第8話 侮辱と怒り
気分が重いまま出勤したが、実を言えば一つ当てのない希望を抱きながら来たのだった。
それはルチオが出勤して来ることだ。
ルチオならあやとりの攻撃が効きにくいので頼りになるし、なんなら所長の代わりにバトルしてもらえばいいのではと思ったのだ。
でもソニアに話したらそれには否定的な答えが返ってきた。
「うーん、でもアイツは休み始めたらいつ来るか全然当てにできないから」
「もし来たらあの体質でバトルでも勝てるんじゃないですか?」
「それもねぇ……アイツあやとり作るのはあんまり得意じゃないのよ。面倒事も嫌がるから居たとしても逃げ腰になるのがオチかもね」
「そうですか……いい考えだと思ったんですけど」
「心配しなくても所長がやっつけてくれるわよ。技を作るところを何度か見たことあるけど、ホントすごいんだから!」
もう所長にお任せするしかなさそうだ。
そう思っても落ち着かない気持ちのまま昼過ぎとなりダミアーノとその一味が研究所にやって来た。
「ほな早速始めましょか〜、所長はん。アンタの相手はコイツら5人や」
「ちょっと待ってよ! 複数人相手なんて聞いてないわよ! それにソイツら昨日言ってた奴らと明らかに年齢が違うじゃない!」
ソニアがダミアーノに噛み付いた。
確かにボクがこの前倒したチンピラ連中とは明らかに違って30前後ぐらいの人たちだ。
「ウチのもんが相手するとは言ったけど一人とは言ってへんで。それにボウズにやられた奴らとも言ってない。あいつらボウズが怖い言うて来るの嫌がっとったしな」
「そんなの屁理屈よ!」
「屁理屈とは人聞きの悪い。ワシが言った言葉をよーく思い出してみてや、お姉さん。ソッチこそこれ以上因縁つけるならワシにも考えがあるで」
「くっ……」
「ソニア君、問題ありませんよ。昨日も言った通り私が勝てばいいんですから」
「さすが所長はん、話し易うて助かるわ」
あやとりバトルは複数人相手でも同時に技をかけられるので、先に攻撃を仕掛けられれば勝てないわけではない。
でも全員ノックアウト出来るとは限らないし、逆に相手からは複数の攻撃を喰らうことになるので不利であることに変わりはない。
そしてお互いに研究所内の中庭に移動して向かい合う。
ボクとソニア、そしてダミアーノはその横に並んでバトルの立ち会いとなる。
もちろんお互いに横から加勢出来ないようにポケットに紐を隠していないことを見せ合った。
「ほな、バトル開始!」
ダミアーノの合図で所長も相手5人も一斉に技を作り始めた。
5人の方もそこそこ速いが、所長はそれより2段階くらい速い手さばきだ。
「出来ました、『2頭のシャチ』!」
すごい、かなり難しい技なのにこんなに速くてしかも正確に組まれている。
「ぎゃあああああ!」
相手が絶叫を上げながら次々に倒れていく。
そして残るは1人というところで状況は一変した。
「!?」
所長の身体がガクッと崩れ落ち片膝を着いてしまったのだ。
そんなバカな、所長の方が圧倒的に速くて相手が技を完成させる暇も無かったはず。
しかし残った相手の手には完成された『嵐の雲』が所長に向けられていた。
でもその相手は意識朦朧として辛うじて立っているだけなのにどうやって……。
ふとダミアーノの方を見ると紐はないが何か技をかけたみたいな手の形をしていた。
「おおっと」
ダミアーノは手の形を解いて腕を後ろに組んでしまったが何か怪しいな。
「くっ……闇技『手習い』か……まさか使い手がここにいるとは」
所長はそれだけ言うと堪えきれずに倒れ込んでしまい、まさかの展開となってしまった。
何だよ闇技って、そんなものがあるのか。
「闇技って噂で聞いたことはあるけど本当にあったの? しかも『手習い』だなんて」
ソニアが驚いた様子で呟いた。
その『手習い』って何なんだろう。
「元々は子供にあやとりを教えるために手の動きを見せながら一緒に作るってところから始まったらしいけど、いつからか他人の手を操って技を作らせるものになったそうよ」
それじゃあ他人を操って悪いことし放題な技ってことなのか。
「でも操れるのはかなりお互いを信頼している関係の者だけのはず。だからこいつらを連れてきたってことか……」
ソニアは悔しさを押し殺すように説明をしてくれた。
最初からずっと相手の思うようにことを運ばれてたってことなのか。
いいようにやられて悔しくて仕方がない。
そして無意識のまま立っていた相手はそれから10秒以上経ってから仰向けに倒れた。
これは引き分けということになるのかな?
