第21話 死の奔流
──それは、喧嘩と呼べる代物ではなかった。
当然殺し合いではあったものの、それは児戯にも等しかった。
例えば、ある男がナイフで少女の首を掻き切るとする。頸動脈が切断され、噴水の様な勢いで血がほとばしる。しかし、少女はそれを気にする素振りもなく、男の鳩尾に拳を刺し込み、その意識を刈り取る。
膝から崩れ落ちた男と、首がぱっくり切れた少女。どちらの方が重傷であるかなど、比するべくもないが、ほんの一呼吸置けば、そのバランスはすぐさま崩れる。時間が巻き戻ったかの如く、少女の首の傷がみるみる閉じるからだ。
後に残るのは、無傷の少女と意識の無い成人男性だけとなる。
一方的な暴力の行使。
少女はそれを、立ちはだかる全員に与えた。
どのような結果に落ち着くかは、始める前から決まっていた。
その少女は、如何なる傷もたちまち回復し、凡百の攻撃が致命傷たり得ないのだ。
拳一つで山を崩せる人間などいない様に、分かり切った事だった。
「……あり得ない、だろ…………こんな──」
少女は男の呻き声を聞きながら、その顔面を踏み潰した。足を上げると、男の歯が3、4本、ポロリと口から零れ落ちる。
顔面を覆っていた布が破け、白目を剥いて気絶した表情が露わになる。
少女が最後の1人を倒すまでに、そう長い時間はいらなかった。
※※※
「……終わった。やっと……やっとやっと、終わったかぁあああ……」
所々、ボロボロにすり切れた上に、返り血で黒く染まった上着を脱ぎ捨て、ティールは深い溜息を吐いた。辺りを見渡すと、そこら中に血まみれの男達が連なって倒れている。
男達の身体で埋め尽くされたせいで、周囲には他に足の踏み場は無かった。
彼らは皆、気を失っていたが、命に別状のある者はいなかった。男としての急所を潰されている者、足の骨が逆向きに曲がっている者をはじめとして、殆ど全員が重体であった。しかし、彼らは皆致命傷を避けられており、存命だった。死屍累々という訳ではないのである。
男達の生死を見届けた後で、ようやく少女は肩の荷を下ろす事ができた。
「はあ、疲れた…………いや、まだ休んでいられない。やるべき事が残ってる」
ティールは身震いと共に、緊張の糸を再び張り巡らせる。辺りを見廻し、損壊した幌馬車を視界に入れるなり、一目散に跳び出した。
商人として、ダイデムが乗っていた馬車だった残骸に近寄り、古びた幌布をめくる。
開かれた先にあったものは、引っ繰り返された灰皿の中身のように陰険な空気と、がらんとした静けさだけだった。
もぬけの殻となっていた馬車から飛び降り、ティールは思考する。
「……まぁ、期待はしていなかったよ。こんなに騒いでたのに反応無かったし……」
思い返してみれば、先刻ティールの後頭部を殴った男は、その馬車の陰に潜んでいた。
それはつまり、とっくの昔にこの付近は制圧されていたという訳で──。
「遅すぎた……もう、ザルバ達に捕まった後だったんだ…………畜生っ!」
近くに倒れていた名も知らぬ盗賊を1人、ティールは蹴り飛ばした。
蹴られた男はそのままゴロゴロと地を半回転し、ピタリと静止した。サンドバッグ同然に扱われているにも関わらず、悲鳴1つ上げる事はなかった。どうやら、まだ気絶しているらしい。
ティールは蹴り飛ばした男の人相を拝む間もなく地を蹴り、上擦った声を上げた。
「ザルバなら知っているはず――あいつは何処だ……!?」
辺りを見渡すも、その居場所は判然としなかった。
それもそのはずで、周囲には無数の人間が横たわっている。数多の人間が、さながら崩れたドミノの様に重なり合うために、目的の人物1人見つけるにも、骨が折れる有り様だった。
その上、ティールはザルバを真っ先に倒していた。今、彼の身体は部下の下敷きになっている。
つまるところ、ティールが彼を見つけるには、件の人間ドミノを最下層まで掘り進める必要があった。
