“疑わしきは罰せず”が通じない社会 ~松本人志性加害疑惑から考える“力を持ち過ぎている雑誌”の危うさと解決案
刑事事件の裁判には“疑わしきは罰せず”という原則があります(より正確には“疑わしきは被告人の利益に”なのですが、分かり易くこう表現される場合が多いです)。
このような原則がある理由は簡単に分かります。疑わしいだけで罰を与えてしまっっていては、冤罪が多発してしまいますから。もちろん、これには“刑事告訴(告発)の悪用”を防ぐ効果もあります。
誰かを貶める為に、濡れ衣を着せて、排除するというような卑劣な行為を防止する効果が期待できるのですね。
司法というのは巨大な公権力です。“疑わしきは罰せず”は、その公権力の暴走を食い止める制約の一種と考えても良いでしょう。
つまり、『権力者が私利私欲の為に、公権力を用いないようにする為のルール』です。
(ただし、“疑わしきは罰せず”という原則は必ずしも守られていないという指摘もあります)
ところがです。
巨大な影響力を持っているにも拘わらず、このような制約がほとんどない力が世の中には存在しているのです。法的手段を介さず、規範から逸脱した者に対して制裁を行う…… いわゆる“社会的制裁”ですね。
遥か昔から、この社会的制裁は存在していましたが、インターネットが普及し、誰でもSNSなどで発信できるようになるに伴って、その力は公権力レベルに達するまでになったと言えるかもしれません。
この社会的制裁には、約束事のようなものがなく、抑制すらも困難です。同じ罪状でも扱いの差が激しく、SNSで運悪く拡散されれば罰が激しくなり、しかも下手すればそれがデジタルタトゥーとなって一生ハンデを背負ってしまう事にもなりかねません。そして、その制裁の重さは“印象”に大きく左右されます。
これは芸能人のケースですが、不倫で激しく叩かれて、芸能界から半追放状態になってしまった人がいます(ただ、最近、少しずつテレビに出演し始めているようですが)。ところがそれよりも酷いと思われる、相手の女性を妊娠中絶させてしまった別の芸能人は比較的早く活動復帰を果たしているのです。
前者の芸能人は、より有名で、自ら目立つ行動を執ってしまった所為で、より印象深くなってしまったのに対し、後者の芸能人は素早く身を隠して賢明にほとぼりが冷めるのを待ったという違いが、このような差となったのではないかと思われます。ここに“公平さ”が全くない点は明らかでしょう。
一応断っておきます。僕は“セカンドチャンスは重要”だと考えています。たった一度の失敗で、人生を奪われるような社会が健全だとは思えません。だから、「同じ罰を与えろ」と主張している訳ではありません。むしろ、「同じ様に復帰の機会を与えるべき」と考えています(と言うか、そもそも性道徳って時代によってかなり違うんです。現代の性道徳形成の決定的要因になったのは、梅毒などの性病の蔓延だとも言われています。近年、梅毒の感染拡大が静かに問題になっているとはいえ、現代にはあまり当て嵌まりません。当事者間で納得しているのなら、世間でどうこういう話ではないと考えています)。
話がちょっと逸れましたが、仮にこの社会的制裁が自然発生するもので、“誰もそれを意図的に起こす事ができない”というのであれば、まだマシだと思います。が、実際にはこの社会的制裁を意図的に発生させられてしまう人達がいるのです。
はい。
雑誌社ですね。
真偽不明の曖昧な情報ですら、もっともらしく記事にして発信する事で、誰かに社会的制裁を与えるように仕向ける事が可能です。
仮に裁判で敗けても損害以上の利益を得られるケースが多い為、リスクに対して十分なリターンがあります。
そして、単に利益を得る為、という目的以外にもこれは応用が可能です。例えば、「気に入らない奴がいるから、悪く書いてやろう」でスキャンダルを報じる可能性だってあるでしょう。
2024年1月現在、ダウンタウンの松本人志さんが性的加害行為を行ったと週刊誌が報じています。ただし、決定的な証拠はなく、ほぼ被害女性の証言のみです。つまり、証拠不十分。“疑惑”のみです。この女性が被害に遭われたのは8年も前らしいのですが、これでは無罪である事を証明しろと言われても難しいです。もちろん、これはその逆も然りで、有罪である事の証明も難しい訳ですが、週刊誌は真偽不明のエピソードによって印象操作を行って“有罪である”という印象を世間に植え付けています。客観的に判断して、公平だとは言えません。
また、そもそも“無い”事の証明は難しいのが普通です(“悪魔の証明”で検索をすると詳しい内容がヒットします)。名誉棄損で松本人志さんが週刊誌を訴える場合、この難しい証明を強いられる事になる可能性が高いので、不利だと言わざるを得ません(だから、普通は“あるなし論争”では、“ある”と主張する側が証明責任を負うのです)。週刊誌側がそれを分かっているのだとすれば、やはり卑劣に感じてしまいます。何故なら、週刊誌が報じている内容を見るとどう考えても刑事事件であるにもかかわらず、刑事告訴(告発)をしようとしないからです。告訴をしたのなら、警察という捜査権を持つ外部組織が公平に判断をしてくれるはずです。有罪である証拠が十分に見つけられなかったのなら、警察は無罪と判断するでしょう。
――それならば世間の多くの人が松本人志さんが無罪だと納得するのではないでしょうか?
