夢を渡る少女
今日もまた一つ夢が消えた。
と、少女は仰向けのまま、あふれる涙に蓋をするように目元を手で覆う。
彼女は自他の夢を同期させるという能力のおかげで、世界中の生存者と夢の中で出会うことができる。
文字通り一人っきりで生活している彼女──エヴァにとっては、夢の中で生存者と触れ合うことが唯一の生きる希望であり、同時に絶望でもあった。
毎日のように夢を渡りあらゆる生存者と邂逅する中、いつしか会えなくなっていった者たち……
それが意味するものは言わずもがなで。
「あの子も……死んだ」
悲しみと怨嗟が混じり合った声音でそう呟くと、濡れた顔面を袖で拭い、布団から起き上がる。
ここはエヴァの隠れ家で、大規模な地下シェルターだ。
白い悪魔の侵攻直後、世界各地の地下シェルターには多くの生存者がいたとされている。しかし、理由は分からないが、みな次々と姿を消していった。
いま拠点としているシェルターもそうだ。
夢から得た事前情報によれば、外に出ることなく自給自足できる施設で、大勢の人々が隠れ住んでいるはずだった。
だからこそ元々住んでいた隠れ家を捨て、危険を冒してまで遠路遥々やってきたのだが、到着したときには生存者は忽然と姿を消していた。
誰かが生活していた痕跡だけが残り、内側からしかあけられないはずの頑丈な扉も平然と開放されている有様で、なにが起きたのか、いまとなっては窺い知るすべはない。
そしてこの施設での一人暮らしは、次第に少女の心を蝕んでいった。
「もう生き残りはエヴァしかいないのかも……だとしたら、エヴァの生きる意味ってなに?」
獣を模したぬいぐるみに尋ねてみる。
『エヴァには秘められた力がある。それが覚醒すればこれまでに消えていった人たちも復活させることができる』
「本当?」
『本当さ、エヴァは夢の中に入るだけじゃなくて、夢の中の住人を現実世界に連れ出すこともできる』
「それじゃあ、人類の復興も夢じゃない……って、そんな都合のいい力、あるわけないだろ」
しばらく腹話術でぬいぐるみと会話したあと、急に糸が切れたように我に返ってぬいぐるみに八つ当たりする。
「テレビゲームでもあれば、暇つぶしできたんだけど……なんの娯楽もないのは……」
生きることに辟易し、袖を捲って手首を露出させようとするが、腕は金属の装飾具によって覆われている。それはリストカットを封じるために取り付けた謂わば拘束具。
他にもこの施設にある凶器となるものは事前に破壊し、頑丈な紐なども細かく千切り、本来あるはずの焼却炉も操作盤を破壊しているため機能しない。
とにかく自殺に走れないようにあらゆる工夫が施されており、エヴァはだだっ広い部屋を見回したあと、深い深い溜息をこぼす。
「眠ってるあいだに死んでたりしないかな……」
そう言ってはいるものの、実際に死ぬ気はなかった。だが、生きるつもりも既にない。
生きながらにして死んでいる。そんな精神状態になりつつある。
「そろそろ食事摂らないと」
面倒くさそうに生産区画へ向かう。
ボサボサの髪を掻きむしりながら、ゾンビのような歩みで電気のスイッチを入れる。
だが……
「あれ……点かない?」
カチカチ。カチカチ。
何度もスイッチを弄るが、電気が点かない。いや、それだけじゃない。いつも仄かに光る非常灯も、少々耳障りな機械の運転音も、全てが消えている。
事態を把握するのに数秒も要さない。
この施設の発電機能が死んでいる。地中のケーブルが死んだか、基盤が焼けてしまったか、理由は分からないが一つだけ確かなのは、そう長くは生きられないということ。
飲水もポンプで汲み上げている。空気もファンを回して循環させていた。
「ついに、ここまでか」
エヴァはその場に崩れ落ち、さっき起きたばかりなのにもう寝ることにした。
「どうせ誰の夢にも渡れない……それでも起きているよりはマシ」
彼女が眠りにつくまで、思いのほか早かった。いつも聞こえていた機械の音が存在せず、真の静寂が人生の終わりを告げているかのようで、安らかな表情で眠っていたという。
◆
電力が切れてから何日かが経ったかもしれない。時計も死んでいるのでどれだけ時間が経ったかは計り知れない。
エヴァは見知らぬ部屋にいた。
目の前には薄汚れたエプロンを着けた少女。いや、むしろエプロンしか身に着けていないほぼ裸同然の黒髪の少女。
部屋の中央に座り込み、機械を弄っている。
これは他人の夢の中だ。
久々に夢を同期させることに成功した。
そしてまだ生き残りがいた。自分が死んでも人類は終わらない。そう考えるとなぜか気が楽になって、調子良く眼前の少女に話しかけた。
「なにしてるの?」
「ん? マシンの修理。この星の全てのマシンを修理するのがボクの夢なんでね」
「ふーん、機械に強いんだ……」
「そうだよ。いま人類で最も機械に詳しいのはきっとボクだろうね」
久々に夢の中で生存者と邂逅し、それだけで十分だと思っていたエヴァだったが、彼女は苦笑しながらそれを否定する。
「それじゃあ、うちの電化製品も修理してくれる?」
エヴァが名も知らぬメカニックに笑顔で尋ねる。
だが、メカニックに訪問してもらうつもりは毛頭ない。むしろこちらから会いに行くつもりでいた。無論外に出るのは危険ではあるが……
彼女は取り戻したのだ。
それはずっと彼女が忘れていた感覚。そして無意識的に求めていた感覚。
スリルと興奮。損と得。生きるうえで当然のように存在していたはずの概念を、いつしか失くしてしまっていた概念を取り戻し、同時に怖れに立ち向かう勇気を得る。
神などのオカルトを信じていないエヴァも、今回ばかりは運命を感じずにはいられない。
機械が壊れてすぐにメカニックの生存が明らかとなる。これはもう神から生きろと言われているような気がしたという。