第38話 ようこそ、石と生きる村へ
ホーストーロー村に辿り着いたのは、日が完全に落ちた頃合いだった。
道中は、実に散々なものだった。
ただでさえ暗闇の中を歩いてきたのだ。足元に張り巡らされた木の根に躓き、何度も転びそうになり、その上、メデューサが近くに潜んでいないかどうかも、常にチェックし続ける必要があった。
メデューサの射程圏内に入ればほぼ即死だということを踏まえれば、ただ歩くだけでも、どれほど消耗するのか──想像に難くないだろう。
その点で言えば、森を抜けた後、僅か半刻歩いた場所に村が位置していたのは幸いだった。
現状、ポツポツと民家が並ぶ光景を前に、僕はその有難みを痛感する。
何故なら、僕らはその日のうちに、宿を手に入れる算段が付きそうなのだから。
「んまぁ、何を置いても、まずはご飯でしょうかねえ。……やあ、楽しみだ」
じゅるりと涎を垂らしながら、僕は毎年恒例の行きつけの定食屋を捜索する。
年に一度しか来ないからこそ、メニューを覚えているはずはないが、朧気に……決まって注文する料理があった、気がする。
……何だったか。卵料理だったのは、間違いないのだが──と、僕が記憶を遡る最中のことだ。
「……いや、それは…………どう、かなぁ」
先般までは静かだった背側より、眠たげなその声は僕にとっても詮無い思考をかき消す様に聞こえた。
肩越しに見やると、当然ながら、うつらうつらと船を漕いでいる少年の姿があった。
人の背で堂々と寛いでいるこの小僧は、先だってホーストーローへの案内を了承してくれたは良いものの、大雑把な方角を伝えたきり、爆睡かましてくれたのだ。別段、それで不十分だと言うつもりもないが──その、なんだ。
自分たちのせいとは言え、人が必死になっている中、後方には寝ている奴がいるってのは、存外にも腹の立つものである。
「だって、ほら…………今の時間だと、みんな………………」
チビはそれだけぼやくと、再び意識を落とした様に「スゥースゥー」と寝息を立て始めた。
年相応の子供らしい寝顔を見せるチビを見、1人の少女は穏やかに。
「よっぽど疲れてたんだろうねぇ。仕方ないか、まだ子供だから」と、困った様な笑みを浮かべた。
「年上面するなら、アンタがおぶってくれても良いんですよ」
「え? 嫌だけど」
「……………………」
まるで他人事の様だと言いかけ、僕は小考する。
腹の立つ言い分だが、実際のところ、彼女にとっては他人事なのだと得心いったからだった。
「……そこ、黙りこくられると、イジりづらいんだけれど」
故に、ティールが当惑した様に眉をひそめた理由は、よく分からなかった。
彼女は時折、難しいことを言う。
日が落ちている為か?
すっかり夜に支配されたホーストーロー村は、それにしたって静かだった。
数件の家々を横切る際も、話し声はおろか、衣擦れ音を始めとした生活音ですら、耳に入らなかったのだから。
別に、神経過敏だったつもりは無いが、気になるものは仕方ない。
違和感はそれだけではなかった。
民家の合間を練り歩くも、僕らは誰ともすれ違うことはなく。その際、当然のように、家屋の隙間や窓から差し込む光もなかった。
端的に言ってしまえば、人の気配が小指程度にも感じ取れないのだ。
かれこれ数十分は経過したろうに、人っ子一人も見つけられていない。
「まさか、廃村じゃあないだろうな?」
「…………」
クラウンが疑り深い目を向けてくるのも無理ないやもと、僕でさえ、そんな考えが頭をよぎった。
昨年までは、こんな事にはなっていなかったのだが。
──と、不安に駆られた僕ががっくり来ている一方で、それよりも前を歩く少女が言った。
「ねえ、ご飯屋さんにはさ、まだ到着しないの?」
「もうじき、だったカト…………」返答に窮した僕の声は、尻すぼみに小さくなっていった。
「ふうん。オススメはあるのかい。その店は──」
「ありますよ。とびっきりのッ! 卵料理ッッ!!」
頭の片隅から至上の記憶を取り出したるや否や、僕は興奮を抑えきれずに言った。
