第29話 2人だけの宴会 後編
子どもの頃、僕は一時孤児院に居た事がある。
ただし、当時は捨てられたのではなく、育てる人間がいなかったのだ。
母は、僕を産む際に死んだそうだ。
流行り病にかかり、体力の落ちた時期に僕の出産が重なったらしい。
父は男手一つで僕を育ててくれたが、如何せん体が弱く、若くして逝ってしまった。
ただでさえ色白かつ細身だったのに加えて、晩年の父は、白骨を肌色に塗っただけにも見える程、瘦せこけた姿をしていた。
親族はおらず、父の所有していた遺産の殆どは僕に転がり込んで来た。しかし、だからと言って、それをどう保管したら良いのか、当時は皆目見当もつかなかった。
けれども、今となっては、それも仕方のない事だったと思う。
その頃の僕は、歳の割には落ち着いた性格をしていたそうだが、当時は世間について何にも知らない、ただの若造に過ぎなかったのだから。
父が死んでから、父の友人や関係者を名乗る人物が、何人か訪ねてきた。
けれど、彼らが遺産目当てに近づいてきた事は、誰の目にも明白だった。目の形が小銭状に歪んでいた様にすら見える程に。
後にも先にも、あれ程他者が不気味に見えた事はない。
軽い人間不信に陥りかけた僕を救ってくれたのは、馴染みの孤児院に口利きしてくれたコールタール先生と、当時はまだ商売人としては駆け出しだったダイデムくらいのものだった。
※※※
「……僕がティールさんに付いていくって、どういう意味です?」
すっかり、太陽は落ち切っていた。
少し肌寒くなってきた中、僕は灯りを挟んで向かいに座るダイデムに訊ねていた。
眉根を寄せ、食って掛かった様な物言いになっていたかもしれないが、当のダイデムはちっとも気にしていない様子で、ちびちびと豆を齧っていた。
やがて、口に放り込んでいた2、3粒を水と一緒に流し込むと、彼は言った。
「意味なんて無いし、言葉通りだ。数日後、お前はティールちゃんとゴーリ村を出て行く。まあ、その内帰ってくるかもしれないけどな」
「数日後って……いや、そもそも何で、ダイデムさんが僕達2人の予定を決めているんですか。それが分からないんですってば」
「は? 俺が勝手に決めつけているって? まったく、何を言うのかと思えば……」
ダイデムは不服そうに眉間に皺を寄せると、ちょいちょいと額を指で掻いた。
だが、その指の動きをすぐに止めると、背中に腕を突っ込まれたような表情で、此方を向いた。
「待て。まさかお前、忘れてるんじゃあないだろうな。そろそろ『例の時期』だろ。そのついでに、ティールちゃんも連れていけば良い」
「いえ、別にそれを忘れた訳じゃあないんですが……あそこにティールさんを連れて行く理由は──」
「違う違う。今さっき言ったろ? ティールちゃんを連れて行くのは、あくまでもついでだ。つ、い、で」
「ついで……? いや、だから、本当に何を言っているのか──」
──分からない。
そう言いかけた僕の声を遮るように、ダイデムは叫んだ。
「挨拶だ!」
「…………あいさつ?」
「そう、挨拶だ」
「…………………………一応聞いておきたいんですが。挨拶って、誰が、誰に?」
「お前が、ティールちゃんの母親に」
「はあ?」
いよいよ胡散臭いものでも見る様な目を、僕がダイデムに向けた時だった。
未だに心当たりの1つもありませんといった風体の僕に、ダイデムは首を傾げて訊ねた。
「……お前さ、ティールちゃんを弟子に取ったんだよな?」
「え、えぇ。まあ」
拍子抜けというか、空返事というか、兎も角、口を開きながら僕は思った。ダイデムは誰からこの話を聞いたのだろうかと。
コールタール先生かもしれないし、ティール本人かもしれない。
あるいは、もしやという感じだが、盗賊達から聞き出したのではないだろうか、と。
(まあ、そんなハズはないが……)
