第36話 そういう一面 後編
──石化を治療する特効薬は、馬車の荷台にあります。
──荷台? 食料に水、本……そのくらいしか無いと思っていたよ。
──……まあ、慣れた道ですからね。そ、そんな事より、特効薬を持ってくるなら、一つ頼まれて欲しいのですが。
──頼み?
──ええ、そうです。
※※※
「なるほどな。馬鹿だお前ら」
ここまでの経緯を聞き終えたクラウンが開口一番、呆れた様に言い放った罵倒が、それだった。
束の間の水浴びをした後、僕とティールはクラウンの潜む木々へと戻り、そこで見たものを彼に知らせた。もっとも、僕が報告をしている間、ティールには石化の治療薬を取りに行ってもらっていたので、報告は殆ど僕1人の仕事だったが。
クラウンは軽く息を吐いた後、数秒閉眼すると、再び目を見開き、すぐに細めた。
「リドリーよぉ。お前が居て、何でこうなるかなあ。……メデューサの習性、知らないとは言わせねーぞ」
「メデューサの習性、ですか?」
嗜める風なクラウンに、僕は目を丸くして、オウム返ししてみせた。
確かに驚きこそしたが、依然として「いやいや、馬鹿にしないで下さいよ。この辺りの常識ですよ?」と鼻で笑ってみせる程度には余裕があった。
それは、紙の端を使えば、薄皮一枚程度なら容易に切れると、誰もが知っている様に。
医療に精通していない者でも、大雑把になら、あばら骨の形状をイメージできる様に。
要するに、メデューサとは魔物の中でもとりわけ有名な種族であり、その存在を知らぬ者など、少なくともこの国においては、人っ子一人居ないという事である。
メデューサは獲物──この場合、あの子供が該当する──を石に変えた後、巣に持ち帰り保管する。
癖というか、性質というか。兎に角そういう生き物である。
通常、獲物に掛けた石化攻撃は時間が経てば解除されるのだが……メデューサは、術が解けた頃合いを見計らって、何度でも術を掛け直すという性質があった。
「──何度でも、ってのは文字通り、何度でもです。奴らが飽きるまで、制限はありません。
何日、何カ月、酷いもので年単位で保管された例もあるとか。
……確か、学者の間では、最長で49年間も石化していた記録がありましたっけねぇ」
「……ンな常識、この国じゃあガキでも知ってる。オレが言いたいのは、そんな事じゃあねぇ!」
一瞬、森が揺れた様な錯覚を覚えた。
怒号と共に、大木が僅かに軋む程の力で、クラウンが拳を叩きつけたからだ。
何時の間にやら、彼の拳の表面は濃紺の外殻に覆われていた。役割としては、分厚い籠手の様なものだろうか。
彼自身の拳を保護した上で、それを振るった際の破壊力をも底上げしている。
尤も、人工物である籠手や鎧と違って、その外殻に人の手は加わっていない。
外殻、と呼ぶだけあって、それは自然に在るものをそのまま植え付けられていた。
恐らく、彼の変身魔術によるものだ。
エビや蟹といった節足動物の殻に、拳だけを「変身」させたのだろう。
部分的に魔力を流す事で、魔術自体の汎用性を上げている。
器用なものだと感心する僕を他所に、クラウンは眉を顰めながら、僕の方を──ではなく、その背景を凝視していた。
彼は先刻まで僕とティールがいた水場の方角を、必死の形相で睨んでいたが、しかし。
その身体は何時でも逃げ出せる様に、既に準備を始めていた。
踵は僅かに浮いており、腰も引けていた。一瞬で身を隠せる様に、その身を遮蔽物の傍に置いている。
いっそ臆病だともとれる姿ながら、彼は昼頃とは別人同然に落ち着き払った様子で、口を開いた。
「……奴らが獲物を長期的に保管しておく理由は諸説あるが、最も有力なのは、『魔力の消費』だ。奴らは魔力を身体の内側に留めておけるが、その一方で、弱点もある。
奴らには、魔力を自前で発散する手段がない──要は、魔力を溜める器官が体内にはあるのに、それを排出する導線が無いんだ。
例えるなら、蓋の無いヤカンさ。爆弾と言ってもいい。
だから、奴らは人間をガス抜きに用いる……ここまで言っても、まだ分かんねえのか?」
クラウンの言い分は、僕から見ても正当性の高いものだと言わざるを得なかった。ある種予想通りではあったが、彼の持つメデューサについての知識に、誤りは無かったからだ。
ほんの数カ月とは言え、伊達に、この辺りを根城にしていた訳ではないという事か。
それはそうと、この人の口が悪い事には変わらない。
「いやあ全然分からないなあ。ご教授願います、クラウン教授」
「………………前から思ってたが、オレの事舐めてんだろ」
「いえいえ、まさかそんな」
ただ、礼を失した人間には、それに相応しい態度があると思っただけだ。
口にはしなかったが、そんな僕の思考を彼は読み取っていたのか。
「どうだか」
そう言って、鼻白んだ。
※※※
食いかけのメシを取られた肉食獣と同じだと、クラウンは吐き捨てた。
「あいつらは獲物を取られると、地の果てまで追って来る。そのしつこさ足るや……便器にこびり付いて、三日三晩経ったぐらいのクソにも匹敵する。それを解き放っちまったんだお前。馬鹿だお前」
今日だけで、何度言われたか分からない二文字に、僕は眉を顰めながら「馬鹿だなんだと、しつこいですよ」とささやかな抵抗をしてみた。
しかし、クラウンはそんな僕の訴えを聞いちゃあいないのか、涼しい顔で。
「それはそうと、あの子。意外と正義感溢れてんのな」
