第32話 立つ鳥跡を濁さず、案内人は先づ生まれる
──魔術師のザルバをたった一瞬で無力化した魔道具と、それを所持する聖騎士。
50人以上の身柄をものの十数分で消失させた彼らは、「これで用事は済んだ」と言わんばかりに撤収作業を始めていた。
簡易な物だけだったとは言え盗賊達には拘束具を着用させていたのだが、それでも抵抗を図った輩が多くいたからだ。
余波で破壊された屋内をせっせと片づける献身的な姿に涙腺を誘われる中、僕は隣人に静止の声を掛けていた。
「考え直してください、ティールさん。無茶です」
「無茶で結構! 今が絶好の機会なんだから!!」
僕の左手で押さえ付けられた隣人──もといティールはジタバタともがきつつも、遠くにある魔道具を血走った目で捕捉し続けていた。
浅い呼吸を繰り返し、飢えた獣の様な形相を涎まみれにしている彼女に、僕は嘆息する。
……危うい処だった。
聖騎士らが慎重に取り扱う「ミコシ」目掛けて、潜んでいた茂みから突撃しかけた彼女を取り押さえるのが一瞬でも遅れていたら、取返しのつかない事になっていただろう。
国の管轄にある聖騎士に手を出そうなんて、流石に許容範囲を超えている。
そのせいか、加減を多少間違えたらしい。
どうにも顔面を全力で地べたに叩きつけてしまった様なのだ。
出血も骨折も、どうせすぐに治るが、常人だったら後遺症が残っていてもおかしくなかった。
充分な距離を取っていたので、僕とティールの取っ組み合いはバレていないはずだが、それでもギリギリだ。
倫理的に。
「兎も角、まずは落ち着いて下さい」
「無理だ、落ち着いている!!」
今の返事は肯定と否定──そのどちらなのか。
兎角、興奮状態にある隣人をクールダウンさせるべく声を掛けたのだが、当人は気付いてか、そうでないのか。
先般よりも心なしか声量を落としたものの、無茶な提案を投げかけて来た。
「アレを鹵獲しよう!」
「しません。犯罪ですよ」
にべもなく断りつつ、ティールが指し示す方角を僕も目で追う。
彼女の指すアレとは、まさしくミコシの事だった。
天下の聖騎士サマが大事に抱える最新鋭の魔道具。未知なる装置。
何に使うつもりかは知らないが、彼女の考える事なら大方の見当はつく。
「じゃあ、一時的に使わせてもらえないか交渉するのは?」
僕の呆れた様子を前にしても、ティールは何処吹く風だった。
そんな彼女の申し出を、僕は当然──
「却下」
──丁重にお断りさせて頂いた。
その返答は僕にとって至極真っ当な結論だったが、どうやらご満足頂けない方もいらっしゃったそうで。
「は?」
僕にとっては自明の理ではあったが、どうやら彼女は違ったらしく、殺気の籠った目を向けてきた。
どうやら、納得のいく説明が必要だったらしい。そう判断した僕は、彼女を押さえ付けていない右手の内、人差し指だけをピンと立てて言った。
「リスクが高すぎるんですよ。ティールさん、今の状況理解してます? その身体、何て説明するつもりなんですか?」
「説明する事柄なんてあったモンかよ」
「……不死身の肉体の事ですよ。もうボケたんですか? アンタまだ16歳のはず──」
「だからそれの何が問題かって聞いてるんだ。さっさと結論を言いなよ」
僕の声を遮りつつ、ティールは静かなる激情を露わにした。
恐らく、彼女にも心当たり自体はあるはずなのだ。ただ、それの何が問題なのかまでは理解できていなかったに違いない。
他にも、柄にもなく焦燥していた為でもあったのだろう。まあ、無理もない事か。
彼女は自身の持つ異常な力への認識が足りなかったのだ。現状、知識の擦り合わせが不十分なのである。
足りなかったのは、それだったのだ。
無論、ミスがそれ1つだけとは限らないが、知っておくべき事実というものは、何にでも該当する。
その説明が必要だと、今更ながらに腰を上げた。
「良いですか、ティールさん。あなたがこれからもし、聖騎士に捕まるなりして国の研究機関に連行され、その不死身の肉体についてバレたりしたら、果たしてどうなるか──答えは簡単。実験用のモルモット同然に扱われるんです。全身の解剖や薬漬けは勿論、脳ミソ弄られて……最悪、廃人になるかもしれません」
「……人体実験」
ぽつと溢れるティールの言葉からは、いつの間にか力が抜けていた。
その目は未だ微かに光を放っていたが、もう怒気は感じられなかった。
その目に映るは静かな諦観の色一つのみ。汲み取れたものは、他になかった。
「彼らは、別に正義の味方でも何でもないのでね。国の命令に従って人を救う事があれば、翌日には救った人々に牙を剥く事だってザラです。舐めてかかると、痛い目に合うどころじゃあ済みませんからね」