「よっしゃそこまでやな! 一般的に10秒以上相手より長く立ち続けとったらバトルで勝ちと見做されるからな。つまりワシらの勝ちや!」
「待ちなさいよ! ダミアーノ、アンタ闇技であの男を操って加勢したじゃない、反則でしょ!」
「ワシは何もしとらんで、実際に闇技で操ってるとこ見たんかいな? それにもし加勢したとしても反則やないで。ワシも『ウチのもん』であることに変わりはないんやから」
「そんな……」
「カッカッカ、自分らの注意不足を恨むんやな! 何の疑問も持たず相手の言うままに取り決めするなんてマヌケのやることや」
そして所長の方を向いて更に侮辱的な言葉を吐き捨てた。
「アンタが昔ギルドマスターをやってた頃ならこんな手に引っ掛からんかったやろうけどな。勝負勘が衰えとるって見立て通りやった。こんなとこでヌルい研究ばっかりやっとるから頭ボケてもたんやろうな!」
ボクはもう頭の中が相当にブチギレてしまった。
ボク自身がダミアーノが交渉を有利にするためのダシに使われた上、バトルで卑怯なことをしてあまつさえ所長を侮辱したのだ。
どうしてもコイツだけは許せない。
「いい加減にしろよオッサン! 汚い真似ばっかりしやがって!」
ダミアーノはギロリとボクを睨んで威圧してきた。
「あぁ〜!? 何か言うたかガキ!?」
一瞬怯みそうになったが睨み返して言い続ける。
「ああ言ったよ! 人を陥れたりバトルで卑怯なことやって何が自分たちの勝ちだ! そうでもしなけりゃ勝てっこないくせに!」
「お前こそエエ加減にせえよ。お前らがマヌケやったから負けたんやろうが! これ以上文句ぬかしたらお前もいてまうどコラ!」
ソニアからもうやめなさいと止められたが、ボクはもう自分を抑えることはできなかった。
「上等だよ! ボクとあやとりで勝負しろ! ボクが勝ったらお前らの勝ちは取消せ!」
「何を言うかと思えば……アホらしい、何でワシがそんなことせなアカンねん。だいたいお前みたいなヒョロガキがワシに勝てるわけ無いやろ」
「なんだ怖いのか? そのヒョロガキに負けるのが怖いんだろう? 卑怯な手を使わないと勝てないもんな、オッサンは!」
「……これ以上は許さんでなヒョロガキ。ワシがブチ切れる前に止めとけや」
「何度でも言ってやるさ! このヒキョーモン、ヒョロガキ相手にビビってる臆病者、根性の悪さが顔に出てる汚いオッサン!」
「……そこまで言うなら相手したろやないか。お前には地獄見せたらんといかんからのう」
ダミアーノは静かに言い放った。
静かさに返って不気味さと威圧感を感じるがもう引き下がるつもりは無い。
しかし自分でも驚くほど他人に喧嘩を吹っかけてしまった。
元の世界に居た時だとここまで出来なかったかもしれないが、あやとり上手が優遇されるこの世界で自信を持てているからかもしれない。
それに元の世界だと挑発しても暴力で返されるが、この世界ではあやとりバトルを挑まれたらあやとりで応じなければいけないことになってる。
ボクもそれくらいは計算しての行動なのだ。
「さて、ワシが勝った時の話やが……お前を生きたままバラバラに解体したるから覚悟せいや」
「そんな無茶苦茶な! そっちだけ一方的に要求が大き過ぎるじゃない!」
ソニアが言い返してくれたがダミアーノは興奮気味に強く言い返してきた。
「コイツはな、ワシのメンツと名誉を著しく貶めたんや! これでもやり足りんくらいなんじゃ、文句言うならもっと残酷なことするぞ!」
「いいよそれで。それよりボクが勝ったらさっきのバトル帳消しと、この研究所とメンバーに2度と手を出さないって約束忘れるなよ」
何故だかわからないがボクは負ける気がしないので簡単に要求を受け入れた。
そしてついでに勝利した時の要求にしれっと追加を入れておいた。
オッサンは興奮しているのでそのまま通りそうだからやらない手はないよね。
「わかっとるわい、しつこく言わんでも。なんなら市場の掲示板の前で裸踊りもしたるわ。まあ、お前がワシに勝てたらやけどな!」
なんと、自分から更に追加を入れてくれた。
別に見たくもないけど楽しみだな。
そしてボクは所長の紐を、オッサンは一味の一人の紐を手から取りにいく。
気絶中にすみませんがお借りします。
ボクとオッサンは向かい合って紐を手にかけてバトルの準備は整った。
