第8話 Re:森にあるもの 後編
※前回のあらすじ
ヒロインが大騒ぎしながら猪のケツを追いかけていた。
爆走する1人と1頭の鬼ごっこは、瞬く間に決着がついた。
ティールが目の前を走る猪の尻を蹴り飛ばしたのだ。
猪は円錐形を描いて宙を舞った。
ティールは満面の笑みで、それを見送った。
猪は穴底に落ちる直前、僕の方を向いていた。
その顔は、助けを求めているようにも見え──次の瞬間、土色の毛玉は大穴に吸い込まれて消えた。
穴底から壮烈な断末魔が上がり、やがて静寂を取り戻した。
その張本人たる少女は穴底を覗き込むと、満足げな笑みを浮かべた。
足を肩幅に開き、腕を組む。
一仕事やり終えた労働者の顔つきで、ティールは高らかに言い放った。
「ホール・イン・ワン!!」
「だから言っただろう、私1人で十分だって」
ティールは、既に動かなくなった猪を回収しながら、そう言った。
そういうカッコつけた台詞は、村までの帰り道を覚えてから言ってほしいものだと、僕は内心毒づく。
口元まで出かかった言葉を飲み込み、代わりにくぐもった笑い声を上げる。
「流石だなあ、すごいすごい」
彼女があくせくと働くのを横目に、僕は小説を読み続けている。
「ぐぬぬ」
相手にされていないと分かると、ティールは悔しそうに歯噛みして、僕に睨みをきかせた。
とは言え、もう慣れっこだ。
彼女と一緒に過ごすようになってから、かれこれ半月程が経つ。
こんな憎まれ口の応酬も、一度や二度ではない。
両の指では数え切れない程度にはこなしている。
ここまでのやり取りで伝わっているとは思うが、改めて記しておく。
この日、僕の他にもう1人いた招かれざる客とは、ティールのことだ。
僕の仕事に、彼女が勝手に同行していた。
※※※
――毎日毎日退屈だ! 私も連れてけ!!
ティールが僕の仕事に付いてきているのに、大層な理由があったわけではない。
落とし穴を使った時と同じように。
断る理由が無かった。それだけのことだ。
罠の後始末も終わり、僕とティールは一時食事を挟むことにした。
近場の川で魚を釣り、塩をまぶす。
適当な枝に串刺しにして、火にかける。
2人で焚き火を囲み、焼き魚が完成する瞬間を、今や今やと待ち望んでいた。
じきに焼き上がる頃だろうと、僕が本を閉じた頃。
彼女が意味深長に訊ねてきた。
「なあ、リド君。」
「何ですか、そんなにジロジロ見て……顔にゴミでも付いてます?」
「いや、そういうわけじゃあない。」
「? ならどういう訳で…………あぁ、なるほど」
ティールが僕の背後を指差していた。
その先にあるモノを思い出し、ようやく得心がいく。
彼女が指していたのは、先刻捕らえたばかりの猪であった。
僕は言った。
「あれは、僕らの昼ご飯じゃあないですよ。付け加えると、夕飯でも明日の朝食でもありません。売り物です」
「……売り物? 私聞いてないよ!?」
「…………」
今回の仕事の概要をティールに説明したのは、昨日の深夜だったと思う。
思う、というのは、その日はどうにも抗いがたい眠気に襲われたために、あまり覚えていないのだ。
今回の獲物だとか、その出現場所だとか。
他にも根掘り葉掘り質問責めにあっていた気がするが、夢うつつだったこともあり、記憶が曖昧だ。
兎に角にも、僕からの説明を聞き終わると同時に、彼女は今回の狩りの準備を始めていたそうだ。
落とし穴の作成を止められなかったのも、それが原因である。
昨晩の時点で、彼女の脳内では穴の深さや杭の殺傷能力等、諸々の計算が終わっていたらしい。
僕が起床した頃には、既に罠の作成自体が終わっていた、ってのが事の顛末だ。
「……あの猪は、「近々誕生日を迎える我が子のために」という理由で、ある親子から依頼されたものです。なので、僕らは食べられません。昼食なら、そこの魚があるでしょう。そろそろ食べ頃ですよ」
「折角捕まえたのに……私のお肉が…………」
僕は淡々と事実だけを述べたつもりだ。
しかし、その言い方が気に食わなかったのか。それとも、肉を食べられないと分かったからなのか。
彼女はがっくりと肩を落とした。
しかし、すぐに顔を上げ、目をキラキラ輝かせてみせた。
……なんとなく、嫌な予感がする。
──ユリイカ!