実のところ、その真相はさほど重要じゃあなかったのだが、それでも喉に小骨が引っ掛かる様な感覚と言うか。
故にほんの一瞬だけ、僕は次の言葉への反応が遅れてしまった。
「以前、お前は何人か弟子を取っていたが──当時とは状況が違う。お前だって分かってるはずだ」
「────」
「あの子には母親がいて、お前はその人に何の断りも入れていない。この村で生まれ育ったガキや、お前が一時世話になっていた孤児院出身の連中とは、境遇が異なる」
先般までと変わらず、ダイデムの口調は平坦なものだった。
感情を押し殺している訳ではなく、単に年上として伝える義理を果たしているだけにも見えた。
その姿は正に、普段の僕がティールに見せている姿そのものである様に感じられたからだ。
「何度だって言うがな、お前だって分かってるはずだ。人の子を預かるのなら、筋は通さなきゃあいけない。そうしなければそれは誘拐と変わらないし、いやそれ以前に──お前自身だって、納得できないだろ」
「……………………」
僕はいつから保育士になったんだろう。
あるいは、似たようなものかもしれないが。
「だから言うんだ。『貴方の娘さんに、魔術について教示させて頂きたいのですが』とかなんとか」
「………………はあ」
ティールがどんな境遇にいたのか。ダイデムがそこまで知っているとは考え難い。
記憶を取り戻した事には気付いているらしいが……親元へ帰らないで、こんな田舎にずっと引き籠っている理由まで承知しているのだろうか。
……否、疑うまでもない事だった。
恐らく、大方の察しは付いているのだろう。
見かけに依らず、彼は人心の機微に聡い。極端な話、歩く嘘発見器の様な男なのだ。
彼の前に立った人間は何者であろうとも、さながらフリーペーパーの如く真意を読み取られてしまう。
唯一の救いは、彼の持つこの観察眼が「魔術」ではなく、単純な「技能」である事か。
彼が商売人として長い年月を経て、磨き上げた努力の結晶。その為に、極々稀に読み違いもあるらしいが、そんな事は4、5年に1回程度だと聞く。
少なくとも、僕は彼の目が曇ったところを見た事はないが、本人がそう申告するのだからそうなのだろう。
ただ、心情を読んだ上で、ずかずかと踏み込んでくる気質の方が余程厄介だと、僕は思うが。
「──まあ、ここまで色々言わせてもらったけどよ。結局のところ、決めるのはお前とティールちゃんだ。2人がどうしたいかが一番大事だからな。そういう意味では、何の意味もない──けど、タイムリミットは必ず来る。それだけは忘れんな」
ダイデムの言うタイムリミットとやらが何を意味するのか。
正直よく分からなかったけれど、それは兎も角。
「はい!!」
…………親御さんの了解を取り付ける事、すっかり忘れてたなァ。
堂々とした返事と裏腹に、内心で冷や汗をかいていた僕に、ダイデムは手を叩き言った。
「さて、堅苦しい話はこれで終わりだ! リドリー、やっぱり俺も飲みたくなってきたからよ。なあ、一杯注いでくれや」
「アンタ、飲酒を控える様に言われてるハズでしたよね……? まあ、僕には関係無いですけど」
食料と一緒に少しずつ手を付けていた酒瓶を持ち、僕はダイデムの杯を覗き込む。
先刻まで、水がなみなみと注がれていたはずの杯の中身は、既に乾いてカラカラだった。
それだけ喋りっぱなしだったのだ。
「コールタール先生に怒られても知りませんよーー…………っと…………」
酒瓶を傾け、杯に注ぎかけた矢先の事だった。
僕は時間でも止まったかの様に、動かなくなった。
しかし次の瞬間には、再び動き出していた。恐らく、僕以外の誰も気付けないであろう刹那の静止。
直後、瓶の蓋を閉めた僕は、ゆっくりと立ち上がり、頭を掻くと。
「すみません。僕、急用を思い出したので、帰りますね」
