胸の大きさがなんだっていうの!?悪役令嬢になった私、セクハラ野郎野郎にざまぁします!
「お姉ちゃん、おっぱいちっちゃーい!」
その一言に、佐倉真央は全身を固くした。
エレベーターの鏡越しに、自分を指さす幼い男の子。隣にいた母親は「あらあら」と笑って流すだけだった。
大学2年生。中小企業の商社で週2回、事務のバイトをしている。
授業のない曜日に出勤し、電話応対や簡単な伝票処理を任されているが、その職場には、どうしても耐えられない存在がいた。
「佐倉さん、今日も地味な服だねぇ。女の子なんだから、もうちょっと可愛げ出したらどう?」
営業課の佐野課長。
50代手前、典型的な“昭和の男”のノリで、何かにつけて女性に対して容姿の話題を口にする。
「それに、そういうシャツじゃ、魅力が出ないよ。たまには胸元が開いてる服、着てみたら?」
笑いながら、冗談っぽく。けれど真央には、それが冗談にならなかった。
見られている。値踏みされている。女としての“価値”を、胸の大きさで測られている――そう感じてしまう。
(私が胸が小さいから? 女だから? どうしてこんな扱いされなきゃいけないの?)
自宅のベッドに倒れ込み、タブレットを手に取る。
逃げ込むように起動したのは、お気に入りの乙女ゲーム『麗しき王宮の罪と罰』。
その中でも特に惹かれていたのが、悪役令嬢クレア=ヴァレンティナ。
高慢で冷たく、堂々としている“敵役”の彼女。
(クレア様は……私と違って、胸も大きくて美人で、背も高くて、立ち居振る舞いも完璧で……)
ため息とともに画面を見つめながら、真央の意識はだんだんと遠のいていく。
(きっとクレア様も……本当は、生きづらいのかもしれない)
そして――目を覚ましたとき、そこはもう、ゲームの中だった。
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まぶたを開けると、天井があまりに高くて驚いた。
重厚なシャンデリア、繊細なフレスコ画、絹張りのカーテン。
庶民の暮らしとは無縁の“上流階級”の空気が、部屋いっぱいに漂っていた。
起き上がろうとしたその瞬間、自分の体に違和感を覚える。
――重い。胸が……重い。
「……え?」
そっと自分の胸に手を当てる。
確かにそこには、現実の自分では見たことのないボリュームが、しっかりと存在していた。
慌てて視線を走らせると、そこには大理石の洗面台があり、
その向こうの鏡に映ったのは――金の巻き髪に、薔薇のように豪奢なドレスをまとった、一人の女性。
その姿は、見覚えがあった。
乙女ゲーム『麗しき王宮の罪と罰』の悪役令嬢――クレア=ヴァレンティナ。
しかもただの貴族ではない。
王国有数の名門、ヴァレンティナ公爵家の一人娘。
王太子の婚約者にして、社交界の頂点に君臨する“華”。
(なんで……私が、クレア様に……!?)
混乱のまま鏡を見つめていると、扉の外から控えめなノックが聞こえた。
「クレア様、失礼いたします。お目覚めのお時間でございます」
扉が開き、三人の侍女が足音も立てずに入ってくる。
その中心にいた年長の侍女――リサが、深く頭を下げた。
「本日もお美しい朝でございます、クレア様。
その艶やかなお髪、貴族界の宝石そのものでございます」
(え、なにこの持ち上げ方……貴族って、毎朝こんなこと言われるの?)
思わずたじろぎそうになるが、なんとか平静を保つ。
リサと他の侍女が手際よくクレアの寝間着を脱がせ、着替えを進めていく。
絹の下着、コルセット、緞子のドレス――すべてが桁違いの高級品で、丁寧に身体を包み込んでいく。
「クレア様の御胸元……まさに“恵まれた美”の象徴でございます。
あの王太子殿下が魅了されるのも、無理のないこと……」
(あああもうやめて、胸の話ばっかしないで……!)
