第26話 死ねない女の誕生日
──ティール・フォン・ヴァンディット。
それが彼女のフルネームだった。
先刻昼食を取り、後片付けを買って出たばかりのティールは、拭いていた皿を手中から取りこぼした事にさえ、気づいていない様だった。
瞳孔を開き、顔の向きを固定したまま、此方に視線だけを向けていた。
……夜中に見たら、ちびりそうな光景である。
皿を落とした事を咎めるでもなく、割れた破片で怪我をしていないか心配するでもなく、僕はずずずと音を立てながら、食後の珈琲を啜っていた。
同時にこうも考えた。
この場合、どう答えるのがベストなのかと。
沸き立ての珈琲により、舌先を微かに火傷した瞬間、答えは自ずと決まった。
特に理由はないのだが、一先ず揶揄ってみようと思った。
「ティール・フォン・ヴァンディット……? 仰々しくて、お高く留まった名前ですね」
「開口一番何てこと言うんだ」
「冗談ですよ、冗談」
案の定、ティールの反応は想定どおりのものだった。
怒りに顔を顰め、憤慨した様に地団太を踏んでいる。よく見ると、足裏から粘着質な赤黒い液体が垂れていた。言うまでもなく、それは血液だった。
落とした皿の破片で切ったのだろう。どうせ治るからと、気にも留めていない。
「これでも、首都では結構有名な貴族の性なんだよ。つまりね、超スゴイご令嬢なのだよ、私は!」
「へえ、そうなんですか」
そういう事を自慢し始めたら、人として終わりだろう、なんて野暮な突っ込みはしなかった。
「へえ、そうなんですか……って何だい、その興味のなさそうな返事は? 普通こういうのって、もっと驚いたりするものなんじゃあないの? 流石に他人事すぎやしないかい?」
「実際他人事ですからねえ。それに、ティールさんによる突拍子の無い発言は、これが初めてじゃあないですし」
僕が未だに湯気立つカップに息を吹きかけていると、ティールはつまらなさそうに唇をへの字に曲げ、言った。
「身から出た錆だって言いたいのかい!? なんて薄情なヤツなんだ! 偶に真面目に話したらこんな仕打ちを受けるなんて、君は最低だ!! この人でなしが!!」
「……そこまで言います?」
「当たり前だ! もういいよ、コールタール先生に話してくるから!!」
「それは止めておいた方がいいですよ。あの人、今凄くピリピリしてるので。ザルバ達が仕出かした件の後始末で、ここの所忙しかったみたいですから。何の用もないのに声を掛けるのはちょっと、ねえ? ……最悪殺されてしまうかもしれませんよ?」
大人が子供に言い含める時に、ややオーバーな表現で脅しをかける様なものである。
ひっひっひっと低い笑い声を上げながら、ティールのリアクションを楽しむべく、僕は言った。
成程、言われている方はともかく、言う側としては面白いものだった。
「…………」
「? 何ですか、その顔」
しかし、僕が想定していたものと、ティールが実際に浮かべていた表情は、どこか違った。
彼女の顔にあったものは怒気ではなく──高揚感の現れだったか。
一言で言えば、ソワソワしていた。
「いいや、何でもない。まあ、先生が忙しいのは私も知ってる。今度、落ち着いた時にでも行ってみるよ」
「ええ、是非そうしてあげて下さい。……一応確認ですが、いいイタズラ相手を見つけた──なんて考えちゃあないですよね?」
「…………そ、そんな訳ないだろう!? 面白い事を言うね、君は……ハ、ハハハハハ」
額から脂汗を垂れ流し、ティールは分かりやすく狼狽していた。
元来、彼女は嘘を吐くのが下手な性分なのだろう。以前から、その片鱗はあった。
意外と不器用な人なのかもしれない。
彼女が暴走するより先に、僕は頭を下げる事にした。
「そうですね。変なことを聞いてしまい、申し訳ございません。……それで? 何か思い出したんですか?」
「…………え、リド君って私の話に興味あったの?」
「何を馬鹿な。むしろ、興味なさそうに見えましたか?」
「……少しだけ」
「…………」
僕が押し黙るや否や、ティールは溜め込んでいた空気を吹き出した。
そして言った。
「まあ、話を聞く用意があるのなら別に良いか」
それから彼女は何が面白いのか、両目を糸の様に細めて微笑した。
次いで、唇を円弧上に歪め、言った。
「……思い出したのは、物心ついてからの全ての記憶だ。けれど有用な情報と言えば……出生や子供の頃の記憶、そして、私に魔術を付与した魔術師について……それぐらいしかない。けれども、一から十まで話していると日が暮れてしまうな……よし、であれば!! 掻い摘んで説明しよう」
