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Mission Ⅱ

「足、引っ張んじゃねえぞ」


 とあるマンションの一室。減音装置サプレッサー搭載のハンドガンに弾倉を装填したろうは、いつものように皮肉を口にした。


 狼は仕事の腕は良いのだが、いかんせん口が悪い。


 殆どを一人でこなせてしまう分アリサ以外のservantの事は足手纏いだと思っていて、気に入らない事があれば「サーヴァント風情が」と吐き捨てる。


 りんはその侮蔑的な態度が嫌いだったし、狼にチョーカーを起爆されるくらいだったら自爆した方がマシだとさえ考えていた。


 そもそも、ペアにならなければ都度割り振られる暗号キーを握られる事はないのだが、今回は瀧島を説得出来なかったので仕方がない。


 せめて起爆リスクの少ないミッションを、と祈ったが、普段から信仰心のない燐を拾う神などいるはずがなく、言い渡された任務は暴力団組員の暗殺だった。


 しかも、場所は某繁華街のど真んなか。


 眠らない街は常に人目が多いし、至るところに防犯カメラが設置され、すぐ近くには大きな交番がある。


 これほどやりにくい場所はないな、と肩を竦めた燐は、部屋の隅で寝転がったままピクリとも動かない女の方を見た。


 彼女は、今回の標的ターゲットの隣人であり、恋人イロだった。


 インターホンに呼ばれて扉を開けるなり、狼に首の骨をへし折られたのですでに息をしていないが。


「何だよ、同情か?」

「別に、そんなんじゃない」


 言われて目を逸らしたが、それすら今更だ、というように狼が鼻で嗤った。


「そんな事より、この間何したの?」

「はあ?」

「あんたと組んだあの日、震えてた。何かに怯えてるみたいだった」


 顎をひいた燐が責めるように狼を見る。


 眉を顰めた狼は壬冬みふゆの話だとわかると、やがて何だそんなことかというような顔をした。


「別に?俺は何もしてねえよ」

「嘘。絶対に嘘」


 あの屋敷の住人は生まれが別々で、戸籍もないため、実年齢がわかっているのは闇医者――八雲やくも數馬かずまに取り上げられた燐だけだ。


 しかし、壬冬と彌渫やちるは見るからに幼く、真っ当な生き方をしていればまだランドセルを背負っていそうな年の頃である。

 

 物心ついた時からこの世界にいたとはいえ、仕事を通して外界を見れば目移りすることも少なくはない。


 同じくらいの子供が公園で楽しそうに遊んでいれば何をそんなに笑うことがあるのかと疑問に思うし、手を繋いで歩く親子が目の前を通り過ぎれば温もりを知らない自分の手に寂しさをおぼえる。


