クレイグの頼み
本日は2話投稿しています。
ユージェニーがグランヴェル侯爵家を訪れ、クレイグとユージェニーとの婚約が調ってから数日が経ったある日のことだった。ライオネルとの昼食を終えたエディスがキッチンに空いた食器を運んでいると、隣に姿を現した人影が、彼女の手から、空いた食器の乗ったトレイをひょいと取り上げた。驚いてエディスが隣を見ると、紫色の明るい瞳と目が合った。
「あら、クレイグ様?」
「いつも兄さんのことを色々とありがとう、エディス。これは、俺がそこのキッチンまで運ぶよ」
「よろしいのですか? ……では、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
クレイグは、エディスがグランヴェル侯爵家に来てから、彼女のことを何かと気に掛けて、時折声を掛けてくれていた。朗らかで屈託のないクレイグと打ち解けるまで、エディスにもそう時間はかからなかった。
エディスの言葉ににっこりと笑ったクレイグは、トレイに乗った二人分の空の食器を見つめて、感慨深げに呟いた。
「あの兄さんが、食事を残さずに食べられるようになるなんてね。一時は、食もかなり細っていたから……。やっぱり、君がつきっきりで兄さんの側にいてくれるからなんだろうな。君が作ってくれる料理はどれも凄く美味しいって、兄さん、ベタ褒めしてたよ」
「そうなのですか? ……ありがとうございます」
ライオネルは、最近は粥以外の食事も少しずつ摂れるようになってきていた。エディスは、回復の兆しが見え始めたライオネルのために、消化がよく栄養バランスの取れた、隠し味に薬草を混ぜ込んだメニューを考えることが、毎食楽しみになっていた。ライオネルは、いつも臆面もなく、エディスの料理の腕を褒めてくれるのだ。
ただ、まさかライオネルが弟のクレイグにまでそんな話をしているなんて、エディスは思ってはいなかった。照れたようにほんのりと頬を染めたエディスを見て、クレイグは穏やかな笑みを浮かべた。
「君は本当に、素直で優しい、素敵な女性だね。兄さんにとっての君は、理想以上の、突然贈られた神様からのギフトみたいな感覚なんじゃないかな。すっかり、兄さんは君に惚れ込んでいるようだね」
「そ、そうでしょうか……」
エディスは、ますます頬に血が上るのを感じながらも、今はライオネルが病を患っているために、側に付き添っている自分のことがことのほか良く見えるのだろうと、どこか冷静に考えている部分もあった。ライオネルが回復するまでは、エディスは、何があっても彼の側にいたいと考えていたし、エディスの胸の奥にも、ライオネルを愛おしく思う気持ちが芽生え始めていた。けれど、エディスは、そんな自分を戒めてもいた。
(ライオネル様が回復なさった時、改めて周りを見回したら、私よりも彼に相応しい貴族家の令嬢はたくさん見付かるはずだわ。その時に、私が彼の足を引っ張ることのないようにしないと……)
そう考えつつも、ライオネルがエディスに笑顔を見せる度に、思わず胸が跳ねるようになってしまった自分に、エディスは戸惑ってもいたのだった。
クレイグは、じっとエディスを見つめると、キッチンに向かう足を止めないままで、ゆっくりと口を開いた。
「……俺の婚約者になったユージェニーが、数日前にこの家に来たけれど。君は、彼女にどんな印象を持った?」
クレイグは、貴族にありがちな、一見品良く遠回しな言い方はあまりせずに、はっきりとした簡潔な物言いをする。平民育ちの長いエディスは、彼のそんなところにも親しみを覚えながら、彼の直球の質問に答えた。
「そうですね。今までに私が見たこともないほどお綺麗な方だと。それに、優しそうな良い方に見えましたわ」
「……そうか、それなら良かった」
クレイグは、ほっと表情を緩ませると、少しだけ口を噤んでから、また口を開いた。
「ユージェニーが、元々は俺ではなくて兄さんと婚約する予定だったこと、エディスは聞いているかな?」
「ええ、ライオネル様から伺いました」
「兄さんから、もう聞いていたんだね」
クレイグは、エディスの言葉に頷いてから、小さく息を吐いた。
「兄さんが体調を崩して程なくして、ユージェニーは婚約する予定の相手を俺に変えた。兄さんが患った病は、命に関わる重病だったから、そんなユージェニーの選択に対して、この家でも理解を示す者もいた。一方で、幼い頃から婚約する予定で長い時間を過ごして来たのに、最も兄さんを支えるべき時に婚約予定の相手を俺に変えるなんてと、彼女を白い目で見る者もいる。この家に長く勤める使用人たちも含めてね。……兄さんは前から人望があったから、後者の方がずっと多いかな」
「……そうだったのですね」
「でも、この件で咎められるべきなのは、ユージェニーではなくて俺なんだ。……ずっと彼女に横恋慕してきた俺が、兄さんが病に倒れて悲しみに揺れる彼女を見て、隠しきれず、それまで胸に秘めていた想いを彼女に告げてしまったのだから」
「……!」
思いもかけないクレイグの言葉に、エディスは目を瞠った。クレイグは、少し苦しそうに顔を歪めた。
「だから、ユージェニーに非はない。悪いのはこの俺だ。兄さんが病に臥せっている時に卑怯だとは思ったけれど、兄さんにも、俺からこの話はしているし、俺の言葉に頷いてもくれた。ただ、実際に兄さんがこのことをどう思っているのかは、今でもよくわからないんだ。……君が見た通り、妹のアーチェもあんな感じだしね」
クレイグは、微かに苦笑してから、エディスを真剣な眼差しで見つめた。
「ユージェニーは、兄さんの婚約者である君に出会って、君にとても好感を抱いているんだ。この家に来たばかりの君にこんなことをお願いするのも何だが、できることなら、君にユージェニーの味方になってもらえたら嬉しく思うよ」
エディスと並んでキッチンに着いたクレイグは、手にしていたトレイを下ろすと、ポケットから一通の手紙を取り出してエディスに手渡した。
「これは、ユージェニーから君への手紙で、お茶の誘いだそうだ。君と二人でもっと話がしたいと、ユージェニーは言っていた。……よかったら、前向きに考えてもらえたら嬉しい。返事は俺に渡してくれ」
「……はい、わかりました」
流れるような美しい筆致で、宛名にエディスの名前が書かれた封筒を手にして、エディスはクレイグの言葉に頷いたのだった。