「そうですね。できるだけ短くお願いします。今日はこの後、コールタール先生の手伝いに行く予定なので」
「ふーん、じゃあ急がないとじゃん。……えっとね、私がしょっちゅう死にかけるから、魔術を付与された! 以上、説明終わり!! 質問は無いよね、じゃあ出発──」
「いえ、そこまでは急いでないので。もう少し詳しい説明をお願いします」
「あ、そう? こりゃ失礼」
せっかちなのかマイペースなだけなのか、ティールは鈍重な動きで椅子を引くと、其処にどっかりと腰を下ろした。
卓上に頬杖をつき、彼女は思案する。
「さて、どこから話したもんかねえ……」
※※※
「私は、いわゆる不良娘というやつだったんだ」
ティールが口を開いたのは、座してより僅か数秒後の事だった。
頭の回転が早いのか、それともやはりせっかちなだけなのか、早口で。
「当時、私は反抗期で──いや、それは今もそうなのか? 兎に角、私は手のかかる子供だったんだ。別に、物に当たったり、暴言を吐いていた訳じゃあない。いや、そっちの方が幾分かマシだったんだろう」
親や兄弟に反抗的な態度を取ってしまう時期は、誰にでもある。もちろん、反抗期を経験しないまま大人になる人もいるし、それが悪いという訳でもない。知識として、そういう時期があるのだと、知っているだけでも良いのかもしれない。
「けれどね、リド君。人を正しく成長させるのは、正しい成功体験と正しい挫折だけだ。私はね、多分間違えたんだ」
そう、間違えた。少なくとも「最初の一手」は他にやりようがあったはずだと。まるで罪でも告白する様に、彼女はそう言った。
次の言葉もそうだったが、その中には自嘲の意が少なからず含まれていた。
「何を思ってか、ある時、私は舌を噛み切ってみたのさ」
自嘲の意はあった。
しかし、それを悔やむ声色ではなかった。
後頭部を掻きむしり、苦笑を浮かべ、さながら自らの恥部を晒す様相だった。若気の至りだと言わんばかりであった。
「いやーーまあ、色々あってね。死にたくなったんだ。それで衝動的に、って感じかな」
んべっ、という具合に彼女は自慢げに舌先を出してみせた。
彼女はそれから、自殺を繰り返す様になったそうだ。
否、失敗し続けているのだから、自殺未遂の常習犯と言ったところか。
「最初の内こそ、母は気にも留めなかったらしい。それどころか、嬉しそうに踊ってさえいたという話を使用人から聞いたよ。どうせ、単なる気の迷いだろう。暫く放っておけば、その内治まるだろう、って高を括っていたんだろう。けれど、それが4回、5回、6回……という具合に増えていくと、だ。さしもの母も疑問に思い始めたそうだ。これは何かおかしいぞって」
そこで、ティールの母は、探りを入れる事にした。使用人を介してさりげなくだが。
聞く限りでは、かなり冷えきった仲の様だが――何か悩みがあるのではないか。まずは話してみろ、という具合で、気にしてはいたらしい。
ただ、心配した時には遅かったのである。
「自殺念慮って言うのかな。既に、その頃の私にとって、自殺行為とは苦しい現状から逃れる為の術ではなくなっていたんだ。なんと言ったらいいか……ただ漠然と、日常の選択肢の一つに浮かんでくるものというか。夕食の献立を考えるのと、大差ない。お腹が減ったら、ご飯を食べる様に。なんとなく死にたいなーって思ったら、衝動的に近くに落ちているロープで首をくくるイメージさ」
何を言っているのか、全くもって共感できないが、理解はできてしまうのが悔しいところだった。
「だから、彼らが何を言っても、私は自殺未遂を繰り返したよ。その度、メディアっていう傍付きの魔術師が治してくれたんだけどね。彼女には悪い事したなあ。死んだ魚の様な目で回復魔術を掛けてくれたよ。治療事態は大した難易度じゃあなかったんだろうけど、精神的に疲弊していたんだろうね。あれはそういう目だった」
「日に日にやつれていくメディアを見て、母は漸く重い腰を上げざるを得ないと判断したらしい。このままでは、メディアが潰れてしまうと思ったんだろうね。いざ、母が自ら説得に動かんと立ち上がった時だった。私は自室の窓から飛び降りたんだ」
「2階にある自室の窓から地上まで、およそ7~8メートルもなかった。そのせいで、私は頭から落ちる事はできなかった。足から接地したのさ。つまり、その時の私は、またしても死に損なったって事だ。もちろん、私にとってはそれも数ある失敗の1つに過ぎない……でも、あの人にとっては違った」