向かい合ってるとまるで相撲の立ち会いのように自然と呼吸が合ってバトルは始まった。
オッサンはゴツい手の見た目に反して指の動きが繊細で美しく速い。
あっという間に技が出来そうだが、実はボクの方が先に技を作れそうだった。
でもここでふと思ったのだ。
どうせならオッサンを完膚無きまでに叩きのめしておこうと。
この手の輩は中途半端にツブしても後で負け惜しみをしつこく言うに決まってる。
ならば完全に心を折ってやる必要がある。
ボクは途中で技を変更することにした。
もちろん難しい方に、だ。
更に敢えてオッサンに先に技を完成させ、それを打ち破ってやるのだ。
「出来たで『ブランコ』!」
イメージがボクの頭の中に入ってくる。
続けてオッサンの大きなドヤ声が聞こえてきた。
「続けていくでぇ、『糸まき』『トンボ』! ワシの最強コンボ喰らえや!」
連続技が次々とボクの頭の中に入ってくる。
最後のトンボでオッサンが紐を口に加えて引っ張ったのはなかなか滑稽な姿だった。
だが次の瞬間、気づくとボクはブランコの上に乗っていた。
座板を支えるロープは空中高くまで伸びて繋がる支柱が見えない。
ブランコが勝手に動き始めて空高くブランコが横向きになるまで上がると、今度はそのまま落下していったのだ。
ものすごい高さと凄まじい速度と風圧で身体にかかる衝撃がとんでもない。
思わず絶叫してしまい、必死でロープを手で掴む。
5回往復した頃にはグッタリしていた。
そこで急に座板が消えてなくなりロープを放しそうになるがなんとか堪えた。
そして今度は巨大な糸巻き器みたいなのでロープが巻き取られていくが、反動でロープがグルグル回りだし、遂には手からロープを離してしまった。
さすがにちょっとまずいかと思ったが空中で何かに受け止められた。
ホッとしたのも束の間、それは巨大なトンボの前脚だったのだ!
そしてトンボの大きな目と口が迫ってくる。
うわっ、捕食される!
だけどボクはまだダミアーノを許せない気持ちを失っていなかった。
こんな幻覚に負けるもんか、そしてダミアーノに怒りをぶつけないと気が済まない。
トンボに喰われそうになる寸前にボクの身体はマグマの塊みたいに変化してトンボの頭を吹き飛ばしたのだ。
そして気がつくとボクは元の場所に立っていて、手にはいつの間にか『火山』が完成していたのだ。
火山は立体的なあやとり技で形をきれいに作るのがちょっと難しいがいい出来栄えだ。
「そ、そんなアホな! ワシのコンボ喰らって無傷で立っとるやなんて!」
動揺して叫ぶダミアーノの頭にイメージが吸い込まれると奴の身体は硬直して動かなくなった。
「何やあれ……うわあああ! 噴石がぎょうさん降ってきた! 痛い痛い! 身体中に穴が空いとるやないか! 誰か助けて死んでしまう!」
ダミアーノは独り言を絶叫し続けたあとに泡を吹いて仰向けに倒れてしまった。
痛いって幻覚なのに実際に痛みを感じてるのだろうか、すごいリアクションだった。
何はともあれボクはバトルに勝ったのだ。
達成感と高揚感でしばらく勝利の余韻に浸る。
ソニアが嬉しさのあまり抱きついてきて胸のあたりが顔に当たっていたのは内緒にしておこう。
そして喜びも落ち着いて片付けを始めようかとしていた時だった。
急に誰かの気配を感じたので反射的にそちらに向かって『星』を発動してしまったのだ。
その先には柱の陰に隠れていたルチオがいた。
危なかった、別の人だったらダメージを与えてしまっていたかもしれない。
「ルチオさん、驚かさないでくださいよ。まだダミアーノの仲間が潜んでいるのかと思っちゃいましたよ」
「もう、今まで何やってたのよ、大変な事になってたんだから。でも心配しなくてもアヤトがやっつけてくれたからアンタに出番はないわよ」
ボクとソニアはルチオに近づいていつものように話しかけた。
そしてルチオもいつも通りの軽口で返してくれると思っていたのだが様子が違う。
「……あーあ、だからもう少し様子を見てからって言ったのになぁ。アヤトの実力を見定めてから仕掛けるつもりだったのに、ダミアーノの奴手柄を焦りやがって」
何を言ってるんだ一体?
ボクたち二人がどうしていいか戸惑っているとルチオから更に衝撃的なことを聞かされた。
「そうそう、さっきアヤトが言ってたことは間違いじゃないよ。おれはルチアーノ、カァネ一家の幹部の一人だ」