もちろん、告訴した内容が嘘だったなら、罪にもなります。
こう考えると、嘘がばれ、罪になるのを避けるために、被害女性も週刊誌も告訴(告発)しようとしないのではないかとつい邪推をしてしまいたくなります。
これで被害者が一人だけなら、証拠が出ないのも警察に通報しないのも有り得るような気がしないでもありません。何か警察に頼り難い事情があるのかもしれませんし。
ただ、週刊誌は複数の被害女性がいると報じてもいるので、そうなるとちょっと違和感が拭えなくなります。全ての女性に、そんな事情があるとは思えません。8年も前の出来事を今になって被害者の女性が週刊誌に告発した理由に「ジャニーズ事務所性加害の事件に触発されたから」とありますが、ジャニーズ事務所性加害の件で“当事者の会”はジャニーズ事務所を刑事告発する意向を示していました。
(まぁ…… 「事実は小説より奇なり」とも言うので、何が起こるか分かりませんが)
いずれにしろ、現段階では「疑惑」でしかありません。“疑わしきは罰せず”の原則を適応させるのなら、松本人志さんは無罪となるでしょう。
が、彼は社会的制裁を既に受けてしまっています。
もちろん、かつては自ら頻繁に女癖の悪さをネタにしていましたから、それに準ずる何らかの事実がある可能性はかなり高いという見方も現実的ですが、それでも現段階での制裁はやり過ぎです。週刊誌が誇張をしている可能性はかなり高いでしょうし。
仮に松本人志さん一人だけの問題であるのなら、或いは、この事件はスルーで良いかもしれません(松本さんは既に充分に成功しているので、感情的には、“ここで引退しても構わないのではないか?”とつい思ってしまいます)。
が、“疑惑のみで罰する事ができる”というある意味では“公権力”以上とも言える物凄い力を、雑誌社という民間企業に与えてしまうのは問題があります。私利私欲の為にその力を用いないとも限りませんし、政治的に利用される可能性だってあります(と言うか、既に利用されているかもしれませんが)。
スキャンダルを恐れる誰かに圧力をかける可能性だってありますし、報復としてスキャンダルを報じる可能性だってあります。
これは飽くまで憶測に過ぎませんが、今回の松本さんのスキャンダルだって、その可能性はあります。
実は松本人志さんの性加害ニュースのちょっと前に松本さんの相方の浜田さんの病気に関する報道が出ていて、吉本興業はこれを否定し“法的措置を検討する”と声明を出しているのです。
これが同週刊誌へのものなのかは分からないのですが(すいません。調査不足かもしれませんが、僕が見つけた記事では具体的な週刊誌名が書かれていませんでした)、週刊誌間で横の繋がりがあるとするのなら、違う週刊誌であっても可能性は消えません。松本人志性加害報道は、この件に対する週刊誌側の報復である可能性があります。
「週刊誌が信頼できない」というのは、既に社会的コンセンサスを得ていると思います。ハニートラップを使ったという疑惑も多く聞きます。例えば、雇った女性に男性タレントに何か物を借りるように指示を出し、女性が返しに来たところをカメラで撮影、「女性と密会」などと報道したなんて話も聞いた事があります(もちろん、その男性タレントの話が嘘である可能性もあるのですが)。
音楽バンド“RADWIMPS”の楽曲に、週刊誌を痛烈に批判したものがあります。恐らく、相当に嫌な目に遭っているのでしょう。
ネットを検索すると、数多くの人の週刊誌に対する怨みつらみがヒットします。これでは信頼できるはずがありません。報復の為にスキャンダルを捏造して流したとしても不思議ではないと思いませんか?