真央――いや、クレアは、平然を装いながらも内心大パニックだった。
けれど同時に、こうも思っていた。
(こんなに“完璧な見た目”を持っていても、クレア様はゲームの中で断罪されて追放されるんだ)
思い通りにならなかったから嫌われ、
“悪女”というレッテルを貼られ、
周囲に見下され、あげくには婚約まで破棄される。
(だったら――)
鏡の中に映る、薔薇のドレスの令嬢が、ふっと微笑む。
(今度は私が、この“外見”を、誇りとして使ってやる。
この世界で、もう誰にも舐められないように)
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ドレスの裾を持ち上げ、クレアは静かに舞踏会の会場に足を踏み入れた。
社交界の華、王宮主催の晩餐舞踏会。
公爵令嬢としての立場上、当然のように招かれた場であり、本来なら堂々と主役としてふるまうべき場だ。
けれど今のクレア――中身が真央である彼女にとって、それはただただ緊張の連続だった。
「クレア様、本日もお美しい……!」
「お噂はかねがね……」
周囲の貴族たちが次々に声をかけてくるが、その視線の奥にあるもの――
「美人」「スタイル抜群」「冷たくて気高い」そんな偏見と期待が交錯しているのが、痛いほど伝わってくる。
(見た目だけで判断して……私の中身なんて、誰も見ちゃいない)
そんな気持ちで眺めていた視線の先に、それはいた。
王太子セシルと、その隣に寄り添う少女――ゲームのヒロイン、アリシア=ホワイトローズ。
明るい栗色の巻き髪、愛らしい瞳。控えめで可憐な令嬢。
セシルの腕に手を添え、笑顔で彼を見つめている。
「アリシア。君のその頬、林檎のように美しい。食べてしまいたいくらいだ」
「ふふっ、殿下ったら……」
冗談めかした甘いセリフ。
アリシアは、柔らかく笑いながら、抵抗するでもなく受け流す。
だが、その後。
「君のこの華奢な肩も……こんなに、すべすべしていて……」
そう言って、セシルはアリシアの肩に指を這わせた。
堂々と、公衆の面前で。
(――それって、私にやってた時と、同じじゃない)
クレアの背筋に、冷たいものが走る。
自分が“セクハラ”と感じていたあの触れ方。あの言葉遣い。
アリシアにはそれが、ただの「甘やかし」に見えるのか――
それとも、何も感じていないふりをしているだけなのか。
(これが、王子様の愛し方? 違う。絶対に違う)
胸がざわめいた。
同情か、怒りか、羨望か、自分でも分からない。
けれど確かなのは、クレアはアリシアの笑顔を「純粋な幸福」として見られなかったことだ。
(あの人は、誰にでも同じことをする。誰も、あの王太子の“本質”を見ようとしていない。
だったら――私がやる)
クレア=ヴァレンティナは、赤いワインを静かに口に運ぶ。
(全部ひっくり返してやる。王太子も、社交界も、このゲームの結末も)
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王宮庭園での社交茶会。
陽の光が花々を照らし、音楽と笑い声が満ちている――ように見えた。
だが、クレア=ヴァレンティナの耳に届くのは、その中に潜む“悪意の冗談”だった。
「クレア様、今日のお召し物は……お胸のボリュームが際立ちますな」
ロッシュ子爵――ギルベルト。
彼はクレアを見下すように笑い、堂々と胸元を指さした。
「これほど豊かな造りでは、殿下も夜が待ちきれないことでしょうな」
その瞬間、会話の場が凍りついた。
だが、誰も声を上げない。いつものことだ、と目を逸らす。
クレアはゆっくりと席を立った。
深紅のドレスの裾が、彼女の決意を引きずるように揺れる。
「ロッシュ子爵――その下品な目と舌を、今すぐお引き取りなさい」
「おや? これはまた、感情的ですな。
わたくしはただ、美を称賛しただけですぞ?」
「“美”とは、心があってこそ価値を持ちます。
あなたの目には、それが欠けている」
沈黙。
「私の胸が大きかろうと小さかろうと、それを語っていいのは、敬意を持った者だけ。
あなたのような下卑た男に見せるための身体ではありません」
女性たちの中から、小さな拍手が起こった。
「……私も……以前、子爵に肩を撫でられたことがありました。断れなくて……」
「私も……黙ってきましたけど……」
次々に声が上がる。
沈黙が、溶け始めていた。
その中に――アリシアがいた。
王太子セシルの傍らで、何も言わず、ただ俯いていた彼女が、震える声を上げた。
「……私も……怖かった……。
殿下に……唇を触れられても、微笑んでいるしか……できなかった……」
誰もが彼女を見た。
クレアは、そっと近づき、片膝をついてアリシアの手を取った。
「あなたの恐れは、あなたの弱さではない。
それを見過ごす大人たちの卑怯こそが、恥なのです」
抱き寄せたクレアの胸元で、アリシアは泣いた。
王子のヒロインは――誰よりも助けを求めていた。
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玉座の間。
