仮面の告白〜とある浪人生の合格体験記〜
合格体験記は、真実だと思っていた。
E判定からの大逆転、夏まで伸びなかったやつが秋に一気に偏差値を爆上げ、センター失敗からの奇跡の合格。
そんな話が、高校の図書室に並んでいる冊子の中には、山ほどあった。
俺も、その物語の主人公になりたかった。
だから、田舎を出て、都会の予備校に入った。
浪人すれば、成績は上がる。
浪人すれば、志望校に受かる。
浪人すれば、俺の人生は輝く。
そう信じていた。
──俺のバイブルに書いてあったんだから、間違いない。
新しい環境、新しい教材、新しい自分。
予備校のテキストに書かれた「合格へのロードマップ」を見ながら、俺は確信していた。
この通りに進めば、受かるんだ。
なのに。
5月、最初の模試。
数学の問題を解く手が止まった。
いくつかは解ける。けど、思ったより難しい。
現役時の「取れるはずの問題」を落とす感覚に、嫌な汗が滲む。
模試の結果は、D判定。
前年より少しマシなだけ。
まだ1ヶ月だし、と自分を納得させた。
6月。勉強時間は増えているのに、成績が上がらない。
授業の復習、問題集、模試のやり直し──すべてこなしているはずなのに、結果は変わらない。
焦りが募る。
俺は合格体験記を開いた。
──「夏を越えてから伸びた」
──「秋に爆発した」
これだ。
俺もそうなるんだ。
そう信じるしかなかった。
夏期講習が終わった。
長時間の授業。ひたすら問題を解く日々。
予備校の自習室にこもり、汗だくになりながら机に向かった。
俺はこの夏、間違いなく勉強した。
なのに、9月の模試。
判定は、D。
何も変わっていない。
予備校の授業を受けても、演習を繰り返しても、偏差値は上がらない。
周りの浪人生たちは、それぞれのペースで前に進んでいるように見えた。
俺は、本当にこのまま受かるんだろうか?
浪人生って、何なんだ?
高校生でもない、大学生でもない、何者でもないこの身分。
ただ1年を「保留」されているだけなんじゃないか。
こんなはずじゃなかった。
でも、こんなことを考えても仕方がない。
俺は合格体験記を開いた。
──「秋に爆発した」
──「ラスト3ヶ月で逆転」
これだ。
まだ間に合う。
秋から伸びるやつは、たくさんいる。
俺もその一人になるんだ。
11月の模試。
試験後、手応えがあった。
数学も、英語も、しっかり解けた。
──そして、結果が出た。
「A判定……!」
見間違いかと思った。
でも、確かに、俺の名前は全国順位に載っていた。
その瞬間、何かが弾けた。
ついに俺の合格体験記が始まった!
秋までは成績が上がらなかった。でも、ここに来て爆発的に伸びた。
これ、完全に体験記に載るやつじゃん。
12月。
周りの浪人生が「焦る」と口にする頃、俺は違った。
もはや合格は確定しているような気がした。
合格体験記を読みながら、俺は考える。
──俺が書くなら、どういうタイトルがいい?
「俺の偏差値、秋から本気出す」
「11月に覚醒した男の受験記」
そんなことを考えながら、俺は悠然と赤本をめくる。
センター試験も自己ベストを更新。
ここまで来たら、確実性を取るべきだ。
俺はA判定だった第二志望を受けることに決めた。
春は、もう目の前にあった。
本番、試験問題を開く。
……ん?
最初の問題。見たことのある形なのに、式が合わない。
焦りながら、次へ進む。
──だめだ。解法が思い出せない。
隣の受験生の筆記音だけが妙に大きく響く。
時計を見る。まだ時間はある。
でも、頭の中は真っ白だった。
気がつくと、試験終了の合図が鳴っていた。
合格発表。
掲示板の前で、俺は立ち尽くしていた。
番号が、ない。
何度見ても、ない。
後期試験も落ちた。
俺に残されたのは、現役時にも受かっていた滑り止めの私立大学だけだった。
桜が咲いていた。
俺は、行くはずのない大学の入学式にいた。
講義に出ても、気持ちは上の空。
浪人時代、あれだけ勉強したのに、今は何もやる気が出ない。
──俺、何のために一年間頑張ってたんだ?
それは、何気ない動作だった。
俺は、自室のゴミ箱に詰め込んだ不要な参考書をまとめて捨てようとしていた。
その中に、ふと、見覚えのある表紙が混ざっていた。
合格体験記──俺がずっと愛読していた、あの冊子。
手を止める。
ページをめくる。
何度も読んだはずなのに、目にするたびに胸が熱くなる。
──俺は、これに励まされてきた。
だが、俺の物語は、ここにはない。
──でも、それなら。
軽く鼻で笑って、つぶやいた。
「仮面浪人の合格体験記も、ありじゃね?」
シャープペンを手に取る。
机の上の参考書を紐解く。
俺は、来年に向けて勉強を始めた。
(了)