 それを抑制して首に爆弾を括り付け、血生臭い鳥籠のなかに押し込んでいるのだから、幼い心に負担を掛けるのは容易だった。


 そして、壬冬にはそれが顕著にあらわれた。


 任務中、断末魔の叫びを聞いて、頭を抱え込みながらその場に座り込んでしまった壬冬を雜藤が抱えて連れ帰ったこともあるほどだ。


 一度は解放する話もあがったが、それは同時に壬冬の死を意味する。


 歳が近い彌渫は思うところがあったのか、その天性の才を発揮して飲めばハイになる丸薬――多少の負荷は掛かるが、今すぐその身体を蝕むようなものではない――をつくった。


 それは十分に効果を発揮した。


 しかし、狼と一緒に任務に出ると、どういう訳か必ずと言っていいほど効果が切れた状態で帰ってくるのだ。


 それも酷くボロボロの状態で。


 理由を聞こうにも壬冬は話せる状態ではないし、狼は頑なに口を割ろうとはしない。


 これではせっかくの丸薬も意味を成さないということになり、狼と壬冬は余程のことがない限り組ませないようになったのだが――。


 この間は燐が狼を拒否したがために壬冬が狼と組まざるを得なくなった。


 狼はアリサの能力を買っているので、たとえ彌渫が駄目でもアリサと組むだろうと踏んでいたのだがとんだ思い違いだったようだ。


『アリサは駄目ね、俺の「スペシャルお気に」だから』


 脳裏を掠めた瀧島の台詞に、燐は忌々しく舌を打った。


「あの子に何かしたら絶対に許さないから」


 聞く耳を持とうとしない燐を、狼の翠眼すいがんがじっと見る。


 短く切られたシルバーアッシュの髪とその端正な顔立ちは、思わずたじろいでしまうほどの美しさのなかに男らしさも兼ね備えているから厄介だ。


 たった数秒、視線が絡んだだけで居心地の悪さをおぼえた燐はあからさまに顔を顰めた。


 すると狼は不可解そうな顔をする。


「だから?お前が許さねえからなんだって言うんだよ」


 腰を上げた狼は、自分から距離を取るように壁際に立っていた燐の前を塞いだ。


「言えよ、俺が彼奴をどうにかしたらお前が何だって?」


 炯炯とした狼の瞳に映り込んだ燐は、見せつけるようにそれ(、、)に人差し指を掛けた。


「たとえば、ここでこれを爆発させるとか?」


 servantの首につけられたチョーカーは無理矢理外そうとすれば爆発する仕掛けになっている。


 幼くしてすでに多才な彌渫の手によって簡単に作られたそれは、致命傷とまではいかないが殺傷威力は半径五メートルほどであれば十分である。


 この距離なら狼も無事では済まないだろう。


 燐が薄ら笑いを浮かべると、狼はその目をすっと細めた。


「…死にてえのかよ?」



 通常、裏の依頼を受けた瀧島はより確実なペアを選ぶのだが、なかでもmasterには個々に色があり、ひとえに「殺し」と言っても得意とする依頼もさまざまだ。


 それは、常に冷静沈着で身のこなしが軽く、機械的に遂行する雜藤が暗殺を得意とし、ながれはその人当たりの良さを活かして情報を引き出したあと無用の長物となった標的ターゲットの始末をする、と言った具合である。


 そして、足手纏いだなんだと日頃燐たちのことを邪険にする狼は、拷問が必要な任に就くことが多い。


 爪を剥ぎ、骨をへし折り、臓腑を潰し、肉を切り裂く。まるで鬼のような所業を、狼は顔色ひとつ変えずやってのける。


 床に額を擦り付け許しを請われようが、断末魔の叫びが轟こうが、無感情な目で見下ろし、ジリジリと痛めつけ、終焉へといざなう。


 無慈悲なところはアリサたちの前でも変わらないのだから、燐が起爆をしたところでこの男は何も思わないだろう。


 それなのになぜそんなことを訊くのか。


 燐が眉を顰めると、狼がその薄い唇を開いた。


壬冬あいつは――」


 そこまで言った狼は不意に表情を消すと何かに気付いたように窓の方へと目をった。


 燐もそれに倣うと建物の目の前には黒塗りの車が停まったところで、運転手の男がまわり込むよりも早く後部座席の扉が内側から開かれる。


 中から一人の男が姿を見せると、狼は燐から離れた。


 

 情報通り一人で帰って来た男はドアノブに手を掛け、部屋の中に入ると首を捻った。


 普段であれば、サムターンの回る音と同時にまるで犬のように走り寄ってくる女の姿がどういうわけか見えない。


 それどころか部屋のなかは真っ暗だった。


(寝てるのか?)


 男が照明をつけようと壁に手を這わせた刹那――状況を理解する間も無く、次の瞬間には頭を撃ち抜かれていた。


 抵抗するどころか叫び声を上げることも、敵の姿を視界に入れることすら叶わなかった。


 男は即死だった。


 床に赤黒い染みを作る血液に背を向けた二人は建物の裏から外に出ると、どちらが言うわけでもなくバラバラに歩き出す。


 建物の隙間から見えた表側は、まるで何かが破裂したような音に騒然としていた。


 まもなく警察も駆けつけるであろう。

 

 奇抜なネオンと喧騒に背を向けた燐は、街中で目を光らせるカメラを避けるように路地裏へと足を踏み入れる。


 しかし、年季の入った室外機の向こう側から歩いてくる人影に気付き、足を止めざるを得なかった。


 ここはこの国を代表する歓楽街のひとつである。


 スーツ姿はおおかたビジネスマンもしくは風俗関係者を意味するが、紫煙を燻らせながら泰然たる足取りでコンクリートを踏み鳴らす様相がそのどちらでもないと首を振る。


(組の構成員か…?)


