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案内人「白雪姫」  作者: 目くじら
第3章 白雪姫と薄紫の三姉妹
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第33話 人馬一体

「──イィィイーーーーヤッホォォオオーーーーーー!!」


 肌を殴りつける様な突風を感じながら、僕は無我夢中で叫んでいた。

 不思議なもので、その風に当てられていると気分が高揚した。髪が煽られるだけではなく、重力に逆らい顔面中の皮膚が水平に引っ張られていたにも関わらず、笑いが止まらなかったのである。

 同じく御者台に乗り込んでいた同乗者については、どういう訳か静かなもんだったが。

 

 その馬車の速度は、通常の其れと比して2、3倍はあった。

 そんな代物で味わう高揚感、万能感たるや。僕らしくもなく、ハイになってしまうのも仕方ないのではなかろうか。


 

 

 周囲の風景は次々と移り変わり、脳内で像を成すより先に、色の付いた線よろしく溶けては消えてゆく。

 子供の頃、様々な絵具を混ぜ込んだパレットを想起させる光景。

 自分には絵を描く才能が無いと分かってからというものの、画材など取り扱おうとすら考えなくなってしまったが、こういった類のものを目にすると、無性に浮足立ってしまう。


 閑話休題、この異常な速度を体現する元凶は僕の眼前に剥き出しの背中を露わにし、地を蹴って走り続けていた。

 元凶たるソイツは──四本足で地上を駆ける一頭の馬。

 ソイツの全身は黒色の毛並みに覆われていたので、僕は勝手に黒馬と呼んでいた。

 

 黒馬はダイデムの飼っている馬と比して、その実二周り程度は小柄だった。

 恐らく、多少なりとも『変身前の姿』に影響される為だろう。そんなに痩せた体から、何故それだけのパワーが湧き出るのか不思議だったが……まあ、眼前で起こっているだけが、事実なのだ。

 そして、馬力を主張するかの様に、黒馬は時折、白い蒸気と共に荒々しく鼻息を噴出していた。

 先刻より、幾度となく見ていた光景だ。

 

 その馬は鼻息を吹く度に、こう吠えるのだ──文字通り、人間の声で。


「やっぱり気持ちいいなあ!! 偶には全力で駆け回るのも──悪くないっ!!!」


 慣れ親しんだものではない馬車の乗り心地に涙ちょちょ切らせながら、僕は目を瞑る。

 それは肌を吹き抜ける風を気分よく味わい、折角の高速車両を存分に堪能する為であり。

 また、こうなった元凶を振り返る事で、自分自身を納得させる為でもあった。

 



 


 ※※※



 

 時は少し遡り、早朝。

 未だ『馬の繋がれていない』馬車の前で僕とティール、それとクラウンが一堂に会していた。

 普段の僕ですら起床時間にはまだ早く、欠伸を噛み殺していたのに、残りの2人は元気なもので。


「何でまだ、コイツが此処にいるんだよ!!」

「おやおやおやおや、コイツ呼ばわりは酷いんじゃあないの。オレと君達2人の仲でしょうよ」


 驚嘆の内にあるティールと、何処吹く風といったクラウン両名。できる事ならば、彼らとは他人のフリをしていたかったのだが、いつまでもこの状況に甘んじている訳にもいかなかった。

