婚約破棄はいいですが、その後のことは考えてありますか?
某社のアンソロジーを読んでいて思い付くままに
学園の卒業パーティーでの一幕は長く語り継がれることになるだろう。
醜聞として。
なにしろ一国の王太子が婚約者たる公爵令嬢を蔑ろにした上に突然の婚約破棄宣言。加えて身分の低い、本来なら王家に嫁ぐ資格のない子爵令嬢との婚約の発表を行った。
王族の婚約ともなれば王家と公爵家での契約であって、国政にも係わる話だ。貴族同士の勢力も考えての婚姻だったのだから、個人の勝手な思惑で解消も破棄もできるものではないし、教会側にも色々と取り繕わねばならない。これは婚約したときに教会に誓約書を提出しているからで、その誓約を破るからには相応の理由と手続きが必要になる。
そうでないと教会は婚約破棄を認めない。教会が破棄を認めなければ新しい婚約など結べるはずもなく、許可の無いまま婚姻してもそれは教会に、つまりは神に祝福されない結婚となってしまう。
平民ならそれでも許されることもあるが王家となるとそうも行かない。
教会の影響力は大きい。政治に対しての活動は控え目だが教会派の貴族たちと反目してしまえば王家の威信に係わり、ひいては国の統治問題にまで発展しかねない。
そもそも教会の許可を得るのは難しい話でもないのだから、普通ならそんな事態には陥らない。前もって話を付けておくだけで済む話だ。
それが本当に正当な理由による婚約破棄であるのならば。
ただ別の女性と結婚したくなったから婚約をやめます、はさすがに通らない。実質はそうでも建前を用意していくらか寄進すればどうとでもなる話ではある。
しかしそういう根回しをせずに先に婚約破棄を勝手に行ってしまうと、これは教会のメンツを潰したことにもなるから、後から教会に話を持っていってもすんなり通るかどうか。
王太子は婚約破棄の理由として公爵令嬢による子爵令嬢への嫌がらせなどをあげた。極めつけは子爵令嬢の毒殺未遂。
嫌がらせは、まあ、もし仮に本当だったとしても罰を与えるに値するかどうかは微妙なラインだ。
公爵令嬢、貴族最高位にある家の令嬢が下位貴族の令嬢に多少好ましからざる行いをしたとしても、精々が注意程度の話だ。
さすがに毒殺未遂となるとそうも行かないが、これも通常であれば家同士に話を付けて穏便に隠蔽してしまう案件だろう。
殊更騒ぎ立てても子爵家に益はない。
一時、公爵家相手に優位な交渉ができたとしてもそれが永遠に続くわけではなく、高位貴族に対して配慮のない家だと目されるし、公爵家派閥の貴族たちを敵に回すことにもなる。
件の子爵令嬢は宰相や騎士団長の子息とも懇意にしていたようだが、公爵家との間に軋轢を生じさせて問題がないとはならない。むしろ、より大きな貴族同士の亀裂を生みかねない。
「なにをお考えなのですか?」
揺れる馬車の中、正面に座った公爵令嬢が声を掛けて来た。
いや、公爵家は彼女を切り捨てた、切り捨てるしかなかったから元公爵令嬢か。
公爵たちは娘を可愛がっていたから、家の体面のために令嬢を切り捨てる羽目になったことをとても恨んでいる。……当然の話だ。
「リディが抜けた後、どうなるかと思ってね」
「リディ……随分と不躾な呼び方ですわね」
「いやいや、そういうつもりはないよ。ただ、公爵令嬢ではなくなったのだから、昔のように呼んでも構わないかな、と思っただけだよ。嫌ならやめる」
王太子付き護衛騎士という立場上、王太子の婚約者相手に気易い態度は取れなかった。
たとえ、小さい頃からの仲だとしても。
王太子と私とリディアは幼馴染みだった。王太子と私は乳兄弟であり、そこに後から婚約者としてリディアが加わった。
小さい頃はともかく、物心ついてからはそれぞれの立場に合った付き合いしかできなかったけれど、仲が良かった事実が消えるわけじゃない。
だから私が王太子の命令で修道院送りになるリディアの護衛としてついて行くという申し出も受け入れられた。王太子にしてみれば世俗を離れるリディアに対するせめてもの温情だったのかもしれない。
気を遣う部分が違うだろ、と思うが。
「別に、嫌ではありません。随分と久しぶりだったので驚いただけです」
ぷい、と横を向いてしまった。
これは気を悪くしたのではなく、照れ隠しのようなものだ。
幼馴染みの贔屓目ではなく、リディアは可愛い少女から美しい娘へと成長した。勤勉で王妃教育に真摯に取り組み、周囲からも期待されるほどの才能のある彼女の一体なにが不満だったのか。
子爵令嬢は可愛らしい娘だし、明るい雰囲気はとても好ましいものではある。
けれど一国の王太子が婚約者を蔑ろにするような相手だろうか?