セシル王太子が、冷えた声で宣言する。
「クレア=ヴァレンティナ。貴様との婚約を、ここに破棄する」
王族にふさわしからぬ高慢さ。
我儘。嫉妬。醜い振る舞い。
そう並べ立てるセシルの横で、アリシアは沈黙していた。
「……その決定、大変光栄ですわ、殿下」
クレアはゆっくりと微笑んだ。
「私のような“高慢な女”を選ぶなど、王族の見る目が疑われますものね」
「貴様……っ!」
怒りで顔を真っ赤にするセシル。
「ならば今すぐ――!」
彼が手を伸ばそうとした瞬間、クレアはアリシアの前に立ち、彼女の肩を抱いた。
「アリシア=ホワイトローズ。あなたがこの国で、誰よりも“王太子に愛されるべき”とされたヒロイン――
でも、あなたが欲しかったのは“愛”ではなく、“安心”だった」
アリシアが、瞳を見開く。
「あなたは何も間違っていない。
手を伸ばせば、誰かがそれを取ってくれる世界を――私は作りたい」
再び、彼女を抱きしめた。
会場に、沈黙と……そして拍手が広がった。
「それが“高慢”だというのなら、私は喜んでその罪を背負いましょう」
セシルは言葉を失い、怒鳴ることもできず、足早に退場した。
その背に、誰一人として声をかける者はいなかった。
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セシル王太子が玉座の間から姿を消してから、ほんの数秒――
静まり返っていた空気が、温かくざわめき始めた。
一人、また一人と、ドレスの裾を翻しながら女性たちがクレアのもとへ集まってくる。
「クレア様……勇気をいただきました」
「わたくしも……長い間、黙ってきました。でも、今日、やっと声を出せました」
その瞳は、誰もが潤んでいた。
感謝と尊敬。そこに“恐れ”の色はもうなかった。
クレアは、微笑んで頷いた。
「あなたたちは、間違っていません。
間違っていたのは、“黙らせてきた側”の世界です」
誰かが、すすり泣いた。
その中で、一歩、前に出た影があった。
「……クレア様」
アリシア=ホワイトローズ。
栗色の髪を揺らしながら、しっかりとクレアの目を見ている。
「……私、本当は、何度も“嫌だ”って言いたかった。
でも、言えば嫌われると思ってて……クレア様が全部、言ってくれて、助けてくれて……」
言葉が詰まる。唇が震える。
「ありがとうございました……!」
クレアは、そっとアリシアの手を取った。
そして、優しく、けれどはっきりと伝える。
「アリシア。あなたはもう、一人ではありません」
彼女の瞳が揺れる。
「私が、あなたの後見人になります。
この王国で、あなたが“自分の声”を持てるようになるまで、私が傍にいます」
アリシアの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
そして、静かに頭を下げる。
「……はい。よろしくお願いいたします、クレア様」
玉座の間には、言葉では言い表せない温かな空気が満ちていた。
かつて“悪役”と呼ばれた令嬢が、
今や“希望の象徴”として、新たな物語を始めようとしていた――
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カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
真央はぼんやりと目を開けて、見慣れた天井を見上げた。
「……あれ?」
ドレスじゃない。絹のシーツじゃない。
ベッドはちょっとへたっていて、部屋には生活感のある散らかり方。
ゆっくりと起き上がり、胸元に手を当てる。
(……軽い)
鏡の前に立ってみれば、そこには、地味で小柄な“いつもの佐倉真央”がいた。
「……夢だった、のかな」
そうつぶやいて、ため息を吐こうとして――ふと、タブレットに目をやった。
そこには『麗しき王宮の罪と罰』のゲーム画面。
昨夜まで“婚約破棄で退場”だった悪役令嬢クレアが、画面中央で堂々と玉座に座っている。
そして、イベントタイトルにはこう書かれていた。
『新たなる時代へ:令嬢たちの改革始まる』
(え……? クレア様が……主人公?)
ゲームの中では、クレアと女性たちが力を合わせ、王国の制度改革を始めていた。
アリシアは後継の学者として登場し、クレアを支える宰相も女性だった。
(……夢、じゃなかったのかも)
真央はふっと笑った。
体は変わらない。胸も小さいまま。
でも、今はもう、それを嫌だとは思わなかった。
「……次のバイト、あいつに言ってやる。
『胸のサイズで態度決めてるアンタの器、ちっさすぎ』ってね」
布団に潜り込んで、もう一度顔をうずめる。
にやり、と笑って。
「……よし、もう30分だけ寝てから、やっつけに行こうっと」
窓の外、空は晴れていた。
今度は、堂々と前を向いて歩けそうな気がする。
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