グランヴェル侯爵家へ
本日も2話更新しています。
エディスがライオネルと会い、二人の婚約が調った翌日、グランヴェル侯爵家の立派な馬車が、約束通りにエディスを迎えに来た。
従者の助けを借りて馬車から降りたライオネルの顔色が、昨日よりもさらに青ざめているように見えて、心配になったエディスは、慌てて彼の元へと駆け寄った。
「ライオネル様、来てくださってありがとうございます。あの、お身体の具合は……」
「ああ、大丈夫だよ。それに、君の姿を見たら元気が出たようだ」
そう言って笑みを浮かべたライオネルが、身体の痛みに耐えて無理をしている様子なのを悟って、エディスは心苦しくなった。あまり外で長時間過ごすことは、ライオネルの身体に障るのだろうと、エディスは急いで口を開いた。
「私の方こそ、ライオネル様にお会いできて嬉しく思いますわ。もうすっかり準備もできておりまして、後は迎えに来てくださったこちらの馬車に乗り込むだけですので、早速参りましょうか」
エディスがちらりと後ろを振り返ると、彼女の義父母と義姉が、愛想笑いを顔に張り付けて見送りに来ている様子が目に入った。
ライオネルに続いて馬車から降りた彼の父に向かって、エディスの義父は丁寧に頭を下げた。
「侯爵様。至らぬところもあるかと思いますが、エディスをよろしくお願いいたします」
「いえ。エディス様のような方が息子と婚約してくださって、こちらこそありがたく思っていますから」
エディスの義父は、ライオネルの父からエディスに視線を移した。
「もったいないようなお言葉をいただいたな、エディス。失礼のないようにな」
「はい、お義父様。皆様、どうぞお元気で」
小さな鞄を一つ抱えたエディスの視界には、彼女を見つめて、そっと小さく手を振るローラの姿も映っていた。エディスは、ローラに目配せをして微笑みを浮かべてから、オークリッジ伯爵家に背を向けた。
***
エディスが、小さくなっていくオークリッジ伯爵家の屋敷を、やって来てからの一年半を思い返しながら、多少の感慨を持って馬車の窓から眺めていると、彼女の正面に座るライオネルから、気遣わしげに声が掛かった。
「オークリッジ伯爵家を出るのは、やはり寂しさもあるのかな、エディス?」
「いえ、この一年半のことを思い出していただけですから。お気遣いをありがとうございます、ライオネル様」
揺れる馬車の中、少し声を震わせ、苦しげに息を吐いたライオネルが、一層身体の辛さを必死に我慢しているように見えて、エディスは思わず続けた。
「あの、馬車の中はどうしても揺れますし、ライオネル様がお辛く感じるところもあるでしょう。差し出がましいようですが、少し目を閉じて休まれてはいかがでしょうか? ……私は、これからグランヴェル侯爵家にお世話になりますし、ライオネル様と一緒に過ごさせていただく時間もたっぷりありますので、私にはどうかお気遣いなさいませんよう」
エディスは、ライオネルが余命一年と聞いてなお、それをそのまま受け入れるつもりはなかったので、あえて、時間がたっぷりあるという言い方をした。ライオネルに試して欲しい薬も、エディスの頭には既にいくつか浮かんでいた。
ライオネルは、そんなエディスの意図を汲み取ったかのように、ふっと微笑んだ。
「温かな言葉をありがとう、エディス。余裕がなくてすまないが、君の優しさに甘えることにするよ」
そうエディスに言葉を返したライオネルは、その落ち窪んだ瞳をゆっくりと閉じた。間もなく、微かなライオネルの寝息がエディスの耳に届いた。あまり一定していない、少し苦しそうな彼の寝息にエディスが耳を澄ませていると、エディスの隣に座っていたライオネルの父が、小声でエディスに囁き掛けた。
「エディス様、息子への気遣いをありがとうございます」
「いえ、そんなことは。それに、私のことはエディスとお呼びくださいませ」
ライオネルの父は、柔らかな表情でエディスを見つめた。
「承知したよ、エディス。あなたは、心の優しい女性だね。病を患うライオネルがどのように感じているのかに、常に気を配ってくれていることがよくわかる。あなたのような得難い人がライオネルの婚約者になってくれて、どれほど幸運だったのかと思うよ」
彼は、ちらりと息子に気遣うような視線を向けた。
「あなたが察してくれた通り、ライオネルの身体は酷く消耗しているようでね。彼が連日外出するのは、かなり久し振りのことなんだ。恐らく、ライオネルの性格からして、昨日あなたと二人きりになった時に、正直に病状を伝えているのだろうとは思うが……」
静かにこくりと頷いたエディスに、彼は続けた。
「私は、決してライオネルの命を諦めた訳ではない。けれど、その一方で、もしも医師の言うように、彼の命が尽き掛けているのだとすれば、限られた時間の中で、できるだけ彼の人生を幸せなものにしてやりたいとも思っているんだ。……少し、矛盾するようだがね」
辛そうに顔を歪めながら、ライオネルの父は、呟くような調子で言った。
「ライオネルは、親の私が言うのも何だが、昔から優しくて賢い、真っ直ぐな子でね。私も、彼には大きな期待を寄せていた。それが、こんな大病を患ってしまって……。それでも必死に前を向いて、家族に迷惑を掛けまいとする彼が、不憫でならなくてね。ライオネルには、家族からだけでは与えてやれない愛情もある。金銭的な事情を盾に婚約の話を持ち込んだ私に、エディスにこんなことを言う権利はないかもしれないが、婚約者という立場から、息子に温かな愛情を向けてもらえたら、とてもありがたいんだ」
ライオネルの父は、エディスに向かって深く頭を下げた。
「グランヴェル侯爵家に来ることに同意してくれて、本当にありがとう、エディス。息子のことをよろしく頼みます」
(ライオネル様のことを心から大切になさっている、温かなお父様ね)
エディスの脳裏を、優しかった両親の姿が、彼に重なるようにふっとよぎった。頭を下げたライオネルの父を前に恐縮しながらも、エディスは、ライオネルを起こさないよう抑えた声で、しかしはっきりと答えた。
「私も、ライオネル様のお命を諦める気は全くございませんわ。それに、辛いお身体を抱えながらも、優しいお気遣いを忘れないライオネル様を尊敬しております。私にできる限り、彼をお支えするために力を尽くさせていただきます」
ライオネルの父は、エディスの言葉を聞いて、彼女に向かって笑い掛けると、目尻に滲んだ涙を指先でそっと拭った。