豊穣への生贄
エルピスが島の女性から聞いた話は、到底信じがたいものだった。
元々この島は不毛の島で、果実はおろか雑草一つ生えていなかったという。
その昔、白い悪魔から逃れるために海に出た客船がこの島に座礁し、生存者たちは次々に餓死していったという。
そこに現れたのが、神だ。
大地に緑を生やし、人々に食料を与えた。
だが、神は与えるだけではなかった。
定期的に生贄を要求し、百年もの間、人間を喰らってきたという。それも繁殖能力を失った者や、男性を優先的にだ。
島に男性の姿や老人の姿がほとんどなかったのも、畑仕事をしている者がいないのもそのためだ。
それらがこの村に違和感を生じさせていたが、ようやく違和感の正体が判明した。
しかし、それではまるで……
「そんなの家畜だよ……」
餌を与えて、最終的には自らが喰らう。
エルピスには到底理解できない図式だった。それなら最初から神も果実でも食ってればいいじゃないか、と。
未だに虚ろな表情の女性の手を優しく握りしめ、とにかく安心させようと宥める。
「アタシが乗ってきた船はすごく大きいから、村のみんな全員乗せて島を出れるよ」
「出たい……こんな狂った島……私の父も母も、神への生贄にされた……この島にいる人間はみな喰われる」
「まずは村のみんなを集めないと。今日中にみんなで引っ越しちゃおう」
しかし。
「駄目だ」
最初に会った男が後ろからきつい言葉を浴びせてきた。
彼は感情を押し殺しながら続ける。
「神への供物を怠れば、きっと我らに天罰が下る。我らが今日まで存在していられるのは神の恵みあってこそ。この世に生まれてこれたのも神のおかげ、この歳まで生きていられるのも神のおかげ。白い悪魔に怯える心配もなく生きていられるのも神のおかげ」
だが、女性は発狂しながらその男に言い返す。
「天罰なんてほんとにあったとして、みんなで脱出すればこの島の作物が枯れようがどうでもいいじゃない。外の世界には植物がたくさんあるんでしょ?」
「神の怒りを買えば島の外の植物まで枯らされるに決まってる。とにかく駄目だ、大人しく生贄になってくれ。その歳まで生きれば十分だろう?」
そして男はエルピスのほうをギロリと睨む。
「君も余計なことを言うな。既に生贄に決まった者を島の外に出すわけにはいかないんだ。この島の掟が気に入らないと言うなら勝手に出ていってもらっても構わない。だが、既に島民である者は、島で一生を終えなくてはいけない。どうか分かってくれ」
エルピスが無言のまま男の言い分を聞いていると、横から女性が大声で喚き散らす。
「嫌よ。こんななにもない島で不自由に死んでいくなんて……どうせ死ぬなら外の世界を見てから死ぬわ」
「聞き分けが悪いな……それ以上ゴネるなら足を引き千切るぞ」
それで女性は黙ってしまう。
きっとそれは脅しではなく、前例のある対処法なのかもしれない。
その日の夜。
エルピスは村を離れ、砂浜に停めたボートの上で座り込んでいた。
これから女性が一人神に食い殺されるというのに、なぜこんなところでなにもせず待機しているのか。無論エルピスの意思ではなく、村に近づかないように警告されたからだ。
(ねえコン、まだ起きないの?)
返事はない。
たまに眠ることがあるコンコルディアだが、本当に寝ているのか狸寝入りなのかエルピスには判断がつかない。
(やっぱり神様に直接聞いてみるね。人を犠牲にしない道はないか)
聞こえているか分からないが、念の為コンコルディアに報告してから、村のほうへと忍び寄る。暗闇でも暗視機能によって鮮明に見ることができるため、人に見つかることなく村に侵入するのは容易いことであった。
そしてエルピスが見たのは、村の広場にある祭壇に寝かせられた女性の姿。まさにいま生贄に捧げられようとしていた。