夢想還魂 7
赤上赤華がその場に現れて数十秒。異形が動く気配がない。それは突如現れた彼女に警戒をしているのか、それとも別の何かを考えているのか。
さっきまでのあれは…幻術?あの異形が見せたのか。なんて質の悪い幻術を…そういえば彼女が現れてから少し体が軽い様な…。
そう自身の体を確かめていると、魔術の気配を微かに感じとった。
それは自身のポケットの中からで、それを取り出すとそこにあったのは、学校帰りに最初の目的地を示していた地図の紙からだった。
それに施されていたのは治癒と何かと、魔術をそれなりに勉強してきた今の彼女では解読のできないものだった。
まさか彼女がこれを…?いや、それはありえない…だって彼女は…。
「梓麻さん大丈夫?」
柔らかな顔で赤華が尋ねる。
「え、ええ大丈夫だけど…それよりなんであなたが…ここに?」
「ん?う〜んそうだな〜助けに来たって言うのもあるけど、手伝い…」
そう話してる最中、異形が音もなく体から伸びる触手を鋭い刃へと変えて襲いかかった。
だが、それは外したのか彼女の横を通り過ぎて壁を突き刺した。
いや、外したのではない彼女が弾いたの…?羽虫を払うように、あの手で。
「いや…これが私の務めだからかな」
「務め…?」
「まぁここで待っててよ。すぐに終わるから」
そう彼女が告げると異形へと歩みを進め、柔らかくなっていた彼女の瞳が再び凛と鋭くなる。
「え、ちょっと」
そう制止するように手を伸ばすも手は届かなかった。
一歩、一歩と歩みを進め次第に駆け足となり異形へと迫り進む。
「心配する必要はないよ」
急に真横から新たに男の声が聞こえた。
目を開き見ると横にはコートを羽織る三十くらいのタバコを咥える男が立っており、そのすぐそばに唯一と鳶鷹が寝かされている。
応急処置を終えているのか鳶鷹の抉れた横腹は止血している。
誰…この人は…。
「私のことは今はいい。今君達が見るべきは彼女だ」
言われるがままに再び彼女の方へ視線を向ける。
すると異形から異様な圧が発せられる。
これはさっきの気味の悪いものを見せる幻術…。
それをもろに受けたのか走っていた赤華の姿勢が崩れ走りは遅くなりふらふらと前傾姿勢倒れゆく。
言わんこっちゃない。多少腕が利くといっても、魔力は非魔術師と大して変わらないモノしか持たないあなたに、一体何ができるって言うのよ。
そこへ追撃の如く異形は触手を三本を生やし先と同じ様に鋭く形を変えて狙いを定めるようにうねる。
幻術にはまり無防備に倒れ行く彼女。つまりそれは格好の的だ。
何かしようにも、その場からは到底間に合わない。
心配ないと言っていた男の方を見るも何も手助けする気配は無い。
そして異形の狙いが定まり三本の槍の如く触手が倒れ行く赤華を目掛けて放たれた。
迫り逝く触手の槍。
未だ無抵抗に倒れ行く赤華。
不味いのではと思うも言われた通りそれを見届ける。
そして倒れ行く赤華の片足が地面を着く、その間際。
「…れ……」
その呟きに彼女の足を赤い光の輪が回転し拡大縮小をしながら現れ、足の中へと収まっていった。
そして足が地面を着く瞬間、音が鳴り響くほど強く地面を蹴り、一気に加速し進み、その槍をすり抜けるように避けながら異形へと走り飛び迫った。
予想だにしてなかったその出来事に異形は驚き後退りする。
「残念だけど、それを望んだことは一度も無いから効かないよ。そしてもう遅いよ」
一気に距離を詰めながら拳を作る。
「廻れ——廻れ——」
その言葉に先の足で行われたように次は前腕で赤い光の輪が現れる。
二度告げたことによる事が影響してるのか、回転と拡大縮小が先程より速く二度繰り返される。