ここでティールの言う「あの人」に該当する人物は、1人しかいない。
勿体ぶったティールの言い方に、僕は思わず舌打ちする。
「その日、母は初めて、私が自殺を試みる瞬間をその目で見たんだ」
ティールはその文言を何て事のない表情で言い切った。
ただ、事実をありのまま告げただけ、そんな風にどこか他人事だった。
「それであの人が何を思ったかまでは分からない。ただ、その翌日、私が「再生」の魔術を植え付けられた事だけは確かだ」
※※※
「目に余ったって事だろう。寝てる間に一服盛られてしまったんだよ。恐らくはその時、不死身の肉体になったんだろうねえ」
そこで、ティールは口を一文字にひき結んだ。
一区切りついた、というところか。
ティールの話を聞き終え、僕は情報を整理するべく、ひとりごちた。
「成程……じゃあ、記憶を失っていたのも、それが理由ですか」
「え?」
「え?」
瞬間、時間が凍りついた気がした。
僕もティールも、お互いに「何言ってんだ、こいつ」と言わんばかりに、眉根を寄せた。
何か変な事でも言ってしまったのだろうかと、不安に駆られた僕は、すぐにかぶりを振り、取り繕うように言った。
「……魔術師が絡むとなると、記憶の改ざんや消去くらい、息をする様にやってきます。当然、回復魔術を他者に付与する事も朝飯前です」
「おお、魔術の先生っぽい」
手を叩き、ぱちぱちと乾いた音を鳴らすティールに向け、僕は続ける。
「……けど、少しおかしいんですよ」
「おかしいって、何が」
「確かに、魔術を他者に付与・あるいは譲渡する技術自体は、僕も知っています。それこそ、偉そうに他者に教えられるくらいには──けれど、それにはいくつかの制約があるんですよ」
「制約?」
きょとんとした顔のティールを前にして、僕は少し懐かしい感覚を思い出していた。
久しく、誰かに魔術を教えていないのだ。
自然にこぼれる笑みを手で隠しつつ、僕は言う。
「ええ。代表的なものは以下の2点です。第一に、本人以外が使う魔術は、その精度が著しく低下する点。第二に、付与や譲渡は一時的なものに過ぎないという点……この2点の制約は、どんな魔術にも適用されます。ざっくり言うと、他者から付与された魔術は、本来の術者のものよりも弱体化される上に、使用期限があるんです」
「もっとも、他にも細々とした制約はいくつかありますけどね。魔術の出力やその発動回数、発動可能な場所、エトセトラエトセトラ……。とはいえ、これらは術者ごとにまちまちです。自由に変更できるオプションの様なものなので」
「オプションか…………それで? 結局何が言いたいんだ」
僕はそこまで話してようやく、ティールが狐につままれた様な表情をしている事に気が付いた。
……どうやら、久方ぶりの講釈に力を入れすぎていたらしい。それも無意識に。
仕方なく、僕はわざとらしい咳払いで、話題転換を狙うことにした。
「ま、まあ。少々長ったらしい説明ばかりになってしまいましたが……何が言いたいかというとですね。記憶に関しては、一時的に消去されたんでしょう。ティールさんがこの村に来てから、およそ1カ月。偶然にしては、タイミングも良すぎますし」
「………………」
「けれど、不死身に近い「再生」の魔術──そっちは違うでしょうね。瀕死の重傷すら一瞬で治す出力、1カ月経ってなお健在している持続性の高さ。どちらも、先に挙げた2つの制約が適用されていません」
「つまり、その「再生」は魔術じゃあない。もっと別の力です」
「はあ……」
「……あぁ、いえ。だから何だって話しですよね。要は、僕にもどういう事だか分からないって、そういう話ですからね! それに、かなり脱線しています……そうですよね。気持ち悪かったですよね……」
「いや、そこまでは言ってないけど。……って、普通そんなに落ち込むかい?」
「……………………いえ、別に落ち込んでいる訳では」
「あはは。君はタマに卑屈だ」
※※※
「それで、どこまで話したっけ?」
「一服盛られた、というところまで」
ああ、そうだったと言わんばかりに、ティールは両の掌をパシンと合わせた。
「そうそう。例の飛び降りから数日後の事だよ。先刻も挙げたメディアって魔術師――彼女にハーブティーを貰ったんだ。特別製の毒入り茶って話だった――けれど、飲んでみて、私はがっかりしたよ」
「……だって、致死性100%の毒薬だと言うから一気飲みしたのに、単に眠剤が入っていただけだからね!! そんなのってないよねえ!? ねえ!?」
