第20話 飛び道具
──さっさと返しを済ませないと。
ティールは迷っていた。
威勢のいい啖呵を切ったはいいものの、誰から殴りかかるか。最初の一人をどう選別したものかと、決めあぐねていた。
無論、そう長時間も迷いに迷っていた訳ではない。さして1、2秒の逡巡。
当然、彼女が格好をつけたかっただけではない。彼女の名誉の為に言っておくと、一応理にかなっている話だった。
現在、彼女から僅か数メートルの距離を取って、ザルバの部下である数十名の盗賊がぐるりと取り囲んでいた。
360度、いずれの方向も、男たちの纏っているボロ布のカーテンが彼女の視界を遮るように。
先刻、彼らの仲間の一人を倒した事で、彼らの中で、ティールへの警戒心は何倍にも膨れ上がっていた。
ある者は懐から刃物を取り出し、またある者は拳を握りしめ、またまたある者はいつでも地面を踏み込める様にと、踵を地面から浮かせていた。
頭に巻いている布のせいで表情を窺い知る事は叶わないものの、彼らの一挙手一投足を見れば、自分がどう認識されているかは明白であった。そして、それが分からない程、ティールは阿呆ではなかった。
皆、殺気めいた表情で、じりじりとにじり寄っていた。
一触即発とは、今の様な状況を指すのだろうと、ティールは思った。
今この状況で、何の予告もなく一声あげれば、自分は瞬きする間もなく、血を練り歩くアリの様に踏みつぶされるだろう。
もっとも、何もせずとも、いずれ始末されるはずだ。
彼女の足がこの村で一番速いと言えども、この人数相手に逃げ切れる保証などなく、そもそもそんな真似をすれば、怒りの矛先を失ったザルバ達の手は、この村の人間に及ぶ。
コールタールの忠告に従い、逃げるという選択肢は、あってない様なものだった。
(折角格好つけたのに、しまらないなぁ)
ティールは震える指先を握りしめ、奥歯を嚙み締める。男達から受けた拷問の傷は「何故か」完治していた。
腕の骨折は治癒しており、失った爪も生え揃っている。身体的動作を行う上で、不自由な点は何1つない。
故に、殴り合いは出来るのだが、如何せん数の差はどうしようもない。
仮に、彼らの力量が先に殴り倒した男と同程度だったとしよう。一対一で勝てるものだと見よう。しかし、よしんば一人倒せたとして、二人三人、五人十人と捌けるかと言えば、別の話である。
そこで最初の疑問に帰結する──誰から殴るべきだろうか、と。
ティールにとっては、殺されるにしても、どうせなら一人でも多く道連れにしたいものである。
とは言え、無茶な戦力差である。正直、如何なる抵抗も無為に終わるのではないかと、内心諦めていた時だった。
ティールを囲む男達の後方から、荒げた声が聞こえた。
「お前ら、何怖気づいてやがる──さっさと殺せ」
「…………」
顔を見ずとも、その声を発した者の正体は、手に取るように分かった──ザルバ・ド・ティーチである。
ザルバの声を聞き、男達の間を漂っていた鈍重な空気は去っていった。先程まで彼らがティールに向けていた、得体の知れない化物を見る様な目は、砕くべき敵を決めた闘志ある眼差しに一変していた。
「「「───────!!」」」
男達は勝鬨とも取れる様な声を上げた。ザルバの命令により、彼らの中からティールに対する恐怖心は既に吹き消されていたのである。
彼らは一枚岩となり、敵を貫く矛となった。
たった一言で、ザルバは己の部下をまとめ上げていた。
そして、そんな彼の言葉を聞き、電流が駆け抜けた様な衝撃を受けた者が、もう一人だけいた。
ティールは、ザルバの部下よりも早く動き出していた。彼らが雄叫びを上げる寸前、既に彼女は駆け出していた。
彼女の頭には、何の脈絡もなく、あるアイデアが浮かんでいた。
天啓という奴である。
皮肉な事に、彼女を絶体絶命の窮地から救ったのは、その元凶そのものだった。