そしてその輪が腕に収まり、距離を詰め終えると直ぐに攻撃する体制を作り、オーラのような赤い魔力を帯びた拳を異形の顔面へ放つ。
すると予想だにしていない衝撃音が鳴り響き、異形は苦痛の声を漏らしながら殴られるままに顔が流れ、怯み逃れるように後退るも、赤華はそれを見逃さず三連撃の追撃をその体に突き刺していく。
それに異形は苦痛の声を漏らしながらも反撃をするべくその巨大な前足で防御を構える赤華を弾き飛ばしながらそこへ新たに触手を二本生やし、計五本の触手で追撃するも、容易に払い弾かれ避けられてしまい、最後にきたその一本の触手を掴み引き寄せた。
異形も思いもしなかったであろう。彼女のその引っ張りにその自身の巨体が宙を浮くなどとは。
異形は「ああ?」と間抜けな声を漏らしながら引き寄せられるのだが、その勢いを利用し前足で叩こうと振るも、赤華はそれを体を回転させて受け流し、がら空きとなっている異形の首に手刀を叩き入れ、異形の攻撃によって生まれた力の流れに後押しするように巨体の横腹に蹴りを入れ、異形はその勢いが制御不能で対応できずに顔面や前足の脇とで地面を跳ね転がる。
嘘でしょ…。何…あの魔力の色…魔力の使い方は…それに体格差からして軽く五倍以上の差があるのに…あの威力…一体あの体のどこにそんな力が…。と赤華の様子を伺う。
彼女は異形からは視線は外さずに手を組んで軽いストレッチの様な事をしていた。
あれだけ激しい動きをしたのに全く呼吸が乱れてないなんて。それにまだ、余裕を感じられる。
「————————————」
異形が雄たけびのような寄生を鳴き響かせ、口や何処からか何かドロっとした黒い液体が周囲に撒き散る。禍々しく異様な気配が発せられ漂い空気が悲鳴を上げている様に揺れる。
「うっ…」
その気配にあてられた影響か寒気を感じ気持ち悪く吐きそうになるが、こみ上げてくるそれをグッと抑え飲み込んだ。
呼吸が荒い。動き回っているわけでもないのになぜ荒くなっているのか…。理解できている。それは恐怖だ。
なんなのあれは…。あの異形は…。どう考えてもただの魔獣といったそれではない…。一体何…。
「これは予定外だな…」
真横に立つ男がそう声をこぼした。
一体何を言って...。そう耳を傾けると何か周囲から気味の悪い物音が聞こえ見ると、周囲の瓦礫の隙間から幾つもの触手がうねり出てきていた。
「あ...」
そうこちらが気がつくと直ぐにそのうねりは激しくのたうち回り形を変え鋭利な槍と変わり、梓麻達へ襲い放たれた。
そう差し迫ると同時に、男がタバコの煙を軽く吹くと、迫ってきていたその触手達が一斉に破裂していった。
「流石にそのお守りじゃあ、コレを防ぎきるのは無理そうだな」
そう言い終えると先程まで感じていた圧が弱まり気が楽になった。
今の一瞬で、迎撃と同時にお守りの術式を書き換えたっていうの…何者なのよこの男は…。
だが、今聞いても恐らく答えてはくれないだろう、だから最初に言われた通り、梓麻もただ彼女の方を見る。
「ようやくさらけ出してきた…」
深く息を吐きストレッチを終えて呟き、異形の方を向いて構えをとる。
「来なよ。私の全力をもってソレを祓ってあげる」
その言葉に何かを感じたのか、異形は即座に赤華が行動に移る前に走り迫る。
少し遅れながらも、それに応戦する様に迎え行く。
異形が鞭の様に放つ触手の攻撃を舞うように避けながら走り迫り、大振りの前足の攻撃を先と同じように受け流し、攻撃を仕掛ける。
その瞬間、足が何かに引っ張られ、放った拳は異形には届かなかった。
何?
