優しい嘘
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ユージェニーは、瞳に浮かんで来た涙を再度ハンカチで押さえてから、エディスを見つめた。
「エディス様には、何からお話しすればよいのか……。元々、ライオネル様とクレイグ様のご兄弟と私は、夏の休暇の際に過ごす別荘が近く、幼い頃から、毎年夏になるとよく遊ぶ幼馴染の間柄でした。それがきっかけになって、侯爵家同士、将来の婚約の話が持ち上がったのです」
ユージェニーの話は、ライオネルから聞いている話と確かに重なると思いながら、エディスは頷いた。
紅茶とケーキが二人の前にそれぞれ運ばれて来ると、ユージェニーは紅茶で一口喉を潤してから口を開いた。
「どうか、昔話だと思って聞いてくださいませ。……私、まだ幼い日に、ライオネル様に初めてお会いした時から、彼に憧れていたのです。両親の話から、ライオネル様と将来婚約することになる予定だと知って、幼な心に胸が躍りましたわ」
ユージェニーの気持ちを聞いて、エディスは胸の奥が微かにざわりと騒ぐのを感じた。遠くを見るような瞳で、ユージェニーは続けた。
「ライオネル様は、まだ幼い時分から落ち着いていらして、優しく紳士的でいらっしゃいました。そんなライオネル様に対して、クレイグ様は元気でやんちゃなところがあり、お二人は対照的な性格でしたが、とても仲の良いご兄弟でした。お二人とは、時間を忘れて夢中になって遊んだものです。陽が暮れてから別荘に戻って、両親に叱られたことも、一度や二度ではありませんでした」
仲の良い三人の姿が目に浮かぶようだと思いながら、エディスはユージェニーを見つめた。
「楽しい幼少時代を、一緒に過ごされたのですね」
「……思えば、無邪気だったあの頃が一番楽しかったのかもしれません」
ユージェニーは、やや表情を翳らせた。
「けれど、私の家の事業は、次第に傾いていきました。今も、両親は一見羽振りの良い生活をしているように見えますが、侯爵家とは名ばかりで、内情としては、それほどの余裕はないのです。対するグランヴェル侯爵家は、盤石な事業基盤を持つ名門です。両親の期待は、一人娘の私に一心に注がれました。将来、私がグランヴェル侯爵家夫人となれれば、家を持ち直すこともできるだろうと、両親はそう考えているようでした。両親は、家同士の口約束だけでは不安だったようで、ライオネル様の心をしっかりと掴んで早く婚約まで持ち込むようにと、私に口を酸っぱくして言っていました。私とて、彼の気持ちが欲しかったのです。でも……」
寂しげな笑みを浮かべたユージェニーは、小さく溜息を吐いた。
「結局、私がどんなにライオネル様に相応しくなろうと努力しても、彼が私を一人の女性として見てくださることはありませんでした。ライオネル様は、文武両道で人望があり、お美しく、非の打ち所のない方でした。隣で支える女性など必要としないほど、お一人で完璧だったのです。……彼は、穏やかな兄のように私に接してはくださいましたが、それ以上ではないことは感覚としてわかりました」
「ユージェニー様のような、お美しい方でもですか? それに、私からは、ユージェニー様も完璧に見えますが……」
驚いたエディスに、ユージェニーは首を横に振った。
「いえ、近くにいれば、自然と感じられるものです。優しいライオネル様のこと、いずれ時が来て結婚することにでもなれば、家族としての愛情を与えてはくださったのでしょうが、空回りの努力を続けていた私は疲れ切っていました。そんな時、私を支えてくださったのがクレイグ様でした」
「……クレイグ様が?」
「ええ。ライオネル様には遠慮してしまって言えないようなことでも、クレイグ様になら気軽に相談できたのです。私は、彼の優しさに甘えて、家の内情や、両親の私への期待、ライオネル様に振り向いていただけない虚しさなど、全て聞いていただいていました。そのうちに、次第に私の気持ちはクレイグ様に傾いたのです。どことなく、クレイグ様が私に寄せてくださっていた好意に気付いたこともあるのかもしれません。でも、私は、ずっとそのことを両親に言い出せずにいました。もし口に出せば、次男との婚約なんてと、反対されるのはわかりきっていましたから。……ライオネル様が病に倒れられたのは、ちょうどそんな時期でした」
頷いたエディスを前に、ユージェニーは顔を辛そうに歪めた。
「ライオネル様を見舞った時、彼の想像以上の容体の悪さに、私はすっかり青ざめてしまいました。生命力を失い掛けていた彼の様子を見て、同時に、私は卑怯にも思ったのです。この状況なら、クレイグ様がグランヴェル侯爵家を継ぐのではないだろうか、クレイグ様との結婚が叶うかもしれないと。私は後先を考えることなく、ベッドに臥せるライオネル様に向かって、必死にクレイグ様への自分の気持ちを吐露していました」
エディスは、ライオネルに、病に倒れた彼を見て、顔を歪めなかったのはエディスが初めてだと言われたことを思い出していた。婚約予定だったユージェニーにまで青ざめられていたのかと、エディスはきゅっと胸が掴まれるように痛くなった。ユージェニーは、自らの顔を両手で覆った。
「……初めて、ライオネル様に必要とされた場面で、私は彼を見捨てて、突き放してしまったのです。暗い顔で唇を引き結んだ彼を見て、私は取り返しの付かないことをしたことに気付きました。幼馴染みで、いつも優しかった彼を支えようともせずに、残酷に切り捨ててしまったのですから。ライオネル様を見舞った直後にお会いしたクレイグ様は、兄を支えて欲しいと私に仰いましたが、もう、その時には、今お話ししたように後の祭りだったのです。結局、クレイグ様が私を庇ってくださって、彼と私の婚約話が持ち上がりましたが、クレイグ様はその時も私にこう仰っていました」
ゆっくりと両手を下ろしたユージェニーは、エディスをじっと見つめた。
「『兄さんが信頼できる婚約者に出会うまでは、すまないが君とは婚約できない』と。グランヴェル侯爵様も同じお考えだったと思います。そして、エディス様、あなたがライオネル様の婚約者となってくださいましたね。クレイグ様も、あなたにそんな嘘を吐いてまで、私を守ろうとしてくださって。……私には、そこまでしていただく価値はないのに」
「クレイグ様は、本当にお優しい方なのですね。そして、ユージェニー様のことも、ライオネル様のことも大切に思っていらっしゃる」
「私には、もったいないような方ですわ。……ライオネル様には、私、一生口をきいていただけなくても文句は言えません。すっかり信用も失っていると思いますし、クレイグ様の相手に相応しくないのではと、きっと眉を顰めていらっしゃることでしょう。どうしたって、私には、最も辛い状況にあった彼のことを、掌を返すような態度で酷く傷付けてしまったことを、今更償うことはできません」
少し口を噤んでから、ユージェニーは再度口を開いた。
「ただ、一つだけ、ライオネル様にできるかもしれないことで、私が思い付いたことがありました。……遠い昔、まだ魔法が使われていた時代に、白魔術師の中でもトップクラスの回復魔法を使える家系があったと言われていました。途中で跡継ぎが姿を消したと言われるその家系の先を、今のスペンサー侯爵家に使える限りの情報網を使って探していたのです」
ユージェニーがエディスを見つめる真剣な眼差しと、彼女の持ち出した話との関係が見えないままに、エディスはただ静かに、彼女の言葉に耳を傾けていた。