子爵家では余り王家の助けにならないし、敵に回した公爵家と張り合う力もない。
「それでアルバート様、どうしてまたわたしの護衛など? あなたは王太子殿下の護衛でしょう」
普通なら、王太子の側を離れないものだ。
「修道院までは長い。治安の悪いところもある。良く知らない騎士に囲まれるよりは、どうせなら、気心の知れた相手が護衛の方がいいだろ?」
「それはそうですが」
「正直、いい加減にあれには愛想が尽きた」
「あれ、とは殿下のことでしょうか?」
リディアは顔を顰める。
自分を捨てた相手なのに真面目だなあ。
「あの子爵令嬢を妻に迎えるとして、うまく行くと思うかい?」
「いいえ、形だけでも公爵家との縁を繋いでおかなければ貴族たちとの関係が修復不可能になります」
そうなのだ。
国のためを思うなら、不本意でもリディアを正室として迎えるべきだった。別に気に入った女性ができたなら周囲と話し合い、側室に迎える手もあった。
王家と公爵家の婚姻は国のためでもあるのだから、そういう話ならリディアも不満はあっても呑んだろう。そして、形だけでも公爵家令嬢が正室なら周囲も納得した。
大事な契約を手続きを素っ飛ばし、気分だけで壊す者を誰が信用する?
婚約破棄騒動で王太子の評価は、信用ならない相手、浅慮、と悪い方へ傾いた。
真実の愛がどうのと言っていたが、そんなもの貴族たちになんの関係がある?
「殿下は、ご自分のお立場を理解していないのでしょうね」
「あれだけ私やリディアが忠告したのに」
王太子は昔からそういうところがあった。
悪い人間ではないが、どうにも思い上がったところがあり、王家とて貴族たちの支えなくしては国と統治できない事実を理解しようとしなかった。
彼らの信用を得るためには日頃から行いが大事だと口を酸っぱくして言っていたのに。
それでも子爵令嬢が聡明な女性で、将来の王妃として期待できる人物ならば救いはあったのだが……学園での成績は中の上程度、王太子を諫めなかったのだからやはり浅慮としか言いようがない。そもそも、賢い女性なら自分が王妃になることの危険性を考慮して正妃など望まないものだ。
「国が傾く」
「そうですわね。まあ、既に貴族籍も失ったわたしには関係のないことですが」
子爵令嬢への行いについて、リディアは一貫して否定した。
けれど王太子は聞き入れなかったし、証言する者もあった。おかしな話だ。起こっていないことを見た者がいるのは。
「しかし、子爵令嬢は嫌がらせの数々を全部君のせいと言っていたが、大丈夫かな」
「大丈夫とは?」
「つまり……一応確認しておくけれど、君はやっていないのだろう?」
「貴族の在り方としての注意は致しました。ごく常識的な内容ばかりですが、それを嫌がらせと表現するのなら嫌がらせなのでしょう」
「階段から突き落としたり、毒を盛ったりは?」
「そんなことをしてなんになります? いえ、もしわたしがやるのなら、そんな半端なことをすると思いますか?」
可愛い顔で恐いことを言う。
けど、まあ、その通りだ。
リディアは自分の立場をちゃんと理解している。どうしても抹殺せねばならない相手がいるとなれば、子供の悪戯のような生温い手段を用いるはずがない。
貴族としての覚悟ぐらい持っている。
「言葉にしてちゃんと答えて欲しい」