「飲み干すなり、気分が遠のいて行ったと思ったら、気づいた時には森の中さ。……そう言えば、その時には既に記憶が曖昧だったなあ。何て言うの? 夢見心地ってやつかな、あれは」
恐らくは、その際には既に魔術をかけられていたのだろう。
……しかし、毒薬かあ。
「それで、フラフラと森中を歩いているところを、リド君に見つかり──後は知っての通りだよ」
そう言うと、彼女は椅子を引き、頭の後ろで手を組んだ。
これで話は終わりとでも言わんばかりの彼女に、僕は問いかける。
「ティールさん、疑う様で気が引けるんですが……記憶を取り戻したのって、本当につい先ほどの事なんですか?」
「……どういう意味だい?」
「いや、その……先日、ティールさんが首にフォークを刺して、コールタール先生の御世話になった事があったじゃあないですか。僕がダイデムさんから買い物した日です」
「ああ、そんな事もあったねえ。随分昔の様に感じるけど……ああ、そういう話ね」
ティールは背もたれにもたれたまま、此方に指を差した。
「少なくともその瞬間には、既に記憶があったんじゃあないか。仮に、記憶があったとして、それを隠した理由は何だろう──と、君は思っている」
「…………」
「期待に沿えなくて悪いんだけど、本当に、今しがた思い出したばかりなんだ。そしてもちろん、それを裏付ける証拠は何も無い。あまりにも、私に都合の良い話だという事は理解している。けど──」
「分かりました。ティールさんが言うのなら、そうなんでしょう」
「……えっ? 私が言うのもおかしな話だけれど、そんな簡単に信じちゃっていいの? 騙されてるかもしれないんだよ?」
「…………ホントに貴方が言うセリフじゃあないですよ、それ」
「でもさあ……」
尚食い下がるティールに対して、僕は溜息を吐いて言った。
「仮に、僕がティールさんに騙されているとしましょう。それでも、別に良いんですよ。多分、気にやしません」
「へー、格好つけるねえ。……寝首掻かれる瞬間も、同じ事が言えるのかな?」
「ええ、良いですよ。可愛い弟子を守る為になら、今この瞬間に殺されても文句は言いません」
自分で言っておいてなんだが、流石に今の台詞は臭かったんじゃあないか、と思った。
聞かされた方も似たような考えを持っていたらしく、じっとりとドン引きする表情をしていた。
「……よくもまあ、そんな歯の浮く様な台詞がスラスラと出てくるね──って、ちょっと待って。今、何て?」
「? 文句は言いません、と」
僕の答えに、ティールは先刻までのある種の余裕ある表情とは異なる、睨む様な形相で大きく口を開いた。
「違う! もう少し前だよ! か、可愛い弟子を守る為に──とか何とか言ったよね? 一体、いつから私が君の弟子になったんだ!?」
「え? 言ってませんでしたっけ。……というか、何で顔赤いんですか」
「初耳だし、うるさいよ!!」
叫ぶティールの口から、唾が僕の顔面に飛んだ。
手巾で顔を拭きながら、僕はこれまでの会話を思い返していた。
ティールの本名と、自殺未遂を繰り返していた過去。
冷えきった間柄の母親。
自殺未遂常習犯の彼女に苦心していた、メディアという魔術師。
そして、恐らく魔術ではない「再生」の能力。
……確かに、彼女を弟子だと言った覚えはないな。
「そう言えば、そんな気がしますね」
「……逆に聞くけどさ。どの辺が師弟関係に見え──いや、まあ、家に住まわせてもらってるし、仕事にも連れてってもらってるし、魔術についての授業も受けている……あれ? 思い返してみれば結構濃ゆいな、私達」
「ね? ほぼ弟子みたいなものでしょう?」
「確かに、四捨五入したら弟子みたいなものだねえ」
先程まで動揺していたティールだったが、いつの間にかすっかり調子を取り戻した様にふんぞり返っている。
こうしてみると、思うのだが……記憶を取り戻したにしては、こう……普段通り過ぎやしないだろうか。
まあ、急に性格が豹変したら、それこそ手に負えなかったろう。
どこかホッとしているのが、いい証拠だった。
「あの、ティールさん」
「ん?」
「……あなたが良ければ、なんだが」
故に、僕らの次の会話も、自然と普段通り雑談でもする要領だった。
「本当に、なっちゃいますか? 弟子に」
「……それも良いなあ、なっちゃおうか。弟子」
――かくして、中々死なない弟子ができた。
第2章 白雪姫と或る野盗 完




