと、青光りのする靴脱ぎ石の上に二足の草履が揃えておいてあった。
彦乃がわざわざ運んでおいてくれたらしい。
「色々良く行き届いた御新造さまですわねえ! 行き届きすぎて、正直ちょっと気づまりですらあります」
真葛が草履を履きながら小声でぼやく。「女中たちの話からも、御新造さまの悪口は全く聞きませんでした。悪く言うとこちらが悪者になったような気がしてくる方ですものね。死んだ上女中のおマサというのも評判の良い娘のようでした。生家というのが原宿村でも相当の家で、こちらのお屋敷には奉公というより行儀見習いに上がっていたようで」
「同輩とのいさかいは?」
「聞いた限りではなさそうです。座敷巡りの首尾は?」
「今のところ何の手がかりもない。屋敷内に怪しいものは何も見えなかった」
櫻花も草履を履きながら答える。
庭の池はあいかわらず眩いほど輝いていた。
「地主神は?」
「もう見えない」
「なかなか進展がありませんわね! 猪口どのが戻ったら、今度は原宿村の方に連れて行ってもらいましょう」
「そうだな。そちらも見てみないと」
話しながら池の畔を歩き、左側の縁をめぐり、薄紅色の花を咲かせる躑躅の植え込みのあいだのゆるやかな石段をのぼると、その先が四阿だった。
八角形の石畳で、欄干の根元に細長い石の腰掛が並んでいる。
向かい側の腰掛に燈毛氈が敷かれて、すでに煎茶と金平糖が用意されていた。
「確かに行き届いている」
櫻花は苦笑した。
この出され方だとどうしても茶は断れない。
「櫻花どのは実際どう思います? この事件は人間の仕業? それとも物の怪の?」
「まだどちらとも分からない。娘が死んだ現場を見てみないことには」
「石見銀山《*ヒ素》だとしたら、何に入っていたんでしょうねえ――」
真葛が煎茶を啜りながら目を細めて対岸を見やり、ふと何か思いついたように首を傾げる。
「あちらの洋館は見ました?」
「ああ。見るだけは」
「思ったのですけど、死んだおマサは、あの洋館に炭を運んで、異人の酒の相手をしたのですよね?」
「そう聞いた」
「そのとき異人から菓子でも貰ったのでは?」
「それに石見銀山が入っていたと? 初対面の異人がどうしてこの家に行儀見習いに上がっている娘に毒を盛る?」
「異人にとって石見銀山は毒ではないのかも」
「や、それは流石にありえないのでは? 異人だって人間は人間なのだろうし」
「確かめてみなければわかりませんよ。田宮さんに頼んで西洋医学に詳しいお人を紹介してもらうのもいいかもしれません。あとは、考えられるのは――」
案を挙げては放棄する作業にめげない真葛が無意識なのか膝においた円筒形の風呂敷包みを撫でながら考えこむ。
そのとき、躑躅の植え込みの方角から元気の良い声が響いてきた。
「御女中がた、お待たせしてかたじけない! 女衆への尋問はことなくお済みかな?」