 燐は目を細め、舌を打つ。


 やがてパトカーのサイレンが聞こえてきた。


 夜の喧騒とはまた違った騒ぎに見向きもしない男がジャケットの内側から革のグローブを嵌めた手を引き抜いたと同時に、燐は太ももにつけたホルスターから銃を引き抜いた。


 体を開くように回転させた燐は右手で握る一方を前の男へ、腰のホルスターから左手で抜いたもう一方は背後からにじり寄っていた男へと銃口を向けた。


 今日の標的ターゲットは組の幹部だった。


 だから、最初こそ異変に気付いた組の構成員が追って来たのだろうと思ったが、すぐにその違和感に気付く。


 男たちが落ち着き過ぎているのだ。


 普通の人間は仲間が殺されたら取り乱すはずなのに、男たちにはその様子がない。燐を前にしても動じない二人は、少なくとも標的の仲間ではなさそうだった。


「……誰?」


 銃口を向けられているというのに男たちはたじろぐどころか余裕で構えている。


 警察が目と鼻の先にいる今、燐が撃つことはないと考えているのだろう。


 右手側の男はサバイバルナイフを手に燐の様子を窺っており、その反対側からは恰幅のいい男が今にも走り出して来そうな勢いだ。


 燐は、銃を握る手に力を入れた。


(…たぶん、同業だ)


 燐は自分たち以外の同業者に遭ったことがない。しかし、その隙のない動きと無感情な顔付きは洋館の住人たちを彷彿させた。


 男たちが何故このタイミングで燐を狙ったのかは分からないが、屋敷の秘密を守るためには絶対に「何も」持ち帰られてはならない。


(狼は、どこまで行っただろうか)


 男二人を撃ち抜いた後、チョーカーを起爆させれば否が応でも警察の目を引くことになる。そうすれば、狼も逃げやすくなるだろう。


 しかし万が一いまだにその辺りを彷徨いていたら――そこまで考えて燐はかぶりを振った。


 狼に限ってそれはない。今頃闇に紛れてとっくに姿を消しているはずだ、と。


 それなのに何故かトリガーを引く指が動こうとしない。


 すると、撃てないと確信した男たちが一斉に地面を蹴った。


(最っ悪)


 舌打ちをした燐は、セーフティレバーを切り替えると、トリガーを囲む保護ループ《トリガーガード》に人差し指を通して即座に両手を使えるようにした。


 先に躍り出たのは恰幅の良い男の方だった。


 図体のわりに動きが素早い。


 咄嗟に姿勢を低くした燐は、その動きに合わせて身体を開き、男の攻撃を去なす。


 そしてナイフを右の手刀で叩き落とし、左手で肘のあたりを叩けば、男は燐に肩を見せるように体勢を崩した。


 そのままガラ空きになった顔面に一回、二回と交互に拳を繰り出し鳩尾に膝を埋め込むと、腹を抱えて蹲ったその首裏に銃のグリップエンドを叩き込む。


 続いて反対側から走り込んできた男のナイフを回し蹴りで蹴り落とすと、勢いを利用して恰幅のいい男の身体を細身の男に向かって投げ飛ばした。


 その隙に銃から、禍々しく湾曲したカランビットナイフに持ち替える。


 男たちはジャケットの内側から新しいナイフを取り出して構えているが、ここは狭い路地裏である。大の男二人が横並びになるには狭過ぎた。


 案の定、細身の男が一歩前に出る。


 片方の男は腹を押さえたまま恨めしそうに燐を睨んでいるが、やがて唾を吐いて身体を起こした。


 さて、どうしたものか。と、燐はナイフを握る手に力を込める。


 一瞬、開いた道から逃げることも考えたが、すぐそこで警察が待ち構えているし、何より敵と対峙した時点で燐たちに逃げ帰る場所はない。


 すると、燐の背後の道路を一台のパトカーが通り過ぎた。


 赤色灯が路地裏を照らし、一瞬のうちにまた暗闇に落ちると、それが合図だったかのように、細身の男が燐に向かって走り出した。


 屋敷の住人たちは幼くして行き場を失ったものの集まりであり、彼らはこの世界で生きていくための「常識」を成長と同時に習得してきた。


 それはまるで子供が箸の使い方を覚えるように道具を握り、花を摘むように命を摘んだ。


 しかし、闇医者――八雲數馬に取り上げられた次の日、タオルに包んで診療所の椅子に寝かされていた燐は、屋敷にきてしばらく経っても馴染めず、成長していく他の住人を遠巻きに眺めるだけだった。


 そんな燐を輪のなかに入れようとしたのが八雲から燐を託された瀧島とアリサである。


 燐は彌渫のような突出した才能や手先の器用さはなかったが、元来運動神経がいいのか身のこなしの上手さにおいては雜藤と並ぶものがある。


 ポテンシャルの高かった燐は、ひとたび輪のなかに入れば目を見張るほどの上達を見せた。


 その雪のように白い肌と華奢な肩、女であれば誰もが羨むであろう整った顔。


 高い位置からすらりと伸びる両脚から繰り出される蹴りは人形のような造形美を誇る彼女からは到底想像できないほど重い。


 そんな燐はいまだ生への執着がない。とはいえ、死に急ぐ理由もない。まるで幼い子供の手を離れ、無風の空を揺蕩う風船のように、今日も忙しなく動きまわる世界を俯瞰するだけだ。