「おうおう、お疲れさ──って、え、今? これから飲むところなのに?」
「……一人で勝手に嗜んでいたら良いじゃあないですか。第一、煽ったのはアンタ自身でしょう」
「いや、それとこれとは話が別──って、本当に行くのかよぉ! おい、リドリー!?」
驚愕した表情のダイデムに背を向け、僕はその場を立ち去った。
※※※
ダイデム視点
「ああ、本当に行きやがったな、あの野郎」
徐々に小さくなりゆくリドリーの背を眺めながら、俺は独り言ち──同時に、1つの疑問を抱いた。
あの青年は此処を去ってから──何をしたいのだろうか、と。
彼の行く先に、その自宅はない。
何故なら、彼はむしろ元来た道を「引き返している」のだから。
現在、リドリーは自分の家から遠ざかりつつあった。
行きつく先にあるものは、一時的に身柄を拘束している例の盗賊連中と、その為の牢屋だけだからだ。
牢屋といっても、そこは仮設住居の様なもので、一時的に放り込んでいるだけらしい。
盗賊共は残り数日の監禁生活を経た後、その身柄を首都から巡回に来る騎士に引き渡される予定だ。
全くもって、遅い対応この上ないが──まあ、愚痴を漏らすだけなら誰にでもできる。
リドリーやコールタールを筆頭にこの村に住まう者達は、自分達に牙を剥いた連中を許しこそしないものの──最低限の面倒を見る事にしたらしい。
飢え死にしない程度の食事、干からびない程度の水分、そして牢屋と言う名の寝床。
村人達の温情を受けた連中の反応は、多岐に及んだと聞いている。
泣いて喜んだ者も、下卑た笑みを浮かべた者も、与えられた食事に唾を吐き、村人に小便をかけた者も、待遇が悪いと不満を垂れた者さえいた、と。
リドリーは自分から進んで、そんな奴らの面倒を見ていた。
何かあっても、自分なら人質に取られる様なヘマなどしないから、だそうだ。
そして、今日は既に、その「面倒」を見終わっている。何故なら俺が声を掛けたタイミングは、リドリーの帰宅中だった。
つまり、リドリーは再び盗賊らの顔を拝みに行ったはずなのだ。
ならばその理由とは何か?
自分や村人、他にも大切な人を散々傷つけた輩への復讐──ありがちな動機だが、これはあり得ないだろう。
そんな事をやる奴は、もうとっくに行動に移しているハズだ。
そして、リドリーはそういう性質の持ち主ではない。伊達に2週間近くも、厄介者の面倒を率先して見る様な善人など、そうポンポンといるもんじゃあない。
心当たりなら、1つだけあるが──。
「…………ふむ」
──今からでもリドリーの後を追い、奴が目論んでいる事を止めさせるべきなのか?
一瞬、そう考えて腰を上げたものの、俺はすぐに諦めた。
そんな事に大した意味などないからだ。
リドリーが本気になれば、俺には手の打ちようがない。所詮俺など、魔術師1人に打ちのめされる程度の雑魚に過ぎない。
それにリドリーであれば、きっとあの男をも上手く操縦できるだろう。
目立つ人間ではないが──リドリーの狙いがヤツであれば、どうだろうか。
きっと、面白くなるハズだ。
※※※
リドリー視点
ダイデムと別れてから数刻が経過した頃、僕はフラフラと覚束ない足取りではあったが、何とか帰宅する事ができた。
生まれたての小鹿よろしく、全身の使い方を忘れてしまったかの様に遅々とした進み具合ではあったが、それ以外は特筆する事もなく。
その声が耳に入ったのは、僕がくたびれた雑巾の様な心情のまま、玄関前まで辿り着いた時だった。
「リド君、お帰り! 遅かったねえ!!」
「た、ただいま……」
力なくドアノブに手を伸ばしかけた僕より先に、ティールが玄関口を開け、ひょこりと顔を出していたのだ。
ティールは扉を開けた方とは反対の手を背中に回し、上目遣いでこちらを見やっていた。
その際、若干や興奮気味に頬を上気させていたのだが、理由はすぐに分かった。