「そうかい。なら、諦めろと言うのかい?」
そうだ。諦めろ──喉元まで出かかったその言葉を、しかし僕は口にする事が出来なかった。
特段否定的な意見があった訳ではない。
むしろ、心情としては真逆だった。
彼女の手に渡れば、それはただの自殺手段に成り下がるのだろう。それでも、僕は彼女の意向を応援したくなっていた。
「そうじゃあなく──何と言ったら良いか……発想自体は悪くないんですよ」
「発想だって?」
そういうティールの表情は、肯定されるとは微塵も思っていなかった様だった。その目は満月の様に丸く、愕然と見開かれていた。
「ゴフッ」
そんな彼女の顔を見て、僕は一瞬吹き出した。
しかしティールがそれに突っかかってくる前に、僕は開口する事ができた。
「ティールさんの言う事にも一理あるって事ですよ。僕だって、あの魔道具の能力を使う事には賛成です。それでも、聖騎士に協力を頼むのは難しいでしょうし、彼らから奪い取るってのは、ほぼ不可能です。そもそもティールさんの能力には、まだまだ不明瞭な点が多い。だから、誰彼構わず情報を流すのは避けるべきです」
背中を押してやりたかった。
肯定してやりたかった。
本当は否定するつもりなんてなかった。
けれど、多少なりとも僕はティールより年を食っているし、彼女の保護者で、魔術の師でもあるのだ。
故にその口上も、果たすべき責任の1つだと思っていた。
「兎も角、聖騎士とはあまり関わらない方が良い。彼らが信用に足る集団なのか、正直判別できませんから」
「………………」
彼女は何も答えなかった。
※※※
「……聖騎士が帰っていく」
草むらに忍び、ミコシを担いで去り行く騎士達の背を眺めていると、傍で隠れていたティールが言った。
あれからもう十数分は経つが、彼女はその間、大人しく沈黙を保っていた。
どんな感情で僕の隣に座していたのか知り得ないが、僕も自分から訊ねようとは思わなかった。
その時間は何事もなく、穏便に過ぎ去っていた。
──やっと、聖騎士が掃除を終えたんですね。いやあ、長かった長かった……もう足が痺れてますよ。
苦笑交じりにそう言おうと首を傾け、僕は息を呑んだ。
それは、こちらを見やるティールの表情が、彼女らしからぬ淡白な風に歪んでいたからだ。
そう言えば、記憶を取り戻した直後にも似た様な表情でいる事が多かったと思う。
しかし呑気にも、そんな物思いに僕が耽っていられたのは、次の瞬間までだった。
「単刀直入に聞くけど……私を騎士様に引き渡さない理由って、何?」
声には出さなかったが、心臓が跳びはねた気がした。
そんな僕の動揺など見透かした風に、眼前の少女は嘆息ついでに吐き捨てた。
「別に、今更隠す必要なんてないだろう? 私は君の弟子である前に、まだ子供だし、帰る家──と言うべきかは定かではないが──だってあるんだから。それに子どもは親元に変えるべきだ──と、君はそう思っている」
「うぐ」
「本当に、君は嘘が下手なんだな……でも安心しなよ。別に私は君の考えにケチつけようって訳じゃあない。むしろ、感謝してるくらいなんだから」
「……え?」
……感謝とは、どういう意味だ。
「でもね、私は今の待遇に甘んじたままでいられるなんて、そこまで自惚れてはいないよ。君が何時も言っている事だよ」
「? ……それってどういう──」
「どうせ死ねないのに──ってヤツさ」
その時になって、僕はやっと気付いたのだ。頭の天辺から足先の神経に至るまで、余さず電流が走った様な衝撃と共に。
点と点が繋がった感覚と言うべきか。
彼女の事を砂粒一つ分程度ではあるが、何か理解できたにも等しい高揚。
ティールの死生観に、少しだけ触れられた気がした。
──故に、その言葉は勝手に吐き出されていた。
無意識に、言うつもりの無かった提案が、息をついて漏れ出したのだった。
「……3日後、ですかね」
「何が」
不機嫌を隠そうともしない彼女が間髪入れずに聞き返してくるのにも、僕は一切気に留めず。
極小の点になりゆく聖騎士の背中から目を話そうとも思わず。
ただ一つ、提案するのみだった。
「3日間──それだけあれば、これまで盗賊共をぶち込んでいた牢屋だとか、その他諸々の後始末が一段落するんですよ。だから、そしたら……」
「何なのさ、モゴモゴ喋ってないでハッキリしたまえよ。私に言いたい事があるんだろ?」
此方の思惑を見透かす様に、ティールは瞼を細める。
反射的に逸らしたくなる視線を気合で押さえ付けながら、僕は開口した。
「………………せんか」
「声が小さくて、よく聞こえないんだけど」
「だから、その──」
両の指をわきわきと彷徨わせながら、僕は自分でも意図せぬままに片膝をついていた。
