ライオネルとの対面
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エディスの目の前にいる車椅子の青年の身体は、明らかに重い病に侵されている様子だった。恐らく、健康だった時には背も高く、体躯もしっかりとしていたのだろうと思われる青年だったけれど、今はすっかりと痩せ細った身体で、土気色の顔に覗く目元は落ち窪み、頬はこけていた。黒髪もぱさぱさとして艶がなかった。
「初めまして、エディス様。グランヴェル侯爵家から参りましたライオネルと申します」
車椅子の上から、ライオネルがエディスを見つめた。彼の口調は、その痛ましい外観とは裏腹にはっきりとしていて、低めのよく通る声をしていた。けれど、車椅子の上に座っているだけでも彼が辛そうにしていることを、エディスは見て取っていた。
「……初めまして、ライオネル様。オークリッジ伯爵家の次女のエディスです」
ぎこちないカーテシーを見せたエディスに向かって、ライオネルは温かく微笑み掛けた。彼のタンザナイトのような青紫色に澄んだ目を見て、エディスは、誠実そうな人柄が表れた、綺麗な瞳だと思った。
ライオネルの従者が車椅子をエディスに近付けると、ライオネルはエディスに右手を差し出した。
「僕は身体がこのように不自由な状態なので、立つことも叶わず申し訳ないのですが」
「いえ、そのようなことは……!」
エディスは慌てて右手を伸ばし、ライオネルの右手を握り返した。骨と皮ばかりになってはいるけれど、温かな手だった。
エディスの義母は、目の前の二人の様子に、引き攣らせていた顔をようやく少し緩ませると、ライオネルと、その横のソファーに腰掛けていた彼の父に向かって口を開いた。
「申し訳ありません、エディスがお待たせしてしまって。はじめは長女のダリアにいただいていた縁談ではありますが、先程ライオネル様を前にした時のように、急に引きつけを起こして、悲鳴を上げて倒れてしまうことが、身体の弱いダリアにはしばしばありまして。ライオネル様をお支えするには、丈夫なエディスの方がよろしいかと……」
エディスは、義母の言葉に頭痛と眩暈を覚えていた。
(何てこと。さっき聞こえたお義姉様の悲鳴は、ライオネル様を見て上げたものだったのね……)
義姉の態度は失礼極まりなかった上に、彼を傷付けてしまったのではないかと、エディスはライオネルへの申し訳なさに、小さく肩を竦めていた。当然、義母の言葉も適当な言い訳に過ぎず、エディスは、ダリアが倒れるどころか風邪を引いた姿すら、滅多に見たことがなかった。ただ、エディスには、そんなダリアの態度に、彼女の性格を鑑みると合点がいくところはあった。ダリアは、美しいものに目がない反面、彼女が醜いと判断したものを極度に嫌う。まるで死神に取り憑かれているような、やつれ切ったライオネルの姿を見て、ダリアが耐えられずに悲鳴を上げて逃げ出したとしても不思議ではなかった。
ライオネルの父が、ゆっくりとエディスの義母に向かって口を開いた。
「……貴伯爵家の二人目のお嬢さんの話を聞くのは、今日が初めてですな」
「あ、あら、お話ししておりませんでしたでしょうか。この子は、血縁上は主人の姪に当たるのですが、不幸な事故で両親を亡くし、一年半程前に、この家に養子として引き取ったばかりなのですよ」
外向きには、義父母は必死にエディスの存在を隠していたから、自分のことを知られていなくても無理はないと、そうエディスは思った。慌てて作り笑顔を浮かべた義母に、ライオネルの父は続けた。
「私が息子の縁談を貴伯爵家に持ち込んだのは、息子が、最近貴伯爵家の薬を飲んで、多少回復の兆しが見られたことも理由の一つです。息子は、原因不明の病に突然襲われてからというもの、少し前までは寝たきりで、車椅子で外出することさえままなりませんでしたから。……息子の回復に繋がる可能性が少しでもあるなら、私はそれに賭けたいのです」
ライオネルの父は、少し辛そうな眼差しで息子を見つめてから、エディスの義母に視線を戻した。
「貴伯爵家は、由緒ある白魔術師の血筋で、それが今も薬を扱う所以だとか。その理解で合っていますね?」
エディスの義母は、ライオネルの父に向かって頷くと、探るような口調で尋ねた。
「ええ、仰る通りですわ。オークリッジ伯爵家の祖先は高名な白魔術師で、非常に回復魔法の技に優れていたと言われています。それを起源に、回復魔法で効力を高めた薬を扱う形で商いを始めたと聞いておりますし、私共の扱う薬は評判も良いのですよ。……もしかすると、そのような目に見えぬ力も、娘には期待なさっていると?」
「その側面も、完全に否定はできませんね。もうほとんど失われたと言われている魔法の力ですが、完全にこの世界から消え失せた訳ではないと、そう私も考えていますから。……ただ、もちろん、もし貴伯爵家にご協力いただけるなら、私の家からの金銭的な支援は惜しまないつもりです」
エディスの義母は、貪欲にその瞳を輝かせると、にっこりと大きな愛想笑いを浮かべた。
「まあ、そうでしたか。祖先の白魔術師の力がエディスに受け継がれていたとしても、不思議ではないと思いますわ。この子だって、れっきとしたオークリッジ伯爵家の血筋ですから。……ねえ、エディス?」
エディスは、猫撫で声を出した義母の言葉に曖昧な笑みを浮かべた。この世界には、太古の昔、まだ魔物が生息していたと言われる時代には、魔法を使える者もそれなりにいたそうだ。けれど、魔物が姿を消してからというもの、次第に魔法が使える人間も減り、数百年前には、ほぼ魔法の力を継ぐ者も消えたと伝えられている。祖先がどのような魔法を扱っていたかの名残りは、今ではそれを元とした家業の形で各家に残っている程度だったけれど、ごく稀に、家系に残る血の影響なのか、祖先の魔法の力が薄く発現する者もあると言われてはいた。
(……ライオネル様、相当にお身体の具合が思わしくないのね、きっと)
顔色も悪く、弱々しい姿のライオネルと、必死な様子の彼の父を見て、エディスの心は痛んだ。オークリッジ伯爵家が、いくら古くは白魔術師の家系であるとはいえ、もうほとんど失われたと言われる魔法の力にまで希望を見出そうとするなんて、藁にもすがる思いなのだろうと、容易に想像がついたからだ。
ライオネルは、その場にいる者をぐるりと見渡すと、やや遠慮がちに口を開いた。
「差し支えなければ、少しエディス様と二人だけでお話しさせていただいても? もしエディス様がお嫌でなければ、ですが」