「聞いて欲しい話があるんだよ。いつだったか、私がこの家で首を吊った事があっただろう? 私にしては珍しく、わざわざ早起きしてまで朝食を拵えたのに、誰かさんが寝坊した日の事さ!!」
「……あぁ、そんな事もあった様な」
「あの時、リドく──誰かさんが起きてくるまでには1時間以上はあった──要するに、手持無沙汰だったわけ。だから暇をつぶす為に、私は首を吊って待ってたんだね」
「……どうせ、死ねないのに?」
「クク、相変わらず直接的な物言いだね。まあ、今日は機嫌が良いからね。何も言うまいよ」
そう言うと、ティールは背中に回していた両手をわきわきと動かし始めた。
海底にその根を張る海草の様に指先を操りながら、彼女はその指を自身の喉元まで持ってゆき、ひた、と首の皮フを撫でた。
「ところで、首吊りってロープとかで首んとこの血管を塞いで、脳への酸素の流れを止めて死ぬんだけど──知ってた?」
「馬鹿にしないで下さい。でも……それが何だって言うんですか」
「クク、首吊りで死ぬ為にはね、要は血管を塞げれば良いのだよ。それ即ち! 首「吊り」とは言っても、高さは必須ではないって事さ! ……私が言いたい事、分かるかな?」
「分かりたくないですけど……まあ、何となくは」
苦笑しながら、僕は家の中に視線を向けた。
思わせぶりな台詞と彼女の性格からして、僕が帰ってくるまでの「暇つぶし」に彼女がしていた事は、およそ想像通りのハズだ。
案の定と言うべきか。彼女の目は笑っていた。
彼女は僕が向けた視線を追って、同じように家の中を覗いていた。
「座ったまま喉を縊る方法でも調べてたってところでしょう。自分の身体を使って」
「ご明察」
ため息交じりに言った僕に対して、ティールは円弧状の笑みで返した。
「ハンガーラック、棚の取っ手、その他各部屋のドアノブだったかなあ──この家で座ったまま首吊りできるスポットは大体探し尽くしてしまったのだよ。残りはあと1つくらいしか無い」
「1つ?」
はて、と首を捻る僕を見て、ティールは「何を他人事みたいに」とでも言いたげに顔を顰めてみせた。
「君だよ、リド君。君の手でロープを握ってもらうんだ」
「………………えっ」
「リド君は立ったまま、私が死ぬまで、良い感じの高さでロープを握ってもらえば良い!」
「………………………………」
夜半過ぎとは思えない程に、自殺プランを語るティールの表情は活力に満ちていた。
話を聞くだけの僕とは対照的に、その顔は時間を経るごとに燦々と輝いている様に見えた。
この時、別に機嫌が悪かった訳ではない──と思う。
仕事の疲れが溜まっていたからか、少量とは言え酒を飲んだからか、あるいは現在進行形でほぼ一方的に聞かされている自殺プランのせいなのか。
将又、それら全てが原因だったのかもしれないが。
「ティールさん、ちょっと良いですか」
「ん? 何だい、ロープならそこのドアノブにかかっている物を使ってくれて構わないよ。何時でも、こちらの準備は万端さ」
「そうですか、なら──」
人間、そこそこ疲弊していると、会話の一つや二つも億劫になるのだなと、僕は学んだ。
そして、その瞬間だけは一切の怒りすら捨て去る様に、しかし僕は心から言った。
「もう寝かせてください。何時だと思ってるんですか、今」
「…………え」
呆然としたティールの傍を通り抜け、家の中へ入った僕は、歯磨きだけ済ませてから、死んだ様に眠った。
その日だけは、身体を洗う気にも、小説を読み耽る気にもならなかった。
床に敷いた寝具に身体を横たえるなり、確信した。
今夜の寝心地は最高だろうと。
「……言われてみれば、日付跨いで丑三つ時だね。気付かなかった」
瞼を閉じる直前、誰かがポツリと呟いた気がした。
「ごめんよ、おやすみ」