「卵を使った料理なんて、星の数ほどあるでしょう。でも、あの料理だけは、こう……不思議と、スゴく美味かったんですよ!!」
「何そのフワッとした感想」
しかし、どうやら僕の料理に対する熱量は、どうやら伝わらなかった様で。
本当に美味しかったのかと、まるで勘繰る様に、ティールは細目でこちらを見やった。
……仕方ないじゃないか。たまたま、何の気なしに頼んだ料理が舌に合ったんだから。
「あまりの美味しさに、記憶が抜け落ちた、とでも?」
「えぇ、そうです」
「そうです。って……リド君さぁ」
間髪入れずに答える僕に、ティールはほとほと呆れ果てました、って具合に項垂れると──
「まあいいや。食べれば分かるんだろうし」
──再び、前を向き直った。
定食屋に着いたのは、それから僅か数分後のことである。
そこまで広い村ではない。
※※※
「どうも、やってますか──って、見れば分かるか」
定食屋の入口を叩きながら、僕は苦笑する。
営業中であれば、入口の扉にはめ込まれたガラス戸から店内の様子が確認できるはずだが、そこからの景色は黒一色に塗りつぶされていた。
意味することは唯ひとつ。
「どう見ても営業時間外じゃん。まだ夜の9時前だけど……リド君、お腹空いたよぉおおお。死んでしま、う…………」
「んな大袈裟な……と言いたいところですが。こんなことなら、何か口に入れておけば良かったですね」
ティールの文句に同意するでもないが、僕の方こそ、その手は無意識ながらに懐中の携帯食料に伸びていた。
折角楽しみにしていた食事ではあったものの、料理人がいないのであれば仕方あるまい──ティールも、似た様な考えだったことだろう。その証拠に、しょぼしょぼと弱気面を浮かべていた。
この村に他の店はないので、今晩は我慢するしかない。
しかし、困窮する若者に対して、世間は厳しいだけではないのかもしれない。
そう思わせたのは、途方に暮れていた僕らに声をかけてくれたクラウンだった。
「なあ、2人とも。諦めるにはまだ早いんじゃあねえの?」
「え? ……って、これは」
一瞬だけ目を離した隙に、クラウンは店のドアを「開いて」下衆な笑みを浮かべた。
相変わらず、見た目だけは若く見える人だ。
それはそうと、店が開いている……?
「店主、いるんですか!?」
「お腹減ったああぁあああ! ご飯んんんんんん!!」
クラウンに続き、僕とティールは慌ただしく店内へと駆け込んだ。
彼の言う通り、諦めるのは早すぎたかもしれない、と。微かな希望を以て。
やはりと言うべきか、店内には誰の姿も無かった。海底に沈んでいるかの如き静寂は、店じまいして従業員も帰宅し終えた風ですらあった。
照明はなく、窓から差し込んでくる月明りだけが、カウンター奥まで照らしていた。整然と保管されているボトルの輪郭を、薄っすらと形作る程度に。
……自分が飲まないから忘れていたが、確かにこの店にはボトルがあった。昼は定食屋、夜はバーとして経営していた様な記憶が、朧気にある。もし、そうだとすれば、まだ夜も明るい時間帯から閉まっているはずがない。
考えられる要因は、ただ1つ──居眠りだ。
「お、おい。リドリー!? お前、何を」
強引なこじ付けだなんてことは、僕だって分かっていた。空腹と疲労によるストレスから、冷静ではなかった。普段の自分であればここまで短絡的にはならなかっただろうな、と頭の片隅では承知していたのだ。
けれど、その足を止めようとは思えなかった。
僕は大股で床板を踏み鳴らす。潰れたカエルの様な音が、老朽化した床板から鳴り響く。
うら若い少女の悲鳴にも聞こえるそれを無視して、僕はカウンター前まで辿り着くと、肺一杯に空気を取り込み、吐き出した。
「お久しぶりですッ! 久方ぶりに飯を食いに来ましたァア!! リドリーですッッ!!」
「「えぇ……」」
僕はカウンターに乗り出しながら、この店どころか、隣接する家々にも聞き渡る程の声量を放っていた。
どうせ、カウンター裏で寝こけているんだろうと推察しての行為だったが、ティールたちには伝わっていなかったらしい。表情は窺えないものの、絶句した気配を感じる。
