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鈍色の空

 昼食後、眼鏡の女性に声を掛けられた。

「そろそろだろうって、彼女がね」

 女性はそれだけ言って、私を黒髪の少女の部屋へ連れて行った。いつかと同じようにノックをするとすぐに扉が開く。話は通っていたのか、少女は何も言わず私を部屋に招き入れた。

「じゃあ、私は用があるから」

「分かった。行ってらっしゃい」

 女性はというと、ここまで連れてきておきながら一人自分の部屋へ戻ってしまった。何処かへ出掛けるのだろうか。

 少女はお茶を二人分入れ、一つをテーブルの上へ、もう一つをデスクの上に置いた。モニタが点いている。シンプルなテキストファイルに文字が並んでいるのが見える。

「見てもいいの?」

「どうぞ。そのために呼んだのだから」

 椅子に座ると、少女はモニタを見つめながらキーボードを叩きはじめた。静かな音が部屋の中に響く。私はそれを後ろで眺めていた。

「これは?」

「物語」

「小説を書いてるの?」

「ノベルじゃない。物語」

 少し語気を強めて繰り返した。少女は手を止め、立ち上がると本棚の中の一冊を取って私に渡した。また椅子に戻る。

 ただ黒い表紙の文庫本。厚さはなく、題名もない。

「君の物語」

「そう。私の書いた物語が、本になったもの」

 薄いがしっかりと本になっている。素人がただ印刷して束ねただけのようには見えない。

「やってくれるところがあるの」

 私にも大分分かってきた。この街はただ住むには親切すぎるほど快適だ。だが、足りないものもある。

「誰かに読んでもらったことは?」

「ない。少なくとも、本になったものは」

「ネット?」

「そう」

 少女が個人サイトを開くまでもなく、分かった。

 この街には人が少ない。外との出入りがどの程度あるのかも分からない。少なくとも、街の外から来たものに出会ったことはない。

 ただ、向こう側にある物はたいていこの街にもある。テレビがあり、向こう側の番組が映る。同じように、パソコンは向こう側のネットワークに繋がっている。

 そこに映る場所へ行くことはできず、語られる人に会うこともない。だが、そんなことは向こう側でも全く同じだった。それにしても。

「寂しいとは思わない?」

「ネットで十分」

「でも、こうして本にしてる。もっと誰かに読んでもらいたいから」

「しょうがない。やることがないのだから」

 少女は呟くようにそう吐き出した。

 この街には必要に迫られる仕事は存在しない。人々が生きるために必要な物事は全て向こう側の人間がやってくれる。その残りかすで私たちは生活できる。

 私はこちらに来てから読み切れないほどの本を店から取り寄せ、パソコンを用意して貰いネットに繋いだ。日がな一日遊んで暮らせる。それを咎める人は誰もいない。他にやることがないのだから。

 そんな生活は楽だが死ぬほど退屈だ。向こう側で生産されたものは少しの遅れでこちら側でも手に入るようになるから、変化がないわけではない。だが、意味のない変化だ。

 この街では全てが受動的でいられる。死にたくないなら、自ら求める何かが必要だ。

「あなたにもそろそろ必要になるんじゃないかって、彼女が」

「それで」

「そう」

 ここにいない彼女の気遣いに感謝する。

 必要に迫られる生産はない。だから、自ずとやることは限られてくる。

「君は物語を書いてる」

「うん」

「エプロンの女性はこの家の仕事」

「あの人は好きでやってるの」

 必要でない生産。それは時に芸術と呼ばれる。エプロンの女性がやっていることは単純に芸術とはいえないだろう。もっとも、女性には女性なりの美学があるのかもしれない。料理に凝る人は少なくなかった。

「彼女は何をやっているのだろう」

「知らないの?」

 私は俯いて首を振る。彼女とは毎日食事で顔を合わせているが、必要もなく一緒に行動することはない。昔話もまだしていない。何かを待っているようにも感じられる。

 ただ、よく外へ出ているのは知っていた。

「街の人の手伝い、って言えばいいのかな」

「でも、必要ない」

「必要なくてもやりたい人はいるし、やってもらいたい人もいるの」

 分からない感覚ではない。この街では生活する上で人付き合いの必要がない。だからこそ、欲する人もいるのだろう。

 わざわざ私を出迎えた彼女を考えれば、彼女もまたそれを欲しているのだ。昔から変わっていない。思わず笑みがこぼれた。

「眼鏡の女性は?」

「あの人は絵描き」

「絵? さっき出掛けるみたいだったけど」

「そう。風景」

「この街の風景……」

 あの高台で見た景色が思い出される。鈍色の空、霞んだ景色、静まり返った街。

「見る?」

 私の返事は待たずに、少女は静かに立ち上がるとモニタの電源を切った。そのまま部屋の扉へ向かい、私を振り返る。少女に続く。

 一階へ下り、エプロンの女性があまり使われないと言っていた扉の一つを開く。

 女性がサロンと呼んでいた部屋。テーブルとソファー、大きな窓と豪華な照明、それからピアノ。洒落た、しかし気軽な集会に使うような部屋なのだろう。人は誰もいない。

 少女は扉の傍の壁に掛けられた一枚の額縁を指さした。そこには何処かで見た洋風の街並みが描かれている。

 この街の風景。他にも幾つかの絵が壁に並んでいるが、全て同じ色調をしていた。鈍色と、それに混ざった明るい橙色。何かの色に似ていると思った。

「あの人はこの街の風景を描き続けてる」

「なんだか、どれも……」

「似たような色の、似たような風景。変わらず続いていくこの街の時間」

 少女はピアノの前に座り、静かに弾いた。聞いたことのない曲だ。抑揚の少ない旋律が静かに繰り返される。私はソファーに腰掛けそれに耳を傾けた。

 この街の絵を眺めながら思う。ここでは閉じられた私たちだけの時間が繰り返されている。夕暮れの瞬間に時が止まってしまったかのよう。

 甘く酸っぱい果実の中。そこに私たちはいる。皮がむかれる時は永遠にやってこない。

 また同じ旋律。広がるのは。

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