第14話 お邪魔します
「お邪魔しまーす。リドリーです。コールタール先生に頼まれてきましたーー」
ドアをゆっくりと開きながら、僕は家の中の様子を窺う。
開いたドアの隙間から、少しずつ屋外の光が入り込んでくる。
差し込まれた陽光は宙に舞う無数の塵芥を照らし、視界を遮った。
「──へっくし! 何だこれ、小麦粉でもぶちまけたのか? いや、随分と埃っぽいんだけど……」
「……それ、絶対に人前では言わないで下さいよ」
「分かってる分かってる」
背後で可愛らしいくしゃみをかましたティールに、僕は苦笑する。
だが、内心では彼女と同じ心情だった。
なるべく埃を吸い込まないように、自分の口元をハンカチで覆っていたからだ。
「この家の人たちは、夫婦共々仕事人間でして……どちらも家事が苦手なんですよ。掃除、炊飯、洗濯等々……不摂生が祟って、時折体調を崩す事もあります。その都度、コールタール先生に診てもらうそうで──実のところ、今回の話も診察中に話題に上がったと聞いています」
「……はぁ?」
顔を見ずとも、彼女がどんな表情をしているか、容易に分かった。
どうせ「何でいい歳こいて、自己管理の1つもできないの?」などという表情をしているのだろう。
彼女とも、早いもので2週間の付き合いである。
何を考えているくらい、手に取るように分かるものだ。
──などと密かに胸を張る僕に反して、ティールが冷ややかな声音で言い放った。
「ねえリド君、オチが読めたんだけれど」
「オチ?」
振り向くと、じっとりとこちらを見返すティールの姿があった。
意外なことに、彼女は眉を顰めて、非難するような視線を僕に向けていた。
はて、気のせいだろうか。
そう思った直後、彼女が言った。
「紛失した道具ってさぁ、ゴミ屋敷に埋もれているだけなんじゃあないの?」
「……あー」
──ティールが何を言いたいのかは、すぐに理解できた。
伊達に2週間も共に過ごしていないのだ。
「……僕達は、体よくゴミ掃除を押し付けられただけなのでは、とでも言いたいんですか?」
「…………………」
ティールは沈黙で返した。
ただ、彼女の向ける冷めた視線が全てを物語っていた。
僕は言った。
「まぁいいじゃあないですか。お賃金も出るらしいですし。それにティールさんだって、つい先日まで、掃き掃除1つまともにこなせなかったんですから」
「………………」
「人の事言えな──いえ、何でもないです! 早く依頼人に挨拶しに行きましょうか!」
不思議なことに、後に振り返ってみても、この時のティールの表情を思い出す事は叶わなかった。
彼女への恐怖心からか、それとも他の理由からか、僕には不明だったが。
けれどこの1件から、僕はある教訓を得た。
──むやみに、他人の揚げ足を取ってはいけないという事を、である。
※※※
さて、話は変わるのだが、僕ことリドリーはまだ20代前半の若者だ。
歳の割には達観しているとか、心臓に毛が生えているとか、空気が読めない奴だとか、目が死んでいるだとか……様々な言われようをされている僕であるが、それらは僕が豪胆であるが故の評価ではない。
自分は物を知らないだけだと、子どもの頃からぼんやりと思っていた。
要は経験不足なのだ。
若さ故の無知をひけらかしているだけだと。
故に、これから起こる事態など、想像すらしなかった。
今日に至るまで、僕の人生において、獣以外の生物に本気で命を狙われる機会など、訪れる事は無いと高を括っていたのである。
※※※
玄関をくぐり、ゴミで埋め尽くされた廊下を渡ると、すぐに目当ての部屋に到着する。
依頼をした老婦人から詳しい事情を説明するべく、僕とティールはこの家の居間で話を聞く手筈になっていた。
ティールの揚げ足を取った事で、彼女の怒りを買った直後の事である。
彼女の冷めた視線から逃れるため、僕は駆け足気味に居間へと繋がる廊下を歩いていた。
やがて、目と鼻の先にドアが現れると、僕はノックもせずにそれを開いた。
古い建付けの木製扉をなんとか開き、室内に足を踏み入れた直後の事だった。
己が目を疑った。
居間の床には、1ミリの間隙もないように、木板が完璧にはめ込まれている。