ティールの口から、重たい溜息が込み上げる。
「よぉ。これ、全部引っ繰り返すのぉ…………?」
ティールは、己がこれから行わなければならない作業を想像して、むせ返るような吐き気を覚える。
むっつりとした表情を浮かべながら、彼女は腰を下ろすと、手始めに、足元に寝転がった男の身体を起こし始めた。
ぐったりと横たえる男の腰と膝下に両手を差し込み、絨毯を丸める要領で、男の身体を引っくり返す。失神して完全に脱力した男はティールの想像以上に重く、苦心して裏返した後には、得も言えぬ充足感さえあった。
しかし、そんな小さな感慨も、すぐに散る。彼女はこれから、先と同様の作業を数十人分は続けなければならないのだ。一仕事やり終えたという達成感に酔いしれる暇など無かった。
「……よし」
ポンポンと背中を叩きながら、「次」を探そうと辺りを見渡した頃だった。
何処からか、ティールはその声を聞いた。
「まさか、ってえ感じだよ。こんな辺境で「回復」の魔術に御目にかかれるとはな――そうなんだろう? お嬢ちゃん」
太く張った男の声は少女の後方、数メートル先から聞こえていた。
振り向き、目を凝らし、ティールは戦慄した。
ティールの付近には、倒れた盗賊の山が出来上がっている。一見した限りでは、それらの他には何も無かったものの、ある一点において、違和感があった。
重なり合う男達の隙間を縫って、1本の指が地面と平行に沿うように、真っ直ぐと伸びていた。
確証は無かったが、奇妙な確信があった。
あの指を持つ男こそが、今しがた自分に声をかけた者であり、その正体は、ティールにとって明白だった。
一度深呼吸してから、ティールは苦々しげに口元を歪めると、その名を呼んだ。
「存外しぶとい野郎だね…………ザルバ」
「あぁ、よく言われるよ。ま、お互い様だと思うがね……無敵かよ、君は」
名を呼ばれた男──ザルバは、静かにそう答えると、慌てた様にもう片方の掌を少女に向けた。
犬に芸を仕込む飼い主かよと、ティールは思った。
彼は未だに顔を伏せていて、表情は見えないが、どうせヘラヘラと嘲っているだけなのだろうとも、ティールは思った。
「おっと、間違っても今の俺を蹴り飛ばしてやろうだとか……そんな馬鹿な事は考えるなよ。良いか? これはお前の為なんだぜ…………まぁちょっぴりだけ、オレの身の安全の為でもあるがな」
「……どういう意味だ」
勿体ぶった物言いのザルバを急かす様に、ティールは矢継ぎ早に訊ねる。
しかし、そんな少女の質問に、ザルバは呆れた様に深い溜息で返した。さながら、物分かりの悪い生徒に難儀する教師の様な声音だった。
「どういう意味だ……って、ホントに分かってないのか? 素っ惚けている様には──見えないンだよなァアアーー……。演技派にも見えないしなァアアア…………どういう訳なんだか」
「だから……さっきから何を言って──」
「はぁ……ティールちゃん、まだ気づかんの? ……あっち向いてみ」
ザルバはぴんと指先を伸ばした右手はそのままに、先程から空いていた左手である場所を示した。
面倒な説明を省くためだったのか、ザルバは億劫そうに左手をだらりとぶら下げつつも、ある方角に向けていた。
その先には、先刻ティールが此処に来る途中で通ってきた道があり、其処を、ザルバの右手の指先はじっと狙っていた。
ザルバの指先には、村から此処へ向かってくる1人の青年がいた。
その青年は、ティールの良く知る人物で──その姿を見た直後、少女は自身の頬を思いっきり抓った。夢幻のたぐいではないかと、そう思ったからだ。
青年の姿を視界に入れたティールは、突如として頭から冷水を浴びせられた様な、呆然とした表情で小さく呟いた。
「リド君……?」
その正体は、ほんの数十分前まで少女と共にいた青年であった。
彼とは、盗賊を自称する不審者を共に捉えた後で、一旦別れている。そして、今は不審者らを見張っているはずであった。
