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案内人「白雪姫」  作者: 目くじら
第1章 白雪姫と或る狩人
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第3話 森にあるもの 後編

 日が昇る前から、僕はその森に居た。正確に言うと、二日前から居座っていた。その理由はただ一つ。

 僕が狩人だからだ。


 獲物を撃ち、命を奪う。皮を剥ぎ、骨を断ち、一個の肉として余さず食らう。文字通り血肉とすることもあれば、時には町で売り、寂しい懐を温める事もある――。

 無論、全ての狩りが上手くいくなどということは無い。何も捕れずに、携帯食料で一夜を明かすことは度々あるし、これはこれで風情があって良い。

 一食や二食を同じ品で片付けるくらい、訳無い事だ。


 しかし、何事にも限度がある。

 そう、今の僕のように。

 無味無臭のビスケット食が三日も続けば、流石の僕でも応えるものだ。




 ※※※




 僕が焚火の後処理と道具の点検を終わらせたのは、既に太陽が天辺まで昇っていた頃だった。

 枝葉に覆われ、深い影を落としていたこの森も、無数の木漏れ日が差し込むことで、明るく照らされている。

 陽光という自然の恩恵にあずかるべく、地面に生えた無数の草木は全身をだらんとしな垂れていた。

 少量の水と日光さえあれば、植物は生きるのに困らない。強かなものだ。


 その内の一本を、再び僕は踏みつけた。

 一方の手は額の汗を拭いながら、もう一方の手は猟銃を抱えながら。

 足早に歩いていた。


「やっぱり、罠の方が良いのかな。いや、前みたいに回収し損ねたなら、村の人達に何を言われるか分かったもんじゃあない。大人しく銃猟を……いやいやいや! そのせいでもう何度も獲物を逃がしているわけで……!」


 ──ブツブツと独り言を言いながら。

 冴えた頭で考えれば、こんなことに意味は無い。むしろマイナスだ。

 飢えた獣が発するような僕の殺気を、野生動物が感じ取れないはずがない。

 彼らは臆病なのだ。


 自然界には常に、弱者と強者が存在する。時として、その関係が入れ替わる事さえあれど、その間柄が消える事は決して無い。

 如何なる猛獣だろうと、狩られる立場に置かれる時というものが、必ず来る。

 ……常に命を脅かされるという感覚──すっかり平和ボケした僕ら人間には理解し難い感覚を、少しだけ羨んだ。

 その時だった。


 ――目の前を、何かが横切った。

 一、二メートル先を黒っぽい影が通過したように、僕には見えた。

 咄嗟に、目線でその影を追った。

 木陰から別の木陰へ。飛び上がったかと思えば、枝から枝へと伝っていく。言わば猿のように、影は縦横無尽に森を飛び回っていた。

 僕や他の動物には目もくれず、影は何処か遠くへ向かっていた。打ち出されたパチンコ玉のように、途轍もない速さで。

 瞬く間に距離を離される。


 あれは何だ。

 考えるより早く、僕は駆け出していた。

 両手に銃を抱えた状態で、後を追う。


「あり得ない……あの大きさ、僕と同じくらいのハズなのに!」


 これでも狩人の端くれだ。それなりの視力は持っている。

 故に、見間違う道理は無かった。

 影の背丈は僕より頭一個分小さく、その身に裾の破れた黒いぼろ切れを纏っていることを。


 記憶にある、どの動物とも似遣わない姿。

 となると、あれは人間なのか。

 だが、あの移動速度――とても人間業とは思えない。

 重力の枷から解き放たれているような機動力。

 この仕事をかれこれ二年は続けている僕でさえ、あそこまで速い奴は初めて目撃した。

 