そして、ゴミ屋敷たるこの家には、本来であれば、その木板の上に大量のゴミや埃が足の踏み場を奪い合う様に敷き詰められている──はずだった。
それが、今回は違った。
敷き詰められた木板の上には、ヒトが倒れていた。
それも2人。
両者は共にうつ伏せで顔は見えないが、髪型や体型、服装等から、彼らが何者であるのかはすぐに分かった。
というよりも、既に僕は彼らを知っていた。
彼らこそが、今回の僕らへの依頼者である老夫婦だった。
「おいおいおいおい、どういう事だい。これは」
後から追いついてきたティールが、驚いたように声を上げた。
先程までの、僕を責めるような雰囲気は無かった。
単純に動揺しているらしく、その声は分かりやすく震えていた。
「なるほど、2人ね」
僕とティールが眼前の光景に釘付けになっていると、奥の方から、何やら声が聞こえた。
顔を上げると、僕と同じか少し若いくらいの青年が、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
部屋の中央にあるテーブルに頬杖をつき、やや猫背気味に椅子に腰かけている。
当然、僕の知った顔ではない。
無邪気な笑みを浮かべ、人懐っこい印象を与える青年だった。
しかし、その様子が目の前の光景と結びつかない。倒れている老夫婦を気に掛ける様子もなく、彼の視線は僕とティールにのみ向いている。
友人の家に遊びに来た若者といった風体だった。
故に、酷く気色悪かった。
「誰だ、お前」
刺すような声が僕の口から出たという事実を、僕自身こそが一瞬信じられなかった。
目の前の青年は、僕の声など聞こえていないかのように、笑んだままだった。
指先で頭を掻き、顎をしゃくりながら、彼は大きく開口して、
「男と女が1人ずつだからね~~」
──誰かに呼びかけるように、そう言った。
僕は咄嗟にティールを抱いて、思いっきり真横に跳んだ。
それを避けられたのは、幸運だったと言わざるを得ない。
ほんの数秒前までティールが立っていた場所には、手斧が振り下ろされていた。
床板に突き刺さった斧を、色黒の大男が引き抜かんとしていた。
男は舌打ちをしながら、目線だけをこちらに向けていた。
「よくも避けやがって」とでも言いたげに、敵意を剥き出しにして。
「ぶふーっ! 外してやんの!」
「……次は当てる」
椅子に座っている青年がヤジを飛ばそうとも、男が向ける鋭い視線は逸れそうにもない。
……さっきの呼びかけは、この大男に状況を伝えるためのものだろう──なんて、僕が自分達を襲ってきた相手を観察していると。
「……ねぇねぇリド君。こいつらが依頼にあった奴らじゃないの? どうみても堅気じゃあないでしょうよ」
背後から、ティールが蚊の鳴くような小さな声で訊ねてきた。
……なるほど、一理ある。
挨拶代わりに人様の頭をかち割ろうという奴は、真っ当ではないものな。
しかし、僕は簡単には頷けなかった。
「どうですかね。こいつら多分……というか十中八九、組んで動いてるでしょうし。もしもこいつらが例の人影だっていうのなら、依頼には「怪しい2人組が出た!」とか前振りがあると思うんですよ。だから、ちょっと辻褄が合わないかなって」
「なるほど……それなら、どうする?」
「? どうするって?」
僕が聞き返すと、ティールは口角を片方だけ上げた。
──その瞬間、途轍もなく嫌な予感がした。
彼女がそんな表情をする時は、まずロクなことが起きないからだ。
僕が制止するより早く、ティールは先程のように声を潜めるような真似を止めて、普段通りよく通る声で言った。
「決まってるだろう? こいつら吊るし上げて、ここでゲロさせるか──あるいは、どうせ人目ないんだ。殺しても誰も文句言わないよ!」
僕は天井を仰ぎ、重苦しい溜息を吐いた。
ここ数日で最も大きく、そして長い溜息を吐き切った後、僕は一言だけ絞り出した。
「どっちにしろ、僕も共犯じゃあないですか……」
現在進行形で不審者に襲われているという事実よりも、ティールの無茶に慣れつつあるこの状況の方が、よっぽど精神的にキツかった。




