第12話 青年よ疑念を抱け
「この部屋でリド君と2人きりってのも、随分と久しぶりな気がするねぇ」
首をグリグリと回しながら、ティールが欠伸混じりの声を出した。
埃臭い室内に患者用のベッドが設えてあり、彼女はその上で胡坐をかいている。
ベッドの脇のテーブルには1個の花瓶と、食べカス1つない皿やフォーク等が置いてある。
壁に掛けられた時計の短針が、午前7時を指していた。
玄関先で倒れるティールを目撃した次の日、僕はコールタール先生の診療所を訪れていた。
昨晩、そこに世話になっていた彼女を迎えに来るためであり、今は診療所のベッドを引き払う準備をしている。
僕は箒と塵取りを使い、部屋の掃き掃除を進めながら、ティールに返事をした。
「久しぶりって……大体2週間くらいだと思いますが」
「2週間前は大昔だよ」
「さいですか」
……2週間前が大昔なら、100年遡れば紀元前だろうか。
ティールは僕と喋りながら、のんびりと帰り支度を進めている。
支度というが、彼女がやっているのは着替え、食事、歯磨き、洗顔、寝癖直し等々……。
自分の家と勘違いしてないか?
「朝食までご馳走になって……」
「良いじゃないか。くれるっていうんだから」
「少しは遠慮を覚えて下さいよ」
「はいはい…………グチグチ言うね。君は」
「何か言いました?」
「いえ、なにも」
僕はため息を吐きつつ、ティールが散らかした部屋の片づけを続ける。
部屋には、彼女の脱ぎ散らかした服や眠っている間に放り投げたと思わしき掛け布団、どこから持ってきたのか分からないような棒切れまでもが転がっていた。
……どうすれば、たった半日でここまで部屋を汚くできるのか。
部屋の掃除があらかた終わったあたりで、僕は大きく伸びをした。
骨がポキポキ鳴る音を聞きながら、彼女に呼びかける。
「外で待ってますから。準備が終わったら、すぐに来てくださいよ」
「はーい。ゆっくりで良い?」
間延びしたティールの声に、僕はぴしゃりと返した。
「5分経ったら置いていきますね」
「えーー」
ぶうぶう言うティールを差し置き、僕は部屋を後にした。
※※※
「な? 元気だったろ、あの子」
ティールを待つために待合室の長椅子で横になっていると、頭上から低くしゃがれた声が降ってきた。
僕は身を起こしつつ、その声に返事をする。
「……えぇ、信じられないほどに」
だから言っただろ、とでも言わんばかりに、声の主であるコールタール先生が肩をすくめてみせた。
次いで、先生は思い出したように訊ねてきた。
「ちなみに、あの子、何か言ってたか?」
「いえ、別に……。先生の仰る通り、何処も痛くないそうです。飯を食べようとしたら、突然気が遠くなったと。寝不足のせいで貧血だったのかもしれない、なんて言っていましたが……」
「本人が貧血だっていうんなら、そうなんじゃあねぇのか?」
「…………」
適当過ぎないか、この人。
僕が黙っていると、やがてぽりぽりと頭を掻きながら先生が言う。
「お前さん、不服そうだけどよ。多分見間違いだったんだよ」
「……本当にそうでしょうか」
昨日、僕はダイデムさんの元で買い物をして、手配書を受け取り、寄り道せずに真っ直ぐ帰宅した。
そして玄関先に倒れているティールを発見した。
意識を失っていた彼女の傍には、血に濡れて紅く染まるフォークが落ちていて。
当然、僕はその日のうちに、意識のない彼女を診療所まで運び、先生に診察をしてもらったのだが……。
「改めて言うがな。刺傷なんて、どこにもなかったぞ」
先生が淡々と述べた通り──ティールの身体には傷1つなかったのだ。
正直なところ、それ自体は良い。
全部、僕の見間違え。
勘違いで終わっても、良かったのだ。
昨晩、ティールの着替えを取りに一時帰宅するまでは、そう思っていた。
玄関先に、先端が血に染まったフォークが落ちていた。
そして、周囲に落ちていたのは、他にはパサパサのパンが1つだけ。
獣肉も、人肉も、その他血を含む物は何処にも無かった。
これが意味するものは、鈍い僕にも容易に理解できた。
あのフォークで刺されたのはティールではなく、そいつがケガを負った直後、ひとりでに動いて逃げたか。
あるいは──
「……いや、まさかな」
頭に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えを振り払うように、僕は両手を左右に振った。
僕の不審な行動を前に、先生は首を傾げる。
