惘然の眼(フェリア・オプス)
エルピスは山道を下っていたときだ。
「ふげぶ!」
突然転び、顔面を土壌にぶつけ、蒼白させる。
大したダメージはないのだが、顔が青ざめた理由は転んだ原因にある。
「だ、誰?」
確かに何者かの手が足首を掴んだ感触があった。
それを確かめるべくくるりと顔を百八十度回転させ、首元の皮膚に模した樹脂を破いてまで足元を確認する。
すると、仰向けに倒れた全身真っ白な少女がエルピスの足首をがっしりと掴んでいた。
一目見てこれが皎童魔であると分かった。
白い頭髪に白い肌、眼球がたくさんついた白い衣服、そして瞳だけは赤い。
その少女が無気力な眼で見つめたまま問いかけてくる。
「質問……。貴方何者?」
「アタシ、機械だよ! 人間じゃないよ!」
焦りに焦った結果、見逃してもらうために首をグルグルと回転させ、人間じゃないアピールをする。
「合点……。仲間連絡」
「ま、待って! 仲間に連絡って、他の白い悪魔に? なんで?」
「貴方……皚獣殺害」
皚獣を殺したことで目をつけられた?
これは不味いと思ったエルピスは足をブンブンと振り回し、なんとか皎童魔の拘束を解くと、一目散に走り出す。
「追跡……しなきゃ」
そう口にする白い悪魔は、そのままぐったりとその場で項垂れた。
スタミナが尽きることなく、しばらく走り続けたエルピス。
「全然追ってこないけど……。アタシが速すぎて諦めたのかな? いま気になったんだけど、アタシの原動力ってなに? ガソリンや電気じゃないのは確かだけど」
『振り切ってない。上だ、気をつけろ』
コンコルディアの迫真の忠告に、反射的に頭上を見上げる。
ドスッ。
エルピスの上に白い悪魔が落下する。
呆然と立ち尽くす直立不動の上に干された布団のように覆い被さる白い悪魔。その状態のまま全ては終わったと言わんばかりで。
「捕獲……勝利」
なんとも気怠げな勝利宣言を終え、ご満悦の様子のところにエルピスが尋ねる。
「アタシ、ロボットなんだけど……見逃してもらえない?」
「駄目……多分」
「多分?」
「仲間相談処遇決定」
「ずっと気になってたけど、その喋り方は……?」
布団のように覆い被さっていた悪魔はズルリとエルピスの頭から滑り落ち、地面に落ちたあと、いかにも嫌そうな顔つきで面倒くさそうに説明する。
「頭の中で……会話文? 考える……のが、面倒くさい…………単語だけで……会話したい」
「え、えぇ……」
そして困惑するエルピスを他所に、やる気なさそうな表情のまま、天に向かって呟き始める。
「連絡……此方エク……………………」
だが、言葉は続かない。
エルピスは走った。
連絡される前に逃げればいい、山の斜面を人間には不可能な挙動で降りていく。そして森を抜け、街を突っ切り、草原を駆ける。
時速五十キロ以上を常にキープし、時には時速百キロを超えるほどの速度で全力で逃げた先で、さすがに足にガタがきたのか動きが鈍くなり足を止める。
「へてー、ここまで逃げれば流石に……」
「逃走、無駄」
「ひぃ」
頭上から声がして、見上げるが、誰もいない。
「いない⁉ どこ?」
「背後」
ご丁寧に教えてくれる白い悪魔。確かに声がしたのは背後だ。だが……
「やっぱりいない」
振り向いても誰もいない。
「此処」
「どこ?」
「此処」
「どこ?」
「此処」
「……」
何度か同じやり取りを繰り返す。全て視界の外から声がすることから、エルピスは数歩歩いて地面の水溜まりを覗き込む。
すると、エルピスの後頭部の先に白い悪魔──エクが浮いていた。だらしなく横たわった姿勢でピタリと空中に留まっている。
そしてエルピスが首を動かすと、その首の動きにピッタリ合わせて背後のエクも位置を変える。決してそれぞれの相対座標は変わらない。
「貴方、理解………………そう、此れ、私の能力……」
「まさか……」
「多分……貴方推論正解…………眼球座標固定、其れが私の……惘然の眼」
「え? 眼球の座標を固定する能力?」
「え?」
しばらく沈黙が流れる。エクは能力を解除したのか、空からエルピスの手前に降り立ち、マサカリのような武器を担ぎ上げる。
「能力……詳細漏洩………………貴方、絶対処分」
やる気のない表情、やる気のない声音、そしてやる気のない身のこなし。ガリガリの体からは想像もできない俊敏な一撃が、いつの間にかエルピスの腹を捉えていた。
マサカリが腹部をえぐり、機械部品が飛び散る。
「へて!」
エルピスは宙に散らばる部品をスローモーションで眺めながら考えた。
能力がバレてしまったから絶対に処分する。そう言われたのは間違いないと思うが、肝心の相手の能力を十分に理解していないのである。
戦いは避けられそうにないが、敵の能力の詳細が分からない限り戦いは不利となる。
(コン! どうしたらいいの⁉)
だが返事はない。
かくして白い悪魔が一柱、エクとの一騎打ちが幕をあける。