除却者(アメリア)
百年以上前、全ての文明は崩壊した。
高度な機械技術と軍事力を誇っていた帝国も、世界のあらゆる知識を蓄えた賢者の王国すらも、四体の白い悪魔──皎童魔には手も足も出ず、出現から僅か数時間でその惑星に生きる人類の九十九パーセントが消失した。
運よく生き延びた数少ない生存者は除却者と呼ばれ、皎童魔に怯えながら文明を捨てた生活を強いられる。
のちに文明の復興を図った人類は森や洞窟の中に大規模な都市を築く構想を練り、数十年間のあいだ皎童魔に見つかることなく順調に事を運んでいた……かに思われていた。
◆
西大陸南部に位置する旧ディロン王国跡。都市部はえぐられたように大地から姿を消し、かつての面影は一片たりとも窺い知れない空虚な土地。
十数人の除却者たちは皎童魔に見つからぬよう山間部に集落を築き、身を潜めていた。
山の樹木を切り出して家屋を作り、原始的ではあるが自然の恵みによって安定した生活を送っていた集落で、エルピスはそこに住んでいた。
集落の中でも彼女はひときわ明るく、何事にも前向きな女の子……なのだが、女の子にしては少々ワイルドすぎる側面も持つ。
まず、建築だ。
その集落の家屋の半数以上は彼女が建てたと言っても過言ではない。
建築や戦闘の技能が人間のそれと比べると規格外であり、ジャングルに一人放置したとしても何十年も生きていけるほどサバイバル能力も高い。
その日もエルピスは男性に負けない仕事ぶりを発揮し、食料調達を終えて家に帰宅したところだった。
心の高揚をそのまま表すかのように黒髪の長いポニーテールをゆさゆさと揺らし、木造の床を騒々しく足で軋ませながら父親のいる居間に上がる。黒く円な瞳をパチクリさせて、後ろ手に食材を隠しながら、
「ただいまパパ。今日のご飯はなんだと思うー?」
それに五十代くらいの中年の男が嬉しそうに微笑みながら、
「そうだなぁ、お魚さんかなー?」
彼女の華奢な体から見え隠れするイノシシ、それが見えないフリをしてわざと間違った答えを言う。
するとエルピスは顔をくしゃくしゃにして笑い、
「ぶっぶー、ハズレ。正解はイノシシさんだよー」
そう言って体長二メートルはあろうかという太りに太ったイノシシを軽々と片手に持って父親に見せびらかす。
と、このように彼女は、見た目は十歳程度の少女なのに、やっていることがワイルドすぎるのである。
おかげで集落のみんなは食料に困らず助かっていたが、この親子が奇異の目で見られていたのも確かだ。
もちろん誰もが感謝はしていた。その親子がいるからこそ楽ができる。それはそうなのだが、木の伐採から家屋の建造、畑仕事や食料調達、果ては下級悪魔との戦闘までこなす少女は、もはや軍事兵器にすら見えたという。
そう見られていたことを父親のほうは理解していたが、そのような意見は耳に入れないように心がけて毎日を過ごしていた。
そうしなければ彼の精神がもたなかったから……。
ある夜、エルピスは寝静まる前に隣の布団で横になっていた父親にこう尋ねた。
「ねえ、パパ……最近なんだか村のみんながアタシのこと怖がってる気がする」
それまで違和感を覚えることがなかった彼女だが、ついに気づく。自分に向けられた視線に畏怖の念が少なからず混じっていることに。
父親はエルピスを傷つけないように嘘をつく。
「それはアレだ。だいぶ前に大怪我をしたことがあったよね? またエルピスがあんな怪我をするんじゃないかってみんな心配してるんだよ。村のために頑張るのはいいことだけど、あんまり無理をしないようにね」
「だいぶ前? 木の下敷きになったときのことだよね? あれ……最近の出来事だったような……」
「エルピスは相変わらず時間の感覚がダメダメだなぁ」
エルピスは一度唸ってから仰向けのまま左腕を天井に伸ばす。手首には小型の機械が装着されていて、それを見つめながら愚痴のように溢す。
「腕時計。時刻だけじゃなくて暦の機能も欲しい」
「それは諦めなさい。正確な暦がわからないし、パパにそんな技術はないんだ」
また嘘をつく。
彼にとって正確な暦を割り出すのも、腕時計にその機能をつけるのも造作もないことなのに……
エルピスはふーんと納得し、そしてまた別の疑問を投げかける。
「そういえば村のみんなはなんで腕時計つけてないの? あったら便利なのに」
父親の解答は早い。考える間もなく娘の問に答える。
「前にも言っただろう? みんなはエルピスみたいに時間音痴じゃないから時計がなくても大丈夫なんだ」
また嘘をつく。
父親は苦笑しながら寝る前の最後の言葉をエルピスにかける。
「ほら、さっさと寝なさい。悪い子は白い悪魔に食べられちゃうよ」
この父親は一夜にどれほどの嘘をつくつもりなのだろうか。
百年以上前に人類を滅亡の淵に追いやったほどの存在を、子供を寝かしつけるための口実に使うとはなんとも皮肉な話である。
「おやすみなさい」
エルピスは寂しそうにそう言い、瞼を閉じる。彼女と同じ言葉を父親が繰り返す頃には、すでにエルピスは眠りに入っていた。
深い眠りの世界、夢の中へと精神を落とす。
寂しくてなにもない夢。その日にとった行動や、次の日にこなす仕事の予習。そんなつまらない内容の夢が朝まで続く。
彼女の夢に、もうエヴァは出てこない。