 一方的に嚙みついていた少女の真横から、諦め半分ではあるものの、僕は仲介に入るべく挙手をした。

 しかしその手は──


「まあまあ落ち着いて下さい、ティールさん。そう熱くなっては疲れるだけです、冷静になりましょう。……クラウンさんも、不必要に煽らないで下さ──」

「テメーが一番煽ってるんだよ! 私が今ッ、誰に言ってるか分からないかな、リド君よお!!」


 ──激昂する少女によって、叩き落とされた。

 咄嗟の事で身体のバランスを崩し、僕は背中から崩れ落ちた。半端な態勢で倒れ込んだが為に、肺内の空気は余す事無く漏れ出ていった。

 激昂する少女。僕をリド君と呼ぶ人物は、この世に1人しかいない。ティールは肩で息をし、僕の方に鋭い視線を向ける傍ら、片腕でクラウンの胸倉を掴んでいた。


「私さあ、さっき言ったよな? 何でまだ、コイツが此処にいるんだって……コイツがシャバに出ている道理がない。聖騎士共に連行されたはずだ!! 違うか!?」

「え? いや、そうじゃあなければ、彼はこの村にいないと思──ってか、ティールさんってそんな風に怒るんですね。正直意外でした。もっと飄々としているものとばかり」

「…………別に、怒ってない!!」


 いや、怒髪天の真っ最中じゃあないですか、と。

 そんな感想を抱いたのは、どうやら僕だけではなかったらしい。

 

「本当に怒ってないのなら、そう長々と葛藤するもんかぁ?」


 苦笑するクラウンもまた、同じ事を考えていたらしかった。




 ※※※




 それから数分後、何事もなかったかのように、ティールは平静を取り戻した。

 信じ難い事だったが、彼女の怒りの矛先はどうやらクラウンではなく、本当に僕のみに向いていたらしい。

 彼女によると、僕が黙って暗躍していたのが気に食わないとの事で、謝罪をしたらすんなりと受け入れて貰えた。随分と安上がりなもので、肩透かしを食らった気分だった。


 謝罪を受け入れた後のティールはかなり落ち着いていたが、僕とクラウンを地べたに座らせていた。

 仁王立ちで此方を見下ろす形をとりつつ、ティールは言った。


「それで? 説明してもらおうか。第一に、クラウンがシャバに出ている理由は?」

「彼の身柄を僕が匿っていたからです。聖騎士が来る日程は知っていたので、事前に地下に埋めました」

「へいへい、埋められやしたよ」


 粛々と報告を行う僕と、唇を尖らせそっぽを向くクラウン。若干や反抗的な態度のクラウンに対して、ティールは氷点直下の眼差しを叩きつけていた。

 ひょっとすると、まだ信用されていないのかもしれない。適当なでっち上げではないのかと、思われているとか。


 ……確かに嘘っぽい話だが、残念ながらどうしようもなく、それは真実に違いなかった。

 クラウンの身柄は、聖騎士が来訪する数日前より、こっそりと僕の家の地下に穴を掘って突っ込んでいたのである。

 かなり無茶をしている様に思われるかもしれないが、『彼自身の協力』があれば難しくはなかった。

 

「……第二に、この事を知っている人物は、他にいるのかい?」

「ここに居る僕ら以外だと……コールタール先生ぐらいじゃあないかな。この人を匿う提案をしてきたのも、先生ですし。何でも、酒の趣味が合うんだそうで。意気投合したみたいです。ふざけた話ですが。あのお爺ちゃん、意外とそういうトコあるんですよ」

「登場人物、全員とち狂ってやがるな。オレも含めて──って痛ァ! 何で殴るんだよォ!!?」

「………………」

 

 無言のままに、ティールはクラウンを殴った。……良い歳したオッサンが過剰なリアクションをとっている絵面というものは、思いの外冷めるものだ。

 ベシベシと頭を叩きながら、ティールは再三の質問を口にした。


「…………最後にこれだけ聞かせてくれ。クラウンを選んだ理由は?」

「話してみたら存外良いヤツだったから──いえ嘘ですごめんなさい。お願いだから、僕にまで拳を振り下ろそうとしないで……」

「……そんなに怯えるくらいなら、最初からやらなきゃあ良いのに……まったく」


 頭痛にでも襲われているのか、少女は額に手をやりつつ、嘆息した。

 次いで目線だけを僕に向け、「それで、本当のところはどうなんだい」と訊ねてくる。

 彼女のそんな言葉に、僕とクラウンはほぼ同時に首を傾げ──少なくとも僕に関しては──落胆した。


(本当のところ、か。嘘は付いてないんだがなあ)