「わたしは注意をした以外のことはしておりません」
リディアの言葉に嘘はないだろう。
念のための確認でしかない。
「だとすると、大丈夫かな、あの子」
「?」
「いいかい、リディ。君が彼女にしたのは忠言だけだ。しかし、彼女は嫌がらせを受けていた。終いには階段から落とされ毒を盛られた。
リディがやっていないとすれば誰がやったんだろうね?」
私の言いたいことが伝わったようで、リディは、あ、という顔をする。
リディがやっていないのなら、誰か他に犯人がいるわけで、リディがこうして追放処分を受けてもその真犯人は野放し状態。
毒殺まで考えた相手なら、これで諦めたとは限らない。また、やるかもしれない。
王太子たちはリディが犯人だと思っていた。そのリディを追放したのだから油断していることだろう。
暗殺が成功する確率が高まっていることになる。
「まあ、知ったことではないがね」
リディはやっていないと言った。
それを信じなかったのは王太子たちだ。結果彼らがどうなろうとも、それを招いたのは彼ら自身だ。
「彼女は、多くの男性に声をかけていましたから」
子爵令嬢は王太子だけでなく、宰相の息子や騎士団長の息子にも接近していた。他にも教師や後輩にも近づいていたらしい。
全員に正規の婚約者がいるというのに。
子爵令嬢を恨んでいる者は多く、誰が暗殺を企ててもおかしくはない。
いやそれどころか、複数人が殺意を抱き、別々に殺害計画を立てている可能性すらある。となれば、子爵令嬢の命はそれほど長くない。
王太子がそれを察知して権力にものを言わせて子爵令嬢に悪意ある者たちをすべて排除してもいいが、今回リディアを排しただけでもかなりの貴族たちから反感を買った。更に一子爵令嬢のために高位貴族たちを断罪するようなことになれば……。
王太子があの子爵令嬢と適切な関係を築けない限り、この国に未来はないな。
「ところでアルバート様。この馬車は本当に修道院へ向かっているのですか? 道が違うように思うのですが?」
「ああ、うちの領地へ向かってる」
「あなたの領地へ?」
リディは、どうして、と目線で問うて来た。
「王都は暫く騒がしくなるだろう。次期国王があれでは王家と距離を置く貴族家もそれなりに出る。下手をすれば内戦になりかねない。うちの領地の方が安全だ」
「ですが……」
「既に貴族でない娘を1人領地に連れ帰ったところで、誰か私を罰せられるとでも?」
強引というか横暴な手段であるのは分かっているがそこは貴族の特権だ。
平民の女性1人どうこうしたところで、大した罪にはならない。最悪罰金を払えば済む話だ。
もっとも、今後の王家にそんなことをやっている余裕があるとは思えないが。
王太子の暴挙で王家の威信は大きく損なわれた。あの王太子では立て直せないだろう。 そういうことにならないよう、私とリディで散々忠告して来たというのにすべて無駄だった。
「わたしは、どういう立場になるのでしょう?」
「そうだね、次期領主の夫人はどうだい?」
「権力を笠に着て女性をものにしようと?」
「望むなら、膝を突いて愛を請うてもいい」
私が笑うとリディは呆れ顔をした。
嫌とは思っていないようなのでなにより。
なに、領地に着くまでまだ暫くある。その間に色好い返事を貰えばいいだけの話だ。
了
内乱、止めなくていいの?




