和やかな時間
椅子に腰掛けたエディスは、ベッドから上半身を起こしたライオネルと、ちょうど視線の高さがほぼ同じになっていた。近くで見る、穏やかな色を湛えた彼の青紫色の瞳を、エディスはやはり美しいと思った。間近に彼の視線を感じて、多少の気恥ずかしさを覚えながらも、エディスは口を開いた。
「改めてお話ししようと思うと、何から話せばよいか、迷ってしまいますね。侯爵家のライオネル様に、平民だった私の話をしても、興味を感じていただけるのか、あまり自信はないのですが……」
ライオネルは、エディスの言葉に温かな笑みを浮かべた。
「君のことなら、何だって知りたいと思うよ。君は、僕が今までに会ったことのある令嬢方とは、誰とも違っている。僕にとって、好ましい意味でね。だから、平民として暮らしていた時の君の話も聞かせて欲しいんだ。……僕が君に興味を惹かれているのは、もちろん、単に平民か貴族かといった過去の身分の違いで一括りにできるものではなくて、君自身の魅力によるものだけれどね。だから、何でも気兼ねなく、君のことを教えて欲しい」
彼の言葉に、エディスは頬に血が上るのを感じながら微笑んだ。
「では、私がオークリッジ伯爵家に引き取られることになった経緯からお話しいたしますね」
エディスは、事故で両親を亡くしてから、エディスを迎えに来た祖父の存在によって初めて父が伯爵家の出だと知り、オークリッジ伯爵家に引き取られて叔父の養子に入ったことを、かいつまんで話した。ライオネルは、頷きながら、エディスの話に静かに耳を傾けていた。
エディスは、父母を恋しく思い出しながら言葉を続けた。
「私、両親と一緒に田舎町で暮らしていた時は、まさか父が貴族家の出身で、駆け落ち同然で実家の伯爵家を出ていたなんて、夢にも思いませんでした。父はすっかり、平民の暮らしに溶け込んでいましたから。父は母のことをとても大切にしていて、普通の仲の良い家族だったのです」
「君が温かな家庭で大切に育てられたのだろうということは、君といると、自然と感じられるよ。ご両親を亡くされて、辛い思いをしたね。……駆け落ちして家を出てまで一緒になることを選ぶなんて、君のお父様は、お母様のことを余程愛していたんだね」
エディスは、ライオネルの言葉にふっと笑みを零した。
「父が旅先で高熱を出して倒れた時に母に助けられたことが、二人の出会いのきっかけだったと、そう父からは聞きました。母の作った薬と献身的な看病で全快した父は、母に惚れ込んでしまったそうです」
ライオネルも、エディスの話に目を細めた。
「良い話だね。……てっきり、オークリッジ伯爵家出身の君のお父様が薬に詳しいのだと思っていたけれど、君のお母様も、薬に明るかったんだね」
「ええ。父は、薬の知識については博学でしたが、むしろ、母の方が薬作りには長けている印象でした。薬草を煎じて薬にし、どのように調合すればよいのかは、母に学んだことの方が多かったですね」
「その知識を活かして、君はオークリッジ伯爵家の薬の商いも手伝っていたのだろうか? 確か、君は家の商いも手伝っていた様子だったね」
エディスは、彼女が義母に言い掛けた言葉をライオネルが覚えていたことに驚きながら、彼の言葉に頷いた。
「はい、ある程度は。ですが、祖父が存命の際に手伝い始めたオークリッジ伯爵家の薬の商いは、あくまで決まった種類の、従来から卸していた薬に関するものでした。私が両親の薬屋を手伝っていた時は、一人ひとりの患者様の症状に合わせて薬を調合していたので、少し、内容は異なりますね。……両親の営んでいた薬屋は小さなものでしたが、薬はよく効くと、たくさんの人が足を運んでくださったのですよ」
エディスは、こぢんまりとした田舎町にいた頃、回復した患者がお礼にと、野菜や果物、蜂蜜にチーズといった、自分の家で作ったものを笑顔で両親に差し入れに来てくれた光景を思い出していた。エディスの両親は、元気になった彼らのことを、いつも嬉しそうに眺めていた。
ライオネルは、エディスを見つめて微笑んだ。
「何となく、想像がつくよ。きっと、地域の人々に愛されていたのだろうね」
「薬作りに使用している薬草自体は、そう珍しくはないものの方が多かったのですが、母は、よく私に言っていました。患者の症状をよく聞いて、彼らの回復を願いながら、薬の調合をするのがコツなのだと」
エディスは、笑顔を絶やさぬ優しい女性だった母を思い出していた。母から教わった通り、エディスも、薬を調合する時にはいつも、飲む人が良くなるようにと願いを込めるようにしていた。
「……君の作ってくれた薬がよく効いているように感じるのは、君が僕の身体の回復を願ってくれたからなのかな」
「ふふ、そうかもしれませんね。ライオネル様が治るようにと、気持ちはしっかりと込めていますから」
ライオネルとエディスは、にこやかに笑みを交わすと、そのまましばらく他愛もない会話を続けた。ライオネルは、高位貴族だというのに気取ったところがなく、エディスにもとても話しやすかった。
ライオネルとつい話し込んでしまい、いつの間にか、窓から差す陽が随分と高くなっていることに気付いたエディスは、はっとしてライオネルに尋ねた。
「すみません、すっかり話し込んでしまって。……もうすぐお昼ですね。ライオネル様は、お疲れではありませんか? それに、お腹が空いてはいらっしゃらないでしょうか」
すっかりエディスと打ち解けた様子のライオネルは、明るい瞳で嬉しそうに彼女を見つめた。
「こんなに楽しいひとときを過ごしたのは久し振りで、僕も時間が経つのを忘れていたよ。もう、昼時になっていたんだね。疲れはまったく感じないよ。普段はあまり食欲が湧かないのだが、今日は、少し空腹を感じるな。こんなに体調が良く感じることも、滅多になかったのだけれどね」
ライオネルの表情が活き活きとしている様子を見て、エディスも喜びにじわりと胸が温まるのを感じていた。