ティールの顔に、そう書いてあったからだ。
「な、なぁ少年! その親子ぶっ殺せば、あの猪肉、食っても良いってことかなぁ!?」
「良いわけねぇだろ」
※※※
「リド君って、いっつも読書ばかりしてるよね。飽きないの?」
焚火の燃えカスを片していると、ティールが訊ねてきた。
その顔にしかめつらを浮かべながら。
この2週間、暫く共に過ごしたおかげで、彼女について分かったことがいくつかある。
リンゴが好きなこと。音楽に興味がないこと。虫や猫が苦手なこと。
そして、細々とした作業が苦手であることも。
何が言いたいかといえば──この時のティールはかなり不機嫌であった、ということだ。
脈絡の無い質問に、僕がどう答えたものかと悩んでいると。
「私には無理だなー。朝起きたら読書。仕事中でも構わず読書。移動中も、食事中も、寝る直前までも読み続けて──挙句夢の中まで読んでるんだろう? イカれてるよ」
こちらの返事を待たずに、ティールが矢継ぎ早に言い切った。
歯に衣着せぬ物言いでめった刺しにされ、頭がくらくらしてくる。
何も無いのにつまづき、よろめきそうになる。
目の前の少女に一矢報いんと、僕は重い口を動かした。
「飽きる飽きない以前に、1つだけ申し上げておきたいのですが」
「うむ、言ってみたまえ」
「別に、ずっと同じ本を読んでいる訳じゃあないですよ? 小説、伝記、図鑑、絵本、画集──色々な本を適当に読み漁っているだけですよ」
「あーー」
ティールは頭をポリポリ掻いて、言葉に詰まった。
出来の悪い生徒に頭を悩ませる、新米教師のような顔をして。
「……いや、そういう意味じゃあなくてな。何ていうか、こう、君が読書をする様子が、その……」
その小さな碧眼を泳がせて、ティールが言った。
彼女らしからぬ、慎重に言葉を選ぶ素振り。
次の彼女の言葉を、無意識に佇まいを正して、僕は聞いた。
「怒っているように見えたんだよ。私にはてっきり──誰かに強いられて、嫌々読んでいるものとばかり」
「はあ?」
耳を疑った。
嫌々読んでいる……?
板に付いているって意味じゃあないよな。
詰まらなさそうってことか?
彼女の言い分を咀嚼して、飲み込んで。
パサパサに乾いた唇を舌で舐めて、僕は言った。
「──好きだから読むんですよ? それ以外に理由がありますか」
「えっ」
僕の返答を聞いて、今度は彼女こそ面食らった。
作業の手を止め、間抜けにも大口を開けている。
数秒遅れて、彼女は口を閉じる。
何かに気づいたように、はっ、と目を見開く。
しかし、いまいち不満気に眉根を寄せ、唇を尖らせる。
そして、彼女が言った。
「あれ、そういう顔だったの?」
それからどちらも口を開くことなく、僕らは片付けを終えて、帰路についた。
その間、2人に一切の会話は無かった。
やがて森を抜けた頃、既に日は暮れていた。
薄暮の空の下、2人の足元には穏やかな風が吹き抜けている。
──あれ、そういう顔だったの?
ティールの発言の意図は、未だ不明だ。
「そういう顔」とは、どういう顔なのか。
普段の僕は、どんな顔で本を読んでいるのか。
何かに打ち込んでいる際の自分の姿など、覚えているはずも、見えるはずもない。
……ひょっとすると、彼女の言う通り、本当の僕は読書なんて、楽しくもなんとも感じていないのではないか。
昔からの慣習というだけで、嫌々続けているに過ぎないのではないか。
いずれにせよ、考えたところで、今すぐに分かる問題ではない。
僕本人には、特に。
……だから、もう一度聞こう。
いつか、この問題を自分の中で消化できたら、その時、彼女に。