彼の声を耳にした瞬間、彼女は先刻まで浮かんでいた疑問が氷解する音まで、確かに聞こえたのだから。
ティールは駆けた。
誰にも気づかれぬよう、息を殺し、気配を消した。
音を立てぬよう、無意識に靴を脱ぎ捨て、素足となっていた。
チャンスは今。雄叫びを上げる男達が、ティールから僅かに注意が途切れた数秒のみ。
悠長にしている暇はないが、これから自分がやろうとしている事を勘付かれてもいけない。
男達にぶつからない為に身を滑らせ、細心の注意を払い、隙間を抜ける。
全速力で疾走し続けると、やがて「ゴール」が見えてきた。
「………………は?」
人混みを抜けてきたティールの存在に、一瞬遅れて「ゴール」が気付く。
口を半開きにして、眼前で起こっているあり得ないはずの事実に、目を瞬かせる。
その間抜け面に、ティールが拳を打ち込むのは、訳ない話だった。
「な、何でお前が此処まで来れ──」
一人混乱する彼は、その言葉を最後まで言えなかった。
ティールの拳を叩きこまれた「ゴール」もとい、ザルバ・ド・ティーチは錐揉み状に宙を舞った。
ほんの一瞬の空中散歩の後、彼は仰向けに地面に接地。
そのままピクピクと手足を痙攣させていたザルバだったが、遂に彼は昏倒した。
その一部始終を仕出かした張本人、ティールは僅かに顔を顰めて言った。
「ある程度の組織を潰すなら、まずは司令塔を叩く。その司令塔が絶対の力を持っているなら、尚の事だ。子供だって思いつく単純な話だけれど、それだけ有効……ってところかな。さて……」
ティールは未だに熱狂している男達を見据えて、肺いっぱいに息を吸った。
倒れるザルバを指差し、彼女は腹に力を籠め、喉を開いた。
「皆さーーーん! 注、目ーーーっ!!!」
ティールのけたたましい大声が、男達の叫び声を押しのけた。
突如として、男達の騒々しい振舞いはしんと鳴りを潜め、ティールと彼女が指し示す先に視線が動く。
男達は数秒状況を理解できずに固まっていたが、徐々に困惑と焦燥の色が広がっていく。
仲間同士で顔を見合わせ、目の前の光景を理解しようとしているようだった。
彼らの様子を見ると、ティールは肩をすくめて苦笑する。
「自分達のボスがやられたってのに、何も言わないんだな。さっきまで、あれだけ騒いでたのに……ま、いいか──そんな事より、私から君達に一つ訂正させてほしい」
「「「…………」」」
男達は、先程までの浮かれた雰囲気とは一転して、冷めた感情で構えを取っていた。
今でこそ気絶しているが、ザルバは自分の部下達に命令を下している。
命令は、男達を社会のはみ出し者から、忠実な兵士に変える。個ではなく、群として、その力を何倍にも増幅させて。
先刻、ティールを背後から襲った件についても、事前にそうする様に、ザルバは指示を出していた。
故に、ティールは初手でザルバを叩いたのだ。
司令塔を崩し、男達を混乱させる為に。
生憎、ザルバの指示は既に下されており、ティールの目論見はその半分しか果たされなかった訳だが、それでも今の彼女にとっては充分な成果だった。ティール本人は自覚していないが、目の前にいる40~50人程度の男達を相手取るには、それだけの準備があれば事足りるのである。
何の変哲もない只の一般人であれば、例え逆立ちしてもあり得ない話であったが、彼女にとってはその限りではなかった。
先刻蘇ったばかりの記憶が、今でもまだティールの脳裏にこびり付いていた。
己が血に倒れ伏し、しかし何事も無かった様に完治した、二度の記憶。
その裏付けをせんとばかりに、今しがたザルバを殴りつけた際に生じた突き指が、既に完治していた。
治ったばかりの拳を握りしめると、ティールは歯を剥き出して笑い、言った。
「先程、君達にはこの村から出ていけと言ったが、取り消すよ。そんな必要はない。全員ここでお縄についてもらう。長い長いお勤めの時間だ」