故に、どうしてここに彼が来ているのか、全くもって、訳が分からなかった。
しかし、混乱の最中にあるティールとは逆に、ザルバは得心いった様子だった。
「ほうほう、矢っ張り彼が愛しのリド君に相違ないと……。でも、まだこっちの事態には気づいていないみたいだ。まぁ、ほぼ全員寝転がってる訳だからな。丁度、見えにくい角度なんだろう」
「…………」
「その反応から察するに、想定外の事態ってところだろうな。大きなお目々をパッチリ開けてるもんなぁ!」
「──ッ! ちょっと黙っ」
煽るような態度のザルバをいい加減に黙らせようと、ティールが男達の身体を絨毯代わりに歩き始めた頃だった。
それまでと同様に軽い声音で、ザルバが言った。
「ところでティールちゃん、オレが魔術師の端くれだってのは聞いてるか?」
「……………………何だそれ」
「おや、手配書には書いてない情報だったか……それとも単に、呆けているだけなのか……。まぁ、どっちでもいいが」
そう乾いた笑い声を上げるザルバの指先には、いつの間にか、ふよふよと何か薄っぺらい物体が漂っていた。
彼が伸ばした指を軸として、その周りを円形軌道上に回転していた。
薄緑色で、紙片よりはやや肉厚。中心部にはうっすらと白い筋の走るそれは、まごう事なき──植物の葉であった。
「見ての通り、オレの魔術は葉っぱを操る事ができるのさ。そして、その葉っぱを──鉛玉みたいに発射できる」
「……何だって?」
「いや、弾丸ってよりかは刃物に近いか。葉先を魔力でコーティングして飛ばすからな。見た目の割には、よく切れるんだ。人間の首くらい、簡単に切断できる程にな」
ザルバがそう言った次の瞬間、彼の指先にあった1枚の葉は、見えない壁にぶつかった様に、その場に静止した。
空中でピタリと固定された葉は、此方に向かって来る青年の方向へと角度を整えていた。
続くザルバの声に、ティールの心臓は音を立てて跳ねた。
「射程距離は大体……あれくらいなら余裕だよ。……万に一つも、外しはしない」
「は? ……おい、まさか」
青ざめるティールを視界に入れる事もなく、ザルバは微笑んで言った。
「何だ、やっと気づいたのか? 鈍いんだな、ティールちゃんは」
「やめろ」
ザルバの元に向かおうとするティールだったが、終ぞその足が前進する事はなかった。
彼女の足元に広がる男達の身体、血や汗で濡れた衣類に足を取られ、ザルバの凶行を止める事はできない──それは、彼女には周知の事実だった。
自分の事は、自分が一番分かっている、とでも言わんばかりに。
「畜生!」
故に、諦めはすぐに付いた。
彼女はザルバの元に向かう事を諦めた。彼に背を見せ、駆けていた。
ザルバはティールの後ろ姿を見ると、満足そうに深く頷き、言った。
「よし、それで良い。100点満点だ」
※※※
──ザルバはずっと待っていた。
無敵のティールを崩す絶好の機会を。
リドリーとザルバの射線上。
遮る物など何も無かったはずのその道に、その少女が割って入ってくる事を。
「逃げろ! リドく──」
ティールはその言葉を最後まで喋る事ができなかった。
ザルバが放った葉の斬撃は、彼の宣言通り、ティールの首を根本から切り飛ばしていた。やがて、宙に舞ったティールの首は、ゴトリと音を立て落ちた。首から上を失ったティールの肉体は崩れ落ち、力なく地面に突っ伏した。
今しがた、自分で切り落とした首を遠目に眺めながら、ザルバはゆっくりと起き上がる。
「なぁ、「回復」の魔術ってのは、首から下が無くなっても使えるのか? 実物見るのは初めてだからよ。生きていたら、教えてくれや」
ザルバは上着についた砂埃や汚れを払い落し、大きく伸びをする。
パキポキと骨の鳴る音を聞きながら、先程少女に殴られた鼻を撫で──ある事に気が付いた。
「…………骨、曲がってんじゃねーか」