 ……とは言え心当たりが無い訳でもない。

 ──先刻から、僕の頭の中には、ある集団の存在が頭をちらついていた。

 この国に住むものであれば、誰だって、僕と同じ集団を想起したはずだ。

 だが、仮にあの影の正体が彼らだったとして、こんな辺境で一体何をしているのか。

 目的が不明だ。

 それが分からない限り、夜もおちおち眠れやしない。


 何故なら、彼らの内の一人でもその気になれば、集落の十や二十程度は一晩と経たずに焼き払われてしまうからだ。

 それだけの力を有する存在なのだ。


 彼ら――魔術師という存在は。




※※※




 僕が例の影に追い付いたのは、それから五分とかからない頃だった。

 単純な話、僕より数倍早いスピードで、影は木々を伝い跳び回っていた。

 僕にとっては、兎と亀が徒競走をするように、無謀にも等しいこのレース。その決め手は奴の試合放棄に一端を担っていた。

 試合放棄──要は動かなくなったのだ。

 何の前触れもなく、影はぴたりと速度を殺し静止した。

 休息のために鳥が羽を休めるように、影は枝木に留まっていた。


 其処は森林の中央部。

 半径数十メートル圏内にある栄養を一身に集め、その大樹は屹立していた。一回り大きなその大木を避けるように、周囲の木々はひっそりと伸びている。

 大樹の幹から伸びた苔まみれの枝上に、例の影が鎮座していた。


 石像の如く微動だにしない影を見つけてから、僕は慎重に近づいていた。

 地面に足裏を擦り合わせ、三歩近づいては二歩離れる。眼前の目標に向かってゆっくりと、しかし着実に距離を詰めてゆく。

 獲物にバレないように近づく事は、狩人である僕にとって朝飯前であった。数分としない間に、猟銃の射程圏内にも入るだろう。

 指は引き金にかかっている。

 ……無論、挨拶代わりに撃つような真似はしない。

 銃なんてものは、話し合いを穏便に済ませるための手段にすぎないからだ。


 あの影が何のために僕の前に現れたのか。

 僕の住む村に、何らかの用事でもあるのか。

 奴は──本当に、あの魔術師なのか。


 ――知らないままにはできない。

 ――奴を目撃した責任が、僕にはある。




 ……などと、気負いすぎていたのだろう。

 自分では冷静なつもりでも、頭の中では無数の感情が渦巻いていた。


 ここで一つ、僕は下らないミスを犯した。誰にでも起こり得る、単純なミスだ。

 単純──しかしそれ故に、事態は致命的かつ決定的なものとなる。

 

 僕の追っていた影は、森の中央の大樹の上にいた。

 僕の目線は、ずっと其処に固定されていた。

 当然ながら、影に近づくためには、ある程度の慎重さを要求される。警戒されないように、此方の気配に勘づかれてはならないからだ。

 故に、目を逸らしてはならないと考えていた。


 そして結果的に、足元がお留守となった。


 大樹の根の一部分は地面から盛り上がり、落ち葉や小草に隠れ、地形と一体化していた。

 正に、天然の障害物だ。

 それも慣れた人間ですら、一目で見分けるのは困難を極める程の代物だった。

 まして、この時の僕は上部にばかり目線が集中していた。

 

 ──僕は、木の根に足を引っかけた。

 

 重心が前方に傾いた。地面が迫る。

 片足が前に出なかった。地面が迫る。

 銃を抱えていて、両手で体を庇えない。

 今なお地面が迫っている。


「────んっ」


 僕は咄嗟に身体を捻った。

 抱えた銃を庇うように、腕の方向から地面に接着するために、重心をほんの少し左へ逸らした。

 この角度なら、鼻の骨を折る事もないだろう、僕が内心安堵した矢先の事だ。

 ほっと一息つく間もなく、其れは起こった。


 ──不意に、溶けた鉛を、喉奥に直接流し込まれたような感触がした。

 頭の中で、けたたましく警報が鳴っていた。

 何か、猛烈に嫌な予感がした。

 その予感の正体に気付くより前に、全身に叩きつけられるような衝撃が走った。


 そして、その予感は的中した。

 僕が地面に叩きつけられるのとほぼ同じ瞬間、何処かから破裂音のようなものが聞こえたのだ。

 空気が割れるような音だった。

 僕はその音をよく知っていた。


「…………………………は?」


 脳が理解を拒んでいた。

 視線の先は数秒前から変わっていない。未だに、影が枝上に鎮座する様子がよく見える。

 その視界の中に、うっすらと異物が混じる。

 ゆらゆらと立ち昇る白煙。

 それは、猟銃の口から出ていた。


「……あ、ああ」


 血の気が引いていく。

 だのに心臓は早鐘を打ち、呼吸もままならない。

 視線を下に向け、僕は震える唇で言った。


「…………僕、だ」


 其処にあったものは、指だった。

 銃の引き金を引いた、男の指があった。


 次の瞬間、僕は猟銃を放り棄てた。

 どさり、と音を立てて、銃身が僅かに地面に沈む。

 そのすぐ隣に、同じく大きな落下音と共に、あるものが降ってきた。

 それを見て、僕は思わず息を呑んだ。


 背丈は僕とほぼ同程度。

 裾の破れた黒いぼろ切れが、頭から膝下まで覆っていた。顔も隠れている。

 そのぼろ切れからは、僅かに白い肌が覗いていた。

 布の下からは、肉感的な曲線が浮き上がっている。

 それは僕の追っていた影そのものであり、顔を見るまでもなく人間そのものでもあった。


 僕の足元に、件の影が横たわっている。

 ぐったりとしていて、意識は無い。

 顔を覆う布切れを取っ払い、僕は愕然とした。


 そこにいたのは、女性だった。

 色素の薄い、腰まである金の巻き毛。

 目鼻が高く、整った顔立ち。

 年齢は十代後半だと思われるが、少々痩せぎすな体型だった。

 此方が心配になるくらい色白で、そして──彼女を中心として、周囲の地形が紅に染まっていた。




 それが、始めて見る彼女──ティールさんの寝顔だった。

 これから何度も見る事になる、そのあどけない表情を見て、僕は──


「うわああああああぁあああああああああああああああああぁぁっ!!」


 ──僕は、どんな表情をしていたのだろう?

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