どうやら物理的にも心理的にも、彼らとは距離が生まれてしまったらしいが、その程度の些事、気にも留めなかった。
彼らはこの店の味を知らないから、そう、他人事でいられるのだろう、と。
上から目線でいただろう。
先刻までは、そうだったはずだ。
述べるべくもないが、今は違う。
ほんの数秒あれば、人の態度というものは、大きく変わるものだ。
「ちょっと、リド君!? 何してんの!?」
──ティールはやはり、良い反応速度を持っている。
悲鳴にも似た彼女の怒声を耳に残しながら、僕はそう確信した。
何故なら、ティールが驚愕に声を荒げたのは、これからの奇行が『空腹による気の迷い』ではなくなる寸前の事だったからだ。
頭から落ちる様な勢いで、僕はカウンター内に飛び込んでいた。
次いで、ほんの数時間前にそうしてみせた様に、ソレを抱き抱えて起立する。
その際、どうやら肩か肘をぶつけていたらしい。
ぶつけた衝撃で立てかけていたボトルが数本、ぐらりと揺れた。
そのうちの1本が床に落ちる。ボトルに亀裂が走り、中の液体が脈動するかの様に、どくどくと流れ出た。靴に酒が染み込んでゆくのを横目に、僕は立ち上がる。
振り向くと、クラウンとティールが呆れた様に、額を手で覆っていた。
「あっちゃー……どうすんの、それ」
そう言ったのはティールだったが、恐らくはクラウンも同じ感想を抱いたはずだ。
彼女らが浮かべる表情は、それはもう呑気なものだった。傍から見れば、空腹に耐えかねた僕という若者が、凶行に走った風にしか映らないのだろう。
これも日頃の行い──いや、直前の行いのせいか。
しかし、そんな2人の浮かべていた冷めた視線は、すぐに温度を取り戻した。
僕に抱き上げられている、その『石像』を目にした事で。
尤も、彼女らに馴染みのある石像、もとい人物ではない。
何故なら、彼女らにこの店を訪れた機会はなく、その場合は知り合う可能性など無いに等しいからだ。
……いい加減、勿体ぶった書き方はよそう。
要するに、石像の正体はこの定食屋の店主であり、僕達がこの村内で出会った最初の石化者であった、という訳だ。
※※※
石化させた犯人は、その店の中にはいなかった。
しかしそれも当然のこと。無警戒にも、店内に飛び込んだ僕の無事こそ、その事実を裏付けている。
もし、メデューサの1匹でも潜んでいたとしたら、僕は既に死んでいた。
勿論、ティールとクラウンの2人も充分、射程圏内に入っている。
その事実を誰より早く理解していたクラウンは、言を失っていた少女を叱咤した。
「何、ボサッとしてんだ。ティールちゃん、薬出してッッ!!」
「あ、う、うん!!」
それまで呆然としていた少女はハッとして、慌てた様子でこちらに駆けて来た。
走りながら、バッグに腕を突っ込む少女に対して、僕が口を開く──否、開かんとした時のことだった。
まだ変声期を迎えていない少年特有の高い声が、少女を止めた。
「ダメだよ。その薬は掛けちゃあ──下手をすれば、殺されちゃうよ。お姉ちゃん」
さながら先回りする様に。
僕の台詞だけでなく、ティールが駆け寄ってくる導線上に、立ち塞がる形であった。
先般まで眠っていたはずの、少年が──。
「チビ? チーベット……?」
何時から起きていたのか、僕の背中から降りていたのか。
チビは、面倒見ていた僕ですら全く気付かないままに、元気一杯の姿をお披露目になっていた。
僕はその様子を見て、正直言うと──感心した。
現状の把握も済んでいないのに、無闇に状況を引っ掻き回すべきではない。そういったニュアンスだと思ったからだ。
年齢の割には殊勝な少年だと。
しかし、その考えも、訂正されるべき的外れな解答であった事を、僕は遅ればせながら気付く羽目になる。
なにせ──。
「その石化は、解除したら怒られちゃうよ。なにせ──自分から石化したんだから」
「…………は?」
この後、ドアを蹴破り、他の民家にも入り込んでみたが、チビの言った通りだった。
ほんの1年前、弟子の墓参りに来た時には、こんな事態にはなっていなかったはずなのに。
チビ1人を除き、村人は全員──石像に成り果てていた。