「何考えてんだ、お前?」
先生に返す言葉が無かった。
自分自身が何を考えているのか、自分でもよく分からなかった。
どうして、2週間前の事を思い出すのか。
あの日、ティールを撃ちぬいた一件を、鮮明に思い出すのか。
あまりにも馬鹿馬鹿しい考えが浮かんだために、とても人には言えなかった。
ティールは不死身なのではないか、と。
やがて、いつまでも黙り込んでいる僕に呆れたように、先生はため息を吐きながら切り出した。
「そういえば昨日はここに来る前に、ダイデムんとこにも顔出してきたんだってな。どうせ、本でも買ってきたんだろう。暇ならそれでも読んでいろ。いつまでも辛気臭い顔されてると、迷惑だからな」
……全く、この人は。
「読書を楽しむ余裕があるように、見えますか」
「……あぁ、そっか」
こちとら、ダイデムさんから買い物をした直後に、倒れ伏すティールを発見したのだ。
その心中は語るまでもない。
一瞬で先生も察したように眉根を寄せ、まあそうだよなと言わんばかりに、軽く頭を下げた。
珍しく、先生がバツの悪い顔をしているようにみえた。
「? 先生、なんて顔を──……!?」
その顔を見て、僕の脳裏にある奸計が浮かんだ。
常日頃世話になっている恩人にする所業ではないと分かっていようとも、僕にはそれが天啓のように感じられて仕方がなかった。
一泡吹かせてみたいと思った。
だから僕は項垂れて、心底悲しい声音を作って、言ったのだ。
「4周しか、できませんでしたよ…………」
さしもの先生も、度肝を抜かれるだろう。
そう考え、顔を上げた先にあったのは。
「あ、そう…………」
心底どうでもよさそうな顔で鼻をほじる、コールタール先生の姿だった。
………………。
………………。
「あれぇ?」
※※※
「……そういえば、昨日ダイデムさんから聞いたんですけれど、知ってますか。盗賊団の元頭領かつ、現在では指名手配中のお尋ね者──つまりは脱獄犯です──が最近この近くで発見されたそうですが」
「あ? 脱獄犯?」
「この人です」
僕はポケットから1枚の紙片を取り出した。
昨日、帰り際にダイデムさんから受け取った『ザルバ・ド・ティーチ』の手配書である。
他の村人に配ってくれと、数枚の手配書を無理矢理押し付けられたのだ。
突然押し付けられた手配書に、先生は素早く目を通してゆく。
「盗賊か、どれどれ……。窃盗、放火、強盗、詐欺、強姦…………何者だ、こいつ。人様に迷惑かける天才だな」
「ダイデムさんによると、この男はまだこの村の付近に潜伏しているかも、という事です。 ね? 嫌な話でしょう?」
「そうだな。少なくとも仕事中に聞きたくなかったと思うくらいにはな」
「同感ですねぇ」
「……今の皮肉のつもりだったんだがナァ」
「ひにく? 何のことです」
「何でもない」
「いいや、嘘だ。言いたい事があるなら、口に出してくれないと分からないでしょう、先生」
「……用が無いなら、さっさと帰ったらどうだ。仕事の邪魔だ」
「いや、こっちの質問がまだ──いえ、すみませんでした」
おっと、先生の顔が怖すぎて、思わず頭を下げてしまった。
何も言わずとも、表情が全てを物語っていたのである。
くどい、と。
「二度も言わせるな」
「大体合ってるな……あ、いえ。すみませんでした」
「全く…………なあ、リドリーよ」
「……何でしょうか」
「暇なら、1つ頼まれてくれないか」
「頼み」
僕の顔を正面から見据えながら、先生はほんの少しだけ顎を引き、薄く笑った。
「なに、簡単な手伝いだ。子供でもできるくらいには」
「子供って……まぁ、今日の予定はありませんし。いいですが──何をさせようというのでしょう。この部屋の掃除ですか」
「いや違う。というよりも、用事があるのはここじゃあない」
「え?」
先生は帳簿をつけながら片腕を上げ、それを水平に伸ばした。
指先が示す先は──玄関口であった。
当然の疑問として、僕は聞き返した。
「帰れという事ですか?」
「だからそうじゃない。用があるのはここ──診療所どころか、俺ですらない。向かいの家だ」
「お向かい? あの老婦人の?」
「そうだ。詳しい話は彼らに聞け。俺もよく知らん。ただ──」
「ただ?」
先生は机の引き出しから、手の平程の大きさの紙片を取り出した。
何らかの書置きのようだった。
察するに、用事とはあの紙片に書かれているのだろう。
そして、僕の想像通りに、先生は紙片に目を通してすぐに告げた。
「失せ物探しだ」