 だけど、そんな生活も嫌いじゃない。燐はそう思っている。

 

 雨風にさらされることも、木枝に引っ掛かることも厭わない燐だが、彼女にはひとつだけ厭悪することがある。


 それは、何処からともなくやってきた鴉が風船に嘴を立て、安寧の世界を脅かすような真似をすることだ。


(たとえ私が死んでもそれで終わりじゃない)


 この男たちは自分を消した後、屋敷の住人を手に掛けるつもりだろう、と燐は考えた。


 すると燐のなかに静かな焔が灯り、呼応するように瞳が赤くなった。


 その瞬間、燐はふっと身体が軽くなるのを感じた。


 案の定、男たちは所詮女だと思って油断していた。


 その結果、細身の男は首筋をナイフで掻っ切られ、血飛沫をあげながらアスファルトに横たわっている。


「お、まえ…」


 残された男が初めて口を開いた。


 微動だにしない相方を見ながら、信じられないといった表情をしている。


 その頬には倒れた男の血が降り掛かっていて、手のひらで拭った男は呆然としたように瞬きを繰り返した。


 興醒めである。


 そもそも、多対一では「多」が「一」を囲むのが定石だが、二人並んだ時点ですでにその利を無くしていた。


 とはいえ、珍しい客に少しは梃子摺るかと思ったのだが、気付けば一人は地面に伏しているし、もう片方は相方を失った途端に及び腰になっている。


 本職かと思ったが、見当違いだったか?と燐は眉を顰めた。


 男は「くっ」と顔を歪めると、やがて肚を括ったような顔つきで突進してきた。


 燐目掛けて真っ直ぐ突き立てるようにナイフが繰り出される。


 それを湾曲したカランビットナイフの内側で受け止め弾き飛ばすと、左手で男の腕を瞬時に固定し、右手で男の脇腹にナイフを押し当てる。


 男の動きが一瞬、完全に止まったのを見過ごさなかった燐は、グリップエンドのフィンガーリングに掛けた指を軸にナイフをくるりと回し持ち替えると、男の首筋を一思いに掻き切った。


 まるでスプリンクラーが作動したかのように、飲み屋の外壁や室外機がたちまち血塗れになる。

 

 アスファルトに転がり、微動だにしなくなった二つの塊に背を向けた燐は、ナイフを仕舞うと路地裏を抜け、雑踏へと足を踏み入れた。



 大通りに出るとこの繁華街の象徴であるアーチの下にはいつも以上に人集りが出来ていた。


 規制線の向こう側を一目見ようと押し合い圧し合いするその群れを横目にスマートフォンを取り出した燐は、数少ないアドレスから「瀧島若狭」の名前を見つけるとコールをタップした。


 瀧島はワンコールも鳴り終わらないうちに電話に出た。


『終わった?』

「うん」

『…そう、分かった』


 一瞬、物言いた気に間を開けた瀧島は、結局それだけ言って電話を切った。


 燐は、迎えが来ているであろう場所に足を進める。


 途中で靴屋を通り掛かると店先に置かれた鏡に燐が映った。鋭利なナイフや銃が鳴りを潜めてしまえば、燐はごく普通の女の子だ。


 跨線こせん橋で東西に分けられたこの街は、東日本旅客鉄道ほか私鉄、地下鉄と複数の路線が乗り入れするターミナル駅を有する。


 出口からは昼夜問わず渾渾と人が湧き出てくるので、その波に紛れることなど造作もない。


 燐は人波を縫うように進み、やがて角を曲がろうとした。すると、前から来た人影に危うくぶつかりそうになった。


 相手は驚いたように声を上げたが、燐は何事もなかったかのように通り過ぎようとする。その瞬間、師走の風がまるで燐の長い髪を攫うように吹き抜けた。


(寒っ…)


 身震いした燐は襟に口元を埋めると、先を急ごうとした。


 早く屋敷に戻って温かい飲み物が欲しい。


 湯気を立てたティーポットを手に迎えてくれるであろうアリサを思い浮かべ口元を緩めた時、突如後ろから二の腕を掴まれた燐は、振り返るざるを得なかった。


「――君、血のにおいがする」


  *


 その頃屋敷では、メイド服に身を包んだアリサが時計の針に目を遣っていた。


 もう少しで日付が変わるが、燐たちが帰ってくる様子はない。


 気まぐれな猫のような燐がこの時間にいないのはままあることなのだが、今日は任務だ。


 狼が一緒なのだから大丈夫だと思う一方で、それならば何故帰って来ないのかと不安が募る。


(何もないと良いのだけれど)