 確かにティールからしてみれば、自分だけ情報の共有がされていなかったのだ。不満に感じるのも仕方ない。

 けれどそれは事実をぼかして伝えているだけで、偽の情報を掴ませている訳では、決してない。

 なれば、僕にだって思うところはある。

 

 ──こんな風に、嘘つき呼ばわりされる謂れはないだろう、と。

 

 ただ、一瞬とは言え、ティールの訊ね方に不信感を覚えた僕と言っても、その理由については、すぐに納得する事ができた。

 少女の次の言葉で、気付いたからだ。自分達が互いに何を知り、そして何を知らないのか。


「だって、只の一般人なんだろう。そいつ」

「え? まあ。何の変哲もない小市民ですけど……?」

「……あぁ、そういえば」

 

 質問の意味が分からず、戸惑うクラウンを見て、僕はようやく知識の擦り合わせをしていない事を思い出したのである。

 ティールとクラウンが面と向かって会話らしいものをするのは、今が初めてだった。

 なら、知らなくて無理はないのだ。そう考えると、スッと腑に落ちた。


「ティールさんには言ってませんでしたっけ。クラウンさんは魔術師なんですよ。凄いでしょ」

「……は?」

「………………え、今教えたのお?」


 無計画なモンだ、とクラウンは嘆く。

 その一方で、驚愕に表情を歪めるティールも居る。

 

「は、はあ!? こいつも魔術使えんの!? 嘘でしょ、最悪じゃん!!」

「何だ何だ? 魔術師は嫌いかい、お嬢ちゃん。……泣いちゃうぞ?」


 目を剥いたティールの反応は、教科書に載せたくなるくらい、お手本レベルの驚愕面だった。

 雷に打たれたみたいに少女は身体を跳ねさせ、跳び上がっていた。

 あるいは、フライパンの上で焙られるコーンの様に弾け飛んでいた、とでも言おうか。


 いずれにせよ、この時の僕にとっては眼福だった。彼女がこういう風に取り乱す事は、そうなかったからだ。

 凍り付いていた彼女に、僕はホクホク顔で説明を続けた。


「クラウンさんの魔術は凄いんですよ。魔術ってね、世界中で日夜様々なものが発見されていますが、汎用性で言えば、この人の魔術はトップクラスです。

 戦闘力や機動力だけではなく、器用さも兼ね備えている。バランスの高さが魅力です。」

「よせよせ、そう真正面から褒められると調子狂っちまうぜ。何だ、蒸留酒一杯でも奢ってやろうか?」

「いりません」


 詰まらない世辞は止めろと、クラウンは柄にもなく落ち着かない様子だった。その癖、鼻の穴を膨らませて調子づいているのだ。

 空回りしている事、教えてやった方が良いんだろうか。

 ……彼の魔術について聞いた時から考えていた事だが、ひょっとすると、あまり褒められ慣れていないのかもしれない。

 勿体ないものだ。『あれだけ』の魔術を使えると言うのに。


 ひょっとすると、彼は僕の様に──と思考した時の事だった。

 びしりと猛々しく手を掲げると、ティールは言った。


「……それで? クラウンのヤツはどんな魔術をお持ちなの? この場で知らないのは、私だけなんだろう」

「ああ、それは──」

「少しばかり待ってもらおう!」クラウンの大声が、鼓膜を破りかけた。

「……何ですか」

「ストップだよ、ストップさ。リドリー青年よ。オレの魔術は、実際にその目で見た方が分かりやすいだろうからね。

 今日は久方ぶりのシャバの空気を味わえたおかげか、気分が良いんだ! サービスしてやるよ!! ハッハッハッ!!!」

「…………………………」

 

 空を見上げつつ、高らかな態度をとっていたクラウンだったが、次の瞬間、彼はそれまでの飄々とした態度を嘘の様に鎮めた。顎を引き、右手を鋭く天目掛けて突き上げていた。

 たったそれだけの事であったが、その立ち姿にはオーラがあった。

 