……なんて事を書きましたが、もちろんこれは印象操作をしています。このように幾らでも憶測で印象操作は可能なのです。“疑わしきは罰せず”の原則を適応させるのなら、週刊誌に罰を与えてはいけませんね。
ただ、週刊誌はこれをやってしまっているのですが。
まとめます。
誰でも自由に利用できるSNSの普及に伴って、現代では“社会的制裁”が凄まじい力を持ってしまっています。そして、公権力とは違って、社会的制裁には何ら制約がなく、更に非常に不公平です。
そして、雑誌社はこの“社会的制裁”を意図的に引き起こせ、社によっては自重するような態度が見られません。更に様々な話を聞く限り、信頼もできそうにない。
以上の理由から、何らかの手段で、雑誌社の力の行使を制限するべきだと僕は考えます。
一応、断っておくと、マスコミには“権力の監視”という重要な役割もあるので、制限をかけすぎるのも問題があります。なので、ある程度の妥協点を探る必要があります。
そこで僕は以下のような方法を考えました。
1.ガイドラインを作成し、他人を貶める内容を記事にする場合には、“疑わしきは罰せず”の原則がある点を明記すべきとする。
テレビタレントなどの様々なコメントを読んでいると、“疑わしきは罰せず”の原則の存在と、それがある意味を理解していない人が多くいる事が分かります。明記してあったなら、いたずらに制裁を加えるような人は減るのではないでしょうか。
また、恐らくは流石に雑誌社の人間は、これくらいの原則は知っているはずです。知っていて、それを無視する記事を書くのは悪質であると言わざるを得ません。反省を促す意味でも価値はあるかと。
ガイドラインは法律ではありませんから、法的拘束力はありませんが、だからこそ素早く対応できます。
2.刑事事件に関わる内容を公表する場合には、警察への告訴や告発と同等の扱いを可能とする。
今回の松本人志さんの性加害疑惑の記事で最も不可解な点は、刑事事件であるとしか思えないのに、何故か被害女性や週刊誌が警察に告訴(告発)しようとはしない点でしょう。
捜査権を持つ警察が動かないと高をくくり、捏造や誇張を行っているのだとすれば、許せない話ですし、当然ながら防がなくてはなりません。
このようなルールにしておけば、それを防ぐ事ができます。
ただし、恐らくは法改正が必要でしょうから(すいません。法律にそこまで詳しくはないので本当にそうなのかは分かりません)、迅速な対応はできません。
なので、次のような手段を考えました。
3.記事の内容を根拠とし、発信力のある個人や組織が警察に刑事告発を行う。
親告罪でない場合、第三者が警察に告発を行う事が可能です。今回の記事に書かれた内容は、強制性交等罪に当たる可能性が高いので、第三者による告発が可能であると考えられます。
8年も前という点が気になりますが、被害女性は他にも複数人いると週刊誌は報道していて、何年前なのかは明らかにされていないので、警察が捜査を行う理由はあります。
もし仮に、告発しようとしても警察が動かないのであれば、「少なくとも警察は無罪だと判断している」と発表できます(有罪だと判断しているのに、警察が動かないというのはちょっと考え難いです)。
また、警察が動くのなら、週刊誌に捜査協力を要請するでしょう。週刊誌が捜査協力を拒否するのであれば、「記事は捏造や誇張である可能性が高い」と発表が可能です。場合によっては、警察が週刊誌の捏造や誇張を暴いてくれるかもしれません。
もちろん、記事の内容が事実で犯罪が立証される可能性もありますが、その場合は当然ながら報いを受けるべきなので、社会的に問題はありません。
「松本人志を擁護するな!」
と、主張している人もかなりいますが、この可能性がある以上、刑事告発する事に反対はできないでしょう。松本人志さんの有罪を信じているのなら、むしろ賛成しなくてはおかしいですから(一応断っておくと、事実であったのなら、罰は受けるべきだと僕も思っています)。
先に今のままでは、「松本人志さんは“無い事の証明”を強いられる可能性が高いので、大きく不利になる」と説明しました。しかし、刑事告発を誰かがし、警察に動いてもらう事ができたなら、それを週刊誌側の主張する“有罪の証明”に切り替える事ができるのです。そして先にも述べた通り、警察が「有罪である確証は得られない」と発表したなら、世間の多くの人は納得するでしょう。
つまり、松本人志さんへの社会的制裁は和らぐ可能性が高いのです。
――ただし、社会的影響力のある人間か組織がこれを行わなければ、このような手段はあまり効果を発揮しないものと思われます。仮に警察から告発を拒否されたとして、「少なくとも警察は無罪だと判断している」と発表したところで、あまり話題にはならないですから。
恐らく、これを実行するのに最も適しているのは吉本興業でしょう(絶対に大きく注目を集めます)が、松本人志さんに味方する有名人でも可能です。
「松本人志の無罪を信じる。その為に、刑事告発を行い、松本人志の無罪を警察に証明してもらう」
といった発表をしてから行えば、警察も軽んじられなくなります。
……あと、YouTubeなどの動画チャンネルにとっては、面白い企画になるかもしれませんね。例えどんな結果になろうと。
もっとも、もしこの方法が効果を発揮したとしたなら、雑誌社は次は「刑事事件にならないスキャンダルを記事にする」という手段に出るのではないかと思われるので、抜本的な対策にはなりませんが。
……それでも、多少はマシになりますかね?