婚約者との同居が決まって
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「父上。エディス様に、僕との婚約を受けていただけることになりました」
応接間から、エディスに車椅子を押されて出て来た息子の言葉に、ライオネルの父は口元を綻ばせながら頷いた。
「それは何よりだ。エディス様、息子をよろしくお願いします」
ライオネルの後ろで車椅子を押すエディスに、ライオネルの父は安堵の混ざる温かな笑みを浮かべた。エディスは、彼に微笑みを返すと、丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
いつの間にかライオネルの父の隣に並んでいたエディスの義父母は、揃って満足気な笑みを浮かべていた。
「喜ばしいことだな。エディス、ライオネル様にしっかりと尽くすのだよ」
「そうね、エディス。ライオネル様に礼を欠くことのないようにね」
エディスには、義父母の頭に金勘定が浮かんでいる様子が透けて見えていたけれど、それに気付かないふりをして、神妙な面持ちで頷いた。
エディスの義母は、ライオネルの従者が、ライオネルの車椅子を押すエディスと場所を代わる様子を眺めながら、ふいに閃いたように、ぱっと明るく顔を輝かせた。
「ねえ、エディス。ライオネル様は、日常生活でも支える人が必要なご様子よ。せっかくライオネル様と婚約したのだから、一番近くで彼を支えて差し上げたら?」
「ええと、お義母様。そうすることができればとは思っておりますが、それはどのような意味でしょうか……?」
義母の真意を図りかねて尋ねたエディスに、義母はにっこりと大きく笑った。
「あら、言葉通りの意味よ。あなたは、この家で特に何をしている訳でもないでしょう? もしグランヴェル侯爵家にご了承いただけるなら、ずっとライオネル様のお側についていて差し上げたらと、そう言っているのよ」
「あの、この家の薬の商いについては……」
義母は、冷ややかな瞳でぴしゃりとエディスに言い放った。
「そのことは、エディスが考える必要はないわ。誰だって、あなたがやっていたことくらいはできるでしょう。……いかがでしょうか、侯爵様?」
「私共としましては、エディス様が息子の近くにいてくださるのなら歓迎しますし、すぐに空いている部屋をエディス様用にご用意することもできますが……」
ライオネルの父は、少し戸惑った様子の息子と目を見交わした。ライオネルは、静かに口を開いた。
「それでは、むしろエディス様のご迷惑になるのでは? 僕たちの立場からは歓迎なのは間違いありませんが、いくらそうだとはいえ、婚約したばかりでそのようなことをお願いするのは、エディス様の重荷になってしまうのではないでしょうか」
エディスは、ライオネルが確かに自分のことを気遣ってくれていることを感じながら、すぐさま首を横に振った。
「いえ、ライオネル様。私が重荷に思うなどということはございません。ただ、私の方こそ、グランヴェル侯爵家でご迷惑をお掛けしないかという心配はありますが……」
最後は呟くような不安げな口調になったエディスに、ライオネルの父は明るく笑った。
「エディス様さえ本当によろしければ、是非グランヴェル侯爵家にお越しください。エディス様のご用意ができたら、いつでも迎えに上がりますよ」
「なら、エディス。すぐに準備をして、明日にでも迎えに来ていただいたら? 善は急げっていうじゃない」
「……はい、わかりました。お義母様」
随分と早い日程の提示に、やや頭をくらくらとさせながらも、エディスは義母の言葉に頷いた。この機にエディスを家から追い出したい様子の義母は、エディスがオークリッジ伯爵家の薬の商いにどの程度関わっているのかも知らないようだった。薬の調合をする人員も足りなければ、薬の在庫管理から帳簿付けに至るまで、見る限り穴だらけになっていた伯爵家の薬事業と、その不足部分に投入していた自分自身を思い返しながら、エディスは内心で小さく溜息を吐いた。
(明日までに、使用人への引き継ぎの書類も作っておかないと。お義父様もお義母様も、ただ人任せにするばかりで大雑把なのだもの。心配だけれど、仕方ないわね……)
当初は、老衰で身体が弱り、家業に十分に目を配ることが難しくなってきていた祖父の同意を得て、オークリッジ伯爵家の薬事業に関わり始めたエディスだったけれど、きっと義母も義父も、もちろん義姉も、エディスがしていることになど関知しようともしていないのだろうと思った。
エディスをじっと見つめ、そして彼女の義父母にも視線を向けてから、ライオネルは口を開いた。
「では、また明日に、エディス様を迎えにオークリッジ伯爵家に伺います。……エディス、君をグランヴェル侯爵家に迎えることを楽しみにしているよ」
「こちらこそ、楽しみにしております。ありがとうございます、ライオネル様」
ライオネルの温かな言葉に、ほっと表情を緩ませたエディスを見て、彼は優しく微笑み掛けた。オークリッジ伯爵家に来てからというもの、祖父以外に直接関わりのある貴族といえば、義父母と義姉だけだったエディスにとっては、今まで、貴族とはどこか高慢な人種のように感じられていた。けれど、ライオネルや彼の父のように、穏やかで上品な高位貴族がいるということに、エディスは新鮮な驚きを覚えていた。
エディスは、まだライオネルとは少し話しただけだったものの、彼の誠実で優しい人柄は伝わってきていた。これからライオネルと一緒の時間を過ごし、よりたくさん話せるということが、エディスにとっても嬉しく思えた。
ライオネル一行が馬車に乗り込んで帰路につき、小さくなっていく馬車の姿をエディスと義父母が見送っていると、どうやら近くで様子を窺っていたと思われるダリアが、口元に薄い笑みを浮かべて、エディスたちの元へと近付いて来た。