 ──次の瞬間。

 紫電が全身に走ったかの様に、その姿は魔力で覆われていた。バリバリと音を立てながら、魔力はクラウンの周囲を波の様に揺れている。

 ザルバが魔術を使う際、葉に魔力を流していたのと、同じ理屈だ。術の『対象』となる彼本人を魔力の膜で包んでいる訳だから。

 

 今はまさに、魔術を使う準備段階といったところか。もう数秒もすれば、その全容をお目にかかれる。

 そのせいか、先刻までのクラウンとはまるで違い、今の彼は相応の風格を持ち合わせていた。


「なあ、急に何を──」

 

 唯一、唐突に生じたクラウンの変化に付いていけない人物──ティールが不安らしく、訊ねた。

 変化としては些細な物だったが、ほんの一瞬でクラウンの纏う空気が一変した事を、ティールも知覚したのだろう。故に、彼の豹変ぶりに疑問を持ち、少女は声を掛けようとしたのだ。

 けれど、その時だった──彼が『魔術』を発動したタイミングは。


 瞬間、クラウンの肉体が鼓動した。

 彼の全身がボコボコと盛り上がり、肉が泡立ち始める。

 暫くして泡が消えると、彼の全長は3メートル程度まで巨大化しており、何時の間にか四足歩行になっていた。

 

 胴体および四肢は長さ、厚み共に増し、全身が黒い体毛で覆われている。丸太に肢が付いた様な体躯に、尻尾も生えている。

 耳はピンと突き立ち、顔面にはくりりとした黒目。

 彼は歯を剥き出しにすると、笑んだ様にフレーメンして──喋ったのだ。


「さあ、行くぞお前ら──手始めに、オレに手綱をかけてもらおうか」


 自身を『馬』そのものに変質させた、クラウンはどういう原理か。我々人間と同じ言語でそう言った。

 

 ブルンブルンと鼻息を吹かす彼に対し、『既にその魔術を認知していた』僕は何も言わなかったが、ティールは違った。

 彼女はクラウンの魔術について、この時まで何も知らなかった。

 クラウン本人はおろか、僕からも伝えていないのだ。この瞬間、初めて認知したのだろう。むしろ、そうでなくては計算外だ。


 事実、彼女はそれまで何も知らなかったのだそう。

 クラウンが魔術を有する事実とその詳細について、ゴーリ村で把握している者は僕くらいしか居なかったのである。

 詰まる所、限りなく純粋な反応。魔術に対する純粋な反応が見られる──と、我ながら性悪だとは思うが、小さじ一杯程度の好奇心が僕の心臓を打っていた。

 ザルバとの戦闘時は惜しくも聞けなかった──ティールの魔術への姿勢。

 其れを一言一句漏らさぬ様にと、彼女の反応を聞き逃さんと澄ませていた僕の耳を、その呟きが叩いた。


「変態だ」


 息を呑んだ。

 ……これは大物だ。



 

 かくして彼は人から馬へ──そして、僕とティールの足と成ったのである。




 ※※※




 クラウンを足とした馬車の旅は、至って順調だった。むしろかなり快適な方だった。

 なんせ、通常の馬が出せる速度を一回り二回りと上回るのだ。肌を通り抜ける風も空気を裂く音も、そうそう経験し難いもののオンパレードである。

 正直、車体に無理をさせているだろうが──男児として生受けた者ならば、誰であろうと心躍らぬはずもない。


 首都までの道すがら訪れんと、遥かより計画していた『目的地』への到着時刻を巻けそうでもあったしな。

 

