退屈な旅
ドックの片隅にある鉄の仕事机。その上に置かれた一つのファイルをエルピスが不思議そうに手に取る。
「これが必要なもの……?」
『万が一のために、な』
「中身はなに?」
『我──と其方の設計図じゃ。この先、都合よく修理ドックがあったりはしない。じゃが、機械に詳しい人間に見せれば、ひょっとしたら役に立つかもしれん』
「なるほど……じゃあ、いくつかスペアのパーツも潜水艦に載せたほうがいいね」
『うむ』
それからエルピスは大きめのドーリーに必要な物資を入れたコンテナを二つも載せ、出立の準備を終える。
最後にエーノシダスに挨拶しようと、彼女を探す。
広大な施設とはいえ、作業員がエーノシダスしかおらず、彼女が立てた物音だけはどこにいても常に聞こえていた。
造船所。
そう書かれた扉をくぐると、そこにはまた広大な部屋が広がり、中央にある超巨大なプールを囲むように足場がある。そして、そのプールには建造中と思しき潜水艦が浮いていた。
建造中とは言ったものの、船体はほぼできていてあとは内装だけだと思われる。
「まさかこれがエーノシダス? エイドニアスとそっくりだね」
『それはそうじゃろう。同型艦じゃからな』
エルピスは両手をメガホンに──やっほーのポーズで声を張り上げる。
「おーい! エーノー!」
「お呼びでしょうか」
大声で呼ぶと、室内にアナウンスが響く。だが、彼女の姿は見えない。
「アタシもう出て行っちゃうよー!」
「行ってらっしゃいませキャプテン」
やはり姿を見せないエーノシダスに痺れを切らし、エルピスは潜水艦の中に突入する。
音のする機関部まで走り、頬を膨らませて可愛らしく怒鳴る。
「もう、最後くらい顔合わせようよ!」
「私の本体はこのマキナではなく、いま乗船されておられる潜水艦です。エーノシダスと顔を合わせたいと言うのでしたら、造船所に入った瞬間に既に達成しておられます」
「そ、そうだけど……そうじゃない……」
ようやく顔を合わせた二人の少女型ロボット。
結局のところ人間のような感情を持っているのは三式機人の特権であり、潜水艦のAIが操縦するマキナには、別れに対する哀愁などはないのである。
「あ、いいこと考えた」
エルピスは自分のポニーテールをまとめていたリボンをほどき、そのリボンでエーノシダスの髪をまとめる。
小さなサイドテールを作り、エルピスはご満悦。
「おおー、似合う……」
「容姿を変えても観測する者がいなければ意味がないのでは」
「アタシにとっては大いに意味があるの!」
「それでは私からも贈呈品を」
◆
基地を出たエルピスは全身で朝日を浴び、大きく伸びをする。
新調したワンピースに、破損した頭部を隠すための鍔の大きなフリンジハット。首の傷を覆うようにリボンを着け、とにかく露出した機械部分を誤魔化すことで、外見は完全に人間らしいものへとなった。
心機一転し、北大陸から東大陸への航海が始まる。始……まる?
「あああああああああ! また退屈な船旅があああああああ」
『辛抱するのじゃ……陸路を行き、皎童魔と戦闘になるよりかはマシじゃろて』
エルピスは覚悟を決め、基地から持ち込んだコンテナを潜水艦に詰め込み、自らも乗り込む。
そして聞き慣れた音声が彼女を出迎える。
「お待ちしておりました。キャプテン」
「ただいま、エイド。妹に会ってきたよ」
「存じております。当艦は同型艦と同一ネットワークで繋がっているため、キャプテンとエーノシダスの通話記録もデータベースに保存済みです」
「ああああああ! コン! なにか面白い話ない?」
『済まぬ、少し眠らせておくれ……夢の世界が我を誘っておる』
「よしエイド! なにか楽しい話を聞かせて!」
「その要求には応じかねます」
「どうせ自動操縦だし、アタシもスリープ状態になっておこうかな」
「緊急時の対応が遅れるため、推奨しません」
「起きてなきゃいけないの? 死ぬ……今度こそ暇死にする……」
少女の悲痛な叫びとともに、潜水艦エイドニアスは潜航を始める。