出立の前夜に
本日も2話投稿しています。
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つかつかとエディスに向かって歩み寄って来たダリアは、ご満悦の様子でエディスを眺めた。
「無事にライオネル様との婚約が調ったようね……! あなたがこの家に来てから初めて役に立ったわね、エディス」
それだけ言うと、ダリアは父に向かって顔を顰めた。
「お父様。なぜ、ライオネル様があのような状態だと、事前に教えてはくださらなかったのですか? ライオネル様のお身体のこと、お耳に入ってはいたのでしょう?」
「私も、さすがにライオネル様があそこまで悪くされているとは思わなくてな。彼が体調を崩されていたことは、お前に伝えていたつもりだったが……」
ダリアは、苛立ちを隠し切れない様子で父を睨んだ。
「ライオネル様が、あんなに骨と皮ばかりで、まるで死神自身のような醜い姿になっていると知っていたのなら、はじめからエディスにこの婚約話を押し付けたのに!」
「だが、お前に今日になって頼まれてからではあったが、結果としては、エディスを彼と婚約させられたじゃないか。これで当面の間は、この家は金銭的にも困らないはずだ」
表情に安堵を滲ませて、にっと口角を上げた父に向かって、ダリアは吐き捨てるように続けた。
「とんだ期待外れの縁談だったわ。……彼のあの酷い顔色を見たでしょう? あんな人と婚約だなんて、あり得ないわよ。まるで、今にもあの世からの迎えが来そうに見えたわ」
ダリアに向かって、エディスは耐えられずに口を開いた。
「お義姉様! いくら何でも、言ってよいことと悪いことがあると思います。ライオネル様とお話ししましたが、病を患っていらしても、お優しくて素敵な方でしたわ」
エディスの言葉に、ダリアはすっと冷たく目を眇めた。
「へえ、よかったじゃない? 平民上がりのくせに生意気なあなたになら、もしかしたらお似合いかもしれないわね。いくら侯爵家の長男だからって、私は絶対にご免だわ」
ふんと鼻を鳴らしたダリアに、母がにっこりと笑みを向けた。
「もう一つよい知らせがあるのよ、ダリア。エディスには、ライオネル様をお側で支えてもらうために、この家から出て行ってもらうことになったの。明日、エディスはグランヴェル侯爵家へと向かうのよ」
「まあ、それはよかったわ。借金が帳消しになる上に厄介払いもできて、一石二鳥ね」
瞳を輝かせたダリアは、意地悪くエディスを見つめた。
「せいぜい、貴族として失格だとグランヴェル侯爵家から追い出されないように努力することね。そんなことにでもなれば、このオークリッジ伯爵家の評判まで下げかねないのだから」
「……あのライオネル様のご様子からは、まあ、エディスが貴族に相応しい振る舞いができなかったとしても、彼の話し相手くらいにでもなれれば十分なんじゃないかしら。それよりも、彼が天に召されて、エディスがこの家に戻って来るようなことにでもなれば困るわね」
顔を見合わせて笑った義姉と義母の姿を前にして、エディスは湧き上がる怒りに拳を握り締めていた。もう我慢も限界だった。
「ライオネル様は、きっと、いえ、絶対に回復なさいますわ。それが叶うように、私も彼をお支えいたします」
それだけ言い残すと、エディスは義父母と義姉に背を向けて、その場を早足で後にした。
***
エディスが夜遅くまで、翌日の出立のために、引き継ぎ用の書類と荷物の準備をしていると、夜更けに、彼女の小さな部屋のドアが遠慮がちにノックされた。エディスがドアを開けると、そこにはオークリッジ伯爵家のメイドのローラが立っていた。エディスは、驚きながらも彼女を部屋に招き入れた。
「すみません、エディス様。夜分遅くにお邪魔してしまって」
恐縮した様子のローラに、エディスは穏やかに微笑み掛けた。
「いえ、大丈夫よ。どうしたの、ローラ?」
ローラは、オークリッジ伯爵家の中でも、数少ないエディスの味方だった。今のオークリッジ伯爵家では、特にダリアが女王然としていて、彼女に口応えをしたり歯向かったりすると、露骨な嫌がらせを受ける。それが原因で辞めていった使用人も数多くいた中で、エディスと年も近いローラは、大人しい少女ではあったけれど、それでもエディスを陰で支えてくれていた。エディスがお嬢様と呼ばれることすら嫌がるダリアに目を付けられないようにと、ダリアからエディスへの辛辣な態度に見て見ぬふりをして、腫れ物にでも触るかのようにエディスに対応する使用人も多かった中で、いつもそっとエディスを励ましてくれたのがローラだったのだ。
エディスがローラに椅子を勧めると、ローラは丁寧に頭を下げて、勧められた椅子に腰掛けてから口を開いた。
「エディス様、お噂は耳にいたしました。重い病を患っていらっしゃるライオネル様の婚約者として、明日グランヴェル侯爵家にいらっしゃるのでしょう?」
「ええ、そうよ。ローラも知っていたのね」
「はい。この家の中で噂が回るのは、早いものですから」
エディスは、感謝を込めてローラの瞳を見つめた。
「私、ローラに今までお世話になったこと、本当に感謝しているわ。明日の出立の前には、ローラに今までのお礼を伝えたいと思っていたのだけれど」
「そんな、私の方こそ、エディス様には感謝してもしきれないのですから。夜も遅い時間になってしまいましたが、明日エディス様がグランヴェル侯爵家に向かわれる前に、エディス様と二人でお話ししたくて、そしてどうしても改めてお礼をお伝えしたくて、ご迷惑を承知でここに来たのです。……エディス様は、体調を崩した私の祖母のために、特別に薬を調合してくださった時のことを覚えていますか?」