 思わず深いため息を吐くと、ダイニングテーブルで資料に目を通していた瀧島が顔を上げた。


 丸い色付き眼鏡がずれて、老爺のようになっている。


 あらやだ、老眼かしら。と、アリサが内心憐れんでいるとは露知らず、茶を飲み干した瀧島の傍らにはスマートフォンが置かれている。


 何重にもロックを掛けられたその小さな機械ひとつで、この男はservant達の命の灯火を一瞬にして吹き消すことが出来るのだ。


「今晩また雪が降るみたいですね。今回は麓の方にも積もるみたいですよ」


 この屋敷は山のなかにあるのでこの時期になれば積雪はさして珍しいものではないのだが、麓に積もるほど降るのはこの冬初めてだった。


 タイヤの跡が残ってしまうので目立った行動は避けた方がいいかもしれない、とアリサは思ったが、瀧島は「ふうん」とだけ相槌を打った。


「ところで彼奴はあそこで何してるの?」


 瀧島の視線の先を追うと、玄関ホールに向かって伸びる階段に毛布を被って蹲る壬冬の姿がある。


 まるで毬藻だな、と理解し難そうな表情をする瀧島に、アリサは「待ってるんですよ」と言った。


「待ってる?」

「燐ちゃんを」

「忠犬かよ」


 そんな暇あったらさっさと寝ればいいのに。と、漏らした瀧島はここ最近壬冬が眠れていないのを知っているようだった。


「燐ちゃんといると安心するみたいです」

「安心?彼奴が?」


 鎖を付け、薬を飲ませてまで従わせようとする自分が、壬冬には無慈悲で残忍な鬼のように思えるのだろう。


 顔を合わせるたび、怒りのなかに怯えを滲ませた表情で威嚇される瀧島は、安心という言葉ほど壬冬から遠いものはないと思っていた。


「心配しなくても今日はそんなに危険な任務じゃない」

 

 瀧島が声を張ると毬藻はぴくりと反応した。


 瀧島は、普段見向きもしない小動物の気を引くことに成功したような感覚に心が躍るのを感じた。


「ヤクザの頭ひとつ撃ち抜いてくるだけさ。アガリ掠めたとか何とか言ってたが、ありゃもっと別の理由だな」


 目を見張ったのは壬冬だけではない。アリサもその意図をはかりかねていた。


 基本的に互いの任務に干渉しないのが暗黙のルールなので、指令を出した本人自ら詳細を口にするとは思わなかったのだ。


 瀧島はなんてことないように言ったが、普段から瀧島を毛嫌いしている壬冬には何の気休めにもならなかったのか反応がない。


 アリサは真偽が分からない台詞を鵜呑みにしたわけではなかったが、チョーカーが作動すれば瀧島に連絡が入るし、その瀧島が起爆スイッチを押す様子もないのでその点だけは安心していた。


「壬冬君、そこは寒いでしょう。こっちに来ない?」


 アリサに優しく声を掛けられた壬冬は、しばらく逡巡していたかと思うとやがて横に振った首を引っ込めた。


「あらら、振られちゃった」

「心配なのでしょう」

「まるで人事みたいに言うんだな」


 瀧島のその意味ありげな台詞と視線にアリサは居心地の悪さをおぼえたが、おくびにも出さず涼しい顔で首を傾げた。


「本当、お前は食えない奴だよ」


 瀧島は喉の奥でクッと笑うと、カウンター越しにアリサの目の前に立った。


「そんなお前を俺は嫌いじゃないし、この家のなかで一番買ってる。任せられる任務も多い。けど、今のままじゃマスターにはなれない。お前は彼奴らを殺せない。それじゃ困るんだよ」


 瀧島が有無を言わせない表情でアリサを見た。


 反射的にアリサの手が太腿に巻かれたホルスターに向かって伸びたが、咄嗟にスカートを握り締めて染み付いた本能を抑え込む。


 アリサは緊張から喉が張り付くのを感じ、唇を舐めた。


「…わかってます」

「そう、それなら良い。お前は話が早くて助かるよ」


 瀧島は満足そうに笑うと、途端に不思議そうな顔で流しのなかに目を遣った。


「ところで、その皿何回洗う気?」


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