 それに何より──地上を縦横無尽に駆け回る力を開放する彼を見ていると、胸のすく思いであった。

 文字通り馬面の男から、微細な表情を読むなど不可能に違いないのだが、それでも。

 それでも。

 その顔には確かな充足感が。

 生を実感している者だけに滲む、笑顔らしい口角の変化が見えた気がした。


「──君。リド君……ちょ、ちょっと聞いて…………?」


 馬車の乗り心地に身を委ねていた僕を現実に戻したのは、その声だった。

 声の方に顔を向けると、隣に腰掛けるティールが僕の服の裾を掴んでいた。普段の気丈な彼女を知っている人物なら、「あり得ない」と首を横に振った事だろう。

 彼女らしくもない気弱な姿勢。それに面食らい、僕は恐る恐る訊ねた。


「ど、どうしま──」


 けれどもその時だった。

 クラウンの必死な声が上がったのは。


「おい! 前見ろ、前!!!」

「え?」


 焦った様なクラウンの忠告の意味を正しく理解するより先に、僕の──否、僕達の乗っている馬車がふわりと宙に浮いた。

 其れは大石を踏んだ事によるアクシデントであり、その単純な原因に僕が気付いたのは、落下した衝撃が僕の鼻先を叩いた直後の事だった。

 

「悪ィ! うっかり踏んじまった。怪我ァないかい、御二方!?」クラウンは遅れてそう発した。

「ありますが」更に遅れて、僕の鼻先からブシッと血が噴き出る。

「ンだったら、息はあるな。問題ねーか」徐々に速度を落としながら、クラウンは不意に訊ねる。「……嬢ちゃんはどうだい?」


 僕は彼の背中を見て、ティールを一度見て、もう一度彼の背中を見た。一拍置いて、曲がった鼻筋を素手で真っ直ぐに戻す。

 そして呼びかけた。


「クラウンさん、止まって下さい。緊急です」

「どうした? やっぱり何かあったのか?」

「……まあ、あったと言えばあったんですが……いや、だから、まずは止まって頂いて……」

「何だよ。俺の運転に文句があるならハッキリ言え」


 頭を掻きつつモゴモゴと言い淀む僕に対して、クラウンは苛立った様な声音で言った。

 確かに彼の言う通り、適当な運転に文句の十や二十はぶつけてやりたかったが、『今は』そういう訳じゃあない。

 問題は其処じゃあないんだ。

 

「……ゲロですよ」

「ゲロォ……? あぁ、そういう事ね」


 一を聞いて十を知る事が出来るのか。その察しの高さは魔術師故か。

 クラウンは納得した様子で、鼻息荒く言った。


「嬢ちゃんが吐いたんだな。さっきから、やけに静かだと思ってたよ。おっ、ツンとした刺激臭も来たなァ」

「………………」

「……ありゃ、もしや軽口も叩けないくらい酷い状況かな。今は?」

「あんまりイジメないであげて下さいよ。……ねえティールさん、しんどいでしょうけど、1つだけ教えて下さい」

「……………………何?」


 ティールの声は、ガサガサに掠れていた。絞り出す様な声には、隠し切れない不機嫌さも混成している。

 ほんの少し、声を掛ける。たったそれだけの事も躊躇われる程の不調ぶりに気が引けつつも、僕は訊ねる他になかった。


「ティールさん。何時から酔ってたんです?」

「……………………」


 今にして思えば、彼女が最後に口を開いたのは、乗車前だった……はずだ。

 変身したクラウンに気を取られて気付けなかったが、「マジで乗るの……?」と彼女がドン引きしていた光景が、薄っすらと思い出せる。

 変身魔術に動揺していただけだと思っていたが、もしかすると違うのかもしれない。


「何時からって、それは……」

 

 質問の意図が伝わらなかった訳ではないが、ティールは答えを渋ってみせた。

 口元を両手で塞ぎ、恨めしそうに上目遣いをして睨んできた。吐瀉物にまみれてなければ、良い絵になっていた事だろう。

 馬車が完全に停車して、酸っぱい臭いが空気中に充満した頃、彼女はようやく言った。


「御者台乗って5分後」

「…………そんなに弱くて、よくここまで持ち堪えましたね。尊敬します」


 短く苦笑して、僕は脳内の地図から水場の位置を検索する事にした。

 そして思い出す。

 クラウンに引っ張って頂いたとて、それでも半日以上は余裕で掛かる距離である、と。

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