そうしたくなった理由も知り得ぬままに頭を下げ──僕はいつかの宴会の日、ダイデムに言われた事を思い返していた。
『お前はティールちゃんに付いていくからな』
……ひょっとすると、彼はこうなる事まで読めていたのだろうか。
だとすると、心底腹が立つ。
何故ならそれは、僕があのニヤケ面の手で踊らされていたという事に他ならないからだ。どの程度腹立たしいかと言うと、頭の中で、未だこの村で治療中の男が二本指を伸ばしている場面を容易に想像できる程だ。
(……落ち着いたら、一発殴りに行ってやる)
僕はそう心に誓うと、少しだけ胸を張った。
先刻よりも全身はいくらか軽くなった様に感じたが、それには気付かぬフリをして、僕は言った。
「どうか。ティールさんのご自宅までの道案内を、頼まれてはくれませんか?」
裏表のない堂々とした態度が、功を奏したのか。
さしものティールも、咄嗟の事では頭の回転が追いつかず、面食らったらしい。
「……別に、良いけど?」
承諾したは良いものの、自分でも何を言っているのか分かっていない様なティールの表情は、実に新鮮だった。
※※※
それからあれよあれよという間に月日は流れ──約束の日がやって来た。
聖騎士の来訪より3日後。
その明け方、僕とティールは荷物がいっぱいに詰められたバックパックを背負い、村のはずれに立っていた。
「さて、準備はできましたかね? ティールさん」
「いやいやいや」
正に今は出立直前という時分、僕は彼女に言った。
やはり彼女は気分が乗らないのか、少し前から頻繁に首を振っていたのである。
僕が何を訊ねようとも、彼女はイヤイヤと返す──
「今日この村を発っては、当分の間は帰ってこれないでしょう。忘れ物はありませんね?」
「いやいやいや」
──そう、こんな具合に。
けれど僕は、そこまで悲観的に捉えてはいなかった。
かえって気分は上々で、さながら遠足前日の少年の様だった。おっと、前日ではなく当日と言うべきか。
(……いかんな。機嫌が良いどころか、浮足立ってしまう。これじゃあ年上としての威厳もへったくれもありゃしない)
これではいけないと気を引き締めるべく、僕は咳払いをした。
次いで、ティールが背負う荷物にちらと視線を向ける。
「まあ、忘れ物なんて──ティールさんの持ち物は、元来少ないから大丈夫でしょう。……さて! こうしている内にも、時間は過ぎてしまいます。急がないと──」
「いや、だからちょっと待ち給えよ! 流石にこれはおかしいだろ!?」
……。
…………。
……………………。
「……………………あ、え?」
危ないところだった。確実に一瞬、意識が飛んでいた。
耳をつんざく悲鳴に、鼓膜を4、5枚は破られた様な気がする。
……よろめく寸前って、何故か多幸感に包まれるよなあ──なんて暇な事を考えつつ、僕は彼女に訊ねた。
「……何ですか。もしかして、まだ昨日の事を根に持ってるとか? お菓子の一つや二つ取ったからって、大袈裟すぎるんですよ」
「一つや二つ、だって……? あれはそんなモンじゃあない! 5つも食べたんだぞ、私の分を!! それなのに善くもまあ、ぬけぬけと──いやだから、そうじゃなくて!!」
肩をすくめて鼻で笑う僕を前に、ティールは額に青筋立てて怒りを露わにしていた。
およそ無意識だったのだろうが、彼女は振り上げていた拳をゆっくりと下ろし、1度のみ深呼吸した。
その姿こそ、多少の無理をしてでも平静を取り戻そうとでもしている様に見えた。
……何と形容しよう。
それこそ、普段の僕そのものを見ている様な……こんなトコだけ、僕に似なくても良いだろうに。
眼前の少女は嘆息しつつ、肩を落とした。
鏡の前で見慣れた表情──
「……百歩譲って、実家までの道案内は頼まれてもいーんだけどね!? けどさ……」
──眉根を寄せた、頭の痛そうな表情をして。
「何でまだ、コイツが此処にいるんだよ!! 今頃ブタ箱で臭い飯を食ってるはずだろう!? そうじゃあなくば、嘘だ!!」
ティールは興奮治まらぬといった様子ながら叫ぶと、自身の右手側を強く指差していた。
彼女が差した先にいたのは、僕と同年代かそれより年上くらいの青年だった。
一件では、僕と同年代くらいにしか見えない小柄な青年。
人懐こい笑みを常備して、懐に潜り込む事を得意とする──ただし、信におけるかどうかは全くの別物である──そんな青年であった。
突然、指を鼻先に突きつけられたのにも関わらず、ニヤニヤと微笑を携えながら、彼は言った。
「おやおやおやおや、酷いじゃあないの。オレと君達2人の仲でしょうよ」
彼の名はクラウン。
ザルバらの盗賊騒動があった折、ティールに首を絞められて意識を飛ばされた『元』盗賊である。