「……アレは正義感がどうのこうのというよりも、イカれてるんですよ。後先考えていないというか」
自分で言っておきながら、仮にも師匠の台詞とは思えないな、と──僕は自嘲した。
次いで閉眼。その瞼の裏側には、いつぞやの盗賊連中と戦闘した記憶がありありと映っていた。
尽きぬ悪意と欲望の集合体。
力を持った人間が結集し、暴虐の限りを尽くさんとこちらに牙を剥く狂気──常人であれば、それに相対した時、何を思うだろうか。
大多数の反応は想像できる。
恐れて逃げるか、危険を承知で迎撃するか。その程度だ。
しかし──。
「ザルバとの交戦時、彼女は真っ先に突っ込んでいきました。実に、意欲的だったそうですよ。あんな『魔術師もどき』でも舐めてかかれば、僕でさえ危険なのに。
それに加えて、あの不死能力。
正直言ってね。次に同様の事態が起きた時、僕はもう止められないと思うんですよ」
「……ホントぉおお?」
「僕は魔術師じゃあなく、ただの一般人ですので。戦闘になったら、殴る蹴るしかできません」
「一般人……ねえ?」
「……あの。さっきから、どうしてそんなに訝し気な目を向けてくるんですか。そんなに可笑しい事を言ってますかね、僕は」
「………………………………ま、良いけど」
了解を取っているとは思えない様な太い溜息を吐き、クラウンは頭を掻いた。
頭皮が心配になるほど、ガリガリと強く搔きむしりながら、彼はやはり不承不承といった具合に言った。
「まあ、良いや。本人がそーゆーなら、そうなんだろう。……えっと、どこまで話したっけ」
クラウンは首を傾げ、うんうんと唸った後、「ああ、そうだ。あの子がイカれてるって話」と、指をパチンと鳴らして言った。
我ながら、実に身も蓋もない表現をしたものだ。
彼女本人には絶対に聞かれない様に、後でクラウンには口止めをしなくちゃあいけないな。
……それはそうと、話の続きをしなければ。
「えっと、気付いたんですよ。彼女は物語でいうところのトリックスターである事を。彼女がトラブルを引き寄せ、其れを肥大化させる性質を持つ以上、「トラブルを発生させない努力」ではなく、「起きてしまったトラブルを最小に留める努力」をすべきだとね。
だから、僕は──」
「あの子を弟子にしたってのか? 弟子にすれば近くで守れる──否、監視できるから、と。……お前、最低だな」
僕の話を勝手に遮った挙句、勝手に推し量ってきたクラウンだったが──どうやら本当に、彼の勘は良いらしい。
正直なところ、的を射ていたからだ。
「何とでも言えば良い。僕には僕のやり方があるんですよ」
「……そうだな。オレが口を出す様な話じゃあなかったか。その点に関してだけは、悪かった、な」
これっぽちも謝意を感じられない謝罪を示すと、彼は話題を変える様に、その指を振った。
体外に流れ落ちた血液よろしく、冷え固まっていた目を柔和に変貌させ、彼は僕の肩を組んできた。
「それはそうと、だ。もっと大事な事を聞かなきゃあいけなかったんだ。なあ、リドリーよ。我が友よ」
「何ですか、急に。気持ち悪いんですけど」
ずずいと顔を寄せてくるクラウンを押し退ける様にして、僕は抗議した。
しかし引き剝がそうにも中々外れない上に、クラウンはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。鼻孔は大きく膨らみ、生温かい鼻息が髪にかかってくる。
不意に、ゴーリ村で腰を据えて彼と対話した時を思い出した。
遠目に見ると、そこまで年齢差を感じない若々しい容姿なのだが、彼の実年齢はそうではないのだ。
こういったダル絡みをされていると、その都度痛感する──彼がおっさんと呼ばれる歳である事を。
クラウンは少年の様に光り輝く眼差しをこちらに向け、ノリノリで言った。
「──ティールちゃんの裸は見れたか? どうだった?」
「……下世話ですねえ、っと!」「いたぁ!?」
「ホントにねえ」
手袋を着用した手刀をクラウンの頭頂部に叩き込むと、緩んだ隙を突き、僕は彼から距離を取った。
クラウンは「いてぇ、いてぇ」と言いながら、しばらくその手で頭を押さえていたが、やがてその動きを静止させた。
何か大事な見落としに気付いた、とでも言わんばかりに、纏う雰囲気を一新させていた。
「よぉ、ちょっと待てや」
次いで緩慢に顔を上げると、滑らかに周囲を見渡し、ある一点で視線を固定した。
さながら──脈絡もなしに虚空を見つめる猫のように。
視線の先を、僕も追った。
その時、クラウンの表情が凍り付いた理由が、僕にも分かった。
「…………君、誰?」
現在、この場には可笑しい点が、一つあった。
先刻、僕達の会話に相槌を打っていた──僕は聞き逃していたらしいが──或る人物の存在。
僕はその人物を、少なからず知っていた。
これから向かう『村』に住んでいるであろう人物な訳だが──僕が彼を認知していたのは、それが理由ではない。
というか、厳密には今が初対面だ。
けれど、僕は一方的に知っていた。
あくまでも──ほんの数分前の記憶が誤りでなければ、だが。
「初めまして! チーベットと言います。よろしく!!」
「……ティールさん、まだ戻って来てないんですけど。君は、どうやって『石化から』復活したんです?」
つい数分前まで、石像として草むらに転がしていたはずの少年が、其処には立っていた。
間髪入れず、僕は構えた。