そう見ると地面から黒い縄のような触手がツタの様に生えており、右足の足首に絡まるように捕らえられていた。
先の咆哮の時の…。
横から来る触手の攻撃を咄嗟に腕を立てて防御するも、それは先の弾いた時よりかなり重くなっており、体がその威力に流されそうになるも何とか耐え踏みとどまるのだが、影が赤華を覆い暗くなる。
異形のその前足が出る杭を打つように、その場に捕らえた赤華を踏み潰そうと振り下ろす。
咄嗟に姿勢を落とし、その足に絡まる触手を引きちぎり、振り下ろされるその足の攻撃を横へ飛び避けるのだが、異形はその足の着地と同時に体をひねり、異常にも思えるような動きでその巨体でタックルするように当て、更に羽を巨腕と形成させそれで殴られ吹き飛ばされる。
一転、二転と上手く跳ねながら体制を整え着地し、勢いに滑るのに抵抗し止めるが、すぐに伸びる触手の追撃が襲いかかる。
それを避け弾きながら先のように引っ張ると、その掴んだ触手が直ぐに千切れた。
手に残った触手を捨てようと離したのだが、絡まって離れず、何か動きを感じ見ると、まるで切り離されたトカゲのしっぽの様にのたうち回りながらぐちゅぐちゅと形を変え球体を作ると円錐の槍となり顔面へ向かって襲い来る。
首を傾け紙一重で避け、すぐに空いている左手でそれを力強く払うように砕くと手に絡まる力が無くなり、それらは砂や灰の様に散り散りになって消え逝くのだが、それに気が向いていた隙を異形は見逃さなかった。
二翼と触手を絡み合わせ、棘のある鬼の金棒に似たモノが二つ形成し迫り来ていた。
回避しようとするも、既に両足に地面から生えるあのツタのような触手が絡んでおりそれを許さない。
そして異形はまるで太鼓を叩き鳴らすかの如く、ソレを頭上から何度も叩き落とし砂埃の粉塵がその場を激しく舞い地鳴りが鳴り響く。
何度も、何度も、それは恐らく叩き潰しているそれの形が無くなり完全に何だったのか分からなくなるまで続ける。
そして最期と言うように自らの前足を振り上げるとその二つから触手が延び歪な前足を形成し、そこへ叩き落とした。
「————————————」
異形は聞くに堪えない気味の悪い笑い声で鳴きだす。
そしてひとしきり笑い終えると、次はと梓麻達の方を向いて歩みを進め行く。
「満足した?」
そう背後から声が聞こえ咄嗟に向くと、砂煙の中から人影が起き上がり、腕を振り払うと風が吹きその場を漂っていた砂煙が晴れる。
そこに立つ潰したはずの人間は大した怪我などなく、ただ砂埃で少し汚れている程度だった。
「何で?」と言ったように異形が声を漏らすより先に、赤華が言う。
「それは貴方の方か詳しいでしょう。私が多少頑丈ってのもあるけど」
その言葉に異形は少し考えるような間が空くと、彼女の言う何かに気が付いたのかすぐに奇声をあげると禍々しい何かが溢れる。
「うっ…う〜ん。なんやこの気色悪くて煩い声は」
騒がしいその声に気絶していた二人が意識を覚ます。
「いいタイミングで目覚めたね二人とも」
「あんた誰や」
「そんなことは今はいいんじゃないか?君達が今するべきことは僕の事を聞くことではなく、彼女の方を見る事だ」
「彼女…?」
そう二人は男が指で指し示す方を見る。
そこに見えるのはのは先程まで対峙していたと思われる豹変した異形と赤華の姿。
「なんやあの気色悪い姿は…いやそんな事よりなんであそこに赤華はんが…」
「もう少し付き合ってあげたかったけど、流石に私のわがままにこれ以上時間をかける訳にはいかないんだ。それに私達は明日テストがあるから」
異形はそんな赤華の言葉など一切聞いておらず、禍々しいなにかを纏うその前足を振り下ろす。
赤華は構えそれを迎え撃つ様に前へ出る。
迫り来る巨足を左腕で受ける瞬間、勢いよく体を捻り回転させ受け流しながら更に前へ異形の懐へ入り込む。
すると異形の懐には気味の悪い目玉がいくつも開き、数十の体から浮き出る半球体がぐちゅぐちゅと蠢いている。
そして次の瞬間には円錐の黒い槍が勢いよく突き出す。
だが、一本も赤華には刺さっていない。
まるで、当たらない位置を予測していたのか、それともその黒い槍らが自ら赤華を避けて突き出したと思わせる。
だが、そんなことなど赤華にはどうでもいい。
開いていたその赤い魔力を纏う右手を強く握り締め狙いを定める。
赤上流 一式 「赤零」
放たれたその拳の赤い衝撃が異形の体を突き抜けるように溢れ出た。
異形はピクリとも動かずに小さな唸り声をこぼすも、すぐにその声は止み、体がドロドロと黒い泥のように崩れ落ち、消えゆくと同時に禍々しかった空や当たりの赤い霧や雲が晴れ行き青い晴天となる。
地面に残ったのは、しめ縄を首にかける一羽の黒い烏と白黒の獏の姿で、すぐにその二体の体は淡く白い光の小玉に変わりゆき空へ登り逝く。
赤華はまだ消え逝くその場へ歩み寄り、そこにポツリと残っている薄く青っぽい小玉の炎らしきものを拾い上げ、上へ少し上げる。
「君も一緒に行きな」
そう優しく声を掛けると、その小玉は意志を持っているのかキョロキョロと見渡す様に動き見上げると、先程空へ上っていた小玉たちはその場に漂い待っていた。
手の上に乗る小玉はそれを見て、その小玉たちの元へ漂い行く。
そして合流すると再び小玉達は上へ天へと登り行き一つまた一つと泡沫の如く消えて逝った。
その様子はまるで天へと飛んでゆくシャボン玉の様に思えた。